「磐石のキャスティングで描かれるファンタジックな法話」川っぺりムコリッタ ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
磐石のキャスティングで描かれるファンタジックな法話
決して軽くはないテーマが、のんびりとしてファンタジックな語り口に包まれて暗さや説教くささというえぐみを抜かれ、美味しい味噌汁のように沁みてくる。観終えた後、なんだか心がほぐされたような気分になった。
荻上監督が、NHK「クローズアップ現代」で取り上げられた行き場がなく葬儀をされない遺骨の話に着想を得て紡ぎ出した物語は、どこか死との距離感が近い。
子連れのセールスを方々で嫌がられる墓石屋の溝口。その勧誘方法のせいもあるだろうが、彼を拒絶する人々の態度はどこか、無意識のうちに死という必然の現象を遠ざけて忌む現代の風潮とも重なる。
亡き夫の遺骨をかじっていとおしむハイツムコリッタの大家、南。主人公山田の風変わりな隣人島田は、息子を亡くしているようだ。
山田が食べる塩辛は、ご飯の上に乗せればおいしそうで生きる喜びにも通じるが、工場で処理される様や、彼の父の遺体の話と並べた印象は、どこか屍(しかばね)を連想させ、そこについ不穏さを感じる。食べるためのいかの加工も遺体の話も、人間の生き死ににつながる当たり前のことなのに。
ろくでもない親から生まれた前科者の自分に、ささいな幸せを味わうことさえ許していなかった山田。ろくでもない父親だったと突き放しながら、親を突き放した自分への罪悪感も同時に感じ、そんな自分に彼は罰を課していたのかもしれない。
そんな山田が、図々しい隣人や風変わりなご近所に破られた心の殻の隙間から、彼らの抱える過去を知り、自分に小さな幸せを許し、父の死を自分のこととして受け入れていく様子に、心があたたかくなった。未亡人の南は彼に父親の葬式を勧める。弔いが残された者のためにあることを、経験的に知っているのだろう。
逃れられない苦しみを抱えていたとしても、誰かとの何気ないやり取りや美味しい食べ物の中に刹那の幸せを見いだすことは不可能ではない。
自分が幸せかどうかを、人は置かれた状況から判断しがちだ。そうではなく、空がきれいだとか美味しいものを食べたとか、そういった脈絡のないささいなことの寄せ集めこそが幸福感の正体なのではないだろうか。
何のためか分からなくてもやり続けていれば、10年たって初めて分かることもあると、塩辛工場の社長は言っていた。幸せも実はそんなもので、小さな幸せをこまめに拾い集めていれば、いつの間にかそれなりに幸せな人生になっているのかもしれない。
お坊さんがおだやかな声で語る法話のように、幸せのあり方や命との向き合い方を本作はさりげなく教えてくれる。
配役は磐石の布陣で、安心して見ていられた。
松山ケンイチは山田役のオファーが来たことで田舎への移住を決意したそうだ。ハイツムコリッタの人たちのどこかノスタルジックな距離感には、彼の実生活も反映されているのだろうか。
個人的に普段は癖の強さが苦手なムロツヨシだが、本作では抑えた演技で(監督からそのような演技指導があったらしい)、滲んでくる彼らしさも役柄に合っていた。
主要キャラ以外も柄本佑や緒方直人、ほとんどマスクをしている工場の同僚役の江口のりこ、たまたま南を乗せたタクシー運転手の笹野高史など、隅々までぬかりのないキャスティングが、ファンタジックな描写も多いこの物語に説得力と見応えをもたらしている。
ニコさんのレビューを拝読すると、この映画への愛おしさが一層深いものになりますね。
この贅沢な役者さんたちで、この世界観での続編を見たくなりました。
あのおばあさんの遺族が訪ねてきて…
なんて始まりを想像してしまいました。