ブータン 山の教室のレビュー・感想・評価
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むしろドキュメンタリーで見たい
映画の前半で描かれる気が遠くなるような旅の先に、本作の舞台であるブータン北部の集落ルナナがある。
たぶん自分がこの場所に行けと言われたらさすがに断るだろうと思うくらい、歩いても歩いても山を登っても登っても辿り着かないとんでもない場所。
ヒマラヤ山脈の標高4,800mの渓谷に実在し、同じ県の中心地ガサから先は車が入ることすらできず、険しい山道を何日もトレッキングしなければ辿り着かないというまさに辺境の地だ。
当然ながら電気なども通っておらず、テレビもねぇ、ラジオもねぇ、ケータイも繋がらねぇ、車すら見たことねぇっていうのを地でいく世界で、現代において信じられないほど他の地域社会と隔絶された山村である。
物語自体は、都会の若者ウゲンがもはややり甲斐を見失っている教師の仕事で嫌々ながら数ヶ月だけルナナを訪れることになり、そこで慎ましく生きる人々や子供たちとの心の交流や原体験によって、本当の幸せや生きる意味について見つめ直すという、わりとシンプルで使い古された内容ではある。
そんな映画の世界ではありきたりの物語を補って余りある魅力となっているのは、世界中探しても中々お目にかかれないルナナの雄大な大自然と、実際にそこに生きている子供たちの素人とは思えない名演だ。
この手つかずの絶景と純朴な子供たちの愛らしさが本作の最大の魅力であり、それによって生じる弊害は、周りにあるストーリーや出来事、台詞、ルナナ以外の場面で登場する物質的な事柄が、必要以上に"造りもの"に見えてしまうことだろう。
あらゆる情報や物質に満たされた人間がいくら感動的な物語に仕立てようとしたところで、ここでは無意味に思える。
そしてそれを覗き見て感動や刺激を手っ取り早く得ようとする私たちも、同じく色んなものに満たされながらもどこか満たされず何かを見失っている側の人間。
主人公のウゲンと同じである。
むしろただただ静かに彼らの生活を見つめ続けるドキュメンタリーが相応しいかも。
一方でこの作品の評価によって外界からの要求が増え、この地と村人たちの生活が毒されていくことだけは避けてほしいと心から願う。
映画そのものが"ブータン"!
映画的に新しい要素は何も無く、ストーリーすらありきたりである。
でも幸福感に満ち溢れた素晴らしい映画なのである!!
何も無いけど「幸せの真理だけは有る」、正に"ブータンという国"を表現した映画なのですね、行ってみたいなぁ
劇中では描かれてませんが、きっと主人公は"あの場所"に戻ったのでしょうね。
堅実・・!
以前、ブータンの首相(国王ではない)が講演してる番組をテレビで見た事がある。
英語でユーモアを交えつつ、ブータンという国が何を大事にし、どんな展望を描いているか語っていた。
表情が豊かで人間味にあふれ、かつ賢い人物に見えた。
ブータンの映画って、どんなものなんだろう?と思って観たのだが、想像以上に堅実な映画だった。
ブータンの今を描写しつつ、普遍的な価値観を提示する。
脚本に無理がないし、演出もしっかりしてる。
題材をブータンの最深部にとったのもいい。
この国の短所である所得格差、山間部の貧困と、長所でもある美しい自然と素直で真っ直ぐな子供たちを同時に描く事が出来る。
首相の講演に感じた賢さを、この映画からも感じた。
今後、ブータンがどうなっていくのか。
少なくとも日本みたいにはならないで欲しいなあ、と思うけど、たぶん、この国の人々なら大丈夫・・かな。
とにかく自然が美しい映画
秋田県大館市にある東北唯一の常設単館映画館「御成座」さんにて鑑賞しました。
平日昼過ぎの上映だったこともあり観客は私一人。貸し切り状態での鑑賞です。
予告編すら観ていないため、本作の内容に関しては全く事前知識がない状態でした。
結論ですが、めっちゃ良かった!!!
