リトル・ガールのレビュー・感想・評価
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フランスでの無理解と低年齢当事者家族を描いたドキュメンタリー
外国作品であるせいもあって、劇映画という錯覚がしていたが、ドキュメンタリー作品であることを確認し、真実味が改めて湧いてきた。日本の子どもがカミングアウトして、母親が守っていくという作品で、2016年制作の『ハイヒール革命』と2017年制作の『彼らが本気で編むときは』が思い浮かぶが、どちらも思春期に主眼を置いていて、本作のように低年齢に主眼を置いたものではないので、そういう年齢での考慮の重要性に目を向けさせる意義はあると思われたし、フランスでも、学校当局の無理解が存在し、家族の理解がまず重要で、社会の無理解と闘う必要性を改めて提起してくれると思われる。
教育や保育を学ぶ人に見てほしい
学校や周りの人にサシャを女の子として認めさせるという目的が一貫しているため、とても見やすい映画です。
映像と音楽が美しいので、フィクションかドキュメンタリーか分からないというレビューにも頷けます。
親が何度訴えてもなかなか動こうとしない学校側に憤りを感じ、学校サイドの動きがどのようなものだったのかが気になりました。
サシャの入学やサシャの両親の訴えに対して学校の教師たちにはどのような変化があったのか。
対してサシャの両親は本当に子ども思いの素晴らしい親だと感じました。
多くの場合、まず親がトランスジェンダーに理解がないのではないかと考えられます。
もしサシャと同じ年齢のときに私が、「女の体だが心は男だ」と親に言ったところで嘲笑われるか無視されるかで終わります。
サシャも2,3歳の頃に親へ「女の子になりたい」と言ったときには親側も受け入れる準備はできておらず、サシャが繰り返し親へ訴えて初めて親が考え始めたのです。
親が共働きだとしたら尚の事、親からこれほどまでのトランスジェンダーへの理解も援助も得られないでしょう。
ここまで親身になってくれる親や素晴らしい医師がいたことは本当に幸運です。
この映画でサシャに対して一番酷い対応を見せたのはバレエ教師でした。
10歳にも満たない子どもを他の親子もいる前で押して外へ追い出した挙げ句、嘲笑いながら扉を締めるなんて、中高生の虐めと変わらないです。
一生のトラウマになってもおかしくない出来事なのですが、サシャにはこれから、これと同じかもしくはこれ以上に酷い体験が待っているのかと思うと恐ろしいです。
大学で保育を学んでいた身としては、このような映画が話題になって、トランスジェンダーへの理解がより広がればうれしいです。
教育を学んでいる人にはもちろんのこと、これから親になる予定の人、現在子育てされている人、これからを生きる子どもたちにも是非見てほしい作品です。
サシャの周りにいるのは、あなたかもしれません。
よくぞ撮影に応じてくれた
前提として
・予告編は未視聴
・セバスチャン・リフシッツ監督の作品は未視聴
トランスジェンダーについて詳しく知っているわけではないのですが、サシャに少しずつ感情移入していきます。
大人が入り込める空間でしかカメラが入らないため、
親目線でサシャのことを観てしまうのも要因かな。
観ているうちに、サシャのことを応援するよりもじっと見守りたくなるはずです。
ある種の性差別を扱った作品で、重い空気が大人たちから常に漂います。デモや役人の会議なんかよりもリアルです。
しかし、当の本人であるサシャが遊ぶ風景にはそれを微塵も感じさせません。
それ故に彼女の感情が露わになるシーンは胸に刺さるものがあります。
監督の手腕なのか一家の雰囲気なのか分かりませんが、不思議とドキュメンタリーであることを感じさせませんでした。
カメラがそこにあることを全く感じさせない空気感もすごい。
現実なのでハッピーエンドというわけにもいかず、少しずつ少しずつ好転していくことを祈るしかありません。
