川っぺりムコリッタのレビュー・感想・評価
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ご飯を美味しく炊く才能
とくに事件が起こるわけでなしドラマチックな展開があるわけでなし、コメディーでもなし。前科者が淡々と日々を過ごすだけの映画。
私は前科者では無いけれど、昔この映画の主人公と似たような貧乏生活をしてました。
だからかもしれないけど最後まで飽きずに観ることがてきましたが、人にオススメとかはどうかなぁ?
ほんと淡々としてるのよ。
良い作品だとは思うけど感動するわけでなし、面白いわけでなし、見終わってスッキリもしないし。
なかなか不思議な作品だとおもいます。
たぶん観おわった人の多くが白ご飯を食べたくなるのではないでしょうか?めっちゃ美味しそうでした。
今も一人暮らしなのでね、ご飯を美味しく炊く才能は本当に羨ましく思います。
でんでんむしのかなしみ
予告から、孤独な若者とおかしな隣人たちとのふれあいを描いたコメディ、くらいに思っていたら、意外にも奥が深かった。
誰しもが哀しみを背負って生きている。
他者とのつながり、自らの過去とのつながり、死者とのつながり、いのちのつながり。いろんなつながりを感じる(考えさせられるよりも感じる)作品だった。
松山ケンイチ、ムロツヨシ、満島ひかり、吉岡秀隆、柄本祐、緒方直人、みんなそれぞれがこの人じゃなければ考えられないという役を上手く演じていた。
他者との関わりを避けて暮らしている山田君。迷惑ながらも人とふれあうことでだんだんと表情がいきいきとしてくる。松山ケンイチがただご飯を食べているだけなのに飽きることなくいつまでも見ていられる。
満島ひかりの亡き夫の遺骨とのラブ・シーンは哀しくせつなくも美しい。満島ひかりだから生々しくならず美しく哀しい。
風呂を貸してくれと勝手に上がり込んでくる隣人。ムロツヨシでなかったら、すごい嫌な奴になってたろう。ムロツヨシだからなんか憎めない。
薬師丸ひろ子、どこに出てたんだろうと思ったら、声だけだった。確かにいい声だった。あの声で優しく語られたら死ぬのを思いとどまるだろう。
吉岡秀隆演じる墓石のセールスマンも、あの声で空に浮かぶ金魚の霊の話を聞いたんだな。だから生きているんだ。(どですかでんの三谷昇のまんまのシーンも良かった)
蝉の声、キュウリを齧る音、炊き立ての白米、生きていれば何にだってしあわせを感じることができる。
ラストの葬送行進は現実離れしていたけど、この映画にはぴったりの美しい(画も音楽も)シーンでした。
ささやかな日常の尊さを、奇跡的なまでの煌めきで捉えた超絶大傑作
タイトルにあるムコリッタは、どうやら時間の単位を表す仏教用語らしい。
ムコリッタは1日の三十分の一、つまり48分で1ムコリッタになるとのこと。
こうした説明が映画の冒頭ではさまれる。
そこから松山ケンイチ演じる訳ありっぽい男が富山県の田舎町に越して来るところから物語は始まる。
イカの塩辛を作る工場で働き始め、そして川っぺりにあるムコリッタというアパートで暮らし始めるというシンプルなストーリーだ。
この映画はストーリー自体がシンプルだからこそ、日常の生活を捉える細かい描写がとにかく素晴らし過ぎました。
まずは、素晴らしかったのはご飯のシーン。
炊きたての炊飯器のアップとか、イカの塩辛とか、採りたてのトマトとかきゅうりとか、みんなで食べるすき焼きとか、出てくる料理全てがどんな高級料亭の料理よりも美味しそうに見えました。
