ベイビー・ブローカーのレビュー・感想・評価
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見終われば良かったと思えるが。
とにかく最初は 女刑事二人が口に食べ物を頬張りながらしかもさらに口に詰め込みながら喋るのが耳障りで不愉快で、韓国の飲食作法の相違を嫌と言うほど見せつけられた。
その上 赤ん坊の母親である女性の立ち振る舞いも 見ていて決して心地いいものじゃない。
と、姑婆婆 の言うようなことを言ってしまう私はまさにもう姑婆婆の域である。
日本人は根本的に立ち居振る舞いが違うのだ。
初っ端の 父親の 金金 と言って暴れる様も なんだろう、これは是枝監督の意向なのかは不明なんだけれど
見ていて 日韓の根本的な違いを感じる。
車にこっそり乗り込んだ少年が海岸で用を足すのも
あれは日本人は如何なる場合もトイレに駆け込むのが自然であるように思うので甚だ違和感 なのである。
それと言うのも 顔が似ていて
韓国人と日本人は、ほぼ同種の人も多く 言ってみれば彼らは、飛鳥期か 平安期か 安土桃山期か はたまた 明治か昭和か 渡来して来た時期の差異でしかないわけで、その 面が似た彼らの生活様式がここまで違うと なんだかなあと思ってしまうのだ。
顔がインド人や中東系もしくは白人なら ここまで気にならないのかもしれない。
ストーリーに戻って。
この物語で子を売買する彼らの 根底にあるのは善良であって、海外に転売させる(非常に悪意ある行動)事はなんとしてでも防ぐ、という心意気を持っている。
昔 日本においても 実子として子を斡旋していた産婦人科医師があった。(菊田医師事件)
彼の行いは その事件当時においても賛否に分かれて世間は激論を繰り広げた。
法に反している それは先刻承知だ 承知しているが
子の幸せを願う実子としての斡旋を 医師という立場にあっても 行っていたのだ。
いちいち外れてしまう話をまた戻す。
クリーニング屋のバツイチ前科者親父
擁護施設出身の教会勤務の若者
赤ん坊 赤ん坊の母親 施設を抜け出した少年
の五人が織りなす万引き家族的な集合体の
根底が善良で お互いを思いやる気持ちに 見ている側が 引き込まれて行く。
地下に住んで金持ち夫婦を貶めていくあの話とは 精神の根底が違うので 視聴後の気持ちはやはり圧倒的にこっちが良いのである。
家族とは。血のつながりとは。
“赤ちゃんの人身売買”というワードだけを聞くと極悪人の物語かと思ってしまうが、さすが是枝監督。
とても繊細で美しい物語だった。
子供を捨てた母親、
ベイビーブローカーの2人、
女刑事、
施設の男の子。
みんなそれぞれ“家族”というものに対して闇を抱えている。
その背景を物語の中で自然と紐解かれていく様が見事だった。
ソンガンホの演技は言うまでもなく、その他の俳優さんたちも本当に素晴らしい演技力だったが、その中でも群を抜いていたのは施設からついてきたあの男の子。
あの子がバンに乗り込んできてから、空気が一変。
どんどん重くなるストーリーのはずなのに、どこかクスッと笑えて安心感を与えてくれた。
しかも、ただの無邪気な子供ではなく、“施設育ちの子供が擬似家族との触れ合いを心から楽しんでいる子供”を見事に演じ切っていて、洗車機ではしゃぐ姿、大人に甘える姿に本当に胸を打たれた。
観覧車でのソンガンホとのやりとりは名シーンだと思う。
最後、やっぱりハッピーエンドとはいかなかったか、、と思わせられたが、ウソンは施設にはいかず刑事夫婦に引き取られ幸せに育っていて、あの養子希望だった夫婦も本当に優しい人たちで、それぞれしっかり人生を歩んでいて安心した。
最後、、あのクリーニング屋さんに乗ってた車の主は誰だろう?
ソンヒョンであってほしいし、ドンスであってほしい。
もう一度、あの5人で集まって今度こそみんなで幸せに暮らして欲しいと心から思った。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
「生まれてきてくれて、ありがとう」は、鑑賞者に対しても言っていること、メッセージなんだと思う。そうじゃなければ、あのシーンでわざわざ電気を消させない。彼らは目を閉じるのではなくて、(劇場の中と同じように)部屋の電気を消す選択をした。この一言で鑑賞していた私も、なにかあたたかいものに包まれるような体験をした。
若く、素行荒い、子育てしない、母親としての責任をもっていない(と思われた)彼女が、横になって静かに語りかける時に、滲み出る母性を感じた。母親の宿命だろうか。この落差が素晴らしい。
ソン・ガンホは嫌がり、ヘジンもじゃあいいという。でもドンスは言って欲しそうにしているのが興味深い。
牧師ブローカーは根が良いところがあり、もう1人のブローカーの歪みも...