2020年に鑑賞して私個人の年間ベスト映画『ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方』に匹敵するくらい自然の描写が素晴らしい映画でしたね。標高4800メートルにある「世界一の僻地」と言われる実在の小さな村「ルナナ村」を舞台とした、若い教師と村人たちとの交流を描いた映画。実在する村を舞台にしており、撮影もその村で行ったそうです。劇中でも描写があるようにかなりの僻地で、ブータンの首都ティンプーから片道8日も掛かる場所のため、パンフレットを見ると撮影時の苦労が見てとれます。学級委員長として登場するペム・ザムは実際に村に住んでいる女の子が本人役で出演していたりエキストラとして多くの村人(特に子供たち)が参加しているんですが、これはルナナ村へ人を連れていくのが大変だったからという側面もあるんでしょうね。
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教師として働いていたがやる気が出ずミュージシャンを夢見てオーストラリアへ渡ることを計画していたウゲン(シェラップ・ドルジ)は、教師として働く最後の一年間、ブータンで最も僻地にあるルナナ村の学校への赴任を命じられる。電気も無い村への突然の赴任で全くやる気が無いウゲンであったが、村人たちから歓迎され、子供たちとの触れ合いを通じて、教師としてのやる気を取り戻していく。
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(失礼ながら)正直あんまり期待していなかったというハードルの低さはありましたが、これがめちゃくちゃ面白かった。
「ブータン映画」は初めて鑑賞しました。調べてみると、ブータンで国産映画が初めて製作されたのは1980年代だそうで、比較的歴史は短いとのこと。本作に出演しているキャストも本職で俳優やっている人がほとんどいないです。ミチェン役のウゲン・ノルブ・ヘンドゥップは失業中の土木作業員だとパンフレットに書いてて笑っちゃいました。子役はほとんどおらず、ルナナ村に実際に住んでいる子供たちが本人役として出演しています。台詞量も多くてメインキャラを演じていたペム・ザムも村に住む演技未経験の女の子です。ルナナ村への移動が非常に大変なので、おそらく人員も機材も限られた中で制作された映画であろうということは、パンフレットに載っている苦労話やエンディングのスタッフロールの短さからも感じ取れます。
ルナナ村に到着するまでの描写がかなり長かったですね。ウゲンの住む町からルナナ村までの道程を30分以上掛けて描写していましたが、これは「ルナナ村がいかに僻地であるか」を時間的に表現した演出のように感じました。ルナナ村までの距離の遠さ、そして「一度行ったらなかなか帰れない」というのを表現してますね。
そして村人たちとの交流。「勉強したい」と思う子供たちの描写と、最初はすぐに帰るつもりだったウゲンが彼らによって心動かされ、町に戻るのを取り止めて村に残ることを決意したシーン。素晴らしかったですね。
ラストシーンは結構解釈分かれそうな雰囲気でしたね。あれはハッピーエンドと呼んでいいんだろうか。悩みます。
他の国の映画と比べてしまうと、キャストやスタッフや機材が限られ、尚且つ俳優たちもプロではなく、かなりの低予算で制作されたであろう本作ですが、「面白さ」で言えば全く引けを取らない。それどころか「面白い映画を撮りたい!」という努力や情熱がスクリーンを通して伝わってくるような作品でした。オススメです!!!
