「【脆い正義と曖昧な真実】」由宇子の天秤 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【脆い正義と曖昧な真実】
昔、糸井重里さんが、Twitterだったと思うが、面白いことを言うなと思って、書き留めてきた文章がある。
“僕は、自分が参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます”
確か、これは、震災の際の原発事故で、デマを聞いて東京から脱出すべきだと世間が騒ぎ立て始めたた時のツイートだったと思う。
僕は、人の話を聞いて、何かを判断するときに、参考になる考え方だなと、今でも思っている。
さて、映画のタイトルからも理解できるように、この作品には、複数の重要な対比が織り込まれている。
そして、それは、嘘か真実かというより、その時々に応じて形を変える正義によって片寄る(偏る)ほうを選択していくのだ。
実は、舞台挨拶での春本監督の話が、大きなヒントだったような気もする。
“映画を制作する際、商業主義の作品は、アイドルタレントを起用するとか、原作は有名な作品や漫画にするようにと要求されるが、自身の10年に及ぶ助監督業の後、そういうものとは異なる映画を撮りたかった”
実は、ドキュメンタリーにも多くの忖度があり、センセーショナルであったり、人目を引く方がコマーシャリズムに乗りやすかったりするのだ。
だが、この作品で春本監督は、それを批判しているわけではない。
そして、こう言っていた。
“あらすじを追わず、是非、登場人物の気持ちになって考えて欲しい”
おそらく映画を観た多くの人が、自然とそのようにしているのではないかと思うが、そこには正義を基調とした考え方がある反面、さまざまなことが明らかになるにつれて、その正義が如何に脆いものか理解しなくてはならなくなる。
前に、人は3回同じ嘘をつくと、それは真実だと信じるようになるという話を聞いたことがあった。
出し手の正義は真実を曖昧なものにし、受け手のフィルターが更にそれを不安定化させる。
こうして、僕たちの世界の正義と真実はアメーバのように変化しているのかもしれない。
今更ながら、糸井重里さんは、面白いことを言っていたのだと感心している。
度々すいません。
”春本監督の話”
“映画を制作する際、商業主義の作品は、アイドルタレントを起用するとか、原作は有名な作品や漫画にするようにと要求されるが、自身の10年に及ぶ助監督業の後、そういうものとは異なる映画を撮りたかった”
今年の春から、邦画で優れた映画が多数公開されて、嬉しい限りですが多くが上記の考えに(間接的に)合った映画だと思います。
興行的には、ナカナカ数字が上がりませんが、オリジナル脚本に拘る監督が良作を作れる環境(実際は大変だと思いますが)になって来たのでしょうか。だとすれば、邦画の若手監督、助監督の未来に光が差して来たのでは、と勝手に思っています。では。(返信不要です。)
そうですか?
原発事故のその後の深刻さを考えたら、という意味ですか?
遠くに離れた人に、デマに惑わされないで冷静にという意味では、べつに間違ってはいないと思いますけど。
勉強してないとか、フィーリングとか、あなたも他の人にコメントするときは、言葉を選んでくださいな。
ワンコさん
こんばんは。
コメントへの返信有難うございます。
どんな時も平静さ、優しさを持っていられるといいですよね。想定を超える事態でこそ、その人の本質が現れる怖さを感じる作品でした。