ギレルモ・デル・トロのピノッキオのレビュー・感想・評価
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質が高いアニメ
ピノキオの話をちゃんと知らないのでこんな話なんだ~と思ったけど、後から調べたら1800年代に作られてるからムッソリーニが出てくるわけ無いですね。でも原作のあらすじを読んだ限りこっちのほうが面白いはずだな。もちろん子供には難しすぎるけど。声優がやけに豪華だけど実写よりギャラが安いのかしら?そこが一番気になりました。
ワンダフルライフ
不死身の苦悩といえばザルドスを思い出すが、生死を客観視すると、こちらの判断基準にもブレも覚えて、不思議な感覚にとらわれる。ピノッキオの元の話はうる覚えであるが、ギレルモの脚色だろうか、2時間の尺を十分に使って仕立て直した秀作である。
ピノッキオの木質感がしっかり残る描写が面白い。
ピノッキオが好きな方にはぜひ。
今年363本目(合計638本目/今月(2022年12月度)16本目)。
ピノッキオをテーマとした映画としては、「ほんとうのピノッキオ」(2021)などがありますが、いかんせん「元のテーマ」は共通なので、どう「翻案して」描くか、がポイントになります。
他の方も書かれている通り、第一次世界大戦~第二次世界大戦(前)のイタリアを舞台とするので、そのリアル世界史(ファシズムの台頭、ムッソリーニ等)は求められますが、中学までの世界史の一般的な知識で十分かなというところです。
公式サイト等で比較的長めに予告など見られるので、行くいかないは結構参考にしやすいです。
若干わかりにくいセリフ(上記の通り、どうしても手薄になる分野が問われるため)があることは事実ですが、きのう(10日)からはnetflixを契約していれば無料でも見られるので、映画館で見て「???」と思ったところもそこで補うことができます(netflixは個別に課金してみることができないので注意)。
特に減点要素まで見当たらないのでフルスコアにしています。
それにしても、ピノッキオのように「評価・相場」がある程度決まっている映画でも、描く方や描き方によってまるで180度違う映画になるというのも面白いですね。
「ほんとうの~」はVODで見られるかはちょっとわかりませんでしたが(できなっそう?)、できるなら2つ見比べるのもおすすめです。
ちょっとこの映画についてアニメーターと語り合いたい。
去年同タイトルのイタリア映画を観てたんで、迷ってたのですが「かなりアレンジしてるよ」と勧められてみに来ました。
やっぱデルトロただじゃ済まないね。ちょいミュージカル要素入れつつ戦争絡めて重めの設定です。
私は特にストップモーションの技術的な所でびっくりしちゃいました。一回役者で撮影してるんじゃないかな?と思う様な自然な動き。ピノキオの目は置き換えてるのわかるんだけど、人間の表情は置き換えにしてはスムーズすぎてCGかもと思った位。この辺はメイキングさがして日本の技術者と話し合いたいレベル。(後日メイキング観て人物の顔は中にアーマチャ入ってて表面がシリコン製なねがわかった。それで表情滑らかなのね)
デルトロの映画はいつもファシズムへの怒りと絶対的父性への反抗心が織り込まれていますが今回もガッツリです。アニメなんで得意の口裂けもありません。
妖精姉妹の声はティルダ様とガラドリエル様で泣く子も黙るこれ以上ない贅沢な布陣。
コオロギというより、、ツチハンミョウみたいだったなぁ。
ギレルモ・デル・トロ監督による新しいピノキオ像
独特の作風がおなじみのギレルモ・デル・トロ監督によるピノキオのストップモーションアニメ映画。
大筋はお馴染みのピノキオのお話なのですが、そこに独自の要素がちりばめられていて
その部分が非常にこの監督さんらしいと思いました。
ストップモーションアニメを用いた人形劇のようなタッチの映像がピノキオという題材にとてもマッチしていて妖しい美しさを醸し出しています。
正直上映館数が少なくてもったいない!
