ミッドナイト・スカイのレビュー・感想・評価
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悪くないけど…
ジョージクルーニー様なので
期待して観ました。
大好きなSFだし…
これはもったいないですね
親子愛で泣ける内容なのに、
全然泣けないですし
本当にもったいない…
映像はキレイですし、
音楽も良かったです。
期待しすぎてはいけないのか
インターステラとかゼログラビティぐらいの期待度で観てしまって若干の物足りなさを感じました。
劇場だと集中してみてるからか先が読めてしまうのもあります。
ネットフリックスで何かしながらみて見逃したところを巻き戻したりしつつ適当に観ればもっと楽しめたかなと思います。
ハードSF的なやつのつもりでみたら、人間ドラマというか、余命いくばくかのおじさんの追憶のほうを重視したお話でちょっと食い足りない感じにもなりました。
SFのつもりでみてはいけなかったということでしょうね。
邦画ではほとんどないですが、アメリカ映画のことさら家族愛をまき散らす感じ意外に悪くないかなと思いました。
日本では愛という言葉が重すぎるのか、あの感じでやると必要以上に嘘っぽくなるから
ラスト10分、想いと繋がりが温もりを宿す
自滅の惑星と化した人類の故郷、極寒の地より意志を託し、粛々と可能性に懸け、最後の任務に従事する姿… 極めて対話の少ない演出では、そうした佇まいや醸し出す感情表現が作品の評価を分けてしまうところ。過去との対話、冷静な覚悟を表情に宿すジョージ・クルーニーの役どころこそ、鑑賞の大きな動機であった。葛藤と苦難の先で、希望に触れた男の表情が忘れられない。
つまらなかったです。。。
最後までストーリーが理解できず、つまらなかったです。途中で眠くなってしまいました。
一緒に観た夫は、「とんでもない駄作」と酷評していました。
惜しい!入り込めなかった
ストーリーは現代的で脚本も良く作ってあり、ジョージ・クルーニーの天文台パートや子役は結構良かった。
宇宙船のパートは全く別のスタッフが製作したのだろうか、何となくチープで昔のTVシリーズSFのような雰囲気が漂い、そのせいか物語に入り込めなかった。つまんない点にケチをつけるようだが、SFはそれっぽく見えるかどうかが大事である。
宇宙船パートはもっと削って、ほとんどジョージクルーニーの天文台だけでもよかった。
SFだけれど、静かに進んでいくヒューマンドラマ。きっと原作を読めば...
SFだけれど、静かに進んでいくヒューマンドラマ。きっと原作を読めばもっと理解できておもしろいのかもしれない。地球の他の場所がどうなってるのか等情報がまったくない。地球へ帰還した宇宙飛行士もその後どうなったのかわからない。いろいろと気になってしまうがあえて明らかにしないのだろう。
それぞれが地球が終わる時に何を大切にするのか、考えさせられる話。
わかりにくい
1北極圏基地と2宇宙船内と3男の回想が、交互に描写される。
1基地内は、髭のクルーニーと、少女がおもしろいコントラストだった。
2船内は、しょうじき何をしているのか、したいのかわからなかった。
3回想は、クルーニーの若いころ──と思われるのだが、別人が演じているので、誰の回想なのかがわからなかった。
結論から言うと、映画は失敗している。
上記の1、2、3が、三つ巴になっているが、連帯性がなく、北極と船内が別の映画のような印象で進んでいく。
北極だけか、船内だけか、どちらかにすべき映画だった。
ただし、結論も言いたいことも、わかった。(と思う。)
以下は、わたしが個人的に把握したこの映画の構造/あらましであり、勘違いしている可能性はある。(ねたばれあり)
クルーニーは余命いくばくもなく、終の住処として、北極基地に残留を決め、地球への帰還途中にある宇宙探査船アイテルとの、通信を試みている。
なんらかの汚染によって、地球は壊滅し、僅かな生き残りは地下にいるだけであり、探査船アイテルが降り立てる地表は存在しない。
だから、きみたちは帰ってこられない──と伝えるために、通信を試みている。
状況から把握できるのは、地球での汚染が進む段階のどこかで、地球型惑星(人類が引っ越すことができる新天地)をさがす探査船アイテルが組織/出発したこと。+今、かれらが、それ(新天地)を見つけ出し、報告するために地球へ帰還途中にあること。である。
残された地表は北極圏基地だけで、そこに、いわば地球最後の男(ジョージクルーニー)が露命を全うしようとしている。