でもその理解や感覚が狭い世界をより自由な方向に変えていけるのかな、と感じた、そんな映画でした。
反省しています。
誤解を与える事をどうやら発言したようで、削除されてしまいました。
トランスジェンダーや性同一性障害の方達に偏見を持つと言う事はありません。しかし、当事者ではないので、理解しているとは決して言えません。
また、障害者に対しては、年を取り、動きが緩慢になり、駅の上り下りや段差にも困る毎日で、少しは分かりだしていると、思っています。
映画とは関係ないですが、削除されて、ゾッとしました。勿論、自分自身に。今後は良く考えて発言したいと思います。
リトルガールを見て思ったことは、ビッグガールになっても、心はそのまま維持してもらいたいなぁと思いました。
ごめんなさい。
ドキュメンタリーなのか映画なのか
この作品を観ると誰もが思う疑問だと思う。
これはドキュメンタリーなのか、映画なのか、なんなのか。
なにしろドキュメンタリーによくあるナレーションが全くないのだ。
それに途中でディズニー映画のワンシーンが挿入されたりもする。
役者の演技(?)に作為的なところはない。
場面場面で煌めくような瞬間がある。
ただ日常を撮って時系列に編集しただけのように見えなくもないのだが..私はこの作品が本当に現実を完璧に反映しようとして時系列順に編集したかどうか、とても疑問である。
現実を歪めたからではドキュメンタリーではないのか?と問われるとそれもまた否。
ただこれがドキュメンタリーかと問われると形式的に何か違うように思う。
だからといって映画的なわかりやすいカタルシスがあるわけではない。
まさにここが私がこの映画に美点を感じたところである。
カタルシスなしに現実を編集し映画として成立させた。高度な編集技術が介入した結果だろう。
すごい傑作だとは思わない。
ただ観る価値のある作品だとは思う。
彼女はドビュッシーの音楽にぴったりな"女の子"である。
監督は素材を選んだのではない。
素材からやってきたのだろう。
そう思えるだけの映画である。静かだが余韻が残る。
この作品への評価は編集を現実を歪めた虚構ととるか、"現実への細やかな抵抗"ととるかによって大きく変わるだろう。私は後者と感じた。
ヤコペッティとは違うのだ。
7歳の女の子の抱える葛藤の重さに胸が痛む
日本は、世界的に見てLGBT+への理解や法制度が遅れている、と言われているけれど
海外の映画を見ていると、差別や拒絶反応が日本よりも激しいと感じることが多かった
受け入れるか否か、それをはっきり態度に表すし、NOと言うし
たった7歳の女の子が、声をあげて泣くことも出来ない程苦しんでいても、教職につく大人が率先して目を逸らす現実
無邪気に兄弟と戯れる姿は、ごくごく普通の女の子だけど、インタビューに言葉少なく答える横顔には、抱えきれない葛藤が影を落とす
終盤、両親の粘り強い努力が身を結び始めると知った時に見せる小さな笑顔は、ラストのさらに厳しい現実を予想していたかの様で、思い返すと胸が痛い
彼女が家族や友達とともに、幸せに成長していけます様に、と願わずにはいられない
この監督には、ぜひ続編を作って欲しい
文化や宗教や生活環境や、複雑な話だから何が絶対的に正しいとは言えないけど、傷つきながらも懸命に生きる小さな女の子がいて、彼女のために戦い続ける家族がいて、それを支える人たちがいる、まずそれを知って自分はどうするか考える、それだけでも意味があるんじゃないかと思う
自分自身として生きる
自分にとって自分らしく生きる、ただそれだけのことができない。仮面をかぶって自分ではないものとして生きる、それがどんなに辛く苦しいものなのかが、サシャの表情、涙、うなづきから感じられた。
パート2、パート3
パート2、パート3がとても観たくなる映画。18歳、28歳で。
カメラをまわしていたのに驚く。学校の言い分もぜひ欲しかった。ドキュメンタリーとする限り難しいのはわかる。
パート3の制作が20年後なら公開できる映像がありそうです。長生きしなくては。
お母さんの強さと一緒に成長するサシャ
