AK-47 最強の銃 誕生の秘密のレビュー・感想・評価
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カラシニコフに捧げる!って感じ
プロパガンダ的な映画で無くて安心した。
純粋にミハエル カラシニコフの伝記としてみれる
トライアルでbp28のデグチャレフと競っていたことなど、知らないことが多く大変面白かった。
銃器好きには堪らんね
複雑な気持ちになります!
2020年(ロシア)
世界一愛されるAK-47は、世界一人を殺傷した銃でもある。
この映画の主役のカラシニコフ・・・と、トカレフはロシアの銃設計者の名前。
サスペンス映画やスパイ映画で何度耳にしたことだろう。
1941年の第二次世界大戦中、カラシニコフは下っ端の兵士だった、
ミハイル・カラシニコフ(1941年時には21歳)が、AK-47を完成させるまでの、
製作秘話の映画です。
1941年当時、ロシアに自動小銃は無くて、一発一発弾を装填していた。
ドイツ軍の連射する小銃に接近戦では、撃ち遅れて勝ち目がなかった。
悔しく思うカラシニコフは連射出来る自動小銃を必ず完成させると
思い詰めていた。
下っ端も下っ端の21歳の兵士のカラシニコフにそんな才能があると誰が
思ったことだろう。
しかしカラシニコフには天賦の才能と、それを成し遂げる情熱があったのです。
サクサク観れる好感の持てる映画で、面白いんですね。
主役のカラシニコフ役のユーリー・ポリソフが超美形で初々しいです。
21歳の下っ端兵士をバカにする上官も多いが、その試作品の性能から、
カラシニコフは一目置かれて、自動小銃の製作に没頭する環境を手に入れます。
学問もなく設計図も引けないカラシニコフは、同僚の設計士のエカテリーナに製図を
助けてもらうのです。
エカテリーナとの恋愛も映画を瑞々しく彩ります
製作には月日が掛かり、遂に第二次世界大戦の終結までに完成を見なかった。
落ち込むカラシニコフですが、AK-47の完成はソビエト軍には大事な命題であった。
AK-47がなぜ世界中に愛されるアサルトライフルであるのか?
①水に強い。
②砂埃に強い。
③氷点下でも連射出来る。
要するに性能が良いのです。
水中に浸かろうが、砂塵舞いあがろうが、氷点下20度だろうが、弾詰まりをしない。
この映画はハリウッド映画と間違うほど、洗練されてストーリー運びも巧みで飽きさせません。
天才科学者の伝記みたいに爽やか。
でも銃器輸出はロシアの最重要輸出製品で世界中のゲリラにこのAK-47が渡って
今も紛争地帯で殺傷に使われている・・・なんてことは、微塵も疑わない。
何十万人か何百万人の殺傷に使われた・・・そんな痛みがカラシニコフの心をよぎりもしたい。
そんな一天に曇りもないノー天気な映画です。
ロシア礼賛なのも、ちょっと引っかかりますね。
最高のプロパガンダ映画
ミーシャことミハイル・カラシニコフは、追放農民出身の戦車軍曹です。
初めてのモスクワについウロウロと辺りを見回してしまい、女性とのダンスの踊り方も知らず、スープの飲み方だって背を丸めて犬食いしてしまう、まるで垢抜けない青年。そんなミーシャが純朴さだけで銃を設計し、ついに史上最高の自動小銃AK47を発明してしまう……というお話です。
細部が非常によく描写されている映画だな、と感じました。
スターリン時代のソ連は、気を抜けばいつ秘密警察に密告されてしまうか分かりません。その上、共産主義国家特有の官僚機構がミーシャの行く手を遮ります。実際に彼の兄も秘密警察に逮捕され、護送車両に乗せられています。
また、ミーシャは学歴などまったくない、ただの発明家です。手先は器用で斬新なアイディアも持っているけれど、専門的な教育を受けたわけではないため製図が一切できないという欠点があります。そのあたりも作中できっちり説明しています。