やっぱり、ご飯は何を食べるかじゃなくて、誰と食べるかってことが重要だということを改めて教えてもらったような気がしました。
他に素晴らしかったのはお風呂のシーン。
昔ながらの大人1人がギリギリの入れるくらいのせまい風呂場なんですが、松山ケンイチとムロツヨシの表情も相まってめちゃめちゃ至福の時間なんだろうなっていうのがとても伝わってくる良いシーンでした。
あと印象に残ったシーンは、満島ひかりがアイスを食べながら妊婦のお腹を蹴りたくなるって話すシーンとか、満島ひかりが夫の遺骨を口に含めりして亡き夫に想いを馳せるシーンとか、台風の日に松山ケンイチとムロツヨシが九九の7の段を逆から言うシーンとか、お風呂上がりに牛乳を飲む習慣が実は父親からの影響だったと気付くシーンとか、決してドラマティックな訳ではないけれど深く心に染み入るようなシーンたちが本当に素晴らしかったです。
全体的に横長のスクリーンサイズを活かした平行線が幾重にも折り重なった横長な画作りが素晴らし過ぎました。
お彼岸系
とても穏やかな気持ちで最後までまったりと観ていられました。
お彼岸のこの時期に観るにはとてもいいんじゃないでしょうか。
前科持ちの再スタートと自己嫌悪
必要最低限の生活
炊き立てのご飯
毎日単調な作業の繰り返し
親との死別
遺骨の行方
お墓の値段
お坊さんの相場
孤独死予備軍
お節介な隣人
子供の世界
重過ぎず軽過ぎず深いようでしっくりじんわり笑ってしまう。
印象に残った隣の島田のセリフ
「もし僕がいなくなったら寂しいと想ってくれる人が
一人でも居てくれたらそれだけでいい」
なんでもないことの有り難さを気づかせてくれる。
今の自分がいるのは両親のおかげ。お墓参りに行かなくちゃ…
あとからじんわり…
そういえば満島ひかりは「川の底からこんにちは」で父親の遺骨を人に向けて投げつけてたなぁ。
最後のふわふわと飛んでいく魂はイカの塩辛星人?「NOPE」と重なって笑えた。
エンドロールに「江口のりこ」やっぱりそうだったんだっ!て驚いたり。
同じく「薬師丸ひろ子」えっ?出てたっけ?…あっあの人か!って驚いたり。
同じく製作に「竹内力」なぜだか安心したり。
すき焼き食べて白目むいて震えてる松山ケンイチを思い出してまた笑ってしまった。
日本の米は世界一
午後から映画館が台風の影響で閉まるという緊急事態に陥ったので、急遽予定を変更してこの作品に。本来は「この子は邪悪」を観てからの流れだったんですが…。台風め許さん。
今作、程よく笑えて、程よくホロっとくる、そして心が温かくなる良作でした。
前科持ちの主人公が流れ着いたイカを捌く仕事場での交流とかではなく、住んでいる平家一帯の人々との物語だったのも朗らかな感じを演出するのに最適でした。いきなり風呂に入ったり、ご飯一緒に食べだしたりと、図々しい隣人や、墓石を子供と一緒に売る隣人、亡くなったはずなのに現れる老人、亡くなった旦那を愛し続けている大家と個性豊かな面々が揃っています。
途中で殆ど記憶のない父親の遺骨を引き取りに行ったり、島田の過去の記憶が蘇ったり、妊婦を変に憎む大家だったり、坊さんの存在だったり、遺骨を花火にして打ち上げたタクシー運転手だったりと、常に明るい雰囲気のそばに様々な死生観が潜んでいました。命の電話の利用者とか、葬式に坊さんを呼ばないとか、市役所に残っている見ず知らずの遺骨と、そうなのかという情報も詰め込まれており、上映中ずっと死ぬのって怖いなーと他人事のように思っていました。30日公開の「アイ・アム まきもと」の主人公と妙にリンクしているのも面白かったです。
