「2009年、フランス国内メディアが大々的に取り上げていたヴィギエ事...」私は確信する りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
2009年、フランス国内メディアが大々的に取り上げていたヴィギエ事...
2009年、フランス国内メディアが大々的に取り上げていたヴィギエ事件の第一審が、確たる証拠がないことから被告である夫・ジャック無罪の判決が出た。
事件は、2000年2月に妻のスザンヌが、3人の幼い子どもを残して忽然と姿を消したものだが、破綻した夫婦生活や失踪の届出状況から、夫による殺人事件と噂されていたものだった。
しかしながら、検察は控訴。
マスコミは、再び夫へ疑惑の目を向けるが・・・
というところからはじまる物語で、成長した被告の娘と懇意のシングルマザー・ノラ(マリーナ・フォイス)はジャックの無実を確信、ベテラン弁護士デュポン=モレッティ(オリヴィエ・グルメ)に弁護を懇願し、自らも助手となって裁判に挑んでいく、というもの。
ノラに課せられた役割は、250時間にも及ぶ通話記録の分析。
その多くは、スザンヌの愛人デュランデ(フィリップ・ウシャン)のもの。
デュランデは、スザンヌの友人たちにジャックに対する疑惑を語っている・・・
映画は、とにかくスリリング。
ノラが聴く通話から、観客であるわたしたちは、ジャックよりもデュランデが怪しいのではないか、との心象を抱くようになってくる(原題「UNE INTIME CONVICTION」は、心象の意)。
そして、事件の真相に近づいていくことに快感を覚える・・・
ノラがひとり息子をそっちのけで、どんどんと事件にのめりこんでいくように。
ここが、この映画の演出での肝で、おそらく当時の仏国内では、夫ジャックに対する疑惑が膨らみ、「イコール犯人」という確信のようなものを覚えたのではありますまいか。
(これと似たような「確信的疑惑」は、日本でも「ロス疑惑」事件で起こっている)
事件の真相に近づく・・・
たしかにそれは、物語としての興奮・カタルシスに近いものだろう。
確信的になればなるほど、さらに興奮のつるぼとなっていく。
「しかし、これは裁判なのだ」とデュポン=モレッティ弁護士はノラを諭す。
デュランデに対する確信的疑惑によって、興奮状態となり、デュランデに対する憎しみの炎が燃えているノラに対して。
裁判は、被告が有罪か無罪かを争うもので、その根拠は明白な証拠でなければならない。
疑わしきは被告の利益に。
「推定無罪」、推定でしかないならば、無罪であるべきなのだ。
その大原則を最終弁論で熱く語るデュポン=モレッティ弁護士の姿は感動的で、オリヴィエ・グルメの熱演は素晴らしい。
裁判の本質は、どこにあるのか。
ともすれば、事件に興奮してしまっている第三者のものではなく、被告のためにあるはずである。
この映画は、そういう映画なわけで、観終わった後、「それで、結局、事件の犯人は誰なの?」などと言ってはいけない。
<追記>
それにしても仏検察、こんな薄弱な証拠で起訴し、一審無罪なのに控訴したものだ・・・と、つくづく思いました。