「枯木になるかと思うくらい泣いた」ギレルモ・デル・トロのピノッキオ 思いついたら変えますさんの映画レビュー(感想・評価)
枯木になるかと思うくらい泣いた
色んなサブスクを出たり入ったりしてたが、長いことNetflixとは縁がなかった。なんか、あんまり刺さるネタがなかったのだ。著名作は他でも見れるヤツばかりだし、オリジナルコンテンツも微妙に僕のツボじゃないなぁ...(観ないで偉そうに言う事じゃないけど)そんな感じで「よく分かんないけどチヤホヤされてるとこ」ぐらいの距離感だった。
YouTubeから、最近海外の映画・アニメレビュアーを良くおすすめされるようになった。言葉は分からないけど、意外と言いたいことが何となく伝わるので面白く、寝る前とかによく見るようになった。(コメント欄は翻訳できるしね)
段々、ある時期に『ピノキオ』の映画を比較レビューしてる動画が幾つもあることに気づいた。ディズニーの実写版は一回痛い目を見たのだが、比べられてるもう一本はよく知らないやつだ。え、デルトロ...?パンズ・ラビリンスの人にピノキオ撮らせちゃったの!!?
気づいてたらネトフリ入会したのがこれ打ってるほんの2時間前です。
正直「ピノッキオの冒険」って何十年も擦られてる題材だし、流石によく知ってるお話だ。これから初めて見る年頃の子供ならともかく、こんな年長向けに作ったって、もうしゃぶり尽くされてるんじゃない?というのが観る前の構え方だ。それでも観たくなったのは、動画で見かけたブルーフェアリー(でいいの?)のデザインが驚天動地にカッコよかったからだ。ビジュアル的にフレッシュなものが見れたら儲けもん、それぐらいの温度で観始めた。
果たして観終わって、僕は自分で引くくらい泣き腫らしていた。声を上げてへの字口で泣いてた。何年ぶりだこんなの...。デルトロやべぇ...何でも撮れるじゃん...。
まず期待通り、ビジュアル面は唸らせる拘りようだ。ピノッキオからして間近で見ると見慣れないうちはちょっと怖い、でも遠くから見るとウーパールーパー的なあどけなさ。そして当然無邪気で善良だから、後半には見る側もすっかり気を許してる。良いバランス!しかも胸に「良心」の居住スペースが物理的にある。なんだよコイツら、可愛いじゃん...。
加えて見せ方を間違えたら退屈になりかねない普通の人間キャラクターたちも味わい深いデフォルメ具合。キツネと人形芝居小屋のオヤジをミックスしたヴォルペ伯爵は露骨な位分かりやすいし、市長親子にしたってひと目で「あ、それぞれこういう性格なんだろうな」って刷り込まれる出で立ち。
ブルーフェアリーに該当する精霊たちの魅力は言わずもがな...見ただけで「うわ、超常的な地位の存在じゃん」と判断させられるし、正直「ピノッキオの登場人物」としてはギリギリのラインだと思う。もうちょっとリアルな顔つきにすればフロムゲー出れるもんあいつら。でもその異物感が立場の説明になってるから...うーんセーフ!
でさぁ、内面的なキャラ造形も抜かりないの!!