今作は誰かとご飯を食べているシーンが印象的で、メインは白米、それに漬物や味噌汁、そこにビール、出てくるもののバリエーションこそ少ないですが、美味そうに食べたり、感想を言い合っているのも美味しそうな感じを引き出していました。
最後の自由な形の弔いも現代ではありなのかもなというのをひしひしと感じました。江口のりこさんの使い方は贅沢すぎるなとは思いましたが。
考えさせられることは多かったですが、劇場を出るときには不思議と笑っていられた、そんな作品でした。あ〜お腹空いたなぁ。
鑑賞日 9/19
鑑賞時間 11:40〜13:50
座席 K-17
罪と罰と死生観
SF(すこしふしぎ)作品。
案外真面目で少しシュールで何処か懐かしい。
人は一人では生きれない。
罪を憎んで人を憎まず。
人は忘れられた時に二度目の死を迎える。
そんな含みを感じる。悪人も出てこないので、中学校の道徳の授業とかで流すと良い。
以下、つらつらと。
タイトルは響きに味わいが有る。意味はそれほどでも。
仏教思想そんなに出てこないし。
キュウリとトマトとナスが食べたくなる。イカの塩辛と白米も。
個性豊かすぎる登場人物
父の遺骨に怯える前科者。
人の家に上がり込み勝手に飯を喰らう自称ミニマミスト。
墓石を売る家賃滞納父子。
遺骨で✕✕する妊婦を蹴りたい未亡人大家。
UFOを呼ぶ大家の娘。
…なんだこれ。二人目ぬらりひょんじゃん。
いつ頃なのかが微妙にぼやけている。
父親のガラケーが出ているから2000年以降だろうけれど、雰囲気的には昭和と平成の間くらいに見える。
人間関係と世界観に引き込まれた辺りでアッサリ終わるので、チョットもやもやする。
総評:毒にも薬にもならないが、不思議な満足感が有る。
本当にSF。
追記:やっぱり柄本佑は良いなぁ。
塩辛
期待していた映画です🎬✨
映画館で観れて良かった
ハイツムコリッタ
一癖も二癖もある住人達のお話
死や
貧困や
孤独や
前科者や
発達障害など
とても絶妙に絡めているストーリーです
主演の松山ケンイチの絶望感、尖った目、孤独感上手く演じていた
ムロさんもコミカルではあるけど、いつものムロツヨシのコミカルさは消えた演技でとっても良かった
この二人のやりとりが、絶妙で本当に良い!
あのすき焼きのシーン好き
なんだかこの住民達を好きになる
そんな映画です
以下ネタバレ
マスク姿でも江口のりこさんだとわかるのが凄いのと、柄本佑君一瞬誰だかわからなかった笑
最後のエンドロールでわかる
あの電話の声は
薬師丸ひろ子さん!
どっかで聞いたことあると思ったら!!
やるなぁ監督☺️
へんてこ映画
不思議、気持ち悪い、奇妙、へんてこ、宗教感、スピリチュアル。
だけど観て気分が悪くなったわけではない。
イカのぬめっとした感じ、目玉のギョロッとした感じ。
私は大丈夫だった。
生と死
山田にとって父親の骨は不気味ですぐに捨ててしまいたい物、南にとって旦那の自分の一部にしたい物。
タクシーの運転手は奥さんの骨を夜空に打ち上げる。
亡くなった人の骨を残された人がどう扱うか、どう扱いたいか。社会福祉課のあの一室も異様な空間。
死んだ後の骨の行方を考えてみる。
貧と富