もっと多くの観客に見てもらいたい秀作です。
ホットチョコより熱くて、胸の中にあるもの…現実を捉える命を吹き込む!デルトロらしさを堪能できる手作りな魔法
そのままを受け入れて進む。いい子だから。親から子、子から親への愛。無理に変えようとしなくていい。命とは美しいものだから。起こるべくことが起こって誰もがこの世を去る。けど胸を張って言いたい、本当の自分が好き!!
良心と誘惑、生きることは楽しいことばかりじゃなく痛みが伴うものだ。『ナイトメア・アリー』に続いて"見世物"としてのそれ。きっとより原作の精神に忠実な教訓やメッセージに満ちたダークな面にミュージカル要素。なんて魅力的な造形とストーリーテリングの融合、手作りならではの温かさが毎フレームに命を宿す。生き生きと美しく目を奪われるストップモーションアニメによって紡がれる普遍的な物語に心奪われる心に棲み憑く魔法。みんな大好きギレルモ・デル・トロの自分の中で幻になりつつあった企画、『パンズ・ラビリンス』的でもあって創造の幅に驚かされる。楽しそうだもん。ねぇ、これは何?何に使うもの?いいね!興味津々にそそられる冒険、命の探検へと旅立つ。
父と息子の物語。普通の男の子がいい!甘い言葉…学校に行くよりみんなに好かれたい!ウソをつくとこうなる。どうしてカルロ(息子)のようになってくれないんだ!お前はとんだ重荷だ。署名も書き置きもニコちゃん太陽、パパのことが大好きだし重荷になりたくない。見るもの触れるもの全て新鮮に映る子供らしい純粋無垢な真っ直ぐさが世の中に疑問符を投げかける。自分の都合で、利益のために群がる周囲の大人たち。戦争など間違ったことを間違っていると言えない風潮、誰も疑問を挟みさえしない集団意識。…全財産あげるから、ひと目"息子"に会いたい。ボイスキャストが適材適所すぎる!その一例としてユアン・マクレガーの役柄は、彼がディズニー俳優である中でも、昨今の実写化ブーム火付け役『美女と野獣』や、導くという意味ではかのオビ=ワン・ケノービも思い出すかも?
勝手に関連作品『ピノキオ』『パンズ・ラビリンス』『ナイトメア・アリー』『ジャイアントピーチ』
フランケンシュタインを念頭に置いて「リファイン」された、ギレルモ・デル・トロ印の「真・ピノッキオ」。
今更ながらWiki で見て知ったんだが、ピノッキオの「ピノ」って「Pine」=「松」から来てるのね。
「松っ子」ってわけだ。なあるほど!!
ちなみに、森永の「ピノ」もイタリア語の「松ぼっくり」から来てるそうです。
ふと気づくと、意図せずして『マッドゴッド』『ノベンバー』『ピノッキオ』と、ストップモーションの映画を立て続けに三本も観てしまった。こういうのって、なんでか被るよね。
そのなかでも『ピノッキオ』のストップモーションは、ちょっと綺麗すぎるくらい綺麗で、どれくらいのCG補正がかかってるのかと疑わしくなるくらい。これだけ動かしまくった2時間の映画を1年でさくっと作っているところを見ると、やはりジム・へンソンのスタジオはガチで凄腕揃いなんだろう。
ただ、ここまで綺麗に仕上げちゃうと、ストップモーションにこだわって作った意味が、逆に薄れちゃってるような気もするなあ……。
意地になってストップモーションでの製作を貫いたって言ってるけど、その割には限りなく3Dグラフィックスに仕上がりが近づいてるわけで。なんだか、プロに任せてたら、最新技術のせいでなし崩しになにかの軍門に下ってしまったかのような……。
まあ、別にストップモーションだからと言って、「かくかく」してたり、「ハンドメイド感」にあふれてたり「しなければならない」道理も別にないんだけど、せっかく蚤の市に行ったのに、売ってる商品の作りがプロっぽすぎて、逆にレディメイドに見えて買う気が失せちゃった、みたいなところは正直あったかも。
でも映画の中身は、思っていた以上に普通に良いお話で、個人的には大いに愉しめました。
ギレルモ・デル・トロだから、もう少し強烈な「クセ」を出してくるかと思ったが、全然そんなことはなく、ほっこりと優しい気持ちになれる、ちゃんと子供でも楽しめる「まっとうな児童映画」にしあがってて感心。なんだ、意外にこの人空気読めるじゃないか!
