「ブータンの僻地のルナナ村の人口は56人です。」ブータン 山の教室 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
ブータンの僻地のルナナ村の人口は56人です。
標高4800メートルに位置する村。
ブータンと言えば、国王が来日したのを覚えている。
2011年。国王は31歳。民族衣装が似合う長身のイケ面。
「幸福の国」の国王は人気者だった。
ブータンでまず語られるのは、
「国民の幸福度世界一」という言葉。
この言葉が一人歩きしている。
教員のウゲンは勤務態度が悪く休みがちでやる気がない。
そんなウゲンに上司はペナルティとして、ブータンで一番の僻地、
ウナナ村への1年間の勤務を命じる。
ブータンの首都ティンプー(標高2300メートル)から
ウナナ村へは8日かかる。
1日バスに乗った後は徒歩で6日間歩く。
荷物はヤクの背中に乗せ、人はひたすら歩く。
ウナナ村へ着く前に映画は終わるのでは?と思ったほど遠い。
道中、迎えに来たウナ村の男は歌う。
「澄んで謙虚な心には、幸せが付いてくる」
ヒマラヤ連邦の美しい頂き、そして仏教の教え。
なんて慎ましい人々だろう。
電気も水道もない。
紙もない、貴重だ。
風呂も洗髪も洗濯も・・・どうするのだろう?
(水は雪や氷を溶かして使用しているのだろう)
地球温暖化で氷河が急速に溶けている。
ウナナ村でも数年前に水害があり村人が流されてなくなったと言う。
稲を植えていた。
赤米が主食だと言う。
雨も降るのだろう。
米を作るには水が必要だ。
ヤクもいる、乳からチーズを作っていた。
ウゲンが旅の疲れで寝坊していると学級委員のペム・ザムが
起こしに来る。
(ペムちゃんは実際にウナナ村の子供だという)
学級委員らしく利発で目力があり、しっかりと地に足をつけている様子。
ウゲンは互いに自己紹介をして、
翌日から足し算を教え出す。
黒板がない。
チョークもない。
しかしウゲンは生まれて初めて、
ウナナ村の人たちから特別な尊敬で迎えられる。
ティンプーでは落ちこぼれ教師。
志も何もない今風の青年が、人格者のように迎えられる。
ウゲンの顔つきが次第に引き締まる。
山々に向かい歌を捧げる村の歌姫セデュ。
彼女は「母もいるからこの村を出ない、
「いつまでも私はここにいる」
と呟く。
冬が近づく。
「今下りないと、雪で下山出来なくなる」
ラストでウゲンは希望通り、
オーストラリアのクラブで「ピューティフル・サンディ」を
弾き語りしている。
客の若者たちは真剣に聞いていない。
途切れ歌声。
そして意を決して歌う「ヤクの歌」
ウゲンの心にウナナ村のセデュが浮かんでいる。
ウゲンはきっと村に戻る。
そして改革者の一歩を踏み出すだろう。
そんな気がするのは私だけだろうか?
フォローありがとうございます。合わせて、フォローさせていただきます。
まぁ、僕みたいな残りわずかの者が住むには丁度良いですよ。ティンボチェでもネット配信OKでしたから。
のんびり暮らして死んだら鳥葬♥なんて。
因みに鳥葬はチベットです。
琥珀糖さん
こんばんは、
この映画ご覧になったんですね♪
レビューのお陰でたくさんのシーンを思い出すことが出来ました、ありがとうございます。
ウゲンが振る舞われたのは、恐らくヤクの肉だと思います。村長たちがそっと微笑んで目配せし合っていました。
特別の来客のために(本当は禁じられていて存在しないことになっている)ヤクの牛肉料理をウゲンは村の長の心尽しで振る舞われたのだと思います。
ウゲンは山に帰ったのだろうか・・
帰るべき故郷を僕にしんみりと思い出させてくれる映画でした。
琥珀糖さん、お邪魔します。
>ウゲンはきっと村に戻る
自分のレビューには書きませんでしたが
同じことを考えてました。
# オーストラリアで歌う場面で終わりますが
# その夢へのひと区切りをつけた後
# もう一つの夢 ( = ルナナ村で子供たちを教える)
# の続きを叶えるために戻ってくる。
そんな「エンドロールの続き」があればいいな、と
思い描いてしまいます。
琥珀糖様
こんにちは。今作、観られたのですね。
私も大好きな作品です。
あの山の空気のように、とても澄んだ気持ちになりました。
きっと映画ではわからないような厳しさもあるとは思うのですが、あまりにも自分の日常とかけ離れていて、遠いどこかに忘れてきてしまったピュアな気持ちを思い出しました。あの青年、村に戻るでしょうかね?映画の終わり方もとても余韻があってよかったなぁと思いました。
赤ヒゲでした。
この映画はドキュメンタリーだと思って観に行ったら、劇映画だったことを覚えています。
今はなき岩波ホールで観ました。いい映画でしたね。あの女の子がとてもかわいかったです。