ソング・トゥ・ソングのレビュー・感想・評価
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I’m sorryとしか、、
残念な映画でした。
パティスミスとか、イギーとか豪華に出ていて見に行きましたが、肩透かし。パティ なんで出た???
ゴズリング無駄使い。彼でなくてもよかった。映像は全て美しかったのですが、、、なんかのmusic video とでもしてくれたらよかった。誰も本気に悩んでない。田舎に帰って、泥まみれに働いても、また気が変わりそうだよ。
苦行。人生がそうだから?
テレンス・マリック監督らしいんだろうけど…ひたすら退屈な時間を過ごさせてもらった。
脚本やストーリーをよくもここまで蔑ろにできるもんだ。確かに映像は美しいが細切れのモノローグを延々と垂れ流し続けている。映画作品でなく、即興詩や連作CMを2時間見させ聞かされるというような…観てる側にとっては苦行拷問でしかない。個人的に洋楽に興味がないので、差し込まれる楽曲の意味はわからなかったし、ライブ画にいたっては嫌悪すら覚えはじめる始末。
また、登場人物の苦悩や状況にも共感しにくく…(自業自得感が漂うのは何故なのか。)あれだけの俳優を揃えて、彼らの演技を味わってもらおうという気もないのだろうか…。
そして細かい点だが、字幕で「落後者」となっていたが、一般的には「落伍者」とするのがよいのではないだろうか。「伍」の字は常用外ではあるけれど。
まったく合わなかった
起承転結の承だけで話が進んでいくような映画。
でも人生に照らし合わせると往々にして承のみなのかも、とも思わないでもない。
良くある観た人が詩的になるアート映画ですね。
とは言え別に褒めているわけではなくて、基本的に誰かのモノローグで話が進むし、雰囲気で感じとるようなシーンが多過ぎて、こういった手法は嫌いじゃないはずなのに退屈極まりなくてずっとウトウトしてた。
いきなりナタリーポートマンが死んでそこだけ目が覚めた。そう、クックとBV以外の名前すら覚えてない。
音楽映画の皮をかぶっておきながら、その実伝えたいことは「音楽なんて辞めて浮ついた生活は捨て真面目に生きましょう」みたいな着地で、一体なんだったんだろうという気持ちでエンドロールを眺めていた。
ルーニーマーラとナタリーポートマンがとにかく美しいので、それだけが救いだったかな。
まぁタイトルとキービジュアルからポップな音楽恋愛映画を勝手に想像した僕が悪かったな。
そんな気持ちで観たのでレビューを書くのもどうかと思ったけど、テレンスマリック作品が自分にはには合わないということが分かったことを記しておきたくて書きました。
以上。
これが2020最後の観賞作品になるのは後味が悪いので、何かもう1本観るかな。
120本目
歌から歌へ。人から人へ。心から心へ。難解でもないが分かりやすくもない。でも時間の流れを感じさせない(退屈しない)。綺麗な風景ばかりじゃない。でも圧倒的に映像美。
①題名をずっと“song to sing(歌う歌)”と思ってました。だから音楽映画と思っていたら大間違い。②表ヒロインのルーニー・マーラーも裏ヒロインのナタリー・ポートマンも『自由になりたかった』と語る。人間は生きている限り何かから自由になれることなどないのに。③人の心のうち、思考・感情の流れというものを果たして映像で描けるものだろうか。映画の中盤くらいからずっとその考えが頭から離れない。④登場人物たちの台詞が本当の気持ち・考えを言っているのかわからない。表情や行動の裏にある気持ちや考えが表面上通りなのかもわからない。だから移り変わる映像に答えを探そうとする。正解はわからないけれど、その作業はスリリング。⑤メインキャラクターの4人はすべて好演。なかでも途中からさりげなく登場するナタリー・ポートマンの存在感。表ヒロインのルーニー・マラーを凌駕する。⑥ケイト・ブランシェットも短い出番ながら鮮やかな印象を残す。流石。⑦人の心は移り変わっていく。友情から離反へ、出会いから別れへ、愛から憎しみへ、諦めから絶望へ、そして最後ヒロインは変わらぬものを見つける。そういう意味では若い女性の心の放浪を描いた意外とシンプルな物語なんだけど…⑧パティ・スミスはおばあちゃんに、イギー・ポップもおじいちゃんに…でもなんかまだロックしてるよなァ…