村には学問がない、だから先生が必要。
でも自然の中で暮らす村人は環境の変化をつぶさに感じ取っている、地球温暖化という言葉を知らずとも。
自然から得てきた学問、知識を高度に積み上げてきた都市部の人間は、それ故に自然との距離ができて鈍感になったんやろうな。とても皮肉だ、問題もその答えもシンプルなのに。
村人は山々に囲まれた世界に、共に暮らす生き物と仲間に、敬意を払いつつ謙虚に暮らす。自然に生かされているという当たり前の事実、都市部の人間が失った意識。未来に触れること、彼らの言葉の意味と、受け取った私達の意味の違いも考えさせられた。
幸せがなにかは、人それぞれ。
何と向き合って生きているのか。
何を大切に生きているのか。
そんなことを考えさせてもらった映画。
幸福というひとくくりのラベリングではないブータンの世界を知ることができたように思う。
見たかったので再上映してくれた事に感謝。こんな山岳地帯には行けなくても、そんな世界の一片を感じさせてもらえた、いい映画やった。
幸せと心の浄化
もうねぇ...心が洗われました。
ペム・ザムの瞳の美しさに、完全にノックアウトです。
ずーっと観ていたかったです。
彼女の笑顔、表情、しぐさを観ているだけで、幸せ度数が上がりました。
村長の年を重ねて培われた強さも美しい。
ミチェンの優しさも美しい。
セデュの歌声も美しい。
子どもたちの一生懸命お勉強する姿も美しい。
それを包み込む風景が一段と美しい。
この真っ直ぐな美しさに触れて
ウゲンも心が洗われたことでしょう。
幸せって他人が決めることではないし、
それぞれ違うし、
他人の幸せの正解なんて判らないけれども、
わたしは、この作品を観て、とても幸せです。
標高と人口と幸せの関係
最初、現代っ子ってみえるウゲンだけど、段々と教員に仕事の価値を見いだせなくなっていったんだろうなぁと想像させられる。
外国で好きなことをすれば、自分の価値をわかってもらえるという夢は、大勢の中で埋もれてしまう。
自分の好きなことをするのか、人から必要とされることをするのか、幸せのとは何なのかブータン映画は問いかけてきます。
未来に触れる
富士山より高い、標高約4,800メールのブータンの村、ルナナ。
歩いて8日間かけてたどり着く村、ルナナ。
そこに実際に暮らす人々が演じる村人たち。
小学校にやって来る村の子どもたちの、瞳に宿る、透き通った輝きはたじろぐほど美しい。
一人の少年の夢は先生になること。「先生は未来に触れることができる」から。
子どもたちが触れようとする未来はどのような未来だろうか。ヒマラヤ山脈に囲まれた村を吹き抜ける風、遠く、高く、響く歌声がその未来にも感じられることを願う。
エンディングが印象的。主人公の青年がおもむろにある歌を歌い出す。そこに彼が見ようとしている「未来」がある気がした。
心豊かに生きる
私も
村長やミチェンたちの生き方を観て
足るを知るという言葉が浮かんできました。
不満を探して数えれば際限がない。
今あるものや人に
感謝し敬意を払い、
未来が良いものとなるように願いながら、
助け合って
精一杯生きる。
自分や自分の生活に満足を探して
穏やかに心豊かに生きられる方が
自分にとっては幸せだと分かっているけど
それがなかなかできにくい。
精神的に幸せな生き方をしているルナナの人たちから
以上のようなことを感じさせられました。
ところで、
ブータンの学校の授業をみていて
英語が多くてびっくりしました。
たしか、
おはようございます。や1+1など・・・・。
なぜもっと
母国語を大切にしないのかなと感じてしまいました。
キャスト選択の勝利!
少女=ペム・ザム(ポスターの中心にいる少女)、歌姫=ケルドン・ハモ・グルンの2人がこの映画のほぼすべてを支配しており、それも最高レベルのふるまいでした。あえて演技とは言いたくありません。
ペム・ザムちゃんの登場映像は衝撃的で、こんなにかわいく明るい少女が本当に存在していることに心底驚きました。その後の歌も会話もすべてキラキラと光り輝いていました。世界の僻地の奇跡ですね。
歌姫=セデュ=ケルドン・ハモ・グルンはプロの歌手みたいですが、その笑顔、演技は自然で魅力的でした。外見的には現代の美人かどうかは難しい(もちろん一般の水準からしたらかなりの美人ですが)のですが、ふるまい、動作は絶世の美女でしょう。
場所とか時代に関わりなく、こういった魅力的な人間がいればそこは幸福度MAXになるのは必然と思わせる映画でした。
是非「大事な何かを忘れつつある日本人」に観てほしいと強く思いました。
この監督、1作目だそうですが、凄いな!というのが正直な感想。
陰翳礼讃
貴方はルナナで一生暮らせるか?
