83歳のやさしいスパイのレビュー・感想・評価
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これがドキュメンタリーとは!
最初セルヒオがターゲットに似た人物が3人いて特定てきないで苦労するけど、確かに老人てシワシワで皆同じに見えるよね~とくすりとしてしまう
でもセルヒオの紳士な接し方を通してホームに暮らすおばあちゃんたちを見ているうちに誰もがすごく個性豊かだと気づく
ホーム自体もかなり“当たり”て感じの所でお庭にはたくさんの植物が咲いていて、施設もキレイで年取ってホーム入るならこんな所がいいな、と思ったりもする
しかし映画が進むにつれ、どんなに手厚く介護されていても、ここに住むのは基本的には家族に捨てられ、忘れられた人たちで、その心には深い孤独があるということが分かってくる
セルヒオの最後の調査報告は親子と離れて暮らす私たち全員に向けたメッセージだろう
愛と笑いと 考えさせられる、親子で見たい疑似体験の傑作!
候補のおじいちゃんが皆、イケメンで面白い。さすが
前の師匠は、76歳で初恋の男性を見つけ出し、結婚した。
80代でも、普通にオシャレや恋する心は、私たちと変わらない。
自分の将来を考えるうえで、子供たちと見ておきたい傑作。
天国のような老人ホーム
眠たい…
優しい涙
セルジオのような人が施設に必要だ!
83歳のセルジオが生きがいをまた見つけたということは大事である。高齢になると新しく仕事を見つけることや時代についていくことも大変だ。アルツハイマーや身体の病がなくて健康寿命の長い人がますます増えてきているようだ。こういう人の中で働きたい人が働ける場があるのは幸せだが。セルジオは現状維持派で頑固な高齢者じゃない。高齢者になると頑なに自分中心な動きをする人が多いが彼は違う。数多くの高齢女性が紳士だというがその通りだと思う。ましてや、刑事コロンボのようだ。
それに、彼は、また訪問しに来ると思う。最後に流れる曲、チリのアリカ出身の マヌエルの歌うTe Quiero ( Manuel Garcia)は 締めくくりに合っている。 セルジオは絶対に訪れてくれるという希望を与えている。
Te quiero, te quiero
Y eres el centro de mi corazón
Te quiero, te quiero
Como la Tierra al sol
Manuel García
サンチアゴのサンフランシスコという老人ホームに入っている人々はそこが姥捨山のようで、家族が訪問しに来ない。なんと! 探偵事務所に頼むなら訪問せよと思ったりもしたが。ソフィアも大家族だったようで、セルジオが写真を見せた時、はじめ子供たちの名前も取り違えているようだった。老人が自分を失ってきている時、写真を見せてあげるといいらしく、それが、記憶を繋げるだけでなく、記憶の奥深くをよみがえさせてくれるようだ。セルジオがそれを時間をかけてソフィアのためにしてあげる。 老人施設が、心の安らぎを与えられる場所になるといいが、職員は誰も忙しいようだ。セルジオのようなボランティアを雇って、一緒に住んでもらわない限り、考えられないことだ。 セルジオのような人が施設に必要だ。
【83歳のスパイは孤独感を抱える特養老人ホーム入居者の心を癒す最良のカウンセラーだった・・。】
- 83歳のスパイ、セルヒオはあるミッションを遂行するために、聖フランシスコ特養老人ホームに潜入する。そこで彼が見たモノは・・-
◼️感想
・セルヒオが、特養老人ホームの女性入居者達の心を掴んで行く姿が、素敵である。優しくて、紳士な彼はアッという間にパーティーでキングに選ばれる。
- それにしても、入居者の内、40人が女性で、男性はたったの4人。女性は長生きだからなあ。けれども、皆が幸せと言う訳ではなかった。-
・ソニアの身辺調査をするためにロムロから依頼されて入居したセルヒオだが、家族が面会に来ないベルタを気づかい、言った言葉、起こした行動。
- "泣いても、良いんだよ・・"-
<入居者の本音や実情に触れたセルヒオがロメロに言った言葉。コロナ禍になってから、両親に会っていないが、現況が落ち着いたら会いに行こう・・。>
いやはや、すごいドキュメントでした
まさか、ドキュメンタリーだったとは・・・。