安アパートでお風呂もろくに入らない島田。
隣の家で炊き立ての白飯もビールもいただく島田。
島田は図々しい。
墓石を売る溝口。
安アパートに住んでいても犬用の墓200万円が売れればすき焼きが食べられる。
個人的にはお金に余裕がないとき、心に余裕もない。ビールだってすき焼きだって自分一人で食べてしまいたい。
だからアパートの人たちはすごい。
過去と今
主人公だけでなく喋り方や行動が独特な住人たち。
山田は前科者、島田にも言いたくない過去がある。
南だって夫を亡くし、溝口も沢田もなにかしらあるだろう。過去の映像がなく、こちらの想像任せ、それでいい。
登場人物のどこか諦めがある。
南の妊婦の腹を蹴りたくなる感情。
そういう感情が自分の中にあるということが怖いという気持ち、すごく分かる。
自分が怖くなること、ある。
重いく感じる内容だったけれど音楽と色が癒してくれた。
白と青と緑の世界。
映像が美しい、絵になる。
不法投棄も築50年の建物も美しい。
どんな人も助けてくれる映画。
ギリギリの生活でも小さな幸せを見つければいい。
人と比べなくていい。変でもいい。
みんな変じゃないのかもしれない。
恥じることはない。
松山ケンイチかっこいい。
ムロツヨシすごく似合ってた。
満島ひかりセクシーすぎる。
【近しい人の死をきっかけに、人と人が繋がっている大切さや、生きている事の有難さを見つめなおす作品。”牟呼栗多”かあ。今作は”生”と”死”の間にある時間をユーモラスに描いた作品なのである。】
ー 前科者故に、人との関りを避けて生きて来た山田(松山ケンイチ)は、イカの塩辛工場で働きながら、逐50年の”ハイツムコリッタ”で暮らし始める。
隣人の、ミニマリスト島田(ムロツヨシ)から頻繁に風呂を使われ、困惑するが・・。-
◆感想
・心を閉ざしていた山田の部屋に、ズカズカ入って来て、風呂に入るは、そのうちにご飯まで食べる島田の姿が、オカシイ。お土産は、庭で取れた不揃いな形の夏野菜・・。
そして、彼はボソッと”自分が死んだときに、寂しいと思ってくれる人が居る事が、細やかな幸せなんだ”と金言を口にしたりする。
ー ムロさんって、ホント良い味を出すよなあ。けれど、島田も、過去に辛い出来事があっただろうことも、さりげなく描かれる・・。-
・そんな山田の所に市職員(柄本佑)から4歳の時に別れた切りの父の遺骨を引き取ってくれ、と連絡がある。
ー 遺骨を引き取りに行った際の、数多くの無縁仏になってしまうだろう、遺骨の箱。荻上監督が行き場のない遺骨について、取り上げたTVのドキュメンタリー番組を見たことが、今作製作の切っ掛けであるそうだが、インパクトあるシーンである。
だが、荻上監督はこのシーンも暗いモノにはせず、慇懃な市職員に”こんなに、立派な喉仏はナカナカありません・・”と山田に見せる。確かに仏様が、合掌しているようだ・・。ー
・大家の南(満島ひかり)も、夫を亡くしているが、明るく生きている。
・イカの塩辛工場の社長も”一つ一つこなして行けば・・”と彼を励ます。
ー 正に、”牟呼栗多”である。-
■”ハイツムコリッタ”の住人である、墓石のセールスマン(吉岡秀隆)と息子がお金持ちの奥様(田中美佐子)に”犬用”の墓石200万円也を買って貰い、すき焼きを食べようとするシーンが可笑しい。
匂いを嗅ぎつけた島田や南とその娘。そして、山田までも集まって来て・・。
食事は、大勢で食べた方が美味しいよね!
