「刹那とムコリッタ」川っぺりムコリッタ グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
刹那とムコリッタ
〝幸せ〟には持続性はありません。
基本、瞬間的、或いは一定時間に限られたものです。
愛の告白が実った瞬間。
試合に勝った瞬間。
何かの記録を達成した瞬間。
喜ばしいことのピークが幸せな瞬間なのであり、決してピークの状態は持続してくれません。
仏教用語では、瞬間=刹那。
人生の長い時間の中での思い出としてなら、学生時代の数年間とか、子や孫に恵まれた晩年、という年数単位での〝幸せな時間〟は存在しますが、限定的なものです。ムコリッタが、1/30日(48分)…転じてささやかな幸せ、という意味であるならば、そのような時間のことを指すのかもしれません。
あなたの人生は幸せですか(幸せでしたか)?
と聞かれたら、おそらく大半の人は、直近の記憶の印象から回答すると思います。
政治家や企業経営者としてトップに君臨した人が晩年は寝たきりの闘病生活だったり、妻や子どもたちのことで、不運な状態に置かれていたら、たぶん〝幸せな人生だった〟と即答できない。
反対に人生の大半を辛い環境で生きてきた人が、人生最後の何ヶ月かを愛する家族に囲まれて毎日の食卓が満たされたものであったなら、〝幸せな人生だった〟と迷わずに答えるのではないでしょうか。
だからこそ、人生のどんなタイミングであれ、幸せを感じる〝ムコリッタ〟を経験できたなら、それを忘れてはいけないし、永続性がないからこそ、刹那もムコリッタも大切に感じなければならない。
そのことを知っていれば、幸せな瞬間や幸せな時間への感謝の気持ちは今よりも深まるし、そうでない時間に対しても少しは寛容になれるかもしれない。
そんなことをつらつらと考えてしまう(悟りとは程遠いけれど)なかなか珍しい、そして体温に近い温もりのような感覚を味わえる不思議な映画です。
共感とコメントを有り難うございます。
死と生も、現世とあの世も、巡るカオスの中にあるのかも知れません。
おっしゃられるように、そうしたカオスの中でこそ、刹那的に幸せを味わったり、不幸せを感じたりするのでしょうね。
コメントありがとうございます。
幸せなムコリッタの大切さを知ればその時間への感謝が深まるし、そうでない時間へも寛容になれる…本当にその通りです。
体温に近いぬくもりを私も感じました。
今晩は。
度々・・。明日は台風が来るのでもう寝なくてはと思いつつ・・。
私が荻上監督の作品が好きなのは、米国に住んでいたのに僧侶ですか!と思ってしまう程、監督の死生観が突き抜けている所ですね。
”私が死んだら、散骨して欲しい”とかね。ほぼ同年代の監督ですが、この方は明らかに日本の固有概念を突き抜けた方だと思っています・・。
(でね、私が山で死に掛けた時に、家人に”俺が死んだら、骨を砕いて、中央アルプスの空木岳から散骨してくれ”(我ながら、剣岳からと言わなかったところが奥ゆかしい・・)と言ったら、物凄い勢いで叱られた事を思い出しました・・。ええ、のろけです・・。石を投げないで下さい・・。)では。山に登ると刹那を感じるんです・・。
こんにちは。
”体温に近い温もりのような感覚を味わえる不思議な映画です。”
グレシャムさんのレビューの言葉は、本当に良いなあ、と思います。
私は、マダマダダナア・・。では。