2歳、3歳で、心と体が合ってないことがわかるとは知らなかった。ショックだった。家族に言うことができなかったり、言っても相手にしてくれない家族だったらどんなに辛いだろう。
トランスジェンダーの子どもについて、特にこの映画を見て思ったのは、女の子になりたい、自分は女の子だという気持ちが、なぜスカートやワンピースを着たい、髪を伸ばしたい、ピンクが好き、お人形遊びをする、に結びつくんだろうということだった。自分(シス=女)は子どもの頃から髪はショートでそれは母親の好みでもあったが長くしたいと思ったことはなかった。ピンク色の服を着たいとも思わなかった。おままごとやお手玉や着せかえ人形遊びもしたし探検ごっこもドッジボールも大好きだった。だから、女はピンクとか長髪とかスカートといった社会が押しつけるジェンダーに何故合わせるんだろうと。
パンフレットを買って良かった❗️監督の言葉。「カリーヌ(サシャのママ)から最近聞いたのですがサシャは学校で女の子として受け入れられて以降、女の子らしい物へのこだわりが減ったそうです。男の子らしい色や服、遊びも急に受け入れられるようになったのです。自分のアイデンティティを発信することについての不安が薄れたのでしょう」
そうなのか!そうなのか!自分の性自認が他者に受け入れられることが、こんなにも人間が生きていく上で欠かせない根っこと結びついているとは。この映画を見てそしてパンフレットを読むことができて良かった。
繊細で心のこもったドキュメンタリーだった。流れる歌や音楽も美しかった。
【"娘"の為に世間の価値観と戦う母と父、姉兄の姿勢が素晴らしい。トランスジェンダー理解促進ドキュメンタリー作品】
- サシャは、小さなトランスジェンダー。バレエが好きで自分は女の子と語る。-
◆感想
・サシャの意思を尊重して、学校側と何度も折衝するサシャの家族の姿が、素晴らしい。
<サシャの様に悩む小さな子は、多いのであろうな。誰しもが自由意思で、生き方を選択出来る世界が来るのは、何時なのであろうか・・>
フランス語は眠気を誘うわ〜
欧州ってトランスジェンダーへの取り組んみが進んでいるのかと思いきやそうでもないのね。フランスなんてもっと受け入れが大きいかと思ってた。
小さい子供にも容赦なく拒絶を表す大人たちの対応が驚きでした。
ありのままを伝える
トランスジェンダーって何なんだろう
LGBTQとか、多様性とか、ジェンダーとか
そんな言葉すら必要のない世界になれたら
ホントはいいのかもしれない
これは、ひとつの例ではあるけど
自分の好きなように生きることを
主張することを
異端として扱われる気持ちなんて
正直想像もつかない
だからこそ、伝えてくれている人の話に耳を傾け
理解できなくても、共感できないとしても
それを特別だと扱わない
ということができるといいのかもしれない
改めて色々わかったことがありました
小さい時に身体と心の性の違和がこんなにも自覚されるもので、本当に幼少から辛いんだということを知らなかった。
そしてこんなに幼い頃から治療(根本的な治療ではないとは思うけど)で、ホルモン療法を選択する事もできて、でもまだ幼いからこそ親も決断が大変そうなこと。
家族が理解し、護り、闘ってくれて本当に良かったと思う。
学校や習い事というのは、男女が案外明確に分けられて進むんだということ。わたしにはそれは違和感はないけれど、この映画のサーシャみたいな子はそれがどんなに居づらくて苦しくてたまらないことか…多勢のために我慢するのが当たり前なのか。
しかし、今の時代でヨーロッパでもこんなにも実際は理解がないんだ。
お母さんができれば女の子が産まれてほしいと願ったからとか苦しむとか、あろうことか家庭の育て方のせいと先生が言うとか、電話での話、県の小児精神科への取り次ぎ、保護者自らが医師や他の保護者に声掛けして集めた話し合いにも来ない…
この先、明るい未来を望みます。
サーシャとお母さん、家族に幸せを。
なぜ未だに性同一性障害という言葉が日本で使われているのか?