ケイト・ブランシェットとナタリー・ポートマンをダシに使って、道徳的なメッセージを伝える
ジョニー・ライドン、パティ・スミス、イギー・ポップら、ロックのレジェンドがドバドバ登場し、まだまだご活躍だねえーと思ったら、実は3年も前の作品なのか。
「ザ・ギョーカイ人」の金持ち生活を送る大物プロデューサーのクック(マイケル・ファスペンダー)と、駆け出しのミュージシャンのBV(ライアン・ゴズリング)のあいだをフラフラ揺れる女子フェイ(ルーニー・マーラ)。
ということは、クックとBVを対比的に描く、というのが本作の意図である。
クックの妻(ナタリー・ポートマン、ダイナーでナンパした求職中の幼稚園教諭という設定)は、クックとの生活の空虚さへの失望のうちに死ぬ。
BVは母親から「ふさわしくない」と言われて恋人(ケイト・ブランシェット)と別れる。
そうではないかも知れないが、そう描いているように見える。フツー大の男がママに言われて彼女と別れるか?!いや、実際にはあることかも知れないけど、それを映画で描くということは、どういうことか?
そしてBVはフェイとヨリを戻し、家族と病気の父親のために故郷に戻り、音楽からは足を洗って、作業現場で働く。
つまり。
クックとBVの対比で明らかになるのは、金持ち生活の否定。そして、家族や両親を大切にし、ミュージシャンなどという浮ついたことは諦めて、額に汗して働くことの肯定だ。
ナタリー・ポートマン役の妻を死なせ、ケイト・ブランシェット役の恋人と別れさせてまで伝えているのは、実に“道徳的な”メッセージなのである。
ただ、本作はモノローグが多く、登場人物たちは決して声高には語らない。そして、全編を覆う実に美しく、詩的な映像(これはかなりすごい)。
これらが見事に道徳的メッセージを薄めている。
水面、鳥、ベッドルームなど同じイメージを繰り返す。その場に飛んでいる虫を小道具に使う(おそらくアドリブだろう)など、面白いシーンもあるが。
全体的に、ドラマの起伏はあまりなく、脚本より演出で観るタイプの作品。
それでメッセージがユニークならば惹かれるんだけど、前述の通り道徳的。
いや、もちろん家族は大事、労働も大事、愛も大事。でも、そのメッセージを伝えるという点で、ひねりも盛り上がりもなく、BVとフェイが再びパートナーになったことの説明は、脚本上も演出上も不足と見る。
(豪華キャストによる恋愛映画を勝手に期待してしまっていたこともあるだろう)僕には楽しめなかった。
ルーニー・マーラ、かわいいんだけど、いつ観ても薄幸そうなイメージだなあ。
まさかのケイト・ブランシェット
新作かと思っていたら、マリック監督としては『名もなき生涯』以前の作品でした。音楽祭の映像や青空を基調とした空間の広角レンズの撮影はとても心地よい。映像と音楽は申し分ないのですが、いかんせんストーリーが何を言いたいのか掴みにくい。
最初はルーニー・マーラの横顔がナタリー・ポートマンと似ているため、どちらなのか分かりづらく、黒子に注目して区別してしまいました。そんな中でマイケル・ファスベンダーとライアン・ゴズリングの微妙な主従関係とマーラと三角関係の恋愛もどきの楽しそうな雰囲気。もう、マーラはゴズリングに譲っちゃう方向に進み、幼稚園教師の夢を掴めないでいたナタリー・ポートマンをナンパしちゃって、4人の物語が中心となる。
