由宇子の天秤のレビュー・感想・評価
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鑑賞する側だけでなく、本作の作り手にも「天秤」を突きつける一作。
表題の「天秤」とは、物理的な秤ではなく、善悪の評価を示す概念です。主人公のドキュメンタリー作家、木下由宇子(瀧内公美)は、ある事件についての番組製作を手がけ、真相を追求するために被害者側、加害者側の双方に肉薄していきます。その過程で彼らが報道によって傷つけられ、懊悩していることを知ることになるのですが、職業的使命に基づいて真相を追求していきます。しかしある件により彼女自身がまさに追っていた当事者の立場に立たされ、さまざまな決断を強いられるようになります。
作中、彼女が様々な場面で行う選択は、強固な意思と確信的な言動によって、それなりに正当性があるように見える一方で、偽善的であったり、非道徳的としか言いようのない面もあります。どのように振舞っても何かの歯車が狂う状況に、彼女も、その周囲も追い込まれていき、それを目撃している観客側も、彼女の選択を受け容れるべきなのかどうか、わからなくなってきます。このように本作は、ネット社会の問題点をえぐるといった次元に留まらない、「正しさ」とは何か、「正しさを基準として行動選択することが常に”良いこと”なのか」という、普遍的な問いを内包しています。それでいて物語としての面白さをきっちり保っているところに監督の優れた力量が示されています。
本作は、高所に立って観客の道徳観に揺さぶるをかけるといった性質のものでもなく、その批判は明らかに映画の作り手である側に向けられています。本作で扱っている事件一つひとつには、モデルとなった現実の事件があり、被害者や苦しみを抱えた人が存在しています。もし本作でこうした事件を単に物語的な要素として使い捨てたら、その批判の矛先は作り手に向かうことになります。そうした批判を受ける可能性を知りつつ、しかしその責任を引き受けて描き切ったところに本作の最大の意義があると思います。
明日は我が身かも
映画館は熟年男性陣が7、8割で多かったように思う。なんでかな?
ある報道の真実を追う側の自分と、リアルに不都合な真実に巻き込まれる自分と。
まさに自分の本質が試される非常に見応えのある話の展開。152分堪能しました。
この天秤で何を諦め、何を手に入れるのか。何を失い、何を背負わなければいけないのか。すごく、深く重い天秤。由宇子の正義感や潔癖さ、ジャーナリスト魂と、情と、それらがせめぎ合い葛藤している由宇子の内面。
私なら逃げ出したくなる。でも由宇子は逃げない。そこが強くて情もある。でも弱さでもあるのか?
演じている瀧内さんのリアルな立ち位置に自分を重ねました。
人生何が起こるかわかりません。何を諦め、何を手に入れるのか。自分の天秤はどうなのか。考えさせられました。
オヤジのサロンパス
いつもの映画館で
今週から夕方の回が設定されて見易くなり
しかも今日は金曜日のサービスデー 行くしかない
1時間早退
いい曜日時間の割に観客は少な目 5~6人
なぜかオラの列に4人
町山智宏氏がラジオで今年一番だと絶賛していて
楽しみにしていた
なるほど かなり心は揺さぶられた ラストは衝撃的
と思いきや…いい間だった
エンドロールに音楽なし ん? 全編通してなかったか
映画の中で あぁこういう瞬間が一番幸せだよなぁと
思わせられたシーンがいくつかあった
・ババ抜き
・オヤジのサロンパス
・焼き飯
・映画のチケット
こういう些細なことにヒトは幸せを感じながらも
心のどこかにトゲが刺さっている
トゲを抜くと自分は楽になるかもしれないが
幸せを保っていたバランスを崩すおそれがある
タイトルいい
ドキュメンタリー番組で間接的に関わる事件と
リアルに直面する出来事
自ずと違う天秤を使う
主人公の最後の行動天秤が狂ってしまったのか
使い分けていた天秤がひとつに統一されたのか
塾生募集の看板を塗りつぶしたのは誰で何の理由でとか
あのエピソードは何を表しているのか…とか
疑問も残ったがこれから想像するのも楽しそうだ
語り合える知り合いはいないので各種レビューも楽しみだ
最近スクリーンで観る日本映画比率が高くて且つ質がいい
嬉しいことだ 「脚本 監督 編集」の共通点がある気がする
ゴージャスな洋画にも頑張ってほしい
終了後いつもの駅前ベンチで缶ビール
これもささやかな至福の時間だ
新コロ緊急事態が解除されて街に活気が戻って嬉しい
重すぎる天秤
正しさを貫くことは
きわめて静か、そしてきわめて深い(不快)
きわめて静か。
外で遊んでいる子供たちがガヤガヤするシーンはあるが、異本的には静か。人と人の会話がメイン。