そんなミーシャの人物像や実際にあったエピソードが、それぞれ丁度いい尺で丁寧に描かれています。そしてミーシャの行動や性格は、どこか『フォレスト・ガンプ』に共通するものがあります。そういえばミーシャもガンプも、「農村部出身」ということでは共通しています。
ミーシャは穏やかで、好奇心旺盛で、極めて純粋な男。それは間違いありません。この人は晩年、日本から来たジャーナリストや萌系ミリタリー雑誌の編集者を自宅に招待したりもしています。敵国の銃器技術者ユージン・ストーナー(アーマライトAR15・M16の開発者)とすぐに友情を築くことができたのも、ミーシャの純朴さがあったからに他なりません。
ただ、やっぱりこの映画はロシアのプロパガンダ映画です。
農村出身の純朴な男は、それ故に都会育ちの人間よりも不器用です。年老いた際につきまとう「孤独故の哀愁」や、自分の人生の中で行ったことに対する後悔を紛らわせるのが苦手です。実際のミーシャは、AK47が世界各国の紛争の種になってしまったことを悔いていました。外国のジャーナリストに「私は銃ではなく芝刈り機を作っていればよかった」とほのめかしていたことは有名ですし、ロシア正教会のキリル総主教に告解の手紙を出していました。
もちろん、ミーシャに非は一切ありません。彼は祖国を守るために銃を作ったに過ぎません。ところが、いや、それ故に純朴で真面目過ぎるミーシャは、ひとりでに湧いて出る後悔の念を適当な道楽や気楽な余生で中和するということが一切できなかったのです。彼が酒に逃げたという話も一切聞きませんから、もしも生まれた時代が中世なら修道士か神父になっていたほどの潔白さを持っていたのではと思います。スダエフの冗談を真に受けてしまうシーンにも、それが現れています(この映画の制作陣は、ミーシャの性格をよく理解していますね)。
しつこいようですが、そのせいでミーシャは他の誰よりも「老いの悲しみ」に押し潰されていたはずです。これがピカソみたいなスケコマシジジイだったら、そんな心配なんかする必要はありません。敢えて強調しますが、純粋真っ直ぐなミーシャはそれが全っっっっっっ然できなかったんです!!!
映画にはそのことが一切描写されていません。AK47を装備した兵士と対面して祖国万歳、という終わり方です。
「老いの悲しみ」は「愛国心」や「祖国への貢献」などとは比べものにならないほど重いものなのに、やはりプロパガンダ映画である限りはそれが描けません。
故にこの作品は「最高のプロパガンダ映画」と評価するしかありません。
新しい自動小銃の発明者を珍しく?主人公に据えたロシア映画
第二次世界大戦後、ソ連その他世界で広く使われた自動小銃AK-47の設計者ミハイル・カラシニコフの自伝的な映画。本人(ユーリー・ボドロフ)及び仲間の軍隊経験からナチスを倒すために新しい銃を造ろうとするのだが、完成前に終戦になってしまうのが悲しい。また何度もコンテストに挑戦するも、優勝出来ず量産化に至らないのにはリアリティを感じた。
主人公は学歴無く、設計図も全く書けず。それを描いてくれたオルガ・ラーマン演じる女性技師(未婚の娘持ち)と取って付けた様な恋愛模様替と思ったが、何と事実らしい。また、学がない人間が、世界中で愛用される様な傑作小銃を産み出すのが、面白いところ。そして、ソ連がその学無き天才を国家的に、チームを作ってしっかりとサポートするところに驚かされた。残念だが、日本の武器設計よりも、ずっと上か。そもそも、零戦とかは別にして、こういう武器設計者のサクセスストーリーは皆無で、日本の銃器設計は殆ど重要視されてなかった?
