もう終わりにしよう。のレビュー・感想・評価
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浸かったら抜け出せなくなるカウフマン世界が全開
吹雪が窓に吹き付け、車を進ませる男女の未来は一寸先すら見通せぬほど暗闇に包まれている。彼女の側は「終わりにしよう」と口にできず、その気配を彼氏側も切に感じつつ、打つ手がない。間を埋めるように続くセリフの応酬はそんな”宙ぶらりん状態”の投影だが、しかしそれにしても全く線形には進まない会話劇の織り成し方は実に見事だ。これに加えてのコレット&シューリスの奇行、そして振り子のようにスキップや巻き戻しを繰り返す時の流れなど、もう本当に訳がわからない。その混沌と混乱がまたカウフマンらしさであり、いちど沼に浸かったら最後、我々はミステリアスな心地よさから抜け出すことができなくなる。そもそもこの物語の語り手は彼なのか、彼女なのか。全てを白日の下にさらす術もあるのかもしれないが、そうなるとカウフマンはカウフマンでなくなる。謎は謎のままで召し上がれ。今はうす暗闇の一夜とその余韻をじっくり噛みしめていたいのだ。
難解だけど決してむずかしくはない。
膨大な引用、常識では考えれない構成、混濁する登場人物たちの意識など、確かに一筋縄ではいかない作品だと思う。実際、自分もどこまで理解できているのか、よくわかっていない。
ただ、映画の構成上のトリック的なものは、決してむずかしくはない。序盤のドライブ中に、すでにカップルの男が、女の話が初耳のはずなのに、同じことを思っていたと述懐する。また、女のスマホに、女が呼ばれていた名前から着信が入る。要するに、この時点で、このカップルのアイデンティティの境界が非常に曖昧であることが示唆される。
端的に言えば、このカップルは、ひとりの老人の記憶や妄想を混ぜ合わせてできた心象世界の主人公ということになる。夢に一貫性がないことにも似ていて、彼らの人格にも一貫性はない。ただただ、その老人の記憶や妄想、不安や後悔、未練や執着などが、彼らや男の両親の姿を借りてランダムに表出しているのだ。人間の人生と内面がリニアな時間の流れを無視して描かれているという点では『スローターハウス5』に通じるかも知れない。
トリックだけを追うなら、決して面白い映画ではないかも知れない。しかし、本作にあるネガティブな感情のオンパレードは、極端ではあっても誰にでも覚えがあるもののはず。人間の負の側面を、暗い悲壮感と奇妙なユーモアでもって描いたとてもユニークなアプローチであり、チャンネルさえ合えばとても共感性の高い映画だと思っている。
それが人生か
特異なカメラアングル、話した内容が陰の声で検証されるセリフ、唐突に始まる「ウエストサイドストーリー」、お腹にウジが湧いて死んだ豚、表彰式で演じられる「オクラホマ!」(かな?)、アイスクリームショップの嫌な店員2人組もスタオペ。
全て意味が分からない。いや、何となく分かる。
この映画全体が、あの用務員の見る「後悔」ばかりの夢であったことは感じられる。
頭のいい老人が混濁した意識で見る後悔ばかりのフロイディッシュな夢。
そんな映画が面白くない訳がない。
映画というより「見る知恵の輪」
「マルコヴィッチの穴」と「エターナルサンシャイン」というエポックメイキングな2作品の脚本を担当したチャーリー・カウフマン監督作。先述の2作品は今でも数年に一度はみるほど個人的にも大好きな傑作。しかし「脳内ニューヨーク」や「アノマリサ」は未見のため、彼が監督した作品を見るのはこれが初めてになる(いつかみなきゃと思いながら、Netflixで手軽に見れる本作が最初になってしまった)。
予告編を見たときからなんとなく自分が好きそうな作品だなと思い、実際に見てみたら確かに楽しめた。が、それは「想像の知恵の輪」みたいな本作のパズル部分を解く部分が半分で、映画としては残念ながら「マルコヴィッチの穴」「エターナルサンシャイン」よりも水準は低いと感じた。