これは、私の推測であるが、荻上監督は劇中、屡、食事のシーンを写しているが、食事を”生”のイメージとして表しているのだろうなあ、と思ったよ。
荻上監督の作品は食事のシーンがとても多い事はご存じの通りだが、今作でもフード・スタイリストは、飯島奈美さんが担当している。嬉しい。
<虫の声や、お盆の茄子や胡瓜の”精霊馬”を馴染の寺(僧侶は黒田大輔!無口である。)の欄干に島田と置いたりして、永遠に続くと山田が思っていた辛い時間を、”牟呼栗多”として、過ごすことが出来るようになった山田は、後半になるにつれ、笑顔が増えてくる。
今作は”生”と”死"の狭間にある時間を、ユーモラスに描いた作品なのである。>
ささやかな幸せ
…食べる
ことは生きるに繋がる
お金は無いけど
炊きたてのご飯 味噌汁 塩辛 漬物
を松山ケンイチが美味しそうに頬張る
ご馳走とは言えないが
…ささやかな食事
そして
一人ではないふたりで楽しそうに
…食べる
孤独死が叫ばれる昨今
生き別れた父に何の思い出も無いが
…故人を忍ぶ
どんな人だったのか
どんな生活をしていたのか
故人との想いをみつめながら
自分に合ったお別れ
ここでは沢山の生き物か出てきます
可愛い牛柄の子やぎ ナメクジ 猫 蜘蛛 セミ 金魚など
野菜もきゅうりトマトに茄子
特に採れたてのきゅうりの音が
美味しそうでとても贅沢
に思える
人も自然の中の生き物の一つ
死んで魂が何処にいくのか…
笑顔で過ごしていらっしゃいますか
と…吉岡さんがいい味だしてます
自然の風景にお寺の鐘の音に癒されて
ムロツヨシの図々しさに笑ったりして
元気になれる🎬です
死と繋がって生きている
裏庭のガラス戸が映り込む度に、お隣さんの姿を期待しちゃいます。
風変わりな人々との掛け合いが笑えますが、テーマはガッツリ骨太。
ハイツムコリッタの住人はみんな「死」と繋がって生きている。
肉親の死に直面した人、死と共にある人、死を生業にする人、そして死を受けとめられずにいる人。
「死」から見えてくる親子の繋がりや日本のしきたりには、救われることもあれば苦しめられることもある。
もしそれらが足枷や呪縛になるのなら、他にもいろんな向き合い方があるし、いろんな生き方がある。
自分で選べるんだよ。自分で選んで良いんだよと言ってくれている気がしました。
イカの塩辛はグロテスクだけど美味しい。
常に逆説がセットで描かれます。
映画を観ながら「今回はオリジナル脚本じゃなくて原作モノの映画化なのか…」と感じたのですが、
実は企画が流れてしまった脚本を監督自身が小説にして、今回ついに映画化に至った作品だそうです!
どおりで今までの語り口との違いを感じたわけです。
監督は小説にすることで人物が深くなったとおっしゃってましたが、
確かに人物が深くなったことで、必要以上に人物の主観に寄りすぎない距離感が俯瞰の視点となって、物事の多面性がより伝わった気がしました。
生と死、親と子、日本文化、格差社会までが網羅されます。
そして、未だ彷徨い中の人物も描かれているところに、俯瞰の優しさを感じました。
舞台が、命の危険と隣り合わせの「川っぺり」なのも素晴らしいし、なんと言っても「イカの塩辛」の絡ませ方が凄い!
監督は最初と最後だけを決めて脚本を書き始めるそうで、なぜ「イカの塩辛」にしたのか自分でもわからないそうです。
無意識に筆が走るとか、イメージが降りてくるとか、そんな感覚なことをおっしゃってました。
いろんな出来事がリンクして、変化して新たな着地点におさまる。
小説っぽいと感じた一因に、この一つも無駄の無い計算された構成があったのですが、まさかこんな神がかった脚本だったとは!驚きでした。
以下、具体例なのでネタバレあり。
◾️逆説や対比
親との関係が希薄な主人公と対照的に描かれる親子。
顔も覚えていないのに親子の繋がりを感じるシーンがある一方で、
長い時間を共に過ごすことが虐待に繋がることもある。
親から受ける影響が良いことばかりとは限らない。
とくに暴力や言葉による虐待とは違う、無自覚な虐待は非常に厄介。
ランドセルがあったけど夏休み限定?だとしても炎天下にあのスーツは…
セリフの言い回しから、黒澤明監督の『どですかでん』と同じ結末になるのではないかとハラハラしながら見ましたが、電話が鳴るのを待っているだけではいけないと気づけて本当に良かった。
◾️常識や文化の否定ではない
死者と繋がり続けていたい人物が驚く行動に出ますが、それは暴走してしまいそうな自分をセーブする為。
弔いの儀式やしきたりには、残された者が死と向き合う側面もある。
でも、それが自分の心にしっくりこない時は?