と思ったけど、考えてみると前作『ナイトメア・アリー』でも、フリークスと奇術まみれの頭のおかしい原作に寄せて、もっと狂った作りにするのかと思いきや、結構まっとうなノワールに仕上げていて、一般向けにずいぶんと「自制」してる感じがしたものだった。
やっぱり、オタクの割には客層に合わせて空気の読める監督さんなんだな。
本作は意外なくらい「元ネタ」に当たるディズニー版の設定とキャラクターを素直に受け継いで作られている。というか、もともとの童話の『ピノキオの冒険』よりも、明らかにディズニー版のほうに依拠した「私的リメイク」になってる感じ。コオロギがメインキャラとして君臨してるところとかもそうだが、そもそも「ミュージカル」として作っていること自体、ディズニー・リスペクト以外の何物でもない。
ギレルモ・デル・トロ自身、ディズニー版への限りなき愛着を縷々語っていて、「原作」にあたるアニメを貶めるようなつくりにする気は、さらさらなかったようだ。
多少コオロギがリアル寄りでゴキブリめいていたり(作中でもゴキブリ呼ばわりされる)、ピノッキオの登場シーンがホラーじみてたりと、デル・トロっぽいっちゃデル・トロっぽいけど、チェコのストップモーションあたりの「エグみ」と比べれば、十分子供向けといっても通用するキャラデザだと思う。
とはいえ、時代設定をわざわざ第二次大戦前夜に移して、いかにも愚劣きわまるムッソリーニを出してみたり、興行主や町の有力者を戯画的なまでのろくでなしに描いてみたりと、彼らしい「改変」を加えては来ている。
『シェイプ・オブ・ウォーター』でも示した、権力者への過度の嫌悪感と、諸手を挙げての弱者肯定。個人的にギレルモ・デル・トロのそういうところって、単純に胡散臭くて気持ちが悪いのだが、トランプ憎しで作品全体が変な生臭さを放っていた『シェイプ・オブ・ウォーター』と比べれば、「勧善懲悪の子供向け寓話」のなかに自らの政治信条を落とし込んでいるので、観ているこちらも素直に飲み下せる。
『シェイプ・オブ・ウォーター』のような「大人向けの寓話」で、掃除婦と半魚人がナチスみたいな軍人に打ち勝つのは、しょせん荒唐無稽な夢物語に過ぎない。あの話は『パンズ・ラビリンス』同様、本来はアンハッピーエンドで「終わらせないといけなかった」作品だったと僕は今でも思っているし、そうしなかったせいで、ギレルモ・デル・トロの必死さ、余裕の無さだけが伝わってくる、ただの痛々しいオナニズムの映画になり下がってしまった。
一方、「子供向けの寓話」なら、いかに監督が「虐げられる弱者」に超人的な活躍の場を与えても、「もともとそういうジャンル」なので、ちっとも違和感がない。
考えてみると、「異形のクリーチャーと出逢った人間がお互いに心を通い合わせ、周辺の生活弱者と力を合わせて、巻き込まれた暴政と対決し勝利を収める」って意味では、ほとんど『シェイプ・オブ・ウォーター』の焼き直しみたいな企画なんだな、これ。
でも、格段に「語り口」と「説得力」は巧さを増している、と。
ー ー ー ー
『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』を語る視座は、いくつか存在するだろう。
まずもって、突き詰めて考えれば、これは「父と子」の映画だ。
監督自身が示唆しているとおり、ピノッキオの物語は、「フランケンシュタイン」とある種、同じ構造を持っている。両作とも、勝手に作られた人造人間が、創造主から「善の心」を期待されながら、悪さばかりする話だ。あるいは、その異形性ゆえに差別され、迫害され、「父の期待に応えられない自分」に傷つく話だ。