この映画のすごいところは、"家族によって巻き起こる出来事を由宇子がどう扱うか" という選択に対して、観ているこちらは、由宇子の仕事ぶりを同時並行で観ているがために、「そうだよな。知れたら終わりだから、そう選択するよな。実際の行動としては妥当だよな」 と納得してしまうところだ。そう、由宇子と離れた所(対岸)から観て偉そうなコメントを言うということを、俺たち観客にさせない点だ。それは強烈な疑似体験だ。
観ているこちらがそう思ってしまう理由は、仕事としてドキュメンタリー監督をしている由宇子が、「事実を伝えたい」 という信念のもとに真剣に取り組んでいることが、全編を通じてこちらに実感として伝わってくるからだ。
私生活と仕事の両方を同時並行で観ることは、由宇子が仕事では真実を明らかにしようとする反面、私生活では正反対に隠蔽しようとするという事実を、スクリーンを通して疑似体験することに他ならない。その体験はもちろん気持ちよくないし、観た帰り道がずうんと重たくなる経験だ。それでも俺は、これからもこういう映画を観るだろう。この疑似体験こそが、映画の価値の一つだと思うから。
さて、真実を伝えようとする由宇子の姿勢は、もちろん好感として伝わってくる。制作を依頼しているTV局側は 「報道がふたりを追い込んだ」 といった表現はあっさり 「削って」 と言ってくる。そんな中であきらめずに自分が伝えたい真実を追い求める由宇子に感情移入していく。
そんな由宇子自身が直面した自分の家族の問題。これが周囲に伝わったら、せっかく晴れて放映される可能性が出てきた自分の作品も当然お蔵入りになってしまう。伝えたかったことも無に帰してしまう。いまの生活も、父の塾で学んでいる高校生たちの世話もすべて崩壊だ。すべてが崩壊する様子は、ドキュメンタリー監督をしているだけによくわかっている。由宇子の判断は当然だ。観ているこちらも感情移入しているから、由宇子とほぼ一致した思いになる。
そして訪れる、言い知れぬ衝撃の展開。そのシーンのカメラは、手持ち。微妙に揺れる画面が、由宇子の、そして俺たちの心の動揺を表して怖いくらいだ。
以下は、由宇子のセリフ。観終わってから読み直すと、なんと痛切なのだろうか。
「それじゃあ、嘘を真実だと垂れ流すやつらと一緒だよ」
繰り返しになるが、観なければいけない映画だと自分は思う。しかしこの152分は、この上なく、長く重い。
凡庸なマスコミ批判。歪曲報道体質など百も承知だ。
正義が人を狂わす
マスコミ報道によって人生が狂った家族と、それに携わる由宇子の正義が描かれる…
ラストは想像にお任せのパターンって事は、マスコミ報道の渦中に曝されるって事か…辛い映画だ
「正義中毒」って言葉を思い出す
確かに正義は大事だけれど貫く事で一生、辛い過去を背負う事も覚悟しなきゃいけない…
疑問に思ってるのは、妹さんは兄の強行動画をいつ手に入れたんだろう…
その前にその動画は誰が撮ったんだろう(本人の性癖?)
しかしながら、この場面の妹さんの勇気に由宇子も同調しラストで告白する
由宇子の正義は、カンニングを塾長の父親が生徒の前で晒した事から確立したのかな
そして気になるのは「人参をぶら下げられた馬」…ご褒美は成果でしかないこと
そして、気になる事を必ず動画にしインタビューする癖も、シロクロハッキリ付けたい正義感なのかな
一生、胸に秘め自分を騙して生きていくのは、暴露して世間から叩かれるよりも罪悪感として辛いのかも知れません
家族という括りで犯罪者と同じ仕打ちを受けるという世間の常識が変わる日を願います…少なくとも兄弟姉妹に責任はないです
ましてや勤務先やご近所さん…波紋は拡がり収縮の付かない正義中毒。
シロクロハッキリ付ける正義感より、グレーな方が生きやすいし「知らぬが仏」って言葉もあり(ラストの告白は自己満でしかない、相手にとっては憎悪を産み苦しむだけだ)
#82 本当の真実とは何か
を考えさせられる作品。
真実を追求するドキュメンタリーディレクターが、保身のために事実を闇に葬ろうとする様が無限地獄的に描かれていて、最後に至るまで興味深く楽しめた。
私たちがマスコミを通してみている真実が本当に事実なのか、呉本作を観ているとわからなくなる。
そしてメイが抱える真実も、本当なのかどうなのか?
ほとんど有名な俳優さんが出ていないせいか、ドキュメンタリータッチで描かれているところも◎。
瀧内公美さん、やっぱり映画のほうが良い!
何が正しいのか...
だいたいが、由宇子に感情移入しながら観ていたけど、
途中から辛かった…。
このネット社会による情報過多の
真実を曲げてしまう悪作用が恐ろしい。
この社会の未来は、本当に幸せなのか?!
