川っぺりムコリッタのレビュー・感想・評価
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☆満島ひかり出演。彼女の「女」を感じる描写を初めて観たような、、松...
☆満島ひかり出演。彼女の「女」を感じる描写を初めて観たような、、松山ケンイチ主演、ムロツヨシの共演で、孤独な青年がアパートの住人との交流を通して社会との接点を見つけていく姿を描く。
主人公・山田役を松山、島田役をムロがそれぞれ演じる。タイトルの「ムコリッタ(牟呼栗多)」は仏教の時間の単位のひとつ(1/30日=48分)を表す仏教用語で、ささやかな幸せなどを意味する。
「友達って呼べる人が数人いるけど最近会ってないな~」 ってヒトが見に行くといい映画です。
学生の時ってさ、友達関連が頭の中のほぼ9割を占めていた。
うまくいってる時は最高に楽しいけれど、気をつかったり、悩んだり、落ち込んだり。
「あの子にこんなこと言われた…うぅ…」、「ああーーーどうしてあんなこと言ってしまったんだろうーーー」そんなことばっか考えた。
友達関係が上手くいくことイコール学生生活が上手くいくことだった。
けれど、この映画は
友達にならなくても、
一緒にご飯食べたり同じ作業をしたり(畑とか防災とか)の時間って、
楽しいもんなんだよ。
って伝えてくれる映画です。
友達関係が世界の100パーセントを占めてた
昔の私がこの映画を見たら、
「はっ」と気づくことが出来ただろうか?
それとも、
この映画のメッセージに全く気が付かずボヘエ~綺麗なエイゾーって
思っただろうか。
この映画のムコリッタ(仏教用語で60分にちょっと足りない48分のこと)とは、
通常にちょっと足りないってことだな。
普通の人より、ちょっとお金が足りない
普通の家族より、ちょっと誰かが居ない
普通の人より、ちょっと生きる意欲が少ない
死を通して生きることを描いている映画ですので、
ほのぼのした映像なのに、
幸せな気持ち100パーセント!!!になる映画ではありません。
んー、どんなヒトが見に行ったらいい映画かな。
人生いけいけドンドンなヒトは見に行っても面白く思わないんじゃないかな。
だからといって崖っぷちなヒトが行くのもちょっと違うな。
んー。
「友達って呼べる人が数人いるけど最近会ってないな~」
ってヒトが見に行くといい映画です。
心の準備が♡
富山の小さな町にやって来た前科持ち青年が、貧しく暮らすアパートのご近所さんと触れ合い交流する様になっていく話。
働き始めた塩から工場の社長の紹介で、築50年の長屋のアパートで暮らすことになった主人公の生活に、隣人が馴れ馴れしく踏み込んで来て巻き起こっていくストーリー。
自分だっら絶対に拒絶して近寄らないであろううざ~~~いたかり屋な隣人だけど、初給料前のありがたい野菜が切っ掛けになっちゃった感じですかね。
のらりくらりなコメディ感はありつつも、生と死や人の繋がりや因縁とか、スピリチュアルな世界の話とか、そんなものを絡めて生きる意味がどうたらを考えてみてね!という感じの作品で、刺さるわ~とはならなかったし抑揚はあまりなかったけれどそれなりに愉しめた。
沁みる
情緒あふれるもの
へんてこりんで不思議な映画
セリフで語らせちゃ冷めちゃいます。
荻上監督ファンにはハマるんだろうなぁ。
かもめ食堂は好きな作品なんだけど、本作はそこまで惹かれなかった。
好きな俳優さん、技量ある俳優さんだらけで、僕にとってはかなりご馳走作品だったけど、消化不良かな。
作品内に流れる空気感は好きなんです。だけど、なんだろうなー、全体的に散漫で芯が外れてる気がするんです。家族の話なのか?誰にもあるだろう脛の傷の癒やしの話なのか?死生観の話なのか?全部ぼんやりしてるし、さらに強引に結びつけてる気がするんです。
なんやかんやあって、ラストやラスト近くのシーンで、登場人物に心情や葛藤や癒しを全部セリフで語らせておさめようとしてる感じが、すごくガッカリでした。えー、それはなんかずるくない?って。さらに、そこまで言えるほどの関係性あったっけ?もっと観客側の思考に余白与えて欲しかったし。