後に、このAK-47、もしくは類似銃がテロリストに愛され、多くの罪なき人間の命を奪ったらしく、長生き(94歳で死去)したカラシニコフはそのことに大きな苦悩を覚えたらしい。
コンスタンティン・ブスロフ監督による2020年制作のロシア映画。
脚本はセルゲイ・ボドロフ及びアナトリー・ウソフ、撮影はマキシム・シンコレンコ。
出演は、ユーリー・ボリソフ、オルガ・ラーマン、アルトゥール・スモリアニノフ、
マクシム・ビットゥコフ、バレリー・バリノフ、ビタリ・カエフ。
機械設計のアイデアマン
ほぼ、AK47のプロジェクトX的な感じだが、多少なり銃や機械に興味のある男子なら楽しめるはず。
カラシニコフさんは、追放農家の生まれで学校も7年生で中退だったんですね。文字の読み書きすら怪しく製図はもちろん書けない。でも、機械構造のアイデアマンだった。今までにない設計思想やアプローチは、従来の知識や小手先のテクニックを持ち合わせてないからこそのものだったのかもしれません。
学のないカラシニコフが認められ、何度も挫折しながらも周りの期待が彼を成長させAK47までたどり着くまでの流れは、当時のロシアの風通しの良さを感じさせます。
ひとつ気になったのは、カラシニコフの実家はアルタイからシベリアに追放されてるのに、実家がアルタイにあることになっていること。追放農家の出であることはセリフで触れられているのに、アルタイのままでは不自然すぎる。
47年式の悲劇。残酷ながらも美しい映像
内容は1941〜1947年頃の旧ロシアのソ連邦での自動小銃開発に関する人物を取り巻くお話。兎に角映像の美しさに目を見張る。故郷を出て行き故郷に凱旋するベタな作りも良いし美しい大自然の祖国を守るが為に自動小銃を開発し後に世界を巻き込む事態になる罪深くも悲しい話だった様に感じました。印象に残った言葉は『アフタマート(自動小銃)』映像では天才や神の子供の様に描かれたカラシニコフの表現が印象的。カラシニコフ松本仁一著によると『銃が悪いのでは無い。使う人の問題だ!』晩年は『私が開発した自動小銃がロシアだけでなく海外からも評価されている。金などなくても私はそれだけで十分だ』の発言は誰しもが持つ純粋な探究心の表れではないのかと感じる。まさにジブリアニメ風立ちぬを思い出させる。また相剋する矛盾に悩まされながらも格闘する姿勢は、視聴者に譲歩した様に自分は感じる。故郷アルタイ地方の景色が言葉を無くすほど美しかった。凄い映画は面白く無くていいと感じました。
天才的技術者のお話
戦争や兵器に詳しくない者でも何かにつけカラシニコフの名前は聞く。世界中のテロリストご用達の武器ではないかという考えもあるだろう。しかし、特に技術者としてはどう優れているのか、どう開発されたのか気になる。
技術的な話は期待したほどではなかったが、
継ぎ目、部品を減らしてトラブルの元を減らす。直感的に組み立てられる。高いロバスト性。そんなことが映画の中でも強調されてた。
分かる。砂を吐きながら撃ち続けるAK-47。ベトナム戦争時、米兵は自国のM16よりベトコンから奪ったAK47を使いたがったというのも分かる。実戦を熟知しているのは強い。教育の無さが古い価値観にとらわれない発想を生んだ面もあるだろう。
科学の世界でも共産党の権力闘争の中でルイセンコ学説が出てきたりしてたので技術者も色々あったんではなかろうか。映画では割とすんなり出世するが本当はどうなんだろう。
軍の上司、権威ある設計者も優れた現物の前では脱帽するしかなかった。
技術者の世界はこうでであって欲しい。
可もなく不可もなく
ミリタリー好きならおなじみ、映画で悪役が持っていたり、紛争地帯のニュース映像で誰もが1度は目にしたことがあるであろう、世界一有名な銃と言っても過言ではないAK47の誕生物語。
アマプラにあったので何となく観てみましたが、それなりに楽しめました。ただし、AK47の開発物語というより、開発者(主人公)がAK47を開発するに至るまでの半生をメインに描いた作品であり、AK47そのものは終盤にちょろっと出てくるだけです。AK47開発の試行錯誤や苦労話なんかを深堀りした内容を期待していたのでちょっとタイトルに騙されました。
良くも悪くもプロジェクトX
「世紀の凶銃」の開発秘話を知って勉強になったなーという半面、ドラマとしては淡々と大した盛り上がりもなく終わった。学のない天才が幾多の苦難を乗り越えて、という盛り上げ甲斐のある話なのになんでだろう…挫折シーンですぐ協力者が現れ大した挫折に見えないからかもしれん。まあ実在の関係者を悪く言えないし、やはり国策映画ということか…
余談だが自動小銃の個性とは(性能はさておき)結局弾倉のデザインなのだね。人間工学的にはほぼ同じものになるはずなのに弾倉だけ位置や形が極端に異なるのは国民性と関係あるのかね。(TAMIYAに洗脳されてる身としてはMP40こそが王道に見えてしまうが)弾倉を湾曲させた経緯など出てくるともっと刺さったかもなぁ。
さらに余談だが砂が入っても壊れない銃なのにBackToTheFutureでは肝心な時に詰まってたぞ(難癖)
