劇場公開日 2021年9月17日

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「売り出しの鼻息は荒いけど……作る前にもっと考えてほしかった」由宇子の天秤 美姫ちゃさんの映画レビュー(感想・評価)

1.5売り出しの鼻息は荒いけど……作る前にもっと考えてほしかった

2021年9月19日
PCから投稿

女の人が殺されたり自殺させられたり性的暴行されたり売春させられたり妊娠させられたりする、という、女の人にとっての生きるか死ぬかの大変なことが、この娯楽映画のサラリとした具材になっています。時々はネットリした具材です。
当人たちの苦痛・不安・恐怖は甚大。

しかし、作者にとっても大半の観客にとっても、「真実にどう迫るか」「真実に迫られた時にどう判断し動くか」「社会において個々人の生活において、真実というものはどんな意味を持ち何面を持つか」をより上位の主題と位置づけています。主演女性さんが全力で、それらのプチ哲学的主題を主役自身の生死よりも優先する、と宣言したに等しい風変わりなラストでした。
作者らが自賛している通り、終盤の飾り方は質素ながら成功している方でしょう。

一人二人か三人の女の人を半ば破壊してまでも私たちの実践哲学を育んでくれる物語だったかどうかは、かなり微妙と思いました。好きか嫌いかでいえば、私は嫌いです。
なぜなら、いじめ自殺報道問題と教え子への犯罪、そのどちらもが、茶番劇かせいぜい出来の悪いサスペンスドラマの次元・密度を超えておらず、わざわざ「これが主題でございます」と改まっての挨拶的に提示してこない限りは、物語の内側からごく自然に浮き上がってくる本当の主題性がないからです。つまり、野次馬的・傍観者的な一時の関心以上のものを刺激してくる熱さがありません。
実際、この映画の鑑賞後に何か生き方を変えたくなる観客は、おそらく1%もいないということです。誰も彼もが「ちょっと考えさせられた」とコメントするのみです。けっして誰も生き方を変えません。せいぜいSNS上の誹謗中傷を許すまじ、という流行りの世論への一助になるかならないか程度です。シネコンやぎゅうぎゅう詰めの居心地悪いミニシアターで、一時的に消費して本当に終わりです。

SNSによる集団的吊るし上げという、その今日的なキーワードのおかげで、さも最新式の具材集めを丹念にやりぬいたように見せていますけれども、肉部分の大半は、女性いじめの古臭さに満ちた、前近代的な中途半端ハードボイルド・メルヘンです。
女性が妊娠に気づくのは、嘔吐よりもまず「来るはずの生理が遅れている」だったりするのに、そして二昔か三昔以上前の女子高生ならともかく、情報が溢れている現代日本において、女子高生が人形のように精神的に幼すぎるのはちょっと無理があるのに、その辺りは適当に描かれていて、やはり緻密さのないメルヘンです。

私の近くの座席に、やたらと物音立てる迷惑な男性観客がいました。その人は、上映後にとても満足そうな顔をしていました。新時代にそろそろもうそぐわない、そういう化石タイプの人間が、たぶん率先してこの作品を褒める側に回るのだと思いました。そして表面上は「スクリーン内の可哀相な女子に同情」しているつもりになっていて、実は、単に楽しんだだけなのです。
さも大人になりきったふりをして、古臭さと青臭さだけを空虚に同居させている、不気味な自主映画の延長作品でした。

美姫ちゃ