それぞれの恋愛感情に加えて親との関係も描かれる。どうしても大物プロデューサーの豪邸が中心となるため、就職難とか貧困が感じられず、ただ呑気に恋愛しているだけでした。そんなストーリーの終盤、なぜここにブランシェット?!と驚き、これが過去の流れなのか、パラレルワールドなのかわかりません(年齢差で反対されたの?)。さらに、ブランシェットがゴズリングから離れていって、マーラと再開(?)するのですが、これも序盤の出会いとは全く違うもの。「見つけてくれたのね」という言葉には単に男女の視点が変わっただけなのか、また同じ恋愛が繰り返されるのか・・・と思ったら、ラストがまた全く新しい世界。
雰囲気に飲まれてしまいがちですが、謎が深まってしまいました(もしかしたら理解できてないのかもしれません)。ミュージシャンのゲスト出演などはファンならば垂涎ものかもしれませんが、イギー・ポップはほんのちょっとだったし、やっぱりパティ・スミスが良かったかなぁ。使用楽曲の多さにもついでに驚きました・・・
音楽とその周辺の人達の織りなす物語
観始めて音楽に関連したシーンが多かったから
生活に根差した音楽シーンを描いてくれるのではないか?
と少し期待したが違う方向に進んでしまった
入れ替わり立ち替わり現れる音楽
まるで何かのMVのようだ
俳優は全て美しく散文的に少しづつ場面が描写され
徐々に人間関係が浮かび上がってくる
綺麗なシーン、印象的なシーンなどはあるが
基本的に短いシーンの連続で物語を繋ぐ感じでファッショナブルな反面
訴えかけてくる感じが少し弱いような気もした
キャスト以外にミュージシャンがそれとなく出演している
音楽業界の裏を描いてるようなリアル感をプラスしてる
こんな感じの病んだ業界人って居そうだなと思ってしまった
とにかくキャストも映像も美しいのだが
(最近の映画は映像の美しさという意味ではいいと思う)
何かプラスするものが欲しくなる
物語が男女の出会いや別れを描いているのだが
映像が色々な情景を写してるせいなのかわからないが
達観してるような感じなのと少し散漫な印象がしたかな
思ったんだけど音楽に関わる人を描くなら
最初にモッシュしてた人とかの人生にも焦点当てた方が面白かったんじゃないかな?
音楽をもっと色んな角度から切り取った映画作って欲しかった
作品としては悪くないけどツボにハマらなかった映画って感じかな
クリスマス礼拝でした⭐️
初めは、ルーニーのPVなんだな、と思って見てました。だって可愛いんだもん💕色々なヘアスタイル、お洋服、革のライダーズジャケット、ぺったんこお腹にピッタリのパンツ、そして一番素晴らしいのがノースリーブ!ノースリーブの、色んなワンピースの素敵で可愛いことといったらなかった。ノースリーブを完璧に着こなせるのはルーニーだけだと思いました。特に、最初にパパと会って話してるときの黒ワンピ・ノースリーブ(麻かな?)が、デコルテ部分のカットも含めて一番好きです。ワンピースにはいつも萌えます!
ところが!健気な寡婦が複数出てきたり、偽善者、嘘、慈悲、赦しといったキリスト教ワーズやセックスを罪悪視する雰囲気の台詞、教会や礼拝場面の多さ。使われてる音楽は様々あれど、GodとかJesus系が多いこともエンドロールで確認!トドメはポートマンの最期です。死ぬこたあないじゃないか!
敬虔なプロテスタント、中でも禁欲的なピューリタン精神にあふれた映画であることがわかりました。十戒のうち、人との関わりである5つの戒めが映画の通奏低音であった、という解釈もできると思いました。けれど、カトリック国で酒池肉林大好きなイタリアに比べたら、全然かわいいレベルなのにー!そんなに自分を卑下してはだめだよ!と言ってあげたかった、ルーニーとポートマンに。
いわゆるアメリカン・ドリームとピューリタニズムは、北米ではどんな風に折り合いつけているんだろう?
