「報道人が陥る究極のジレンマ。」由宇子の天秤 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
報道人が陥る究極のジレンマ。
すべての事実は公にされなければならないのだろうか。思いがけず公になることもあるが、実際には公にされる事実、されない事実がある。それは事実を公にするかしないかで決まる。
報道に携わる者は、その社会的役割の重要性から清廉性が求められる。ましてや本作の主人公は報道に対して強い信念を持っていた。
ドキュメンタリーディレクターの由宇子は生じた事件に光を当ててそれを可視化し、問題を社会に投げかけることが報道の在り方と信じていた。
そんな彼女が思いがけず自己の信念と明らかに矛盾する行為を強いられる状況に追い込まれる。
彼女は自らの強い信念から自分が携わるドキュメンタリー番組を放送して事実をつまびらかにしたかった。しかしそうするためにはある事実を隠蔽しなければならない。
ひとつの事実に光を当てるためにはひとつの事実を闇に葬らなければならない。まさに彼女にとっての究極のジレンマに陥る。そして事態は思わぬ方向に、彼女はますます泥沼にはまっていくこととなる。
彼女に罪があるとすれば、事実を隠蔽しようとしたことは報道人として罪かもしれない。だが、それはさておき、まずは子宮外妊娠が疑われた段階で生徒の身の安全のために産科を受診させるべきだったところ、それをしなかったところに彼女の人としての罪がある。
結局、番組は放送直前に遺族が隠ぺいしていた事実が発覚して放送は中止となるが、彼女はそんな遺族を責める気にはなれない。
結果的に放送が中止になった時点で生徒の父親に自らの罪を告白することとなった由宇子。父親の怒りはまるで自分の娘と番組放送を天秤にかけた彼女に向けられたかのようであった。
今まで彼女が糾弾する相手に向けてきたスマホのカメラは彼女自身に向けられている。信念を持って報道の仕事に携わる主人公に起きたあまりにも酷な状況。報道への向き合い方が問われる問題作。全編静かなトーンながら凄まじい作品。
今は無きテアトル梅田にて鑑賞。
追記
Jで、右往左往しているのはタレントの事ではなくて、
Jをヨイショして甘い汁を吸っていた文化人みたいな人達の事の
意味でした。
タレントさんたちは、みんな苦悩してて、逆風にさらされたり、
大変ですね。
すみません、関係ないような事で。
お褒めの言葉、ありがとうございます。
照れてしまいますよ。
私はレントさんのように理論を抽象化して論理的に
書けないんですよ。
それで内容を書き過ぎて、書きながら自分の意見を付け足す・・・そんな感じです。
(レントさんの「ザ・キラーズ」のレビューは本当に素晴らしかったですね)
アメリカのイスラエル寄りの姿勢も、バイデンさんが来年の選挙で、
Y教信者の持つ票田を無視できないことも一因だと読みました。
J a n・・・ズの問題でもものすごく天秤にかけられた人々が
右往左往していますよね。
いつ何時、自分の天秤が狂ったり変わったり、由宇子だけでなく、
自分の問題にもならないとも限りませんものね。
本当に考えさせられる映画でしたね。
今は無き「テアトル梅田」でご覧になったのですか?
ミニシアターがなくなるのは、
本当に寂しいですね。