予告編を見た時からドキュメンタリーだなんて微塵も思ったことはありませんでした。こういう作り方ってあるんですねぇ。よくぞ作品として仕上げましたね。想像し難い準備をした制作陣に敬意を評しますが、囮捜査みたいで、ちょっと引っ掛かるところはありますが。
作品を奇跡的なものにしたのは、セルヒオさんの人間性、人間力でしょうね。コミカルで、温かくて、優しくて、彼が纏っているものが作品の中にふんだんに現れている気がします。そのオーラが在所の高齢の方々の心をちょっとだけかもしれませんが癒したんだろうなぁって思います。
それがそのまま映像になっているような作品です。
そんなセルヒオさんの行動を見ていると「調査」という名目ではありますが、在所の方々に近づき、たくさんお話をしているんですよね。どんな状態の方でも分け隔てなく。きっと楽しかったでしょうね、お話しできた方々は。職員でもないのに、あんなに心に寄り添う会話はなかなかないのではないでしょうか?その中で真実の悲哀と喜びを浮き彫りにできたのは見事ですね。
ただ、セルヒオさんだったからできたんだと思いますから、ラッキー作品な気もします。
けど、セルヒオさん自身が話す自身の結論は胸を打ちます、あれは演者というくくりは関係なく高齢者として当事者としてのリアルな声だと思うからです。
セルヒオさんは素人だったのかなぁ?がまだ疑問です。プログラムに書いてあるのかなぁ?あと、女性ばかりのエピソードでしたが、意図的だったのかなぁ?がちょっとモヤモヤします。
その角度からの視点にグッときた
ドキュメンタリーではないでしょ…
優しくしよう‥
離れて暮らす、年老いた母に会いたくなった映画である。
主人公のにわか探偵セルヒオは、83になっても、何とかスマホで報告をし、眼鏡型の隠しカメラを使えるなんてすごいぞー。歳を取るとなかなか新しい事は身に付かないのに、頭が柔軟で、耳もいいし、とってもチャーミング。
日本の老人施設に行くと、中にいる人たちのたいていは、目立たない色の服を着ているが、この施設の人たちは比較的綺麗な色の服装をして、ネックレスまでしていたのが驚き。
この映画の施設建物は、出入り口のすぐ前が大通りになっていたから、簡単に出入り出来ない様に、頑丈そうな鉄の門、そこで「出して〜」と哀願するおばあさんの姿は何故か切なかった。でも中の人たちは、比較的自由に過ごしている感じだった。これは老人ホームだからか?
施設に馴染んだ探偵セルヒオは、中のいる人たちと交わるうちに「施設の粗探しをするよりも、親族自身もっと頻繁に施設の人たちを訪ねるべきだ」と報告する。
この映画は、老人の孤独とあるが、老人でなくても、家族と切り離された場所に自分がいて、その自分に対して、過去自分が関わった人たちの誰からも気にかけてもらえない状況にある‥としたら、誰だってひどく孤独を感じるだろう。歳をとって過去の記憶の中に生きている人だって感情は死んでいないのだから。
誰でも等しく歳をとる。歳を取るということは、老眼鏡が必要になり、耳が遠くなり、ヒトによるが 足腰が衰えてきて、そして何より記憶を溜めておく壺がいっぱいになり溢れて出て、新しい記憶はなかなか留まらず、底に沈んだ澱の記憶つまり昔のことばかり繰り返す。そんな話に付き合うのが面倒くさくなり、つい、年老いた母にぞんざいに接していたワタシ、反省させられた。
脚本のあるドキュメンタリー。
ドキュメンタリーといっても、カメラは固定され、映像はキチンと撮られている。
スパイということは伏せられていたといっても、映画として公開している訳だから、実はスパイだったということで、出演者の許可をもらったということだろうか。
老人ホームという施設は、やはり何かさみしいものがある。
家族のいるセルビオは、そんな孤独な老人ホームの中の人達の心を癒やしていく。
結局、疑われたような虐待などはなかった。任務を終え、老人ホームを去るセルビオ。
彼は自分の幸福に感謝し、老人ホームで生活する人達の幸福を祈ったことだろう。
題名にあるスパイとしてのドキュメンタリーというよりも、セルビオとおばあちゃん達の心の交流を描いたドキュメンタリーだ。
といっても、最初の面接段階から、主役のオーディションになっており、ある程度の脚本があってのドキュメンタリーと言えるかもしれない。
“スパイ”映画かというと、ちょっと違うかなという感じですね。興味のある方は、ぜひ映画館に足を運んでみてください!