(こっからネタバレゾーン)
冒頭のゼペット爺さんのくだりから「ああ、この後...」とハラハラしながら見守る羽目になる。いちばん有名な旧ディズニー版だって「子供がいたらいいなぁ」ぐらいの深みで止まってたのに、その「いいなぁ」の背景をハイレゾにして見せられる。即ち、生きてた頃の息子との日々。エグいて。お話作りの手段としては鉄板だけどやっぱりエグいて。
で、これを一枚噛ませた事で、その後のゼペット爺さんのキャラクターとしての厚みと重要性が見違えるほど跳ね上がる。
息子を失ってからの喪失感と廃人ぶり。
酒の力も相まって「新たな息子」を彫った時の狂気性と慟哭。
生きた人形を産んでしまった異常事態へのパニックと畏れ。
新たな家族を得た喜びと愛情の帰還。
息子を奪った戦争への感情と、現実として戦時真っ只中である世間との乖離。
そしてある事(後述・超ネタバレ)への激しい自戒。
箇条書きでこの情報量、しかもどれも話の筋道的に横道に逸れてない。見応えがおかしい。ディズニー版評として「旧版はジミニーこそ第二の主人公でバディ物」ということを前に書いたけど、本作の第二の主人公はゼペット爺さんに譲る。勿論コオロギのセバスチャン・J・クリケット氏は「良心・相談役」そして「話の進行役」として存在感を発揮し続ける...不必要に不幸体質ではあるけど。
で、本来の主人公であるピノッキオの特別感が凄い。
純真で正しいキャラクターというのは何となく退屈そうで、フィクション擦ってる人ほど忌避しがち、もしくはその欺瞞性を暴く流れに持っていきがちなんだが、
例えばアンパンマン然り、スーパーマンのクラーク・ケント然り、ピュアも突き詰めると強烈に磨きあげられた鏡のような輝きを放つ。鉄腕アトムなんかもっと近いか。そして誰かのヒーローになる。
生まれたてのピノッキオ、無菌状態ゆえに世の中の仕組みと足並みが全く合わない。この危なっかしさをオブラートなしでしつこく念入りに描くのは、多分造り手側も神経すり減ると思う。でも、そこまでやってくれるから成長が引き立つ。ただ「そういう設定です」じゃウザキャラになっちゃうからね、プロの作品でもそういうキャラいがちなのでハラハラしたけど、彼はすごい領域にまで進化する。
少しずつゼペット爺さんやセバスチャンから受け取った言葉をスポンジのように吸収し、そして幸福にも善良な落とし所で反芻・理解したピノッキオは、やがてその言葉を用いることで、自身に悪意を抱いていた一部キャラクターたちにも変化を与えていく。サーカスの人形芝居では不当に認められない今に嫌気がさしている白ザルの理解者に、軍事訓練校では熱烈なファシストの父に応えようと自身の捌け口がない息子の友達になる。
『寂しい者への喜びとなるように』として精霊に生を授かったピノッキオだが、それは父であるゼペット爺さんに限らず、行く先々の「寂しい者」の目に灯りをともしていくのだ。こんなんあれですやん...キリストですやん...!実際教会出てくるし、意図的なのかも。
その後、ご存知海の怪物(←なんかディテールキモい!)の腹でゼペット爺さんと再会するピノッキオ(と味方になった白ザル)。
(こっから終盤ネタバレゾーン)
鼻を伸ばし潮穴までの橋にして脱出しようという流れに。
窮地を脱するためにワザと嘘をつく展開は新ディズニー版でもあったんだけど、こっちは嘘(=本心と真逆の事)の内容が全部涙腺に来る...!!「(笑顔で)パパ、嫌い!セバスチャンも大嫌い!(鼻ニョキニョキ)」う、うわぁぁぁぁ!!!ここに来るまでケンカや仲違いもいっぱいあっただけにうわぁぁぁ!!!!😭
こっからもう、畳み掛けるように二重三重に尊い...。
ピノッキオは木の人形という生き物であって生き物でない微妙な存在なので、人生に制限がない。轢かれても撃たれても、何度も冥界にある砂時計を回して蘇るという下りがあったのだが、海に沈み溺れるゼペット爺さんをすぐ救けに戻るために砂時計の待ち時間を破棄し、その永遠の命を棄てる。
ゼペット爺さんは物言わなくなった木の人形を抱き締め、ピノッキオをピノッキオでなく、死んだ息子の代わりのように育てようとしていた自分を振り返り激しく自戒し涙を流す。戻ってきてくれと繰り返し訴える。
それでラストは...やっぱここでは言わない。とにかく文句マジで無し。もう、最後の最後の最後まで餡たっぷり、しかも上品なお味でした。
という訳でもう...古典的お題目である筈の『ピノッキオの冒険』に、全力で押し潰される最後のマヨネーズ容器のごとく涙を絞り尽くされた(←エンディングの歌詞まで泣かせてくる)僕は、デルトロとネトフリに舐めてましたスンマセンと深く、深くお辞儀するのであった。
ていうか...まだこれしか観てないけど、もしかしてNetflixってこのレベルの金塊ザクザク埋まってたりする...??だとしたら「(ファミリー映画のCM風に)ネトフリ、サイコー!!」とまで言えちゃうんですけど。ねぇ?どうなん?