後ろから蹴りたい気持ちに蓋をするのではなく、自分の中に蹴りたい気持ちがあることを認めたうえでアイスで発散。
割烹着って“家庭的”のコスプレだと思っていましたが、確かにミシンの糸屑が服につくのは防いでくれるかも。
自分にしっくりくる部分は取り入れる。
※ちなみに私は動物的だと感じるの好きです。自分だって動物のくせに偉そうにしている人間の化けの皮が剥がれたようで愉快。
主人公が生きていていいんだと安堵し嗚咽するシーンでは、思わずもらい泣きしました。
※前半のみ詳しくネタバレしています。後半ネタバレなし
映画『川っぺりムコリッタ』試写会レビュー
本作のタイトルになった「ムコリッタ」という妙ちくりんな言葉、皆さんはご存知でしたでしょうか。漢字で書くと「牟呼栗多」と表記する仏教の時間の単位のひとつなのです。
では「ムコリッタ」の時間の長さはどのくらい長いのでしょうか。仏教の「大毘婆沙論」や「倶舎論」では、「1昼夜」(24時間)が30×「牟呼栗多」といわれています。ということは、「1昼夜」を30で割ると48分となります。これが「ムコリッタ」の長さです。
この「牟呼栗多」には、境目のときという意味も含まれています。物事が変わる節目の時間として48分というのは充分な時間です。
昼から夜にかわるとき。空が夕焼け色に染まっているとき。ひとが生まれて死んでゆくとき。それらの境目のときを抽象的に表した言葉が牟呼栗多なのです。
ちなみに1刹那は、牟呼栗多の21万6千分の1となる約0.013秒となります。1刹那の中にも生滅があり、すべての物はこれを繰り返していると仏教では考えます。
物語は、孤独な青年・山田たけし(松山ケンイチ)が、就職のためにイカの塩辛を作っている北陸の小さな工場を訪れるところから始まります。そして社長の沢田(緒形直人)の紹介で、川沿いの小さな町の川っぺりに建つ「ハイツムコリッタ」の住人の仲間入りをすることになったのです。
職場では、パートの中島(江口のりこ)が丁寧に山田に仕事を教えようとしてきます。けれども、山田はもう誰とも関わらず、目立たずひっそりと暮らしていきたい、どうせ自分なんていてもいなくても同じなんだからと思っていました。
物心ついた頃には父はいなくて、唯一の家族だった母には高2のときに捨てられていたのです。
お風呂上りにパンツ一丁で、寛いでいたら、玄関をノックする音がします。出てみると伸び切った髪に無精ひげの男が立っています。「無理です。無理。」山田は誰とも関わらず一人で生きていく決意をしたばかりでした。
給料日まであと2日、財布の中にあるのは数円。どこにも行かずに、ひたすら空腹に耐えて寝ていたら、あの無精ひげの男島田(ムロツヨシ)がやってきて、庭で取れたキュウリとトマトを差し出すのです。それが仇となって、山田の静かな日々は一変します。給料日に買った米を炊いていると、島田はどかどかと部屋に入ってきて、飯を食わせろから始まり、風呂を貸せと要求するようになったのです。さらには島田が狭い庭に作った畑まで手伝わされることになってしまいました。そのあとは島田は当たり前のように山田の部屋で風呂に入り、ご飯を食べていきます。
ある日山田の元に富山市役所から、孤独死した父の遺骨を引き取りに来てほしいという内容の手紙が届きます。年少時に家族を置いて出ていった父の記憶すらなくしていた山田は引き取りを迷います。
山田はこの前の手紙のことを島田に相談してみました。
島田に「山ちゃんの父親がどんな人だったとしても、いなかったことにしちゃダメだ。」と言われ、山田は遺骨を引き取りに行くことにしました。
ムコリッタには島田のほかに、203号室には大家の美しい女性・南さん(満島ひかり)とその娘のカヨコ、201号室には墓石の訪問販売をしている溝口さん(吉岡秀隆)といういつも黒スーツを着た父と息子の洋一が住んでいました。