とにかく、自分は深みにはまりたくないと思う。
ドキュメンタリー監督にもなりたくないし、
渦中に巻き込まれたくもない。
円の外で平和に過ごしたい。
などなど、
いろんなことを考えるのだけど、
自分ならどうするの答えが見つからない。
何が真実なのか、何が正しいのか…。
演出も脚本も、
監督の一本筋が通った作品に対する思いが伝わり、
最近、映画を観終わって、あまり感じたことのない気分になった
非常に深くて濃くて余韻が半端なく残る作品でした。
そして、お父さんに、ひとつ物申す。
「おっさん、何しとんねん!!」
タイトルなし(ネタバレ)
ドキュメンタリー監督の木下由宇子(瀧内公美)は、3年前に起きた女子高生自殺事件を追っていた。
自殺した女子高校生は、「彼女が通う教師と深い関係になり、結果として自殺」というのが世間で言われていることだった。
しかし、彼女の自殺の後、関係を持ったとされる教師は、身の潔白を記した遺書を残して、自殺。
遺書には、「学校に嵌められた」云々が書かれていた。
由宇子は、遺された女子高校生の父親を取材するとともに、教師遺族の取材を試みていた・・・
といったところからはじまる物語で、そんな矢先、学習塾を経営する父・政志(光石研)と塾に通う女子高校生・小畑萌(河合優実)が関係を持ってしまったことを知ってしまう・・・と展開し、ふたつの同じような事件の狭間で、由宇子は揺れ動くことになる。
3年前の事件については「真実」と、事件が引き起こした遺族の困窮した現在の生活を追うのだが、父が引き起こした事件については隠蔽する方向へ動いていく。
緊迫感を生む物語が展開され、観ている間は退屈はしないのだけれど、かといって惹き込まれていくところまではいかない。
どうしてだろうと観終わって考えたのだが、脚本はよく出来ているのだが、どうも頭でこしらえた物語といった感じが強く、描写にリアリティがあるのがかえって、その拵え物感を強く感じさせる結果となったのではなかろうかしらん。
描写的には、教師遺族(教師の母親)の描写がリアルで、演じている丘みつ子のリアルさには胸が痛くなります。
もうひとつ物足りなさの原因となっているのが由宇子のキャラクターで、ジャーナリズムの正当性を通そうとするがゆえのエゴイズムが滲み出す、いわば「汚れ役」なのだが、演じている瀧内公美の硬質的な雰囲気のせいなのか、脚本の書き込み不足なのかはわからないが、灰汁にまみれた感じがしないせいかもしれません。
それでも随所にいいシーンはあり、ここぞというときに由宇子が取り出して相手に本心を告白させるスマホなどは、小道具としても上手く、これがエンディングで効果的に使われている。
どこか物語の奥底や余白に潜む理解はできないが感じさせるものが足りないので、傑作・秀作とまではいかないが、2時間半を超える力作であることは間違いありません。
リアルに…
ブレブレなテーマ
評価が高く鑑賞前らハードルが上がっていて残念な作品。
不条理とか正義とかやりたいんだろうけどやり尽くされたテーマだし今更って感じがする。「新聞記事」のマスコミ版って感じがする。由宇子がラストにドキュメンタリーの真実を聞かされて隠す意味がわからない。それなら誰がなんと言おうと真実を報道しようとするのが由宇子ではないのか?そのために取材しているので?そこは正義とかではなく真実を報道するほうが人間なのでは。もし情に流されて報道しないならちゃんと行動を描くべき。事件に向き合う事や私生活で感情の変化が出来るシーンを入れるべき。もう一つの話もよくわからない。売春やってるならリアリティーを持たせないと。そんな人間が塾に行くか?行くなら行くで描き方があると思う。
父親の子ではない可能性が大なのにわざと告白したのか?意味が通じないし由宇子のキャラではないのでは。
長いしこれでベルリン行けるんだと少しがっかりした作品。
司法ではなく社会に
思わずうなる一本
長尺
あらゆるジレンマを生むストーリー展開に
不都合な真実
女子高生いじめ自殺事件の真相を追う由宇子は、ドキュメンタリーディレクターとして、世に問うべき問題に光を当てるということに信念を持ち、製作サイドと衝突することもいとわずに活動をしていた。その一方で、父が経営する学習塾を手伝い、父親と二人でそこそこ充実した生活をしていた。そんな時、塾生の女子高生が塾で倒れ、妊娠してることを知り、相手が思いもかけない人で、由宇子の信念を揺るがす様な選択を迫られる、という話。
監督のオンライントークの回で、どう解釈するのか、はあえて明確にしなかったとの事。
社会の闇に光を当てるという事を正義と考えてた主人公が、自分の家族の闇に光を当てられるのか、という面で深く考えさせられる良い作品だった。
みんな他人には言いたくない不都合な真実が有るよな、それをどこまで知らない人に伝えるべきなのか、結論は出ない、というのが一番の感想。
由宇子役の瀧内公美が熱演してたし、メイ役の河合優実も良かった。
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