面白くもあるが辛くもある
人の中身はいくつになっても子供のままである。気の弱い子供が気の強さを獲得することはなく、飽きっぽい子供が粘り強い大人になることはない。それは老人ホームに入居するほどの老齢になっても同じである。
本作品を観ると、これがドキュメンタリーなのかと疑うほど、入居者の老人たちは生き生きとしている。何かの撮影だとして施設にカメラが入っていることを入居者全員が承知しているが、新しく入居してきた83歳のセルヒオがスパイだと知る入居者はいない。
入居者たちはもはや立場を守る必要がないから、恐れずに話したいことを話す。もちろん虚栄心や自尊心は子供のままだから、嘘も吐くし話を大きくしたりもする。ただ、人生経験が長いから、他人を傷つけるような言葉は言わない。
施設長はいい人だし、介護士やその他の従業員もきちんと真面目に仕事をしている。いい施設なのだ。しかしセルヒオの目には、ひもすがら茫然と過ごす入居者たちは、既に生きがいを失っているように見える。当方にも、彼らが棺桶に向かう長い行列に見えてしまった。
どこに問題があるのか。あまり面会に来ない家族か。いや、面会に来ないのではなくて来れないのかもしれない。とすると、何が悪いのか。セルヒオには答えが見つからない。
超高齢化社会は日本を先頭に、既に世界中ではじまっている。労働人口の割合も減っているから、少ない人数で多くの老人たちの老後を支えなければならない。働かなければならないから親を施設に入居させる。その料金を支払うために沢山仕事をしなければならない。すると労働時間が長くなるから面会に行けない。
富の分配であるセーフティネットがあまり上手く働いておらず、そのうちどの国でも金持ちの割合が減少して殆どが貧乏人になるだろう。貧しい地域で発生するスラム街が国中に広がっていく可能性もある。医療を受ける収入がなく、健康保険料も払えなくなり、病院に行くこと自体が不可能となってしまう。病気の老人からまず見捨てられ、次に収入のない老人が餓死していく。若者は自殺したり、戦争に行って死にたいとナショナリストになったりする。
一方で、こういう社会問題はいつの世にもあったとも言える。富める人たちだけが楽をし、貧乏人は苦労して苦労して、ボロボロになって老いた日々を過ごす。日々の小さな出来事だけが楽しみだ。人間はかくも悲しく生き、かくも悲しく死んでいく。面白くもあるが辛くもある作品であった。
笑えますがラストはホロリと泣かせます。
第93回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた笑えて泣ける感動的な作品。
出だしは探偵ドラマのように始まりドキュメンタリーらしくなるのは老人ホームが舞台になってからで意外性もありますが自然な筋立てが面白かったです。
何よりも80~90歳の男性が条件という探偵事務所の求人に応募してきた老人スパイ役のセルジオの人間味あふれる言動が心を打ちます。
彼の役目は臨時雇われ探偵として施設内の自分のターゲットが介護士から虐待や盗難の被害にあってないかを探偵上司に調査して報告する事なのですが、徐々に施設内の多くの人たちの信頼を得て悩みや相談を聞くようになり最後は探偵上司に人間の本質を訴えます。
施設の老人たちは皆孤独で家族とのつながりを望んでいる。愛する家族がいる自分がどれだけ恵まれているのかが理解できた。と上司に訴えるシーンには思わず泣けました。
私の父も施設にお世話になっているのでできるだけ会いに行きたいと心から感じました。老人問題を笑いとユーモアを交えつつ真剣に考えさせる良心的な映画です。
ドキュメンタリーだったのね。
セルヒオおじいちゃんの紳士ぶりに惚れる
80〜90の老人募集という広告に応募したセルヒオ。仕事の内容は特養ホームに入所し、依頼人の母親が虐待にあっているか証拠を押さえてほしいというものだった。
最初はスマートフォンの扱いすらおぼつかないセルヒオだったけど、いざ入所すると持ち前の人当たりの良さや親切さを発揮し、入所しているおばあちゃん達のハートを次々に射止めていく。「わたし、あの人に恋しちゃったみたい」と所員に告白するおばあちゃんのなんとキュートなことか。
観る前は「え、この題材でドキュメンタリー?」と半信半疑だったものの、これは紛う方なくドキュメンタリーだった。入所者はカメラが入っていることは認識しているもののどういうテーマの映画かは知らされていないようだ。
際立つのはやはり、セルヒオおじいちゃんの紳士ぶりだ。調査のために多くの人から話を聞きたいという理由からとはいえ、おそらくは生来のものである人の良さや物腰の柔らかさを発揮して、どんどんおばあちゃんたちと親しくなっていく。この人たらしぶりは観ているこちらさえ惚れそうになる。ついにはホームの創立記念日のパーティでキングに選ばれ、クイーンのおばあちゃんとパレードに出るセルヒオおじいちゃん。
しかしながら、職務上の義務感からではなく、心の底から人と接することが好きなセルヒオだからこそ、のしかかる現実にやり切れなさを覚えたのであろう。彼が出した結論は、ありきたりではあるが本質的なストレートなものであった。
医療の進歩とともに、高齢者問題はどこの国でも避け得ない課題ではある。視点こそ違うが、今年は『ファーザー』の公開もあったし、たまにこうして立ち止まって考えてみるのもいいかもしれない。誰だって死なない限りは高齢者になるのだから。
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