「進示さんの言葉は重い」8時15分 ヒロシマ 父から娘へ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
進示さんの言葉は重い
原子爆弾の構造について小学生の頃に学校の図書館で調べたことがある。一番の衝撃は爆発の熱が理論的には摂氏5000万度に達すると書かれていたことだ。実際の原爆は中心部で摂氏250万度、地表で摂氏3000度くらいだったようだが、それでも想像の出来ない温度である。本には人体に長期的な悪影響を及ぼすガンマ線が広範囲にわたって照射されるとも書かれていた。
それほどの熱と放射線を発出する巨大なエネルギーを、民間人が多く住む市街地へ投下した理由は何か。当時の日本の軍部の徹底抗戦の方針は暗号を完全に分析していたアメリカに伝わっていた。このままでは日本全土が焼け野原になってしまうまで、日本の軍人は抵抗するだろうとアメリカ側は懸念した。そこで民間人の犠牲を出してでも原子爆弾を使用して、軍事力における彼我の差を明確に知らしめ、日本に負けを覚悟させる必要があった。加えて、連合国内の力関係もあり、いち早く核兵器を開発したアメリカがその威力を列強に見せつける目的もあった。つまり軍事的、政治的な思惑で原爆は投下された訳である。人道的な見地との葛藤もあったようで、必ずしもアメリカの思惑は一枚岩ではなかったが、最後はトルーマン大統領が決定を下した。そのように言われている。
そんな原爆に至近距離で被爆した美甘進示(みかもしんじ)さんは、原爆を落とした人を責めるつもりはすこしもないと言う。パイロットはエノラ・ゲイを命がけで飛ばして広島までやってきたと彼は言う。おそらくではあるが、進示さんの言葉を敷衍すると、大統領の意思決定からエノラ・ゲイがヒロシマでリトルボーイを投下するまでに多くの人々が関わっているが、そのすべてを責めないという意味だと思う。
起きている事態は戦争なのだ。戦争だから何をやってもいいという訳ではないという議論はある。しかし東アジア及び東南アジアで日本軍がやってきた残虐行為は、戦争だから何をやってもいいという訳ではないという議論で言えば、非難の対象である。原子爆弾もまた然りだ。
許すことは許してもらうことでもある。戦争は許さない心が始める。許さないことは許してもらえないことである。つまり寛容の相手は寛容または不寛容だが、不寛容の相手は不寛容しかない。進示さんの言葉は重い。寛容は不寛容に対しても寛容でなければならない。人類がその覚悟を持ったときにはじめて、戦争がこの世から姿を消すのかもしれない。