「演劇を観ているかのような作品」きまじめ楽隊のぼんやり戦争 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
演劇を観ているかのような作品
まるで演劇を観ているかのような作品である。登場人物の台詞の演出が二つに分かれていて、ひとつは兵隊や役人の台詞で、感情がこもらず抑揚が少ない。町という共同体の言いなりになっていることを表現している。もうひとつは庶民の台詞で、片桐はいりのせりふに代表されるように、戦争を肯定しなければ生きる意味を喪失してしまう危機感に満ちている。両方とも難しい演技が要求される演出だと思う。出演者に劇団出身の俳優が多いのも頷ける。
出来上がった作品は映画紹介サイトにあるようにコミカルでシニカルである。特に登場人物同士で繰り広げる会話の微妙な間(ま)が面白い。観て爆笑するという訳ではないが、その特異なキャラクターには思わずのけぞってしまうような部分がある。
石橋蓮司の町長といい、やたらに「なんだ」と言いながら相手の尻に見事な蹴りを入れる工場長?といい、やたらにキレる受付のおばさんといい、よくぞこんなキャラクターを思いついたと感心した。
比喩の意味は明らかで、戦争をしたい軍需産業(工場長)が政治(町長)を牛耳って、兵隊を使って無意味な戦争を続けさせる。国民(食堂と惣菜屋その他)は戦争のプロパガンダに精神的に支配されて盲目的に戦争を礼賛する。工場長の理不尽で問答無用の暴力が町を支配し、兵隊を含む国民は考える能力を失って、ただ生きるために戦争をする。軍需産業はとんでもなくエスカレートして、一発で広範囲を破壊する恐ろしい爆弾を作るが、商売だから敵にも売る。そして誰もいなくなる。
主人公のトランペット奏者は、かねてから戦争時間(就業時間)以外の時間に対岸から聞こえる音楽を耳にして、自分も戦争時間以外の時間にトランペットを吹く。曲はヨハン・シュトラウス二世の「美しく青きドナウ」である。人間のいない場所に音楽は必要がない。綺麗な旋律が濁流の前に虚しく流れるのみである。