作品全体の評価とは別に、主演女優の演技は半端じゃなかった。
本作のストーリーについては、難解だけど、注意深く見て、観賞後にゆっくり考えてみれば理解できる(解ける)内容だと思う。
以下に考察をば。
基本的に、あらゆる映画に登場する小物全てに意味があると考えれば良い(チェーホフの銃)。ただ、本作は最初からラスト数分までほぼ全部「小物」である。(その小物の数も膨大なので鑑賞にかなりの集中力を要する。)
登場する小物の中で多いのが、物語の創造主の「ほころび」。登場する家はまさに彼の心象世界であって、心理学でいうところの「投影」。洗濯機から出てくる制服や、犬、新品のブランコ、等等、「その場所にあるはずのないもの」の多くが「ほころび」になる。
母や父は、きっと想像主自身の体験に基づいている幻で、楽しかった記憶よりも、イライラさせられた記憶、介護で大変だった記憶の方が印象深かったことが窺える。
(最後の方まで主人公だと思わされていた)女性は、創造主の「理想の女性」と「過去に捨てられた恋人」の集合体。ほぼなんでも知ってることに関しては、それが想像主の理想だから。「終わりにしようかと思う」と彼女が繰り返し思うのは、おそらく彼の過去の体験に基づいたもの。その過去の体験を引きずり、本当は「終わりにさせたくない」から、儚い妄想を続けているのが本作の本当の主人公である孤独な掃除夫なのだ。
心象世界の中でも特に印象深いのは地下室。「地下」へ降りることからわかるように、これは深層心理を表しているものになる。「なれなかった自分」がキラキラ儚く輝いているのが印象的で、ここに物語の本当の主人公の「大切な失われたもの」が全て眠っている。
以上までが、最後までみて、観賞後に考えて分かった事。知恵の輪みたいな感覚で、登場した小物を頭の中でカチャカチャやると、ふとした瞬間に解けたような感覚になって、なかなか面白かった。
ただ、鑑賞中に楽しめたかと言われれば、そうでもない。「謎解き」部分に比重が置かれ過ぎているような印象を受けてしまうほど、実際のドラマは退屈で、見てる人を試している雰囲気があり、優しくない。スパルタ式なのである。
そして、この映画の登場人物には「目的」がない。箱庭のような感覚で、「想像の中」という閉じたスペースで物語が進行していくので、「主人公の目的に沿う」ような従来のドラマとは全く構造が違う。このことも、本作が退屈に感じる一因だろう。
先述の「ほころび」に関しても、本作はそれがあまりにも多すぎる。小出しにするのではなく、ほぼ毎カット何かしらのほころびが映り、仮の主人公である女性も特にその理由を探求しようとしないので、そのうち飽きてきて特に物語に興味が出なくなる。つまり、映画で起こる事象の全てが嘘っぱちに見えきて、どうでも良くなる。まあ、実際に全部嘘っぱちなんだけど、映画としてどうなんだろう、といった手法だった。
細かいところでは編集も気になった。次から次へとカメラが切り替わるのが忙しなく、ただでさえ疲れる物語なのに、この不要なカメラ切り替えにはさらに疲れさせられた。
「謎解き」は楽しかったので、ある種ミステリー物のように楽しめたが、根本的にドラマとして楽しませる要素がほぼ皆無なのが辛い。
例えば、「ドニーダーコ」なんかは謎解きも難解だけど、同時にドラマも両立している。本作はその片方が欠落してしまって、映画としてのバランスがあまり良くないという風に感じた。
(以上までの考察を念頭に、もう一度見れば、もしかすると評価も変わるかもしれない)
不条理な話。アンドリュー・ワイエスの絵みたいな家畜小屋って見ていた...
不条理な話。アンドリュー・ワイエスの絵みたいな家畜小屋って見ていたら、会話の中に『ワイエス』と出てきた。
さて、この不条理は何を意味するのか?