本作には、母親不在の「父子」が三組登場する。
ジュゼッペ爺さんとピノッキオ、町の有力者(軍人)とその息子、興行主と手下のサル。
「息子」たちは皆、つねに父親の愛を渇望している。
でも、思った通りの愛情を返してもらえない。
三人が「悪いこと」をするのは、それぞれに若干原因に相違がある。
ピノッキオは持って生まれたADHDの傾向によって。
有力者の息子は運動音痴の劣等感と、父に認められない苛立ちが嵩じて。
サルは主人に対する独占欲とピノッキオへの嫉妬心によって。
有力者と興行主の子どもへの接し方は論外だが、ジュゼッペもまた、「亡き子の身代わり」としてピノッキオを観ているという意味で、ずいぶんと残酷な仕打ちをしているともいえる。
結局、改心できたジュゼッペは幸福な余生を約束され、できなかった二人は相応の結末を迎えることになるわけだ。
ちなみに、親子の情愛の意味合いを探るタイプの映画で、ここまで女性性が排除されている作品も珍しい気もする。いやたとえば『キッド』とか『自転車泥棒』とか『ペレ』みたいに、片親で苦労して子育てしてる父親の話ってのはたくさんあるのだが、三組出してきていずれも母親不在ってのは明らかに「意図的」な作りで、よほどギレルモ・デル・トロは「父性とは何か」に焦点を絞って作品を作りたかったように見える。あえて「母性」は夾雑物になるので除外したのか、それとも「母性」については語りたくない/語れない何らかの理由があるのか、そこのところはよくわからないが。
『ピノッキオ』を語る第二の視座は、「主人公の異形性」をどう扱うか、という問題である。
先に、監督自身が『ピノッキオ』と『フランケンシュタイン』の類似性について言及していると述べたが、本作のピノッキオもまた、「木の人形」という人ならざる「木偶」として生み出された存在だ。森の妖精によって、命を吹き込まれたといっても、人形は人形。モンスターと変わらない。
さらには、生まれついてのお調子者で、モノは片端から壊すわ、くるくる関心の対象が目移りするわ、どう見ても現実の「多動児」をイメージしたキャラづけになっている。
ポイントは、「こういう子をどうするか」という一点において、原作およびディスニー版と、ギレルモ・デル・トロ版には大きな違いがあるということだ。
原作&ディズニー版の場合、もともと「優しく正しい、いい子になろう」という道徳的な教訓譚の側面が強く、だからこそピノキオは噓をついたら鼻が伸びたり、誘惑に負けるとロバになりかけたりするわけだ。物語の最終的な目標は、「いい子になって、本当の人間にしてもらおう」という妖怪人間ベムみたいな宿願である。なにせ原作に関しては1970年代に、障がいのあるキャラクターが「落伍者」として扱われ、「五体満足で利口」な主人公が「期待される子供像」とされているとして、差別的だと回収裁判が起こされているくらいだ。
だが、ギレルモ・デル・トロ版は、かなり毛色が異なる。
本作では、むしろ「ありのままのピノッキオ」を「周囲(とくにジュゼッペ)が認め、受け入れる」ことこそが、最終的な目標として呈示される。
木の人形は、木の人形のままでいい。人間の子になったりしなくていい。ピノッキオは、死んだ息子の身代わりではない。生まれたままの個性を伸ばして大きくなればいい。
(怪魚からの脱出においては、むしろ「良い嘘をたくさんつく」ことが称揚されるのだ!)
