「火の無いところにも煙は立つ」私は確信する pipiさんの映画レビュー(感想・評価)
火の無いところにも煙は立つ
まったく身に覚えのない理不尽な非難に晒され、どれだけ潔白を訴えても真実の証明が出来ないという苦渋に満ちた経験を味わった事のある人は少なくないと思う。
洋の東西を問わず「火の無いところに煙は立たぬ」という成句のおかげで「噂が立つからには本人に原因があるのだ。」という論調になるケースは、これまた非常に多い。
しかし、ワールドワイドウェブ華やかなりし現在、SNSを眺めてみればまったく火(根拠)の無いところに、どす黒い煙が立ち上っていく様子をまざまざと俯瞰&観察出来る。
煙を起こす「火」は、本人に原因がある場合もあるが、それ以外にも近しい他人からの「妬み」や「マウントポジションが取れない事への不快感情」というケースが非常に多いのだ。この場合だと、本人はまったく悪く無いし本当に何もしていない。
火を煽る「風」は、当事者の事をロクに知らない赤の他人達の「心証」だ。
噂話は彼らの狭隘な経験に勝手に紐付けされ「こういうタイプはこんな奴に違いない」といった的外れの憶測を新たに生み出し続けていく・・・。
バッシングの規模は、家族、親族、近所付き合い、職場、SNSなど様々だが、その最たるものこそが司法レベルの「冤罪」であろう。
この映画の原題「Une intime conviction」は法律用語の「心証」の意だとか。
本作は実際にフランスで起きた「ヴィギエ事件」を人物名もすべてそのまま扱っている。唯一、架空人物であるヒロイン「ノラ」も、ランボー監督自身の投影だ。殺人罪に問われた第二審時、ヴィギエ氏とその家族に話を聞き、モレッティ弁護士に弁護を依頼したのもランボー監督だ。スザンヌ失踪後、ヴィギエ氏と交際関係にあり家族を支えた女性を外殻、ランボー監督を内核としてノラ像は生まれた。
デュランデがヴィギエ氏を犯人に仕立て上げる画策が通話記録で明らかなのにも関わらず、警察と検察が有罪獲得に躍起になった事実に、ランボー監督とモレッティ弁護士は動いた!
司法システムが内包する悪しき問題と、巻き込まれた人々の悲劇に一石を投じる為に!
日本でも袴田巌さんは30歳の時に殺人容疑をかけられ32歳から74歳まで収監、裁判は決着していないので84歳の現在も死刑囚のままだ。警察・検察が殺人犯に仕立て上げた可能性も否定出来ない。本当に冤罪ならば、なんと恐ろしく悲しい人生であろうか!
映画の中で、ノラは250時間にも及ぶ通話記録を分析しては情報をモレッティ弁護士に渡す。弁護士は証言者の言葉が如何に曖昧なものであったかを1人1人に証拠を突きつけ、事件の心証をひっくり返していく。ノラがレストランの料理を次々と仕上げるように。
しかし、デュランデの悪意ある画策を知った時、ノラもまた自分の抱く一方的な確信に捉われる。正義の為に動いているつもりでも、人は容易に「心証」に捉われ、左右されてしまうのだ。盲目的に正義を振りかざし、ロクに知りもしない他人を勝手に断罪する。(コロナ警察しかり、だ)「世論」とは、そんな側面を含んでいる事を、ノラは体現してくれる。
クライマックスでモレッティ弁護士が推定無罪の原則について訴える圧巻のシーンは、実は観客にも問いかけているのではなかろうか?
デュランデが真犯人だと思いますか?彼もまた、推定無罪ですよ?と。
SNSが世論を形成する速度は凄まじい。ネット社会が訪れる以前の比ではない。そんな情報化社会を生きる私達は、これまで以上に「推定無罪の原則」を厳しく意識していく事が大切だ。
冤罪という悲劇に、誰かを突き落とす事のないように。
そして自分が落とされる事のないように。