劇場公開日 2020年10月9日

「本作品は好きになれない」AK-47 最強の銃 誕生の秘密 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0本作品は好きになれない

2020年11月10日
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鑑賞方法:映画館

 ロシア人から「祖国」という言葉を取り上げたら、他にどんなテーマが残っているのだろうか。そう思うほどロシア文学やロシア映画には「祖国」という言葉が多く出てくる。「我が祖国」「愛する祖国」「祖国のために」といった具合だ。「祖国」の象徴はスターリンではなく「ロシアの民衆」だ。ロシアでは「祖国のために」尽力するという言い方がいまでも日常的に使われるようだ。
 日本では戦前の「お国」という言葉に当たるのだろうか。日本では「ロシアの民衆」の代わりに「天皇陛下」が「お国」の象徴である。天皇陛下の国ということで「皇国」という言葉も使われた。しかし日本では「お国のために」という言葉は「非国民」という言葉同様、もう殆ど使われない。スポーツの日本代表選手が「お国のために」頑張りますとは言わないだろう。代わりに「日の丸を背負って」といった言い方はするが、国のために頑張るという意味ではない。そもそも国のために頑張るといっても、具体的なイメージが湧かない。それよりも協力しくれる人や応援してくれる人だとか、自分のために頑張るといったことのほうがわかりやすい。現代では、スポーツ選手が負けても日本の名誉を傷つけたということにはならない。しかし戦前は違ったのかもしれない。

 さて本作品は「祖国のために」武器を開発する話である。戦線で多くの人間を殺してきたミハイル・カラシニコフが、壊れにくくてどんな状況でも撃てる銃を目指して作ったのがアサルトライフルAK-47である。ソ連軍の制式銃だ。同じアサルトライフルでもアメリカ軍の制式銃はゴルゴ13でお馴染みのM16である。イスラム教の過激派は反アメリカ主義が多く、必然的にロシア製のAK-47を使うことになる。砂漠の砂にまみれても撃てる銃だから、場所柄からして重宝するのだろう。
 武器の目的は他人を殺傷することである。カラシニコフは「祖国のために」と言いつつ、結局は自分の承認欲求を満たすために優れた武器の開発をした。戦争が終わると武器開発ができなくなると危ぶんだほどの武器開発オタクである。カラシニコフの頭には殺される人やその家族のことなど少しも浮かばないのだろう。
 オクテの恋物語も銃開発のライバルも「祖国のために」という偽善の上にドラマがあるような気がして、鑑賞中にずっと違和感を感じていた。銃に限らず、武器開発者というのは人間や人類に対する想像力が欠如した武器オタクなのかもしれない。沢山の人を殺してきたカラシニコフが自分の子供の誕生を喜ぶのは偽善である。同じような偽善をアメリカのトランプ支持者にも感じる。全米ライフル協会がトランプを支持するのは、最後は武器で紛争を解決すればいいという戦争主義の精神性のためである。そしてミリシアを始めとする武装した市民たちも、カラシニコフと同様に人間や人類の不幸にかかわる想像力が欠如している。
 自分が正しくて相手が間違っているという主張は、相手は悪だ、悪は敵だ、敵は殲滅しなければならないという短絡的な結論に陥る。自分と他人の主張が異なっていても、相手がそれを主張する権利を認めなければならない。言論の自由である。こちらにも言論の自由があるから、互いに話し合って解決策を決める。それが議会制民主主義だ。武器というものは究極のところ民主主義を否定し、人間の自由を否定するものだ。本作品は好きになれない。

耶馬英彦