そのことに、「大人の側」が気づくことで、初めて「幸せな結末」が見えてくる。
その意味で、本作はきわめて現代的な価値観で旧作をリファイン(?)した作品だといってよい。
『ピノッキオ』の第三の視座は、「死にまつわる思索」という側面だ。
「ピノッキオは、人ではないから、死なない」。
ギレルモ・デル・トロは、この新たな「決まり事」を前提として、どういったことが作中で考えられるかを、いろいろと模索してみせる。「不死のメリットとデメリット」を巡る思索だ。
「死なないなら、兵士としては最適ではないか」
「死なないなら、あまり死を恐れないのではないか」
「死なないなら、回りから先に死んでいくのではないか」……。
お話は、「ロボット戦」の概念から始まって、やがて「八百比丘尼」のような話に行きつく。
僕たちは、無垢なるピノッキオとともに、一度さまざまな「先入観」を捨てて、「死」という概念と白紙の状態からもう一度、向き合うことになるのだ。
ー ー ー ー
とにかく個人的には、「ミュージカル」としてちゃんと成立していたのが、何より一番良かったと思う。
ピノッキオ役の少年(グレゴリー・マン)は、やんちゃな多動の少年を生き生きと演じていて、歌も『ビリー・エリオット』みたいで耳に残ったし、胸にも残った。♪ミ~パパ~、ミ~パパ~(涙)
ユアン・マグレガー(まったく気づかなかった)のコオロギも、素晴らしい歌と演技を披露。なんどぺちゃんこにされても復活するという意味では、彼もまたカートゥーン・キャラとしての「不死性」を担った存在だった。
あと、サルってケイト・ブランシェットだったんだな。マジわかんねーよ……(笑)。
総じて、大人が観ても考えさせられ、子供が観ても純粋に楽しい、個性的なエンターテインメントに仕上がっていると思う。
クリスマスの夜長に、「パパと息子」で観るのなんかがおすすめです。
反骨精神と精神的成長を持ち合わせたモンスター
デル・トロさんのモンスター趣味全開で、キャラは不気味さに溢れておりました。
ムッソリーニのファシスト党支配時代が舞台で、国を戦禍が覆っている中の物語なのが、ダークさをマシマシ。
幼い少年らしい我儘で欲望に弱く、すぐ騙されちゃうピノッキオですが、
反面大人が戦時下に決めたルールに盲目的に従わない賢明さを持っています。
その成長しない肉体とは別に、早々に自立し自由を求めるという「精神的成長」を持ち合わせているのです。
これには、独裁者には従わないというメッセージが込められていると思いました。
また、「神が気まぐれに与えたかりそめの命ゆえ不死」という設定があり、これを生かして危機を乗り越える頭のよい子でもあります。
そんなピノッキオの性格と設定が物語の核になっていたため、よくあるおとぎ話の「人間になって幸せに暮らしました」で終わらなかったのもよかったです。
動きも滑らかで 素晴らしいですね。
大好きなモーションピクチャーで たーまーりーまーせーん。(^Q^)/゚
悪役が 良いので(笑) 引き立ちますね。
自己犠牲の場面は ちょびっと泣けました。(T_T)
文部省推薦にして欲しいものです。
魔女も 見た目は「悪」ですが なかなか良かったです。
ムッソリーニをおちょくった処や怪魚の造形などデル・トロらしいが、基本的にはデル・トロ作品には珍しいストレートな人情劇。ラストクレジットに流れる曲・音楽はまるで往年のハリウッドミュージカルの様。
①ラストクレジットで錚々たる面々が声を当てているのにビックリ。ユアン・マクレガーが『ムーラン・ルージュ』以来(私にとっては)朗々たる歌声で歌い上げてくれる。
②2019年の『ほんとうのピノッキオ』では結構説教臭い話だったんだと思わされたが、本作では説教臭さは殆どなく風刺精神は残しつつエンタメ(ミュージカルな味付け)+ファンタジーとなっている。