分からない。
正直言って難解でした。
頑張ったけど、やはり考察を観ないと無理でした。
中盤までは普通に進んでいくけど、中盤以降は頭を使いまくり。
一生懸命に何とか理解しようと最後まで頑張りました。
正直、映画自体がダメだったとは思いません。
しっかりと134分を観ることが出来ました。
飽きることはなく、だれることもなく。
カッコつけてこの映画を理解したように批評できればいいですが
そこはウソはつけません。
難解でした。
単に面白くないで終わらすのは勿体無いと思う。
小賢しい人というか、倫理とか哲学好きな人が好みそうな映画ではあるけど、哀しいけど、ユーモア+絵が綺麗なので見れた。冒頭の壁紙は黄色い壁紙を連想させた。不思議な雰囲気好きな人とかデヴィッド・リンチ好きな人も楽しめると思う。色んな作品知ってる人の方が楽しめるかな?ワイルド・スピードとかとは対極的な映画。人にお勧めできるタイプの映画ではない。アカデミー賞続けて6本見るくらい疲れる。
マルコヴィッチの穴は小さい時に見たから、価値観をガーン!てやられた強烈なインパクトの映画だったけど、もう忘れたけど。同じ脚本家ということで不思議な世界観は健在。
解説なしだと難しい気がする。察しが良ければ気づけるかなと思うけど。ぼーとみてたら、なんで用務員の人ちょこちょこ映るのかなぁ?てなると思う。
終始気持ち悪い
私達が当たり前としているものが通用しないことが分かる時、不気味さや怖さを感じる。
そこになくてはならないものが無かったり、会話の整合性がとれてなかったり。
難しすぎて、考察込みで楽しむ映画。
難解映画だった…
普通に観ていると、お?うん?っと
端々がおかしくなっていくことに気づくような映画。
しかし詳細に関しては理解が難しすぎる。
あのヒロイン役の彼女、『ジュディ』に出てたむっちゃくちゃ可愛い方だった!!!やはり女優さんってすごいのだな。
「カウフマンが好きな人は好き、ダメな人はダメ」のいつものチャーリー・カウフマン
「オクラホマ!」を見ていないと確かに理解はできない…というか、面白くない映画かもしれないですね。
私は映画しか見たことが無いのですが、それでも映画を見ているだけでラストシーンの余韻は全く違うものになっていると思います。
さて、この映画色々楽しめる部分はあります。
会話劇部分も集中して聞いていると、
①「誰が」「なんの」話をしているか
②「誰が」「誰と」話すときに「どんな」態度をとっているか
この辺りは追ってみていくと面白いですよ。
特にある人物は特定の話題と人物の前で大きく態度や色々なものを変えていくので。
それからシーンごとの絵、セットの巧妙さ、謎かけの意味不明さは実力が出るところですね。
こういう「意味不明だけどなんかおしゃれ感もある」シーンってセンスが出ますが、やはり頭ひとつ抜けているとは思います。
ただし、私自身はトニ・コレットがいなければ見るのをやめていたとは思います。
トニ・コレットは素晴らしい役者ですね。
演技を、演技だけでエンターテイメントまで引っ張っていく俳優というのはいるのですが、
その領域にいる数少ない俳優の1人だと思います。(男優を含めても少ない)
勿論、エンターテイメントであることが演技の頂点とは言いませんが、
退屈なシーン、興味を失いそうなシーンでも、トニ・コレットの表情を見るだけで興味が持続する。
この映画は彼女の演技にだいぶん救われた部分があると思います。
総合すると、正直なところ、万人には勧められない映画ですね。
ただし刺さる人には刺さるだろうし、「好きな人は好き」と無碍にできない魅力も持ってます。
穏やかなようで不気味。
全体的に描写や色合いが暗くて不気味、不思議な雰囲気の映画。
ほぼ車の中と家の中でのシーンしかない。
初めのシーンで吹雪の中を車で2人で会話しているシーンは
あんなに長いのに「これからどんなことが起こるのだろう」と不思議と見入りました。
主人公の心の声がとてもシビアで、
隣にいる優しい彼との会話のギャップが惹きつけられました。
両親の家族と会った後はとても難しかったです。
どう解釈しようか?と。
いきなりシーンが飛んだようにいたはずの彼や両親がいなくなったり、急に現れたり、この謎はどう捉えたらいいのか少し戸惑いました。
結果的に『もう終わりにしよう』という気持ちになった。
クリエイティブとはこのこと
ミュージカル映画オクラホマを観たことがないと理解度は半分くらいだろうか。
チャーリーカウフマンはいつも他者と自分の関係からの自分探しというテーマの映画だ。
普段、今日から俺は!!とかコンフィデンスマンとかしか観ない人には今作は理解しにくい構造だろうがあくまで主役はジェシープレモンスだとうことだけ明記しとこう。
この作品は学生時代ぱっとせず、その後の人生も並以下の所謂非リア充の「男性」であれば共感できるだろう。ラストの解釈はどっちともとれる。(妄想を終わらせるとも人生を終わらせるとも)
男なら誰しもあるであろうあの時声をかけていたらの妄想
なにも先入観なしで観るべき。サスペンスでもホラーでもない。
アカデミー賞脚色賞を狙える力作。
町山さんの映画ムダ話を購入して二回観るのをオススメします。
終わりにしたかった。
いやぁ、最初の20分くらい、吹雪の中を走る車の中の2人の会話だけが延々と続いて。会話のようで会話ではなかったり、詩を朗読したり。
これが終わりまで続くのか?と思って終わりにしたかった。
一応?ジェイクの実家には着いたっぽいと思った時はホッとした。
が、しかし!