愛されて72年
ただ今は絶賛TSUTAYAのレンタル無限ループにハマってます
借りる→宣伝→本編→返す
↑ ↓
返す←本編←宣伝←借りる
で、この作品に出会えました
ロシア映画はなかなか手を出さなかったのですが実話や伝記映画にはかなり興味があるのでついつい借りてきてしまいました
カラシニコフってこんなに昔から使われていたのですね
ベトナム戦争や『ランボー』の敵とかあまりいいイメージのない自動小銃ですがとても優秀なものなのですね
中学高校くらいの時は銃にかなり興味があったのですがここ最近の映画に出てくる銃火器はほとんどわからないくらい多種多様ですねー
『リーサル・ウェポン』や『ダイ・ハード』のベレッタくらいで頭の中は止まってますね
しかしこのAK-47はそのもっと前に作られているのにいまだに現役で世界中に存在するのだからとてつもない武器なのですね、敬意を払いたいと思います
といっても日本じゃ本物を遠目で見ることすら出来ないでしょうけれどそこはま〜とりあえず平和って事でいいですよね
あと何年この平和か続くのだろうか、仮に敵が日本に来ても一般人で抵抗しようなんて人もそうはいないのかも
どっぷり平和に使ってますからね私達は
お国の為などと言う人もねーあんまりいないのてしょうね
カラシニコフって人の名前だったんだな〜
本作品は好きになれない
ロシア人から「祖国」という言葉を取り上げたら、他にどんなテーマが残っているのだろうか。そう思うほどロシア文学やロシア映画には「祖国」という言葉が多く出てくる。「我が祖国」「愛する祖国」「祖国のために」といった具合だ。「祖国」の象徴はスターリンではなく「ロシアの民衆」だ。ロシアでは「祖国のために」尽力するという言い方がいまでも日常的に使われるようだ。
日本では戦前の「お国」という言葉に当たるのだろうか。日本では「ロシアの民衆」の代わりに「天皇陛下」が「お国」の象徴である。天皇陛下の国ということで「皇国」という言葉も使われた。しかし日本では「お国のために」という言葉は「非国民」という言葉同様、もう殆ど使われない。スポーツの日本代表選手が「お国のために」頑張りますとは言わないだろう。代わりに「日の丸を背負って」といった言い方はするが、国のために頑張るという意味ではない。そもそも国のために頑張るといっても、具体的なイメージが湧かない。それよりも協力しくれる人や応援してくれる人だとか、自分のために頑張るといったことのほうがわかりやすい。現代では、スポーツ選手が負けても日本の名誉を傷つけたということにはならない。しかし戦前は違ったのかもしれない。
さて本作品は「祖国のために」武器を開発する話である。戦線で多くの人間を殺してきたミハイル・カラシニコフが、壊れにくくてどんな状況でも撃てる銃を目指して作ったのがアサルトライフルAK-47である。ソ連軍の制式銃だ。同じアサルトライフルでもアメリカ軍の制式銃はゴルゴ13でお馴染みのM16である。イスラム教の過激派は反アメリカ主義が多く、必然的にロシア製のAK-47を使うことになる。砂漠の砂にまみれても撃てる銃だから、場所柄からして重宝するのだろう。
武器の目的は他人を殺傷することである。カラシニコフは「祖国のために」と言いつつ、結局は自分の承認欲求を満たすために優れた武器の開発をした。戦争が終わると武器開発ができなくなると危ぶんだほどの武器開発オタクである。カラシニコフの頭には殺される人やその家族のことなど少しも浮かばないのだろう。
オクテの恋物語も銃開発のライバルも「祖国のために」という偽善の上にドラマがあるような気がして、鑑賞中にずっと違和感を感じていた。銃に限らず、武器開発者というのは人間や人類に対する想像力が欠如した武器オタクなのかもしれない。沢山の人を殺してきたカラシニコフが自分の子供の誕生を喜ぶのは偽善である。同じような偽善をアメリカのトランプ支持者にも感じる。全米ライフル協会がトランプを支持するのは、最後は武器で紛争を解決すればいいという戦争主義の精神性のためである。そしてミリシアを始めとする武装した市民たちも、カラシニコフと同様に人間や人類の不幸にかかわる想像力が欠如している。
自分が正しくて相手が間違っているという主張は、相手は悪だ、悪は敵だ、敵は殲滅しなければならないという短絡的な結論に陥る。自分と他人の主張が異なっていても、相手がそれを主張する権利を認めなければならない。言論の自由である。こちらにも言論の自由があるから、互いに話し合って解決策を決める。それが議会制民主主義だ。武器というものは究極のところ民主主義を否定し、人間の自由を否定するものだ。本作品は好きになれない。
戦争映画ではなく、銃作りに関わる主人公の人生ドラマ
主人公葛藤や悩みなどを掘り下げたりせず、おばかさん?キャラ的なところが垣間見れて、重くはなく軽いタッチで楽しめました。激しい音楽や場面が無い割に眠くならなかったので、展開の仕方が良いのでしょう。先日見た”キーパー”みたい、サッカーを銃に置き換え、軽い仕上がりにしたような感じです。
アサルトライフル界の生ける伝説!?