③時代背景をイタリアがファシズムに席巻された第一次世界大戦と第二次世界大戦との間の時期にし、原作の悪辣な商人によって子供達がヤギに変えられるところをファシストが子供達を戦士にする設定に変えたところも巧い改変。
④ピノッキオはいい子に成ろうとは言うが、(妖怪人間ベム・ベラ・ベロのように)“人間に成りた~い”とは言わない。最後まで人間の子供には成らず、木の人形のままというのも『シェイプ・オブ・ウォーター』を監督し異形好きのデル・トロらしい。
⑤ピノッキオが木の人形なので何度も生き返る(死なない)ところや、死の国、死を司る精霊が登場するところは『パンズ・ラビリンス』に通ずるダーク・ファンタジーの味。
⑥本作のピノッキオは良い子と悪い子との間をあまり言ったり来たりしないし、クリケットもピノッキオのガイド役というよりもコメディリリーフ役に近いが、ピノッキオの胸のところの洞(うろ)が家というところが、『人造人間キカイダー』(ピノッキオの物語がモチーフ)のジェミ二(良心回路)を思い起こされて懐かしい。
⑦嘘をつくと鼻が伸びるピノッキオの有名な弱点を逆手にとったクライマックスの工夫も上手い。
⑧『ナイトメア・アリー』にはガッカリさせられたが、本作は良かった。ややベタなラストにも泣かされたし。
おじいさんを悲しみの淵から戻ってこさせたのはピノキオの存在でした。
命は永遠ではない。いつ尽きるかわからない。だから大切な人と過ごせる今を大切にしよう。
ありのままの自分がすばらしい。
今できるベストを尽くせばそれでいい。
もっといろんなメッセージがあったような。
おサルやコオロギ、死の世界のうさぎさんや魔女など脇役もいい味出してました。
大人たち、鑑賞してメッセージを汲み取り子どもたちへ伝えてほしい
デルトロといえば私の中ではブルーグレーとでも形容するのが適当なのかわからないが、独特の色合いが印象的で、本作も空の色やコオロギのセバスチャン?がその色合いで、エンドクレジットまでがブルーグレーだった。
ストーリーは、ほんとうのピノッキオとはまた異なるものだったが、共通していたのは子供の純真無垢さは時には残酷な一面も持つことだろうか。
本作はそこに戦争を噛み合わせ、純真だからこそ教えられた戦闘を是とする子供、しかし意味のない争いは不毛だと市長に反抗する姿やムッソリーニを揶揄することで反戦のメッセージを強く押し出したのだと感じた。
そして、何度も生き返ることができるピノッキオが自らの命をなげうってでも手に入れたいと感じた生命の大切さ。
更には仲間を思う気持ちなど、幾重にもメッセージが込められていたのだと思った。
子供には難しい内容もあるだろうから、是非とも大人が先行鑑賞して、それから子供と一緒にもう一度見る、そして話し合いながら噛み砕いて伝えてほしいと思う作品でした。
スクリーンで集中して見てほしいなぁ。
斬新で美しい大人向けの「ピノッキオ」
また「ピノッキオ」かとも思ったが、これまで観たどの「ピノッキオ」にもないオリジナリティーを感じることができた。
まずは、ゼペットの息子のカルロが亡くなる顛末がしっかりと描かれている。時代背景も、第1次世界大戦中のことであると明確に示される。
そこから、ゼペットがピノッキオを作った目的が、「死んだ息子を自ら作る」ことであるということも明らかになるし、ピノッキオにカルロのようになってもらいたいと願うゼペットと、自分は自分らしく生きたいと願うピノッキオとの確執も浮かび上がってくる。
そして、この映画の大きな特徴となっているのが、戦争とファシズムに対する明確な批判だろう。何よりも、ピノッキオが、ムッソリーニの目の前で、本人を揶揄するというシーンが出てきたことには驚いた。