トランスジェンダーのアイデンティティは、肉体が成長する思春期ではなく幼少期で自覚されることについて取材を始めた監督によるドキュメンタリーです
彼女は7歳
困難に直面すると幼くてもこんなにしっかりした考え方が出来るんだとまずビックリ
テーマと全然関係ないけどね
フランスってすすんでいると思っていたんですが、えらい保守的なんですね
たまたま田舎だったからなのかな
ただ小学校での事だから
日本でも難しいだろうね
トイレとか高学年になれば着替えとか
学校の対応は妥当なプロセスです
医者の診断書を要求
親が洗脳している可能性だってあるから
医者でも診断は難しいんじゃないかな
今回だって、母親の証言だけしか無いから真相はわからない
ただ洗脳だったら児童虐待といえるかというと
そうともいえない
幼児期の親の影響は多かれ少なかれ人格に影響するものだし、母親が女の子を望んだとしても批判されるものとも言えない
生まれつき女性の脳だったのか、親に植え付けられたものかより、社会が男性と女性を区別する方向で成長してきたから起こる問題なんでしょう
本能から起こる性衝動などが社会を破壊する起因になると考えたのか、宗教の戒律や道徳などで男女を区別するような制度が出来たのかもしれない
社会は人類の進化に大きく貢献した制度だけれど、多数派に有利にできている
その方が効率的だからね
少数派を切り捨てていくのが社会の本質だからマイノリティは生きにくくなる
考え方を変えて
男女の区別を最低限にする事がジェンダーフリーに繋がるんじゃないでしょうか
人の意識、公共の施設はそうあるべきでしょう
学校が彼女を認めるに至ったのは当然です
バレースクールが彼女を女と認めなかったのは残念だけれど、これは選択の自由です
私設の学校にはそれぞれ目的があるから
キリスト教信者でないと入れない学校もあっていいし、決められた制服を着なければならない学校があっていい
バレースクールが彼女を認める方向にいけばいいですが強制はできませんよ
戸惑いを隠せないのは
7歳の彼女にホルモン治療の選択肢がある事を知らせる事です
二次性徴までにホルモン治療をする事により
男性化を抑える効果がある
早ければ早いほど効果はあるのはわかります
でも子供に決断させるには難しい問題です
危険性の説明もしています
精子の成熟が抑えられ、将来、子孫を残したいと希望してもかなえられない可能性がある
子供に判断させるには大きすぎる問題ですね
字幕では、彼女を性同一性障害ではなく性別不合と訳していました
(ちょっと自信が無いけど)
調べてみるとWHOは性同一性障害を2019年には精神障害から除外していました
たしかに障害とは言えないですね
左利きの人を障害とはいわないから
7歳の彼女の1年間を追っただけで、時間も85分と短いのでドキュメンタリーとしては浅い内容ですが、有意義な時間でした
【様々な性】
映画「Tomboy」のレビューで、性的指向を幼稚園に入る前から漠然とでも認識していることがあると書いたが、今回、そのもののドキュメンタリーに出会うとは考えてもみなかった。
一概に「性」とは言っても多様で、自覚する時期も、認識の仕方も様々なのだが、年齢によっては、家族や社会の慎重なサポートは絶対必要だ。
性については、大きく、
「からだの性」
「表現する性」
「性自認」
「性的指向」
に分けて考えることが多く、映画「Tomboy」では、”表現する性”が必ずしも”性自認”に結びつかないこともあって、無理に”からだの性”に向かわせるのではなく、見守る必要もあると考えたりしたが、サシャのように幼い頃から、”表現する性”と”性自認”が一致して、”からだの性”と異なることはあるのだ。
現在、NHKスペシャルが、数回にわたって、性についての特集をしている。
第一回目では、ドミニカのある村では、50人に1人の割合で、ある程度成長してから”からだの性”が、つまり、外性器が変わるという現象を経験するという性の変化を特集していた。
それを考えると、心の性はもっと複雑な可能性はある。
だからこそ、こうしたサシャのケースは、家族や学校関係者だけはなく、不特定多数の生徒に何かを教える習い事の教育者も含めて、知っておくべきことなのだと、そして、拒絶するようなことはあってはならないのだと思う。
それにしても、サシャの前向きな姿勢には心が洗われるような気がした。
性は、決して、男女というバイナリーではなくて、ノン・バイナリーなのは明らかだ。
小さい子の小さい夢をかなえるのがどれだけ難しいことか…
今年182本目(合計246本目)。
