もう終わりにしよう。のレビュー・感想・評価
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浸かったら抜け出せなくなるカウフマン世界が全開
吹雪が窓に吹き付け、車を進ませる男女の未来は一寸先すら見通せぬほど暗闇に包まれている。彼女の側は「終わりにしよう」と口にできず、その気配を彼氏側も切に感じつつ、打つ手がない。間を埋めるように続くセリフの応酬はそんな”宙ぶらりん状態”の投影だが、しかしそれにしても全く線形には進まない会話劇の織り成し方は実に見事だ。これに加えてのコレット&シューリスの奇行、そして振り子のようにスキップや巻き戻しを繰り返す時の流れなど、もう本当に訳がわからない。その混沌と混乱がまたカウフマンらしさであり、いちど沼に浸かったら最後、我々はミステリアスな心地よさから抜け出すことができなくなる。そもそもこの物語の語り手は彼なのか、彼女なのか。全てを白日の下にさらす術もあるのかもしれないが、そうなるとカウフマンはカウフマンでなくなる。謎は謎のままで召し上がれ。今はうす暗闇の一夜とその余韻をじっくり噛みしめていたいのだ。
正直言って難解でした。
頑張ったけど、やはり考察を観ないと無理でした。
中盤までは普通に進んでいくけど、中盤以降は頭を使いまくり。
一生懸命に何とか理解しようと最後まで頑張りました。
正直、映画自体がダメだったとは思いません。
しっかりと134分を観ることが出来ました。
飽きることはなく、だれることもなく。
カッコつけてこの映画を理解したように批評できればいいですが
そこはウソはつけません。
難解でした。
単に面白くないで終わらすのは勿体無いと思う。
小賢しい人というか、倫理とか哲学好きな人が好みそうな映画ではあるけど、哀しいけど、ユーモア+絵が綺麗なので見れた。冒頭の壁紙は黄色い壁紙を連想させた。不思議な雰囲気好きな人とかデヴィッド・リンチ好きな人も楽しめると思う。色んな作品知ってる人の方が楽しめるかな?ワイルド・スピードとかとは対極的な映画。人にお勧めできるタイプの映画ではない。アカデミー賞続けて6本見るくらい疲れる。
マルコヴィッチの穴は小さい時に見たから、価値観をガーン!てやられた強烈なインパクトの映画だったけど、もう忘れたけど。同じ脚本家ということで不思議な世界観は健在。
解説なしだと難しい気がする。察しが良ければ気づけるかなと思うけど。ぼーとみてたら、なんで用務員の人ちょこちょこ映るのかなぁ?てなると思う。
終始気持ち悪い
私達が当たり前としているものが通用しないことが分かる時、不気味さや怖さを感じる。
そこになくてはならないものが無かったり、会話の整合性がとれてなかったり。
難しすぎて、考察込みで楽しむ映画。
難解映画だった…
普通に観ていると、お?うん?っと
端々がおかしくなっていくことに気づくような映画。
しかし詳細に関しては理解が難しすぎる。
あのヒロイン役の彼女、『ジュディ』に出てたむっちゃくちゃ可愛い方だった!!!やはり女優さんってすごいのだな。
「カウフマンが好きな人は好き、ダメな人はダメ」のいつものチャーリー・カウフマン
「オクラホマ!」を見ていないと確かに理解はできない…というか、面白くない映画かもしれないですね。
私は映画しか見たことが無いのですが、それでも映画を見ているだけでラストシーンの余韻は全く違うものになっていると思います。
さて、この映画色々楽しめる部分はあります。
会話劇部分も集中して聞いていると、
①「誰が」「なんの」話をしているか
②「誰が」「誰と」話すときに「どんな」態度をとっているか
この辺りは追ってみていくと面白いですよ。
特にある人物は特定の話題と人物の前で大きく態度や色々なものを変えていくので。