が、たまたま基地に置き去りになってしまった少女に出会う。
ただし、その少女には、なんとなく、不釣り合いな「身ぎれいさ」=非現実感があるため、クルーニーの幻想落ちではなかろうか、──の気配は感じた。
が、しかし。
冒頭で、娘がいなくなった──と狂乱している母親の描写があった。
だから、その「娘」が、取り残されてしまった少女であろうと、とりあえず、思った。
が、しかし。
じっさい少女=アイリスは、幻想なのである。
死にゆくクルーニーが見ているイマジナリーフレンド──なのである。(と思われる。)
が、しかし。
イマジナリーフレンドの少女アイリスは男の娘であり、しかも探査船アイテルには、成長したアイリスが乗っていて、父娘で最後の通信をする──構造になっている。(たぶん)
その構造に+して、探査船内のドラマがある。宇宙嵐によって女性クルーの死があり、また汚染した地球へ、それが自殺行為と解っていながら、家族や仲間への思いから、突っ込む男性クルー(2人)もいた。
さいしゅうてきに船長とアイリスだけが残ってどこかへ向かっていく。終。
こまかいところかもしれないが、いったん、少女に生身の実体を与えるために=観衆をあざむくために、冒頭に、娘がいなくなったと叫ぶ母親の描写を挿入した──と思われるが、かえりみて、それを考えると、もっとスマートにできた気はした。
クルーニーが水没しそうになる描写と、女性クルーの事故死が、要らない。悲哀も訴求しているポイントも明瞭だが、見ている側としては、感動には至らなかった。
顕著な特長は、北極圏と宇宙船内の、別働隊な感じ。
確かに別に撮ったと感じさせる気配で、新型コロナウィルス禍下らしい(じっさいなぜかは知らないが)リモートな仕上がり。およびリモートな父娘の別れが描かれていた。と思う。
新型コロナウィルスが終わっても、元通りになること、ならないことがある。たとえば職場や学習では禍下でついたリモートの機器やアプリケーションや慣習が、あるていど継続されると思われる。一般庶民の家ごもり/中食/家呑み等もあるいていど継続/慣習化し、映画は、配信サービスでの公開が増えると思う。ネットフリックスやディズニープラスが映画を牽引していく気がする。
ところで、わたしが懸念していることは、マスクです。
人間社会において、これほど過ごしやすいアイテムはない。
いまとなれば、若い女たちが、平常時に、健常にもかかわらず、なぜマスクをしていたか、ぜんぜんわかる。
見た目において、これほど明瞭な意思表明をする『社会参加忌避アイテム』はない。
目深にかぶった帽子とマスクがあれば、全身全霊で「わたしはあなたと関わりたくない」を表明できる。サイコーです。
(むろんそんな心配をしなくともオジサンと関わりたいひとはいないが、そういうことではなく、たとえばわたしたちが住む街のような、狭い社会で、顔見知り/知人/友人を避けたいばあいに、声をかけないでくれ──というような意思表明ができるのがマスクなわけである。)
新型コロナウィルスが終わったら、マスクをせずに、外を歩かなきゃなんないわけだが、わたしには、もはやそれができる──自信がない。
ヘルマン・ヘッセが『メルヘェン』で問うたテーマをなぞる『復活の日』ミーツ『宇宙戦艦ヤマト』フィーチャリング『アルプスの少女ハイジ』
2049年2月、地球滅亡が迫る中北極の基地に独り留まることを決意した余命いくばくもない科学者オーガスティンは基地の中に一人の少女アイリスを見つける。そんな折太陽系で唯一移住可能な木星の衛星K-23での探査を終えた5人の宇宙飛行士を乗せた宇宙船イーサー号が地球に向かっていることを知る。もはや地球に戻っても仕方がないことをイーサー号に伝えようとするが電波が弱過ぎて通信が届かない。より強力な通信設備がある観測所まで行くことを決意したオーガスティンはアイリスを連れて基地を発つが、その頃イーサー号にも危機が迫っていた。
『復活の日』ミーツ『宇宙戦艦ヤマト』みたいなお話ですが、SF小説『世界の終わりの天文台』の映画化とのこと。一言も言葉を発さない少女アイリスと接するうちにオーガスティンの頑な心が次第に解れていく様はほぼ『アルプスの少女ハイジ』。そんな既視感も手伝って、時制が前後する物語がばら蒔いていく小さな疑問が一気に開花するクライマックスに大いに泣かされました。これは原作にもあることなのかも知れませんが、アイリスという名前の他にも花に言及する台詞が散見され、イーサー号のレーダーが稼働するカットもまるで一輪の花が咲くかのよう。そのイメージが暗示する未来には『インターステラー』と通底する力強い生命の息吹が感じられます。そんな繊細な演出を披露した主演と製作も兼ねたジョージ・クルーニーの手腕に深い感銘を受けました。そして少女アイリスを演じたケイリン・スプリンゴールの天使のような愛くるしさは格別で、娘を持つお父さんは全員メロメロになることでしょう。