あと、管理人役の満島さんの仏壇シーン、すごく邪魔。あれ、意味ある?ま、前半にフリはあるけどねー。
期待しすぎたのかも?ですが、本作は僕は合わなかったです。
クスッと笑えてじわじわ沁みる
よだれと温かい感情が溢れ出る映画
ミニマルライフを心がける人はもちろん、(誤解を恐れず言うが)生きる意義を見い出せず死にたいと思っている人にこそ観てほしい映画。劇中にも登場する「いのちの電話」と同じく…かそれ以上に救いになると思う。映画、物語の力とはこういうときにこそ真価を発揮する。
でも決して「踏ん張れ」とか「生きろ」と北風のように鼓舞するのではなく、“生”よりも“死”を描くことによって優しく寄り添い「生の実感」をじんわりと起こさせてくれる。
人が死ぬ作品がうける世の中で、敢えて死んだ人や死後の世界をテーマにしたと自称天邪鬼の監督が言っていた。
最初から最後まで心地よいペースでのどかに進み、要所要所で劇場が笑いに包まれる緩急が上手い。
それを引き立たせているのがムロツヨシの存在。彼の作り出す空気感はさすがで一気に場を温める。登場するとまた何かやってくれるのではないかと観客が待ち構え、期待通りに笑いを生み出してくれる。
そして荻上監督の真骨頂である食事のシーンはシズル感がたまらない。ただそれは単純に食べものを映えさせるということではなく、それを囲む人たちの関わりで表現する。
美味しいとは何を食べるかよりも、誰と食べるかだし、どんな状況で食べるかが重要。お腹が減っている状態でありつけるただの一杯の白いご飯の至福さと言ったら。一汁一菜でご飯に合うお供があるだけで幸せ。これだけで日本に生まれて良かったと感じさせられる。そして畑で体を動かし汗を流して野菜を育てて、それを採れたてで食べることの贅沢さよ。
この映画を観た後は(塩辛…はある場面から好みが分かれそうだが苦笑)ご飯にお供を乗せたものを頬張り、きゅうり一本を丸かじりしたくなること必至だろう。
生きるうえで本当に大切なもの・こととは何かを改めて考えさせてくれる。
ただ生きて、誰かのために毎日働き、それで得たもので食べて暮らしていける。その普通がいかに尊いか。
それだけで幸せなのに人は満たされると次の欲求が生まれてしまうもの。マズローの五段階欲求で最低限の生理的と安全が保たれると、社会的な人のつながりを求め、そうするとどうしてもその中で認められたいという承認欲求が生まれ、その地位を得られると自己実現への高みを目指してしまう。
でも満たされた現代において高尚な快楽を求めるのも、せっかく生きている醍醐味として否定できるものではない。
行き過ぎた資本主義の貨幣経済に対しては思うところがあるが、とにかくいつ死ぬか分からない限りある人生どう楽しみ尽くすのかを前向きに考えていたいものである。
また人の死生観についても語り合いたくなる作品。
植物や動物は死んだらそのまま微生物に分解され土に戻っていく。ペットなどの動物もそのまま埋葬するのになぜ人間は生態系の循環から切り離し、わざわざ無駄なエネルギーを使って火葬するのか。体や骨をそのまま遺棄したら犯罪になるのに、海に散骨などよく聞くが粉状にして撒けば罪にならないというのが法律だと初めて知った。
お金と時間と場所を使うお葬式もお墓も何の意味があるのか。(仏や霊を信じるか信じないかはあなた次第だが)故人の供養というが残った人の慰めのためなのであろう。
目だけしか出てこない江口のりこや声だけの薬師丸ひろ子など贅沢でもったいないほどのキャスティング。それほどまでに関わりたくなる荻上監督作品の魅力か。
試写会のティーチインで初めて拝見し話を聴いたが、まさに映画のようなハートウォーミングでユーモラスな方で一気に好きになった。
最後に、牛乳や塩辛の壺など伏線が絶妙。
昭和の夏の思いで
不思議な魅力
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