それからシーンごとの絵、セットの巧妙さ、謎かけの意味不明さは実力が出るところですね。
こういう「意味不明だけどなんかおしゃれ感もある」シーンってセンスが出ますが、やはり頭ひとつ抜けているとは思います。
ただし、私自身はトニ・コレットがいなければ見るのをやめていたとは思います。
トニ・コレットは素晴らしい役者ですね。
演技を、演技だけでエンターテイメントまで引っ張っていく俳優というのはいるのですが、
その領域にいる数少ない俳優の1人だと思います。(男優を含めても少ない)
勿論、エンターテイメントであることが演技の頂点とは言いませんが、
退屈なシーン、興味を失いそうなシーンでも、トニ・コレットの表情を見るだけで興味が持続する。
この映画は彼女の演技にだいぶん救われた部分があると思います。
総合すると、正直なところ、万人には勧められない映画ですね。
ただし刺さる人には刺さるだろうし、「好きな人は好き」と無碍にできない魅力も持ってます。
穏やかなようで不気味。
全体的に描写や色合いが暗くて不気味、不思議な雰囲気の映画。
ほぼ車の中と家の中でのシーンしかない。
初めのシーンで吹雪の中を車で2人で会話しているシーンは
あんなに長いのに「これからどんなことが起こるのだろう」と不思議と見入りました。
主人公の心の声がとてもシビアで、
隣にいる優しい彼との会話のギャップが惹きつけられました。
両親の家族と会った後はとても難しかったです。
どう解釈しようか?と。
いきなりシーンが飛んだようにいたはずの彼や両親がいなくなったり、急に現れたり、この謎はどう捉えたらいいのか少し戸惑いました。
結果的に『もう終わりにしよう』という気持ちになった。
クリエイティブとはこのこと
ミュージカル映画オクラホマを観たことがないと理解度は半分くらいだろうか。
チャーリーカウフマンはいつも他者と自分の関係からの自分探しというテーマの映画だ。
普段、今日から俺は!!とかコンフィデンスマンとかしか観ない人には今作は理解しにくい構造だろうがあくまで主役はジェシープレモンスだとうことだけ明記しとこう。
この作品は学生時代ぱっとせず、その後の人生も並以下の所謂非リア充の「男性」であれば共感できるだろう。ラストの解釈はどっちともとれる。(妄想を終わらせるとも人生を終わらせるとも)
男なら誰しもあるであろうあの時声をかけていたらの妄想
なにも先入観なしで観るべき。サスペンスでもホラーでもない。
アカデミー賞脚色賞を狙える力作。
町山さんの映画ムダ話を購入して二回観るのをオススメします。
終わりにしたかった。
いやぁ、最初の20分くらい、吹雪の中を走る車の中の2人の会話だけが延々と続いて。会話のようで会話ではなかったり、詩を朗読したり。
これが終わりまで続くのか?と思って終わりにしたかった。
一応?ジェイクの実家には着いたっぽいと思った時はホッとした。
が、しかし!
そこからも長い。すぐに家に入らないし、なかなか両親は2階から下りてこないし、急に豪華な食卓バーン!にはびっくりしたけど。
両親に対するジェイクの態度は辛辣だけど、それをものともしない母親の高笑いも不気味。
個人的に好きなデイビッド・シューリスもまた不思議な父ちゃん役を見事に演じていた。
帰りたい。早く帰りたい。そう思えば思うほど遠くなっていくような、そんなもどかしさや恐怖。
早く戻るかと思っていたらまさかの母校への寄り道。(笑)
あの用務員のおじいさんの制服。ジェイクの実家の地下室にあった洗濯機に(たくさん!)入っていた、とか繋がらないようでいろいろ繋がってはいるのだが。やはり難しすぎて、結局何が言いたかったのか、よくわからない。
最後の加齢メイクが全員妙なメイクだったのも何か言いたかったの?