そして恐らくはこれがものすごく重要なところだと勝手に推測しますが、このお話の最も深いところに影響を与えているのはヘルマン・ヘッセの短編集『メルヒェン』収録の小品『アウグストゥス』だと思います。“誰からも愛されますように“という母親の願い通りの人生を歩むアウグストゥスに突きつけられる試練と魂の救済の物語はまんま本作と同じ。それは主人公の名前がほぼ同じであること、『メルヒェン』には『アヤメ』、すなわち“アイリス“という物語も収録されているので個人的には確信を持っています。
アイスランドでのロケ撮影による美しさと凄惨さを湛えた雪景色も印象的で、独特な外観とインテリアが特徴的なイーサー号のデザインも見事。こんなどこにも隙のないハードSFもシレッと製作できてしまうネトフリの破竹の勢いはまだまだ止まりそうにないです。娘を持つお父さんは是非ご一緒に鑑賞下さい。
明日はどっちだ by 矢吹丈(寺山修司)
意外と大騒ぎすることなく、あっさりと人類滅亡するのかもしれない。
99.999%の人は本当は何が起こってるか理解しないうちに事は進み、身近な世界の中で死んでゆく。
そんな寂寥感を漂わせる風景とオーガスチン博士の情況、クルーニーの演技。
最後にほんの少しの希望。
”子供は、神がまだ人間に失望していないというメッセージを携えて生まれてくる。”
byタゴール
分かりにくい
最初から状況が分からなくて、
説明もないので映画に入っていけなかった。
現在地球がどう言う状況なのか、
人間はどれくらいいるのかも全く分からないので、
主人公の持つ危機感とだいぶ差があり
冷静に見れてしまった。
アイリスと言う少女とオチも想像の範囲内で
これと言って驚きもなく、
なんとも静かでつまらない映画だったなぁと言う感想。
船外の淡々とした作業をドラマチックな音楽を流す演出も
ここより大事な事あるんじゃないか?
と思ったり、僕の好みとは全く合わなかった。
もっとドラマチックにエンタテイメント出来る内容だと
思うのでただただ残念でした。
ジョージクルーニーも老けたなぁ。
今持ってる自然環境やら地球への危機感と
映画が本人の中でマッチしてるのは重々分かるけど、
もっと万人受けする作りにしてほしかった。
映画人ジョージ・クルーニーが挑む映像面と感情面の充実
《アイリス》父と娘 --- 大気汚染によって地上に住むことができなくなった地球、その北極圏で帰還途中の宇宙飛行士たちに交信を取ろうとする。生命体の目撃、新作や最近全く表立った活動なく音沙汰無かった印象のジョージ・クルーニーきっとそれだけ入魂の一作。なんせ主演、監督、製作。作家主義的とも言うか、一歩間違えると眠くなりそうな語り口と静けさに満ちた映像美の中で、キャラクターにスポットを当てる。かと言って個性がすごく際立っているかは分からないけど、その分もじっくりと感情を積み上げていく様が何よりリアル。音楽がそこに添い遂げ盛り立てる。
思った以上にキャッチーさは無い作品だったが、嫌いでもなかった。不必要に説明しないスタンスも好き。それ自体は悪くないのだけど、緊張感の欠如は幾分かあるかもしれない。にしても無重力に舞う血液はグロすぎる。『ソラリス』『ゼロ・グラビティ』出演経験もあってか(?)、今回自分は地球にいるものも内向きな葛藤はお手の物。共演にはフェリシティ・ジョーンズ、デヴィッド・オイェロウォ、カイル・チャンドラーなど実力派。タイトルは原作小説原題『グッドモーニング・ミッドナイト』の方が好きだったな。花の名前、花の一つ。けど実際に作品を見終えると納得してしまう。
この星・世界を、人類を救おうと家族も顧みずに躍起になっていた男が、世界の終わりに娘を救う。対象こそ広いものも、ある意味では利己的だったとも捉えられなくもない男が己を捨て、他者のために動くような様、主人公の変化はディストピアものという大きな規模感に反する個人的葛藤で沁み入る。
That's too much blood...
誰かを救えると思った
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