牧師ブローカーは根が良いところがあり、もう1人のブローカーの歪みも理由あってのものとわかってからは、ブローカー2名&母子&乱入子の擬似家族の無事を祈る程度に観入っていたが、なんか消化不良というか、もう一度観たいと思うような、そこまで魅かれるものはなかったかな…
警察が仕掛けた偽夫婦にカマかけて転売屋だと疑って拒否したり、赤ちゃんを良い親に渡そうとするところは良かったけど、自らも実の娘と別れて暮らす痛みが本物なら、そもそもなんでブローカーなんてしてんの?お金のため?それにしてはって感じだし、
人は誰でも、悪人100%善人100%だけの人なんていないと思ってるけど、
自分の子は愛おしいと思う/自分が母に捨てられた痛みを持つ2人が、赤ちゃんポストに入れられる子をかすめ取って、少しでも高く売ろうとするブローカーをやってる背景は描いて欲しかったかな…
真実のときもそう思ったけど、何を描きたかった映画なんだろう…
歩いても歩いても
海街Diary
そして父になる
あたりの作品は好きなのだが、
万引き家族以降、狙いすぎている気もしてしまう。
空気人形にも出ていた女優さん、髪型も服装もイケてないのに女性としての存在感がすごくてさすがだなと思った。
最後、牧師ブローカーの行方を明確にしないのはなぜ?
あの車を出すということは生きてるってこと?でも誰も彼とはつながってなさそうだったのに、あそこに居るはずがないし。中途半端なモヤモヤが残ってしまいました。
皆さんのレビュー読んでどんな感じ方があるのか観てみたいと思います。
一言「愛あればこそ」。
ラストが納得いかん(何がか忘れたけど)
父親の責任は?ねえ父親は?射精だけして知らん顔できる男の責任は???
予測はしてたが、結局産んだ方を責めるのねー、という気持ち。ま、ここまでは予想はしてた。
で、この話をどう収めるんかやで、と思ってました。
以下適当にオチをメモ。
(すみません役名覚えられない、ソンガンホとペドゥナ以外は役者名も覚えてないので呼び名がひどいです)
ソンガンホ氏は知り合いの息子のヤクザくんを殺してドロン
ウソンの母は、ペドゥナがウソンを預かる条件で自首した
ソンガンホの相棒の男前は人身売買で逮捕
ペドゥナは仕事辞めて?ウソンを夫と育てていて、出所したウソン母にメールかなんかで会おうって言った?
相棒の男前と、施設からついてきた海進(読み方忘れた)は呼んでるから!
出所後のウソン母はガソスタで働いてて仕事終わりにどっか走って行った。ペドゥナ達とあう?
海進はヒッチハイクしてだけど知り合いに見つかった?ペドゥナ達のところに連れてってもらえる?
ウソン母をたぶんハイエースみたいな車から見てる人が多分ソンガンホよね?白黒証明写真をバックミラーに吊ってたし…
......
ここまで書いてだいぶ放置してたら、何に納得いかんかったか忘れました。
楽しくは見れたけど、ほんとに何かに怒ってたんよね…時間があれば見直して何に怒ってたか確認したいです。
どうなる赤ちゃん
悲しく温かい物語。ソンガンホは何をやっても上手い
ソン・ガンホ対ぺ・ドュナ
「壊れて傷んでも、その中にはしばしば美しい瞬間がある。それをすくい上げたかった」
是枝監督が『万引き家族』で言っていたこと。本作も同じ匂いがする。
美しい瞬間を紡ぎだすもの。
ソン・ガンホの不器用な優しさ。
彼の相棒が、産みの母親に言う「父親になってもいいよ」というひとこと。
一人一人に、「生まれてくれてありがとう」と伝える、疑似家族の男の子。
おむつ替えやボタン付けをするソン・ガンホの、照れ隠しの表情。
観る側は、暗黙の了解の役割分担に動揺を隠せなくなる。
当事者視線では善、第三者視線では悪。ふたつの世界が静かに生息する。
村上春樹は、「ユーモアと優しさをもってしか語れない絶望と暗転がある」と言っている。
是枝監督は、ベイビーブローカー側の疑似家族を通して、そこを見事に表現している。
対ソン・ガンホは、美しい瞬間は幻想にすぎない、と言いたげに彼らを追う女刑事役のぺ・ドュナ。
彼女の鋭利な刃のような現実感が、幻想との間で切なくも揺れ動く。
赤ちゃんポストに入れられた新生児を売り渡す人身売買グループ。 もち...