ルナナ村での暮らしは本当に幸せなのか?
ルナナ村の子供達は、純粋で無垢で優しくて、足るを知る天使なのか?
ルナナには、都会人が忘れている「大切な何か」があるのか?
私は、決してそうは思わない。
何故、ルナナの人々があれほどまでに教師をありがたがったのか?
子供達に教育を与えたかったのか?
村長が答えている。
「教育があれば、他の仕事を選べる」と・・・。
そう。村人は村の暮らしに対して、決して「満足」している訳ではないのだ。
もちろん「満足」している人も、中にはいるだろう。しかし、そうではなくて「他の生き方を選べない」から消去法で「この暮らししか出来ない」人が大半だと思う。
ウゲンをもてなした食事。ウゲンにとっては日常的に食べてきたものよりも、遥かに質素だ。
しかし、ミチェンは「こんなご馳走を食べるのは正月以来」だと言う。
村民の大半が靴すら貧しくて買えない。紙1枚だって、大層な貴重品だ。
ドルジ監督は「この映画は決して、経済的物質的な幸せと、文明が無い中での精神的な幸せ、の二項対立ではない。」と述べている。
決してルナナ村の暮らしが幸せであると説いている映画ではないのだ。
食事が身体を育む糧ならば、教育は知性と心を育む糧だ。
知識と知性が高まれば「より広い世界」を知りたくなるだろう。
社会の大きなシステムを知れば「その中で、自分はどれだけやれるか」に挑戦したくなるだろう。
教育を与える事は、同時に物質文明の扉を開く事でもある。
「教育という糧」を与えられないが為に無垢な瞳が輝いている事は、肯定されるべき事態では無いのじゃないか?
監督は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」に影響を受けたという。
「光のありがたさを知るためには、影を理解しないといけない」と監督は言う。
ブータンでは最大の都会、ティンプーの暮らしに不満ばかり抱いていたドルジ。しかし「ルナナという影」を知ることで「自分は今まで、どれだけ光の当たる幸せの中にいたのか」に気付く。これまで不満だとばかり思っていた事の一つ一つが、どれだけ幸せでありがたい事だったのか?と。
同時に「ルナナでの貧しい暮らしの中にも沢山の精神的幸せ」がある事も、ドルジは知る。
終盤、ドルジがオーストラリアに行って本当に良かった。渡航を取りやめたり、ましてや冬場までルナナ村に残ったりするような展開ならば、この映画の価値は一気に下がってしまうだろう。
「幸せ」は「どこにでもある」のだ。
ドルジにとっては、それに気付かせてくれた原点がルナナ村になった。
オーストラリア・シドニーほどの大都会で、溢れ返る物質文明に幸せを見失いそうになった時も。ルナナ村を思えば、いつだって「今、ここに」幸せは見出すことが出来る。
西洋的物質文明は、強い光で「影を消す事」に力を注いだが、日本人は「影を認め」「光と影の中で映える生き方」を模索する。ブータンもそうだろう。
監督は
「経済的・物質的文明の中にもある精神的幸せ」と
「光(物質的豊かさ)のみを追求するばかりでなく、ブータン固有の豊かさ(文化・伝統)」を失わない事の大切さの両方を、本作で訴えたかったのだと思う。
表面的な「素朴さ、純朴さ」のみに感動するだけではなく、広い世界を知る事の大切さと、幸せは今この瞬間にも自分を包んでいる事に気付くという点に、注力している事を高く評価したい。
足るを知る
奇をてらった要素の全くない予想どおりの穏やかな展開で心が洗われる思いがした。
とにかく子どもたちがピュアで可愛らしく、同じく子どもが主要キャストのイラン映画「運動靴と赤い金魚」を思い出した。
この映画の世界こそ幸福だとは思わないが「足るを知る」という言葉は脳裏に浮かんだ。
心の琴線に触れました!