ケイト・ブランシェット、相変わらず美しくて、ルーニーと同じ位に萌えました。BVが自分の母親を精神的に不安定とか言ってましたが、その母親は息子とアマンダ(ブランシェット)が不釣り合いだと看破した。精神的に問題あると周りから思われる人が、実は真実を見抜く力があるのも、キリスト教だけで無いけれどよくあることだ。BVはアマンダと付き合うことで、やっとルーニーがクックとのことで悩んでたことが分かって、遅いんだよー!とつっこみさせていただきました。
いずれにしても、ルーニーとブランシェットを見ることができて幸せでした。
Happy Holidays!
【"歌は人の心を高揚させ、救う筈・・。"複数の男女の関係性、心象を描いた作品。ルーニー・マーラの透き通る様な美しさが素晴らしい。”全集中”で観ないと、置いていかれる作品でもある。】
-序盤を観て、ストーリーよりも、名優達の表情、肢体の動き、懐かしきロックフェスの映像を堪能するスタンスに脳内で変換して、鑑賞続行。-
◆全編を通して、悩めるフリーター、フェイを演じるルーニー・マーラの透き通るような美しさ、弾ける笑顔、憂いの表情が素晴らしい・・。
・大物プロデューサー、クック(マイケル・ファスペンダー)と、売れないソングライターBV(ライアン・ゴズリング)との狭間で
"私は汚い・・"と呟きながら、迷うフェイの姿を華麗に演じるルーニー・マーラ。
・クックは金に糸目を付けず、享楽的な生活をエンジョイしている。幼稚園の先生だった夢を諦めたウェートレス、ロンダ(ナタリー・ポートマン)にも、手を出すし・・。
-コラコラ、両手に花とは、良い身分だなあ。だが、マイケル・ファスペンダーが演じると余り嫌味に見えない・・。悔しい・・。-
・一方、BVは素敵な女性(ケイト・ブランシェット)との恋を、母から"釣り合わない・・"と否定され、父親の病んだ姿を見て、音楽の街、オースティンを離れる決意をする。
ー女性の、真珠のネックレスがばらけるシーン。-
・さて、美しくも悩めるフェイは、最終的に、どちらの男性に魅力を感じたのかな?
◆時系列も、行ったり来たりで、ナカナカ見応えがあるが、”テレンス・マリックワールド”に飲み込まれず、楽しく鑑賞した作品。
<成功、夢、愛情、友情・・・。
何が大切なのかは、その時々で変わるだろう。
けれども、矢張、”金” ”成功“ ”地位”よりも ”愛情” ではないかなと思った作品。
”愛情”も努力しないと永遠ではないが・・>
■蛇足
・イギー・ポップの元気な姿が嬉しく、パティ・スミスの深い言葉が心に滲みた作品でもある。
ジョン・ライドン(分かった人は沢山いるよね。)、レッチリ・・。
早く、ロックフェスやギグに行きたいよ・・。
英語で見る事ができれば違うのかな
伝承ホールにて試写会鑑賞。率直な感想として全く理解ができず非常に退屈な時間であった。
マリック監督らしい今作も非常に詩的な作品である。
登場人物のキャラクターやら背景を冒頭で明確に表現せずに表情、言動、行動、心の声…これらを自分の頭の中で組み立てていき各々の人物を形成していく必要があるんだろうけど、そこにたどり着く程作品自体に魅力を感じる事ができず、そうなるとただただ目に映るものだけを追ってしまい非常に退屈となってしまった。
ポエムチックな作品という事はわかるけどこれは英語で見る事ができれば言葉と言葉の掛け合いなんかで楽しめるのかな。字幕だけだとちょっと理解が追いつかないシーンが多々あった。
本国では3年前に公開されておりおそらくコロナで洋画の新作をかけられず持ってきたのであろう。少なくともポピュラーな作品ではない事は確かである。
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