「地球(私)より宇宙(君)へ」ミッドナイト・スカイ 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
地球(私)より宇宙(君)へ
これまでに6本手掛け、中にはオスカーにノミネートされた秀作もあり、もう立派な“映画監督”ジョージ・クルーニー。
ジャンルも社会派ドラマ、政治サスペンス、レトロなロマコメ、戦争活劇、ブラック・コメディ…と多岐に渡るが、7作目となる本作は初ジャンル。
いつぞやのアカデミー賞で、“このハリウッドで社会派映画を作れる事を誇りに思う”と力強く語っていた彼が、何とSFに挑戦!
しかし、『ミケランジェロ・プロジェクト』の時もそうだったが、ドンパチドッカンド派手なアクション要素満載のSFではないのは百も承知。
滅亡免れぬ地球。
多くの人が母なる星を去る中、科学者オーガスティンは一人残った。
極寒の北極基地で、無線で“誰か”と交信を何度も試みようとする日だけが過ぎていく…。
地球滅亡の理由は描かれない。“事件から数週間後”とだけ。
いきなり唐突過ぎる、意味不明…と賛否あるようだが、これについては異は無い。
もし、本当に滅亡の時がやってきたら、それは突然。誰も教えてくれない。分からない。
コロナだって突然だった。
オーガスティンの身体は病にも侵されている。薬の服用は必ず。それでも苦しく、時折動く事もままならない。
…なのに、基地の中の様子がヘンだ。
自分の他に、誰か居るような…?
それは間違いなかった。
女の子が、一人。
オーガスティンは再び無線で呼び掛ける。誰か女の子を迎えに来てくれ。
当初の交信も継続する。それは…
地球へ向かうある宇宙船との交信。
地球に帰ってきてはいけない!…と。
しかし、何故彼はそんなに必死になるのか…?
アイテル号。
クルーはゴードン船長以下、サリー、ミッチェル、サンチェル、マヤの5名。
木星の衛星に人類の移住可能な星を発見し、そのミッションを終え、地球への帰路を急いでいた。
サリーは船長との子供を妊娠し、移住可能な星も発見して希望も抱いて。
…が、彼らは今の地球の現状を知らなかった…。
極寒の北極でのサバイバルと広大な宇宙から地球へ帰還しようとするクルーたちのドラマが交錯して展開。
言わば、『レヴェナント』×『ゼロ・グラビティ』な感じ。
まず、“北極パート”。
突然現れた少女。無口で、何処かミステリアス。やっと口を開き、“アイリス”と名乗る。
今居る基地の無線の調子が悪く、別の基地へ移動する事を決意する。
凍てつく寒さ。氷が割れ、極寒の海へ。周囲をうろつく凶暴な白い影…。
移動手段も無くし、途中から徒歩で。
満身創痍の中、ようやく辿り着く。
“宇宙パート”。
順調な帰路だったが突然、コースから外れてしまう。未知の領域を行くしかない。(このシーンと極寒の地を行くオーガスティンらがリンク)
隕石群が襲来。衝突し、通信系がダメージ。直前、初めてオーガスティンと交信出来たのが途絶えてしまう。
船外に出て修復ミッション。再び、隕石群が…!
両パートに各々、スリリングな見せ場と深淵なドラマを設ける。
オーガスティンとアイリスの交流。勿論これはこのパートの主軸で、最後にも活きてくる。
ジョージ・クルーニーが渋く、哀愁深い演技で魅せる。
地球の滅亡を表したような北極シーンも圧巻だが、やはり宇宙シーン。
宇宙船のデザイン、セット、宇宙の映像、そして人類の新たな星K23…その素晴らしさ、美しさ!
SF好きには堪らないだろう。
アレクサンドル・デスプラが奏でる音楽にも酔いしれる。
映像、CG技術、美術、音楽…これらのクオリティーは超一級。
つまらなくはなかった。
好きか嫌いかで問われたら、嫌いではない作品だ。
確かに好みが分かれるSFだ。知的SFが好きな人は好き、エンタメSFが好きな人には退屈。
が、知的SFでも『インターステラー』のような興奮に欠けた。
特に北極パートは静かで地味な画が続く。
両パートにスリリングな見せ場…と前述したが、何だか既視感あり。やっぱり、どう見たって『レヴェナント』×『ゼロ・グラビティ』。
また、時々編集が唐突に変わったりもし、何か違和感も感じた。
オーガスティンがアイテル号へ必死に呼び掛ける理由。
実は、オーガスティンとサリーとアイリスは…。
孤独な男が想いを馳せる。愛する人が居た過去の記憶と愛する人が今居る宇宙へ…。
静かで深い感動を呼ぶラストだが、実は早い内から何となく察し付いちゃった。
ゴメンね、ジョージ…。
こういう“たった一人のSF”“極寒の地サバイバル”は鉄板で好きなジャンルだし、悪くはなかったんだけど…、今一つパンチに欠けたかな。
良くも悪くも初挑戦のSFでもクルーニー兄貴の特色が出たね。