「ケイティというアバター」シャン・チー テン・リングスの伝説 ぽったさんの映画レビュー(感想・評価)
ケイティというアバター
1
本作はカンフーアクションが見せ所であるが、ファンタジー要素も強いのでカンフーファンタジーといったところである。
アクション主眼とはいえ、ディズニーなので女性が見ても楽しめるように配慮されている。暴力的ではあるが残酷さはない。
主人公の友人、妹、母、叔母など重要な役どころを女性が占めている。何より父親の「剛」の技を上回るために主人公が習得するのが女性から伝授される「柔」の技なのである。父親は千年生きてきたにもかかわらず、女性によって生き方を変えるし、またその喪失によって自制心を失ってしまうほど嘆く。果ては、魔界の罠にかかってしまう。人生を女性に左右される弱い者とされる。
父親が作った組織は男ばかりだったが、後継者となった娘が再興した組織は戦士として女性が半数を、女性の存在感が高くなっている。
2
主人公の友人にケイティがいる。足手まといになるはずのケイティに主人公は引っ張られる形で行動を共にする。ケイティはなぜ興味本位でついていったのか。ケイティは私たち観客のアバターである。超人たちに混じってその活躍を普通の人の感覚を通して伝えてくれる役目を果たす。ケイティはただの傍観者ではない。始めの方でいささか唐突に披露される走り屋としての性格は、そのあとでバスの運転や竹林での運転で伏線となって回収される。また、弓矢を射ってモンスターを倒すことにも一役買っている。観客はケイティとなって映画に参加しているのだ。
3
『ブラックウィドウ』もそうだったが、似たような境遇で育ち離ればなれになったきょうだいが出てくる。はじめはいがみあうが、そのうち有力な仲間となる。本作も『ブラックウィドウ』も主人公を理解し助けてくれる仲間がいない(ケイティは微力だ)。そうしたとき同等の力を持った仲間としてきょうだいが召喚されるのである。一つの中心を持った円が回転する物語ではなく、二つの中心を持った円がお互いを周り、物語が複雑になる。
4
構成的には未知の武具、異界探訪、魔界からの侵略という三つをめぐる物語である。これらはストーリー上相互に絡み合っているが、原理的に直接の繋がりはない。たまたま相関しあっただけだ。未知の武具(テンリングス)は異界(ターロー村)からもたらされたものというわけではない。テンリングスの歴史と異界の村の歴史は全く別のものである。
また、異界は魔界から俗世を守っているとされ、異界特有の武器や風変わりな生物は魔界の性質を分与された歪みにより生じたものとも受けとれるが、物語の文法上、異界と魔界は異なる存在である。異界は人の世と地つづきでありつつ切断されているが(異界はカンフーものとしては少林寺の比喩である)、魔界は別次元にある。フィクションの程度が違う。
そして、それら不思議な経験の顛末を現代アメリカで語るという枠物語になっている。主人公はホテルのドアマンという平凡な仕事から、一気に世界の救済という非日常に接続される。
よくある伝奇物語なら、テンリングスはターロー村の秘宝で、武器庫から盗まれたものだとでもいうことにされるだろう。それなら同じ理屈で貫かれていることになる。だが本作はそういう一元論には収まらないようになっている。テンリングスは未知の物質とされる。たとえ異界の村の秘密が暴かれても、テンリングスの原理はわからない。テンリングスはもっと広い世界と繋がっている。それはアベンジャーズの世界である。複数の世界にまたがっているものが統合されるのがアベンジャーズ的である。
5
本作を見た人は、ああこれは『ブラックパンサー』のアジア版なのね、という感想を持つでしょう。『ブラックパンサー』では未知の金属をベースにした超科学に基づく超ハイテク社会なのだが、こちらは龍のウロコで作られた物質や禅の不思議さに依拠する東洋的ファンタジーであるという点で陳腐で、『ブラックパンサー』のようなギャップ(意外性)は小さい。
主役のコスチュームもアベンジャーズに準じているとはいえ、中途半端である。上半身だけだし、材質も普通の布っぽい。ただこれはブラックパンサーのようにアーマースーツを必要としない強さを持っているというアピールかもしれない。
異界訪問への境界が深い竹林というのは文化史的に面白いが、そこを文明の利器である自動車で簡単に抜けてしまうというのは物足りない。自分の手足で克服して欲しかった。異界の生物が導き手になるのは昔話や伝説の常套だが、もっと主人公たちが努力して行く方がよかった。探検というのは秘境を近代の陽のもとに晒すことだ。隠れ里を暴きそれを壊滅させようと父親は企むが、父親がやっていることは探検者と同じである。
6
ケイティはピンチのとき相手を混乱させるために「ホテルカリフォルニア」を歌うという。エンディングではカラオケでこの歌を歌い、そのまま本家の歌につながっていく。70年代にヒットした懐メロと70年代にヒットしたカンフー映画(燃えよドラゴンは73年公開)の結びつきに頬が緩む。70年代はいいが、なぜ「ホテルカリフォルニア」なのか。それはケイティがサンフランシスコのホテルマンだからだろう。
7
主人公が龍に乗っているのは『まんが日本昔ばなし』と似ていると思った人も多いだろう。だが『まんが〜』の龍は緑色なのに、本作の龍は白銀であることに違和感を抱いたのではないか。日本の龍が緑色なのは苔に覆われているからである。中国の龍はお祭りなどを見ると金や銀と派手である。縁起物だからだろう。『ネバーエンディング・ストーリー』のファルコンは白い龍ですが犬にも見えます。この白さは聖性でしょうか。
『まんが〜』で龍に乗っているのは龍の小太郎(たつのこたろう)。異界の村はタロという名前であるという一致も面白い。
8
母親はターロー村の長(おさ)に拒絶されたようだが、現在のターロー村の長は誰なのか。叔母さんなのか。それにしては長として扱われていないように見える。村の中心が不在だ。ライオンに似た生物の活躍も少ない。