神演技
男の責任不在感
万引き家族に続き、疑似家族の描き方は悪くない。だが気になるのは圧倒的な父親の責任不在感でこの点においては「万引き家族」「そして父になる」より退化している。
まだ若いソヨンを妊娠させておいて、しかも中絶させようとしたウソンの「生物学的父親」の責任についてはほとんど言及されない。いくら殺されている(個人的には正当防衛の部類だと思う)とはいえ、そもそも女性を「金で買って妊娠させた」男の責任が全く言及されないのは気持ちが悪い。売春しないと生活できない女性は福祉につなげるべきであって「買う」べきではない。
子どもを捨てようとしている母親であるスジンを、親に捨てられているとはいえ無関係の、それも成人男性であるドンスが一方的に「赦す」のも気に食わない。母親であるスジンを赦すも赦さないもその権利があるのは子供であるウソンだけだ。
サンヒョンに対してもう会いに来るなという娘。その背景くらいは軽く触れて良かったのではないか。娘に会えなくなった父親の哀愁にばかりスポットを当てるのではなく、娘にも会いたくない理由がそれなりにあるはずだ。
最終的なウソンの処遇もイ刑事の母性に頼るのか。ここも男の責任不在。刑事としてのキャリアは?福祉機能しろ。なんだかいい話風にまとめてるけど妊娠出産において女ばかりが責任を負わされる現実を登場人物が疑問を抱かずにいてげんなりした。
ヘジンの子役が演技とは思えない傍若無人さで、そこが子供らしくてよかった。しかしトイレの後は手くらい洗え。海で手をすすげ。その手でウソンに触るんじゃない。
いろいろと言いたいことはあるが、ウソンの可愛さで★3つ。
是枝監督の優しい目線
遅ればせながら鑑賞 心温まる作品でした
福引き家族
“家族”である。是枝裕和の興味は最近これにつきるようだ。パルムドールに輝いた『万引き家族』に引き続き両親に捨てられた元子供たち&現子供たちが疑似家族を形成する物語から、是枝は一体何を描こうとしたのだろう。相模原市の施設で起きた障害者大量殺傷事件(2016年)に大層心を傷めた是枝は、この世界で“生まれてくる価値のない人間なんて果たしているのだろうか”という人類の根源的な問題にとりつかれているのである。
『万引き家族』の主人公役安藤サクラが警察の取り調べに対し「捨てたんじゃない拾ったんだよ」と答える印象的なシーンを覚えていらっしゃるだろうか。バアちゃん(樹木希林)の死体遺棄罪の是非を世に問うた場面である。暴力団組長の父親を殺害し逃亡するため邪魔になった赤ちゃんをポストに捨てた愛人の元売春婦ソヨン(イ・ジウン)。赤ちゃんの有償養子縁組先をサン・ヒョン(ソン・ガンホ)と一緒に探し回る元捨て子のドンス(カン・ドウォン)が似たようなことを口走る場面に注目したい。
なかなか縁組先が決まらずイラつくソヨンに対し、ドンスがこう言って慰めるのである。「捨てたんじゃない。(死んだパトロンが属していた暴力団から)守ろうとしたんじゃないのか」と。邪魔になったからといって我が子を捨てる母親なんているわけがない、そこにはソヨンのようにのっぴきならない事情がきっとあったにちがいない。是枝裕和はやはり、あくまでも人間の性善説を信じる日本人らしい映画監督なのである。
現行犯逮捕を目論むペ・ドゥナふんする女刑事の追跡を受けながら-、サン・ヒョン、ドンス、ソヨン、赤ちゃん、そしてドンスが働いている孤児院から脱走してきた子供まで加わって、サン・ヒョンの運転するオンボロワンボックスの中は、さながら疑似親子のように和気藹々とした雰囲気に満たされていく。その関係性は、血のつながつてない家族を描いた前々作と全く同じといってもよいだろう。後部ドアが壊れて開いたり閉まったりするこのワンボックス、母親の胎内(子宮)をイメージしていたのではないだろうか。
ようやく有望な売り先が見つかりホット一安心のメンバー一人一人に、(暗闇の中で)「生まれてきてくれてありがとう」と声をかけていくソヨンは、ワンボックスの子宮から生まれた赤ちゃんに語りかける聖母さながら。その警察と内緒で司法取引したソヨンのせいで、赤ちゃんの養子縁組は結局失敗に終わる。しかし、是枝はラストを『万引き家族』とは真逆のハッピーエンドに無理やりにでもねじ曲げるのである。『パラサイト』同様雲隠れしていたサン・ヒョンのみならず、疑似家族はさらに人数を増やし、売られようとした赤ちゃんの成長をあくまでも見届けようとするのである。
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