そこからも長い。すぐに家に入らないし、なかなか両親は2階から下りてこないし、急に豪華な食卓バーン!にはびっくりしたけど。
両親に対するジェイクの態度は辛辣だけど、それをものともしない母親の高笑いも不気味。
個人的に好きなデイビッド・シューリスもまた不思議な父ちゃん役を見事に演じていた。
帰りたい。早く帰りたい。そう思えば思うほど遠くなっていくような、そんなもどかしさや恐怖。
早く戻るかと思っていたらまさかの母校への寄り道。(笑)
あの用務員のおじいさんの制服。ジェイクの実家の地下室にあった洗濯機に(たくさん!)入っていた、とか繋がらないようでいろいろ繋がってはいるのだが。やはり難しすぎて、結局何が言いたかったのか、よくわからない。
最後の加齢メイクが全員妙なメイクだったのも何か言いたかったの?
【考察あり】全く読めない展開、好きな人は好きかも
Netflixで配信されて予告が面白そうだったので前知識無しで観ました。
最初のドライブのシーンから、女性の心の声が聞こえたり、不自然なブランコが置いてあったりと微かな違和感を感じます。
ジェイクの家に着いてからも両親の態度だったり、主人公らしき女性の名前が変わったり、自分の名前から何度も電話が掛かってきたりと気持ち悪さが続きます。そして、家の2階に上がると明らかに先程までより老け込んだ父親が出てきて違和感は決定的に。
この辺りまでは色々と想像を掻き立てられて面白かったのですが、自分の理解力が足りなかったせいかモヤモヤは最後まで解消できず、結局こりゃなんの話だったんだと疑問だけが残ってしまいました。
以外、考察というか色々なサイトを見た上での考えです。
結局物語の主人公は所々挟み込まれる学校の用務員のおじさん(多分実際のジェイク)で、ジェイクの家に行く話は全てこのおじさんの妄想だったということのようです。妄想だから親の年齢や女性の名前、服装などはバラバラで、女性の考えが読めるのもおじさん自身が妄想しているからです。最後、おじさんは一人寂しく学校で自殺したようで、観た時は本当にわかりませんでしたが悲しい物語でした。もう終わりにしようっていうのは女性が別れたいと思っているのではなく、おじさんの人生の事だったんですかね。
上記の考察を見てまぁ納得はしましたが、その上で面白いか?と聞かれれば全く面白くはなかったです。ジェイクと女性の会話が終始退屈ですし、ずっとモヤモヤしながら観ないといけないです。仮に途中で理解したとしても「おじさんの妄想かよ…」となるだけだと思います。
映像や演技のクオリティは高いと思うので雰囲気は良かったんですけどね。好きな人は好きかもしれません。私はダメでした。余談ですが、母親役の女優さん、へレディタリーを観てからどの映画で見ても怖くなりました笑
せかいとじぶんにたいするけがれ
Charlie Kaufmanはひとりでジャンルだと思う。脚本のエターナルサンシャインやアダプテーション、監督の脳内ニューヨークやアノマリサが、なんであるのか、わからない。
ファミリー/ドラマ/スリラー/サスペンス/ホラー/コメディ/ファンタジー・・・のどこに入れるのかが、わからない。
原作はカウフマンではないけれど、カウフマン好みの混乱がある。
けっきょく、どこへ入れたらいいのかわからない。
わたしのNetFlixの設定がいけないのかもしれないがCharlie Kaufmanの新作映画が、事触れもなしに、ほかの作品のような大仰な告知もなしに、ひっそりと、あった。
検索しなければ見つけ出せないような、奥にしまい込まれていた。
たぶんNetFlixはこれで稼げるとは思っていない。
物語はよくわからない。
が、はなしそのものはたんじゅん。
雪の中ドライブして彼氏の家族と食事する、だけである。
どこがおもしろいのかわからないのにおもしろい。
冒頭から散文的で、映画的体裁がない。
そこからずっと低回する。
『低回:思案にふけりながら、頭を垂れてゆっくりと行きつもどりつすること。転じていろいろと考えめぐらすこと。』
『すべては死ぬ。それは確かだ。でも人は生きようと希望を持つ。物事が好転するだなんて人間の幻想なのに。ほんとは好転しないと知っているから、だろう。すべては不確か。でも人間だけが、死が不可避なことを知っている。ほかの動物は、ただ生きる。人間には無理だから「希望」を発明した。』(本作の台詞より)
