「"立場"によって変わる正しさ・正義」由宇子の天秤 regencyさんの映画レビュー(感想・評価)
"立場"によって変わる正しさ・正義
まず、ドキュメンタリー番組制作に携わった経験がある者としての感想は、番組制作における「あるある」が詰まってて笑ってしまった(さすがに、あんな嫌な局Pに会った事はないけど)。当たり前だがバラエティやドラマ、報道などの番組を作るには製作費がかかるが、中でもドキュメンタリーは予算が空前絶後に低く、あれこれ試行錯誤する必要がある。おそらく主人公の由宇子も、予算が潤沢でない番組に携わっているのだろう。
閑話休題。
本作の登場人物は、とにかく"立場"が入れ替わる。初見は誠実なDに見える由宇子が、時おり取材協力者の希望を逸脱してまでカメラを向けるあざとさ(この辺も実にテレビマンらしい)を見せたかと思えば、仕事とは関係なく被写体に誠実に寄り添う。キーパーソンである女子高生の父親も、初見は暴力的な人物かと思わせておいて、一方で娘思いでかつ義理堅い性格の持ち主という顔も見せる。そしてその女子高生も、由宇子の父親も、由宇子が追っていた自殺事件の遺族も、初見とは異なる"立場"が徐々に露呈してくる。
キャッチコピーの「正しさとは何か?」でも表されているように、何が正しくて何が悪いのかは、登場人物たちの"立場"によって変わってくる。
「正しさ」、「正義」ほど信用できない言葉はない。だからナチスが「正義」としてホロコーストを行えば、仮面ライダーも「正義」のためではなく「人間の自由」のためにショッカーと闘った。
結果として本作はアンハッピーエンドに括られるのかもしれない。ただ、ラストに由宇子が取る行動は、意図は違うが森達也の『放送禁止歌』のそれとダブる。
そもそもハッピーエンドかアンハッピーエンドかを決めるのも、観た人の“立場”によって変わってくる。