ほぼBGMなどない淡々とした描写の中で、グングン心に入ってくる。
息を呑むような雄大な自然の中で
電気も水道もトイレットペーパーもない
質素で厳しい生活をしつつも、
なんて幸せそうな、ブータン標高4,800㍍の秘境、人口56人のルナナ村の人たち。
子供たちのキラキラした瞳。
村人たちの穏やかで、寛大で、信心深い、優しいこころ。
ヤクとの強い絆。
中盤あたりから不思議とやたら涙腺にくるんですよ。
赴任教師として都会からやってきた主人公がとても素直な性格に変わっていくように、自分もなんだか浄化されていく感じ。
山の神に捧げる歌を私も歌いたい。
ブータンに行ってみたい。
誰しもが知っている物語。
田舎や離島に期間限定で都会から先生が赴任して来る。ちょっと訳ありの先生と子供達の成長物語。世界中で手を替え品を替え数多に作られてきたテーマ。その原点に立ち返ったような映画でした。
ブータンの僻地ルナナ。標高4800m人口わずか56人。電気も水道も電波もない。近代社会から切り離されたこの村に首都ティンプーから若い先生がやって来る。黒板も紙もない山の教室。1+1から始まった授業も気が付けば8の段のかけ算に。しかし村には間もなく厳しい冬が到来する。今、村を去らなければ雪に覆われ身動きが取れなくなってしまう。
裏切りもどんでん返しもない。その結末さえ誰しもが昔から知っている物語。それなのに序盤から涙が止まらなかった。
実際ルナナで撮影が行われ現地の村人がそのまま出演も果たしています。映画もインターネットも知らない。村から出たこともない子供達のキラキラした瞳。初々しさがスクリーンに見事に反映されています。そして同時に加速する近代化、外国に移り住む若者といった幸せの国ブータンの現状の一端を知ることにもなります。
壮大な景色が圧巻。山や峠に住むと信じられている神や精霊に祈りを捧げ、ヤクの歌を口ずさみながら自然と共に生きるルナナの人々と子供達。本当に優しくて素敵な映画でした。
もっと魅たかった、もっと欲しかった
無い物ねだりになってしまうが、もっと欲しかった〜。朝と夕方の山見たかった!主人公が最後にルナナに帰ったワンカットあったらな〜、追想シーン的な。ペムザムちゃんめんこかつた。純朴絵に描いたようだった。
村長のヤクが帰ってきたと、見送る歌。深い!
グーグルて見たらルナナもあったし、ガサもあつた。必見です!
『癒される』映画
この言い方は嫌いなのだけど、ルナナ村とその村人たちの暮らしぶり、そこへの道中の風景にただただ『癒される』映画。
特になにも事件が起こるわけではない。
ただ、比較的現代化された首都ティンプーのいまどきの若者が、ルナナ村で人間として大事なものはなにかについてなんとなく気がついたような感じになるが、それでも自らの思いを果たす。
それを是とするのか、ルナナ村の暮らしを是とするのか、それは観客に委ねられているが、ラストシーンが雄弁に語ってしまうのはやむを得ないのかな…
ずっと流していたい環境映像のような映画…
輝く瞳は未来を映す
いい映画だなぁ。
ひじょうに好感の持てる、いい作品です。
西洋文化やIT社会に毒された我々にいちばん足りないものが、この映画の中にあるように思います。
これからの時代、ますますこの映画の描こうとしているものが大切になってくるでしょう。
キャストは、映画未経験のほぼ素人と、素人(実際の村人たち)で構成されているとのこと。
にもかかわらず、これだけ質の高い作品が撮れるとは、まったく驚きです。
学級リーダーのペム・ザムのかわいらしさ、けなげさに1度目のノックダウンを奪われ、セデュの魅力に2度目のノックダウンを奪われました。
村長もかっこいいし。
登場人物たち、それぞれの「歌」が心にしみます。
コントラストの効いた、光と影の美しい映像もいうことなし。
宣伝ポスターに写ったペム・ザムの利発そうで愛らしい表情と、その瞳の輝きにひかれて観にいったのだけれど、鑑賞して正解でした。
気がついたらマスクの下で微笑んでいる自分がいた。