基本的にそんな諦観が支配している。
が、詳しくはわからないが、じぶんの属性にたいする嫌悪が主題──だと思う。
それは故郷であり、肉親であり、自己嫌悪そのもの、でもある。
故郷はいやな場所だ。
肉親にはなぜか忌避したい気分がある。
それらを背負っているじぶんがきらいだ。
・・・というようなこと──観念的な粗描で、人生にたいするやるせなさを描いている話。だと思う。個人的には共感できた。
が、人生にたいするやるせなさ、と言ってしまうと、たんじゅん過ぎる。もっと、まがまがしく、いやらしく、べたべたしてくる、世界と自分にたいする嫌悪感があった。
吹雪の夜中にオレオクラッシュのとんでもないデカさのカップアイスを買ったはいいが、甘すぎてほとんど食えず、あふれそうに残ったままカップホルダーにある。それは溶けるし、べたついて、やがてそこらじゅう惨事になる──気がする。
拡がり続けるエントロピーのような嫌悪。暗い。
『母が懐かしくないわけではない。ただ私は肉親の露骨な愛情の発露に当面するのがいやで、そのいやさにさまざまな理由づけを試みていたに過ぎぬのかもしれない。これが私のわるい性格だ。一つの正直な感情を、いろんな理由づけで正当化しているうちはいいが、時には、自分の頭脳の編み出した無数の理由が、自分でも思いがけない感情を私に強いるようになる。その感情は本来私のものではないのである。
しかし私の嫌悪にだけは何か正確なものがある。私自身が、嫌悪すべき者だからである。』
(三島由紀夫作「金閣寺」より)
どこにいてもハッとするバイプレーヤーJesse Plemonsが出色だった。Jessie Buckleyはブリーラーソンが降板したことにより登板したとwikiに書いてあった。が、父母はToni ColletteとDavid Thewlisであることからも、かんぜんに意識して演技派を集めたことは、しろうとの私にもよくわかった。
難解とはおもわないが、群をあつかうNetFlixのようなコンテンツビジネスと日本人の嗜好をかんがみるなら、これをNetFlixの消極的な押しのなかから、偶然のように見つけた、ことの非通俗性はいたいほどわかる。
オンデマンドをつかさどるコンテンツビジネスでは、それが「なん」であるのか、呼称しなければならない。そこで流用されることになってしまった言葉が鬼だ。未成熟だったり、無能力であることを婉曲して「鬼才」と暫定仮称するようになった。──わけである。
そこでほんものの鬼に鬼才が使えなくなった。
何を考えてる?不思議な感覚に陥る。今夜全ては不確か。難解でいて哲学...
何を考えてる?不思議な感覚に陥る。今夜全ては不確か。難解でいて哲学的、何よりオリジナル。恐ろしいほどのクリエイティブさで、この世界を取り巻く神経の磨り減るような真理を映し出す。チェーンがある。取っ付きやすさは無い(故のひとまずこのスコア)けど、おそらく今年最も知的で創造的な作品。催眠術にかかりながら様々なジャンルを自由自在に行き来するように、独特な空気感が漂っている。それはしっかりと尺を割いて見せる小難しいセリフの応酬やそれによる気まずさの後の、セリフのない時間帯など。風変わりという言葉すら正確ではない。主人公カップルは学のある二人。ジェシー・バックレイとジェシー・プレモンスの素晴らしい演技が天才チャーリー・カウフマンの世界を支える。彼が人間の状態に取り組むのを、才能豊かなキャストが可能にしているよう。奇妙な両親、我等がトニ・コレット流石。僕のどんな言葉もこの前では陳腐だろう、きっと。実に挑戦的野心的で既存の価値観を打ち砕く、真に卓越した表現。本来極々シンプルな1日の出来事のはずなのに、いつしか壮大になり時すら超えるこの肉体と精神と妄想の探求の旅は意味不明・説明不可なものとなっていく。そして終盤・最後は圧巻。ジェシー・プレモンスにミュージカルのオファーが来そう
農場は残酷
DIRECTED BY
ROBERT ZEMECKIS
チェーンがある、骨の犬
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