「「報道が殺したんですよ」と「奪われました」、これカット。」由宇子の天秤 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
「報道が殺したんですよ」と「奪われました」、これカット。
天秤。その言葉を意識するおかげで、なにか問題を解決しようとするたびに、終始"あなたの良心は?"という問いかけがかぶさってくる。それはちょっかいを出してきた悪魔の声。もしくはニヤついた天使の声かも知れない。いつも、道が右と左に分かれている選択を迫り、どちらを選ぶかの判断の基準は、司法であり、社会的モラルであり、本人の立場であり、我欲であり、偽善であり、体裁であり、、、。ああ、それを言い出しているうちに、部外者のはずの自分が、なぜだか何かを言い訳してるような気分になってきた。その判断と行動の正解は、たぶん、ない。いろんなしがらみが絡み合っていれば、結論がベターと言えることはあっても、ベストとはなかなか収まらない。そう、「正論が最善とは限らないんです。」と由宇子が言うように。
目の前の由宇子は、こじれにこじれた、いくつもの難問を抱えて、どう決着をつけようとするのか。それは、うまくいくのか。それは、褒められることなのか。それは、ズルいことなのか。ああ、このまま全部を正面から受け止めてたら、潰されるよ、耐えきれなくて逃げちゃうかもよ、って画面に食らいついていると、あのラスト。
はあ、そうきたか。いや、監督はそういうふうにこっちにぶん投げてきたか。天秤を抱えて、選択と行動を試されているのは、なんだか俺じゃないのか?って、背中に冷や汗を感じた。うまいなあ。二日経ってもずっと引きずっているよ。どうしたって誰かを傷つけそうで、当然、妙案なんて浮かばないよ。
この映画は、観た各自が結論を、ましてや正解を出さなくてもいいんだと思う。ずっと、このテーマを引きずって暮らしていくことのほうが、意味があるような気がしてならない。
公開初日、舞台挨拶もない初回(しかも満席)の公開後、監督ご自身が壇上に上がって熱く映画の宣伝をしてた。その熱量で語るにふさわしい映画だった。帰りに、監督の言う"仕掛け"が気になってパンフを買おうとしたけれど、すごい混みようで断念した。監督の言葉が客に届いた、ってことなのだろう。