世界で最も生産されたと言われるアサルトライフル、AK-47の誕生までを描いた物語。
純粋な戦争映画というよりは、武器誕生についての映画なので、ドキュメンタリー風な作品なのかと思いそれほど期待していなかったが、開発者に焦点を当てたドラマ作品となっておりとても面白かった。
AK-47と言えば、映画や中東のニュースなどで誰でも一度は目にしたことのある銃だと思うけど、このような過程を踏んで作られていたとは知らなかった。
映画序盤で開発された銃は、「俺の知っているAK-47とは違う!」、「これ寧ろトンプソン!?」といったような形状で驚いた。その後、大会での敗戦、不採用を経て改良が重ねられ、どんどんとご存じのAK-47へと近づいていく。
勿論AK-47自体だけでなく、開発者のカラシニコフについてのドラマもグッド。
天才ゆえに、一度の失敗で大きく自信を無くしてしまったり、武器開発中に、勝利とは言え終戦を迎えたことの複雑な心情も良く描かれいた。
どうでも良いけど皆さん、勝利を祝う気持ちはわかるけど、銃ぶっ放して喜ぶのは危険すぎでは(笑)
その他にも、何となく嫌~な秘密警察とのやり取りで見せた思わぬ一面、開発の好敵手が言った、「過去の遺産」の話も、短いシーンとはいえグッと来た。
テンポもよく、銃開発という中々無いような内容の映画でありながら観易く、とても面白かった。
そんなワタクシ、もうだいぶ前になるが、初めて参加したサバゲーでAK-47を選んで闘った思い出。なんか見た目にビビっときたんですよね。
云十年も前に開発された銃でありながら、現在も使われており、遠い国日本の若者(当時)の心をも掴むAK-47って凄いんだなぁ~と改めて思った。
ど素人の発明
歴史上最も人を殺した銃と呼ばれ、1949年のロシア軍採用から60年以上経った現在でも、ゲリラ等には現役で使用されているアサルトライフル「AK-47」の誕生までの物語と、開発者ミハイル・カラシニコフの話。
ってことで、AK-47といわれてもピンと来ない人にはホワッツ?なお話しですね。
因みにAK-47は、映画なんかで東欧系の人が良く持っている、木製の銃床に木製の先台、前方に湾曲した弾倉に先端のえぐれた様な形状のガスポート(バレルの上の部品)のマシンガンですね。まあ、現在は改良型のAKMが殆どですが。
興味ない人にはどうでも良い情報ですね。
本題の映画としては、1941年に前線で負傷して帰還途上のカラシニコフが、配備されたばかりのPPSh-41(マンドリン)と思しきサブマシンガンの装填不良により上官が負傷するのを目にして、自ら制作を決意し巻き起こって行くストーリー。
子供の頃に、趣味でクロスボウや散弾銃をつくって遊んでいたとか、鉄道機関区に務めていたときに銃を自作してクビになったとかどんなだよ!というエピソードをみせながら、製図すら出来ないけれど、ポンチ絵を元に仲間の力を借りて試作品を制作しと展開していく。
AK-47に至るまでの複数の試作とコンテストと挫折と恋愛と、を繰り返しみせていく単純な内容で、何の捻りも無いけれど、少々とはいえAK-47に興味があったし、こういう〇〇が出来るまで、みたいな物語が好きな自分には、なかなか面白かった。
シンプルゆえの
人生の選択が切ない。
冒頭、防衛の前線に送り込まれた戦車兵カラシニコフの果敢な戦闘。向かってくる敵と直面し、信頼できる武器が欲しいという想いが強まる。彼は前線にいたからこそ、仲間を失い、信頼できる小銃器を実現させたいという願いが強まった。
ところが、本編中盤、そのときの経験や想いではなく、幼少時の記憶しか登場しない。これが薄寒い。カラシニコフ本人というより、人間誰しもが持つ知的興味や捕食者的な一面だ。家族を愛し、仲間と協力し合える面を持ちながら。
実に人間的。そして、登場する多くの人々がたくましい。
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