「教育における「即興」ということ」あこがれの空の下 教科書のない小学校の一年 Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)
教育における「即興」ということ
「ゆとり教育」は失敗したと言われている。
なるほど、どうせやるなら、ここまでやらないとダメなのかと思った。
教科書はないというが、教材がないわけではない。先生が毎回、臨機応変に作っていくのだ。
また、子供に任せたり、子供の意見を反映させていくことも多いように描かれる。
つまり、定まったカリキュラムに従わせるのではなく、その場その場の「即興」的要素を取り込みながら進めていくらしい。
自分は、卒業生の堤未果さんのゲストトークを聞いた。
和光小では先生とは“対等”であり、他校では「先生をあだ名で呼んではいけない」と知って、びっくりしたという。
また、先生たちが、子供とぶつかり合って見せた人間臭さのようなものが、財産になっているらしい。
自分も、一緒に遊んでくれた小学校の先生の暖かさは、今でも忘れていない。
しかしながら、このドキュメンタリーを観て不満に思うのは、和光小学校の話に限定され、他の場所での適用可能性については、何も語っていないことだ。
例えば、中学校ではどうなのか? ある程度知識の詰め込みも要求されるだろうし、先生との距離感も一変するはずだ。
また、和を乱す不良がいた時は、どう対処するのか?
生徒たちは、私立校に通える収入のある、世田谷近辺の家庭に育った子どもであろうから、必ずしも一般的とは言えないだろう。
そして一般に、先生は多忙を極めているため、「即興」的要素を取り入れるのは理想であっても、技術的には困難を伴う。
この映画から、今の教育が学ぶべきことは多いはずだが、実際どうなんだろうという疑問は、やはり残るのである。
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