お話としては、いわゆる「トランスジェンダー」に関するお話になります。主人公が7~8歳(作品内で1つ進級するため)という微妙な年ごろで、よって、第二次性徴をどうするか、など、かなり切実な問題も出てきます。
日本でも最近は理解が進み法制度もできつつあるトランスジェンダー等ですが、日本よりもっと人権意識が高いであろうフランスが、個人の思想良心の自由はともかく、何の説明もなく参加を断るなど、やや配慮が足りないという描写になっているというのは(ラストあたりの、バレエ教室のロシア人のところ)、やや意外でした。
※ 他の方も触れている通り、「敵対する人物」がほとんど描かれないのは、やはりわずか7~8歳という子を主人公視点で見てほしい、という趣旨だと思います。
日本でも結局のところ、色々な人が声をあげて法制度も進み、都道府県・市町村によっては条例でさらに守られている地域もあります。要は結局のところ「他人に迷惑をかけなければ自由」なのであり(特に、犯罪の身分照会が困難になることは警戒すべき)、男性はこうでなきゃいけないだのというような時代はもう30年くらい前にとっくに終わっていると解するのが妥当であり、日本でも法制度こそ整備されつつあるものの、今でも奇特な目でしかみられないトランスジェンダーの方に視点を当てた、かなり良い映画だなという印象です(日本基準でみても、個人の性認識をどう取るかは「他人に迷惑をかけない限り」最大限尊重されなければならないというのが憲法が要請する立場。民法(婚姻など)で若干疑義も生じますが…)。
減点要素は特にないので満点にしています。
パンフレットはかなり好評なようで(当事者の声や、よくある質問に対する「正しい回答」が載っているそう)、売切れでした。こういう映画も良いですね。
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(減点なし/他事考慮) 最近、シネ・リーブル梅田さん・テアトル梅田さんに行くと、いわゆる「映画観賞時のマナー」に、「宇宙少女漂流記」の主人公(名前通り、全員女性)たちが「タバコを吸っちゃダメ」だの「飲食時以外はマスクをしましょう」だのという啓発動画が流れます(作成にテアトル系列が絡んでいるため)。
これ自体は、それこそ日本の憲法が要請する思想良心の自由や表現の自由、営業の自由なのでとやかく言うことではないですが、シネ・リーブル梅田さんは「学術系映画や、考えさせる系の映画」、テアトル梅田さんも「学術系映画やフランス映画」を多く扱う映画館です(あの5時間の「ボストン市庁舎」もテアトル梅田さん持ちです)。
今年(2021年)ごろから見かけるようになったのですが、確かに何を流しても自由とはいえば自由なものの、「アウシュビッツ・レポート」や「ボストン市庁舎」のような「話題として極めて重い」映画でさえ流れてくる状態で、もう少し考えていただければ…というところです(全般的にどちらも50代以上のご高齢の方が多い映画館なのですが、そこでなぜにいわゆる萌えキャラをが出てきて映画館のマナーを説明するのか、趣旨を理解しがたい)。
※ シネ・リーブル梅田/テアトル梅田とも、いわゆる「アニメ作品」はほとんどありません(アンパンマンのみ、テアトル系列持ちのようで流れていた。また、コロナ事情で映画館の上映時間が制限されていたころも、なぜか「おかあさんといっしょ」が流れていたのも事実ですが、その程度で、他のアニメというのは特別企画枠でもない限り出てこない)。
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サシャと彼女に寄り添う家族の姿に心揺さぶられる
身体は男の子として生まれたが、心は女の子のサシャ。ワンピースやお人形遊びが大好きだけど、学校やバレエ教室では男の子として扱われ、自分の思うままに自由に生きることができない。
7歳の子が性の違和感を抱え悩みながら葛藤する姿には胸が痛む。
そんなサシャの心を理解し、彼女の幸せを願って奔走する母、寄り添う家族達の姿にはジーンとくる。特にサシャの病院へ兄を含めて家族で行くシーンがお気に入り。お兄ちゃん、頼もしいね!
個人主義でLGBTQなどにも比較的寛容だと思っていたフランスが固定観念でガチガチとは意外(日本なんてもっと酷いんだろうな)。
サシャのようなマイノリティ側の人を虐める人や脅す人、心ないことで傷つける人々もいる一方で、彼女に優しく寄り添う医師や友人もいる。マイノリティの人たちに寛容でより理解してくれるような社会になれば、、、。本作がその手助けになる一本かと。
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