せかいとじぶんにたいするけがれ
Charlie Kaufmanはひとりでジャンルだと思う。脚本のエターナルサンシャインやアダプテーション、監督の脳内ニューヨークやアノマリサが、なんであるのか、わからない。
ファミリー/ドラマ/スリラー/サスペンス/ホラー/コメディ/ファンタジー・・・のどこに入れるのかが、わからない。
原作はカウフマンではないけれど、カウフマン好みの混乱がある。
けっきょく、どこへ入れたらいいのかわからない。
わたしのNetFlixの設定がいけないのかもしれないがCharlie Kaufmanの新作映画が、事触れもなしに、ほかの作品のような大仰な告知もなしに、ひっそりと、あった。
検索しなければ見つけ出せないような、奥にしまい込まれていた。
たぶんNetFlixはこれで稼げるとは思っていない。
物語はよくわからない。
が、はなしそのものはたんじゅん。
雪の中ドライブして彼氏の家族と食事する、だけである。
どこがおもしろいのかわからないのにおもしろい。
冒頭から散文的で、映画的体裁がない。
そこからずっと低回する。
『低回:思案にふけりながら、頭を垂れてゆっくりと行きつもどりつすること。転じていろいろと考えめぐらすこと。』
『すべては死ぬ。それは確かだ。でも人は生きようと希望を持つ。物事が好転するだなんて人間の幻想なのに。ほんとは好転しないと知っているから、だろう。すべては不確か。でも人間だけが、死が不可避なことを知っている。ほかの動物は、ただ生きる。人間には無理だから「希望」を発明した。』(本作の台詞より)
基本的にそんな諦観が支配している。
が、詳しくはわからないが、じぶんの属性にたいする嫌悪が主題──だと思う。
それは故郷であり、肉親であり、自己嫌悪そのもの、でもある。
故郷はいやな場所だ。
肉親にはなぜか忌避したい気分がある。
それらを背負っているじぶんがきらいだ。
・・・というようなこと──観念的な粗描で、人生にたいするやるせなさを描いている話。だと思う。個人的には共感できた。
が、人生にたいするやるせなさ、と言ってしまうと、たんじゅん過ぎる。もっと、まがまがしく、いやらしく、べたべたしてくる、世界と自分にたいする嫌悪感があった。
吹雪の夜中にオレオクラッシュのとんでもないデカさのカップアイスを買ったはいいが、甘すぎてほとんど食えず、あふれそうに残ったままカップホルダーにある。それは溶けるし、べたついて、やがてそこらじゅう惨事になる──気がする。
拡がり続けるエントロピーのような嫌悪。暗い。
『母が懐かしくないわけではない。ただ私は肉親の露骨な愛情の発露に当面するのがいやで、そのいやさにさまざまな理由づけを試みていたに過ぎぬのかもしれない。これが私のわるい性格だ。一つの正直な感情を、いろんな理由づけで正当化しているうちはいいが、時には、自分の頭脳の編み出した無数の理由が、自分でも思いがけない感情を私に強いるようになる。その感情は本来私のものではないのである。
しかし私の嫌悪にだけは何か正確なものがある。私自身が、嫌悪すべき者だからである。』
(三島由紀夫作「金閣寺」より)
どこにいてもハッとするバイプレーヤーJesse Plemonsが出色だった。Jessie Buckleyはブリーラーソンが降板したことにより登板したとwikiに書いてあった。が、父母はToni ColletteとDavid Thewlisであることからも、かんぜんに意識して演技派を集めたことは、しろうとの私にもよくわかった。
難解とはおもわないが、群をあつかうNetFlixのようなコンテンツビジネスと日本人の嗜好をかんがみるなら、これをNetFlixの消極的な押しのなかから、偶然のように見つけた、ことの非通俗性はいたいほどわかる。
オンデマンドをつかさどるコンテンツビジネスでは、それが「なん」であるのか、呼称しなければならない。そこで流用されることになってしまった言葉が鬼だ。未成熟だったり、無能力であることを婉曲して「鬼才」と暫定仮称するようになった。──わけである。
そこでほんものの鬼に鬼才が使えなくなった。
何を考えてる?不思議な感覚に陥る。今夜全ては不確か。難解でいて哲学...
何を考えてる?不思議な感覚に陥る。今夜全ては不確か。難解でいて哲学的、何よりオリジナル。恐ろしいほどのクリエイティブさで、この世界を取り巻く神経の磨り減るような真理を映し出す。チェーンがある。取っ付きやすさは無い(故のひとまずこのスコア)けど、おそらく今年最も知的で創造的な作品。催眠術にかかりながら様々なジャンルを自由自在に行き来するように、独特な空気感が漂っている。それはしっかりと尺を割いて見せる小難しいセリフの応酬やそれによる気まずさの後の、セリフのない時間帯など。風変わりという言葉すら正確ではない。主人公カップルは学のある二人。ジェシー・バックレイとジェシー・プレモンスの素晴らしい演技が天才チャーリー・カウフマンの世界を支える。彼が人間の状態に取り組むのを、才能豊かなキャストが可能にしているよう。奇妙な両親、我等がトニ・コレット流石。僕のどんな言葉もこの前では陳腐だろう、きっと。実に挑戦的野心的で既存の価値観を打ち砕く、真に卓越した表現。本来極々シンプルな1日の出来事のはずなのに、いつしか壮大になり時すら超えるこの肉体と精神と妄想の探求の旅は意味不明・説明不可なものとなっていく。そして終盤・最後は圧巻。ジェシー・プレモンスにミュージカルのオファーが来そう
農場は残酷
DIRECTED BY
ROBERT ZEMECKIS
チェーンがある、骨の犬
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