そして、彼女の輝く瞳は希望にあふれる未来を映しているのだ、とわかりました。
今年上半期に鑑賞した中でベスト3に入る秀作です。
もう一度、観たいなぁ。
追記
マイナーな作品だし、それほど観客も入っていないだろうと思っていたのですが、意外にも(失礼!)連日盛況のようです。
僕が鑑賞したときも、たくさんのお客さん(中高年中心)が訪れていました。
こういう、地味だけど、誠実さの感じられる作品が注目されるのは、とても喜ばしいことだと思います。
この監督の次回作にも期待したいものです。
追記の追記
ずいぶん前に、テレビの深夜放送で『ザ・カップ~夢のアンテナ~』という映画を観たのですが、それがとても魅力的な作品だった(ふだん僕は劇場以外では映画は観ないのですが、たまたま点けたら面白くて観つづけてしまったのです)。
で、その映画を撮った監督の教え子にあたるのが、本作『ブータン 山の教室』の監督、パオ・チョニン・ドルジ氏であると知りました。
つながってるんだなぁ。
『ザ・カップ〜』、劇場で観たい。
観てよかった、心が洗われる。
ブータンの人々の生活や習慣を目にする機会がそんなに多くない我々にとって本作はブータンの人々の生活を知ることのできる貴重な作品である。その生活といったら、資本主義経済である日本で生まれ育った我々にとっては到底考えられないような質素で簡素な暮らしぶりだ。
なのに、なぜだろう、その生活や人々の存在が美しく尊い。この地球にこんな神々しい世界が存在するんだと。本作を見れば見るほどにひたすら消費し続ける私たちはなんて愚かな存在なんだろうと思わずにはいられない。
また“先生は子どもたちの未来に触れることができる”というセリフからも教育のあり方、教育者とは何ぞやという課題も問いかけている。
“幸せ”とは何だろうかーー。
紙一枚さえも貴重、勉強できることが幸せだと感じる人や場所がある一方で、資本主義国に住む私たちは生まれた時から多くのものを与えられ欲しがり、もっと、もっと、といった欲や煩悩に囲まれて生きている。その対象は人や物、多くの経験をすることにも向けられている。だけどもっと、もっと、とその底なしの欲望は延々に満たされることはないのかもしれない。
多くのものを知らないからこその幸せ、与えられた物や場所で精一杯生き抜くことも一つの幸せ、いや真の幸せではないだろうかと気付かされる。ため息の出るような美しい山々と生命あふれるヤクや愛くるしい子どもたちの笑顔に心洗われる貴重な作品だ。
ヤク満つる
僻地の学校がテーマと言えば、チャン・イーモウの「あの子を探して」を思い浮かべるが、あの映画と違うのは教師が都会から赴任するという点で、いくらか「田園の憂鬱」的な要素も加わってくる。
日本にもポツンと十軒家くらいの山村はあるだろうけど、さすがに行き着くのに8日もかかるところはないだろう。ブータンは九州と同じくらいの面積らしいけど、やはり世界レベルの高地ならではのことはある。画面には3人で山道を登る場面しか映っていないが、機材を抱えて同行していたスタッフたちの苦労もしのばれる。
ペム・ザム本人を演じる女の子は、「ミツバチのささやき」でアナを演じていたアナ・トレントに匹敵する逸材。ほとんど演じていないのかもしれないが、表情だけで目を引きつける。
“ヤクに捧げる歌”というのもすごい。ふだん聴いている音楽とはまるで違うが、なぜか劇中で歌われる度にぐわーっと涙がこみ上げてきた。
主人公はルナナでの数か月で本当に変わったのだろうか。映画はシドニーのライブハウスのシーンで終わるが、その後(ルナナに戻るかどうか)は明示的に描かれてはいない。ルナナにいる間は確かに人々の生活に感化されていたのだろうが、前半の自堕落で不遜な性根がそう簡単に変わるとも思えず、結局都会の生活を送るうちに「昔すごいところに飛ばされちゃってさぁ」とかエピソードトークで回想するだけに終わりそうな懸念を拭いきれない。
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