「私的3つの弱点を感じるも、終盤のシーンの到達にやはり素晴らしい映画であるとは」ベイビー・ブローカー komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
私的3つの弱点を感じるも、終盤のシーンの到達にやはり素晴らしい映画であるとは
(完全ネタバレですので、必ず映画を見てから読んで下さい)
個人的にはこの映画『ベイビー・ブローカー』には以下の3つの弱点を感じました。
1.養護施設出身の人(ユン・ドンス)が赤ちゃんブローカーに関わるだろうか?
2.例えどんな善良な夫婦だとしても、相手の素性を良く知らないまま養子を引き取るなどあるだろうか?
3.女性刑事の描き方が中途半端になっていたのでは?
1.の問題は、(私はよく理解出来ていなかったのですが)赤ちゃんポストで赤ちゃんを迎えに来るというメッセージが添えられていた場合に、その赤ちゃんは親の迎えを待つために養子縁組はされずずっと施設に預けられる。
しかし大抵の親はそのメッセージに反して赤ちゃんを迎えに来ず、それは不幸だ、というのが、養護施設出身のユン・ドンス(カン・ドンウォンさん)がブローカーに関わる理由だったようです。
しかし、その描かれ方はサラリとしていてしっかりと伝わって来ていませんでした。
この解釈(親が迎えに来るメッセージが添えられた赤ちゃんは逆に見捨てられ不幸になる)の動機のまま、養護施設出身のドンスの行動を理解すると、ドンスは100%善意の人になってしまいます。
しかし、100%善意の人が赤ちゃんブローカーに関わることはあるのでしょうか?
もっと別の安全で公にも褒められるやり方を選択していたのではないかと思われます。
つまり養護施設出身のドンスが赤ちゃんブローカーに関わるのであれば、100%善意でない別の理由が必要だったと思われます。
それが明確に描かれているとは思えませんでした。
2.の問題は、例え善良な夫婦だとしても相手の素性を良く知らないまま養子を引き取るなどあるだろうか?の問題です。
今回は特に殺人犯の赤ちゃん(子)になります。
どんなに善意な人であっても、殺人犯の子を自身の子として赤ちゃんから育てるというのは相当な乗り越えが必要だと思われます。
親の素性が良く分からない赤ちゃんを引き取る夫婦はいるのだろうか‥の疑問に対して、この映画では明確に答えられているとは思えませんでした。
3.の問題は、女性刑事の描き方の問題です。
アン・スジン刑事(ペ・ドゥナさん)とイ刑事(イ・ジュヨンさん)は、赤ちゃんブローカーであるハ・サンヒョン(ソン・ガンホさん)とドンスを逮捕するために、赤ちゃんの親のム・ソヨン(イ・ジウンさん)とも内通しながら尾行しています。
スジン刑事・イ刑事の2人は、サンヒョンやドンスが赤ちゃんを売らなければその罪で逮捕できないので、まるで女性刑事側が赤ちゃん売買に熱心かのような逆転現象が起きています。
ところで私はこの女性刑事の描かれ方が中途半端だな、とは思われました。
是枝監督の『万引き家族』では、(私の記憶が違ってなければ)刑事は最後以外は出て来ません。
なぜなら、『万引き家族』では、法的には万引きや子供誘拐の犯罪を行った”家族”を、そのような分かり易い法的な結論理解から先延ばしすることで、私達と変わらぬ人間であることを伝える必要があったからです。
そのために『万引き家族』での刑事の登場は最終盤に引き伸ばされる必要があったと思われます。
ところがこの映画『ベイビー・ブローカー』では、サンヒョンやドンスに関わるスジン刑事・イ刑事の2人の刑事は初っ端から出て来ます。
するとサンヒョンやドンスは(本当は)法的に犯罪の分かり易い結論に初めからさらされることになります。
犯罪者と刑事が双方出てきて、カットバック的に双方の事情を描いて、立体的に映画あるいはドラマを見せるのは全く普通のやり方です。
しかし是枝監督の作風としては、ドキュメンタリー風に登場人物の心情について行く表現方法なので、サンヒョンやドンスが主人公である限り、スジン刑事・イ刑事の描き方は比較的には風景的にならざるを得ません。
是枝監督の作風としては、犯人はこうだ、一方その頃刑事たちは!‥のような具体的で際立つカットバック的な描き方は全く合わないからです。
もちろん『万引き家族』のように刑事を最終盤以外は出さないという手もあったと思われます。
その方が分かり易くもっとサンヒョンやドンスや母親のソヨン達に感情移入が出来たかもしれません。
しかし是枝監督はもうそれは『万引き家族』でやったので、次の新たな表現のために今回の2人の刑事を初っ端からの登場させるやり方をしたと思われました。
ただ、であるなら、もっと特にスジン刑事の背景を(セリフでなく)具体的な描写で描く必要があったと思われます。
もちろんスジン刑事の背景は伝わりはしたのですが、場面の積み重なりとしては若干弱かったと思われました。
様々立場の人物の際立つカットバック的な描写は、是枝監督の作風を弱めてしまう危険性があり、だからこそ刑事の方の描写の踏み込みが(一見は描いてるようで)弱くなったように感じれらました。
(※あとは上で挙げた3点以外に、赤ちゃんブローカーに対する韓国社会としての立ち位置が正解なのかの疑問はありました。
私的には、韓国映画は最後暴力的で決断的、日本映画は曖昧だけど横断的、という一長一短があると感じています。
やはりその国で育った人は本当の意味で深度を分かっているその国で映画を撮った方が良いのではないか、との引っ掛かりはありました。)
ただしかし私的な様々な弱点をこの映画に感じながらも、観覧車の場面で、子を捨てる母親であるソヨンと、母から捨てられた子であるドンスが、疑似的な母子の会話を交わす場面は、感動する他なかったと思われます。
また、ホテルでソヨンが「生まれてきてくれてありがとう」と疑似的な母になって皆に伝える場面は、この映画の優れた到達を感じ、素晴らしい作品であったと言わざるを得ないと思われました。
観覧車の場面と最後のホテルの会話の場面に説得力があったのは、ひとえにそこまで積み重ねられた丹念な映画の時間があったからと思われました。
『ベイビー・ブローカー』は、私的弱点を感じられながらも、それを凌駕する素晴らしい作品であったことは間違いないと思われています。