そんな201号室からすき焼きのニオイがしてきます。図々しい島田はいつものようにどかどかと部屋に入っていき、胸ポケットから「マイ箸」を取り出してすき焼きを食べ始めました。山田は慌てて箸を取りに戻って同じように参戦!そこへニオイを嗅ぎつけた南さん親子もやってきました。
このあとお話しは、2年も前になくなっていたハイツの住人だった岡本さんと山田が遭遇。岡本さんが好きだった花壇のお花の話を聞かされます。「この紫色が生まれて消える間に、誰かが生まれて誰かが死んでゆくんだ。」と。
岡本さんのオバケと遭遇してしまった山田は、夜は怖くて眠れなくなり、父の骨壺にも怖さを感じて、遺骨を捨てようと思って川へ行くけれど、思い直します。
ハイツの住人たちからの助言を得て、山田は次第に父と向き合うように変わっていくのでした。
本作は、人と人のつながりが希薄な社会で、人はどうやって幸せを感じることができるのかという、根本に立ち返って実感することができる温かい物語です。
生きることの楽しさが、荻上監督が得意とする食や美術、会話を通して表現され、きっと観る者たちに幸せの意味を問かけてくることでしょう。荻上ワールドおなじみの「おいしい食」と共にある、「ささやかなシアワセ」の瞬間をユーモアいっぱいに描く、誰かとご飯を食べたくなる作品となりました。
試写会に登壇した荻上監督は、「食べる」という生きることに繋がる行為とともに、「弔い」という死と向き合う行為も描かれる。生と死は生活の中に当たり前に存在しているということを描きたかったと話されました。「おいしい食」とは「死」に対する「生」として描いてきたそうなのです。
「カモメ食堂」からずっと「おいしい食」の裏側には、そんな死生観を監督が持ち続けてきたことには驚きました。だからこそ、刹那として生きている間の繰り返すごはんは、たとえ白米とみそ汁とイカの塩辛だけの質素なものであっても、至高の幸せな時間として本作では描かれているわけです。
詐欺に関わり逮捕されて出所したばかりの山田は、できるだけ人と関わらず生きたいと思っていました。しかし図々しくて、落ちこぼれで、人間らしいアパートの住人たちに囲まれ、山田は少しずつ「ささやかなシアワセ」に気づいていきます。
ひとりぼっちだった世界で、生と死の狭間を明るく生きる住人たちと出会い、友達でも家族でもない人たちと接するうちに、孤独だった人間が、孤独ではなくなっていく様相を、松山ケンイチが静かな演技で演じきるところは素晴らしいです。山田が自分が生きていていいんだと安堵し嗚咽するシーンでは、思わずもらい泣きしました。加えて、お金が底を着いて数日間絶食するシーンでは、松山は実際に絶食したそうです。どうりで島田が差し出すキュウリを上手そうにかじるところは真に迫っていました。あれは演技ではなかったのですね。
そして図々しい人間を演じさせたら天下無双のムロツヨシ!でも単なるいやなヤツなら簡単なのに、次第に島田が心の温かいいいやつに見えていくのは、ムロツヨシならではの絶妙な演技だからこそなのでしょう。
ところで本作では原作と比べてこの世的な「ささやかなシアワセ」に重点が置かれていて、原作で強調されている「あっち側とこっち側の境目」の描写ははっきり描かれなくなりました。川っぺりというのも川のほとりのブルーシートの小屋に住むホームレスたち生死の境目のことだったのです。それが冒頭の「川が氾濫すれば…」の言葉につながっているわけですが、本作ではホームレスの存在が希薄になってしまいました。
また本作では、随所に死んだらどうなるのか?投げかけるシーンが散りばめられています。特に劇中の葬儀シーンは傑作で、ひと目みれば、黒澤監督の『夢』第8話「水車のある村」からパクっていることは明白です。あくまでリスペクトとして、パクリことを認めた荻上監督です。そこまで描きたいのならね次回作ではもっとズバリ死んだらどうなるかという直球勝負をしてほしいと思いました。仏教をかじっているものとしては、何とももどかしい刹那の描き方なのです。
・公開 2022年9月16日
・上映時間 120分
全32件中、21~32件目を表示