劇場公開日 2021年2月19日

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「愚かなのは日本も同じ」ある人質 生還までの398日 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0愚かなのは日本も同じ

2021年2月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 イスラム国についてはISやISILなど、いろいろな呼び方があるが、ここでは日本語表記のイスラム国と呼ぶことにする。
 ジャーナリストの後藤健二さんが湯川遥菜さんとともにイスラム国に拘束監禁されて10億円=約1000万ドルの身代金を要求されていたときに、たくさんの応援企業の引き連れて中東を訪問したアベシンゾウは、イスラム国を食い止めるために2億ドルを出すと演説した。直後に身代金の額が2億ドルに増額され、その後ふたりは殺害された。
 他の国の指導者でそんな子供じみた演説をした人はいない。表の顔と裏の顔を使い分けて、イスラム国と水面下で交渉し、自国の人質を救出していた。日本人にもイスラム国と間接的なパイプを持っている人たちはいたのではないだろうか。平和だけを願っていた後藤さんの無念の死は、アベシンゾウと日本政府による見殺しであった。
 背景には、アベ政権のジャーナリストとジャーナリズムに対する軽視あるいは憎悪があったと思う。アベ官邸にとって、都合の悪いことを報じる報道機関は邪魔なだけなのだ。彼らは後藤さんの死をざまあみろと思ったに違いない。当時の官邸には、現総理大臣のスガヨシヒデもいた。冷酷な政権の中でも最も冷酷なのが官房長官だったこの人である。最終的には生活保護があると予算委員会で言い放ったのは記憶に新しい。日本の現首相には国民を救う気持ちなど1ミリもないのだ。

 さて本作品はデンマーク映画でデンマーク人の若いフォトグラファーが主役である。彼が撮りたいのは戦場の街や、子供たちをはじめとするそこに住む人々だ。撮影していて楽しい。こんなに素晴らしい被写体はない。だから危険を顧みずにシリアを訪問した。第三者から見れば若気の至りの無謀な行動に思えるかもしれない。しかし戦地の状況を伝えるフォトグラファーがいなければ、我々は悲惨な現実を知ることがない。後藤健二さんと同じように、主人公ダニエルの行動は非難されるべきではない。
 シリアの出入国事務所のすぐ近くには銃を携えた兵士がいる。シリアにはいくつかの武装勢力があり、ダニエルは自由シリア軍という勢力にバックアップを頼んで撮影に行くのだが、イスラム国と見られる男たちに捉えられ連れ去られる。
 問題はふたつ。ひとつはイスラム国にヨーロッパの他の国から参加している人がいること。ダニエルを拷問したのは主にその白人だ。不満のはけ口をイスラム国に参加して暴力や殺人を行なうことに求めていることだ。もうひとつは、イスラム国や自由シリア軍などが持っている武器はどこからきているのかということである。
 難民が自国に押し寄せてきていることの反動かもしれないが、イギリスやフランスの若者がシリアにまで行ってイスラム国に加わるというのは感覚的には信じ難い。例えば日本人の若者が同じようにシリアに行ってイスラム国に加わり、韓国から来たジャーナリストを拷問するなどということは想像しにくい。しかし捕虜たちからジョンと呼ばれる白人の男がダニエルを拷問したのは確かだ。ほぼ無宗教の日本人と日常的に宗教と関わる国の違いだろうか。
 中東の紛争だけでなく、世界中の紛争にはほぼアメリカ製かロシア製の武器が使われている。最近ではもしかすると中国製や日本製の武器も使われているのかもしれない。アメリカの軍需産業の市場規模は約70兆円である。日本のGDPが約500兆円であることを考えると、単純比率で考えれば日本の労働人口の14%、つまり840万人のアメリカの労働者が軍需産業に関わっていると推定できる。この人数が生計を立てていくために世界中に武器を売っているのだとすれば、アメリカの軍需産業の罪深さは底知れないものがある。

 人間は他の動物に比べて環境順応性が高く、過酷な環境にも慣れる。それはブラック企業が存続できる理由のひとつでもある。そしてブラックな国家についても同じことが言える。テロリストに拘束された人も、苦しい毎日に慣れる。しかしそれは自由も希望もない日々だ。
 ある人がダニエルに託した言葉が本作品の肝である。「奴らの憎悪に負けるな」と彼は言う。なるほどと思った。世界の紛争は憎悪と不寛容の精神性に端を発し、世界の軍需産業が拍車をかけているという構図なのだ。人間の愚かさの典型的な図式である。日本の軍需産業は5兆円の防衛予算に支えられている。日本が戦争に巻き込まれる可能性は限りなくゼロに近いのに、どうして防衛予算が毎年増えるのかについてのからくりもここにある。愚かなのは日本も同じなのだ。

耶馬英彦