ピノッキオの純粋無垢さが、あまりイライラしない程度であるのはいいし、嘘をつくと鼻が伸びるというギミックが、大魚からの脱出の手段として、ちゃんと活かされているのもいい。
そして、ラストでは、ゼペットがありのままのピノッキオを受け入れるのだが、それまで、同じように、父親(もしくはそれに類する存在)に愛されたいと願いながら、それが叶わなかった市長の息子とカーニバルの団長の猿のエピソードがあったために、この親子の和解は、より感動的である。
さらに、木の人形が本物の人間になるというクライマックスが、視覚的にではなく、「命のはかなさ」という観点から描かれているのも斬新だし、物語に深みを与えているように感じた。
ストップモーションのどこか温かみのある映像とともに、心に染みる「ピノッキオ」の物語だった。
めちゃくちゃ良かったです。
お人形の世界。
お人形を作る人間と、その想い
人形と、人間の違い。
そこを越えていくお人形の、人たちの、想い。
子供の頃にこそ、触れてほしい
素晴らしい言葉、メッセージもたくさん織り込まれていると
私は感じました。
とにかく全編
めちゃくちゃ泣きました。
鑑賞後は
登場人物全てが、愛おしくなる作品。
私はリアルに人形店を営む程の人形好きで
お人形、創作人形作家さんたちとも近い世界にいます。
だからかな?
おじいさんが心血注いで人形をこしらえるシーンは
感激ものでした。
素晴らしかったです。
人形が良かった
おもちゃ職人のゼペットじいさんが空襲で息子を亡くし、その時息子が持ってた松ぼっくりを墓地に植え、何年か後に成長した松の木で作った人形のピノッキオに命が宿り、冒険の中で苦難を乗り越え成長していく話をギレルモ監督がストップモーションアニメで描いた作品。
ピノッキオのストーリーはおぼろげながらしか記憶してなかったから、原作と合ってるのかはわからないけど、ストーリーは面白かった。
人形も詳細まで作られていてクオリティが高かった。
怪作!ピノッキオから人生を学ぶ
実はとんでもない不意打ちの傑作なんですけど、ギレルモ監督風味を表現する上で、「怪作!」とさせていただきました。
私、ギレルモ監督作品はパンズラビリンスからのファンで、特に彼の「異形のモノ(=クリーチャー)へのこだわり」、「残酷描写(グロ耐性必須)」など「そこはかとなくエロ(笑)」などなど、嗜好的にツボでございます。
今回なぜだか知りませんが、かつてディズニーがアニメ化したピノキオをリメイクするということで、これは原作寄り(原題はピノッキオらしい)に作り直すのかなと考えてましたが、ミュージカル的な演出もあることから、ディズニーへの敬意もしっかり取り入れている様子でした。精霊もきっちり青くてキモチ悪・・・ネタバレはやめておきます(笑)。
ただ、原作やディズニーとかなり違うのは扱うテーマが多数あり、より大人向けの物を含み、かつ内容が海の底ほど深いのです。無論、「正直であること(良心について)」を筆頭に、「死生観」「かけがえのない友情」「父と子の軋轢、そして相互理解」「戦争の狂気」・・・書ききれないものも含めてトータルすれば、まさに人生なのですわ。これを間違いない、確かな教訓と共にきっちりと答えを出す点は本当に潔く素晴らしいと感じました。
そしてこれらをあくまで純真無垢なピノッキオの視点で素直に表現するから、いい歳のオヤジはそのギャップに感涙必至。
大人こそ、そして人の親なら尚更見ていただきたい傑作だと思います。
では。
結末こんなだったっけ…。
ストップモーションアニメはどんな作品みてもすごい。その労力にも感嘆するけどこのピノキオ、さらに肌質もリアル感でている気がする。それにやっぱり映像がファンタジックで童話に最適。人を思い遣ってこその人生、感動した。
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