8時15分 ヒロシマ 父から娘へのレビュー・感想・評価
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実の娘が父親の証言をもとに作った作品。
原爆に関する映画やドキュメンタリーはあるが、被爆した人物がどのように生き延びたかということに焦点を当てたものはあまりないように思う。
どのように避難し、どのように治療して、どのように自身が感じていたかを自身の言葉で語られているのがじーんとくる。
隣県に住んでいるので、広島にはよく行く。広島とヒロシマの意味を自分でも考えてみようと思う。
父の遺した経験、言葉を受け継ごうとする娘の意志が結晶となった一作。
19歳の時に広島で被爆した美甘進示氏の体験に基づいた作品。美甘氏の娘・美甘章子氏がエグゼクティブ・プロデューサーを務め、ニューヨークを拠点に活動しているJ・R・ヘッフェルフィンガー監督が撮影や編集も手がけています。約60分と劇場公開作品としては上映時間が短めですが、脚本執筆にハリウッドの制作会社が関与するなど、映画製作の経験がほとんどなかったという美甘章子氏のプロデューサーとしての能力はなかなかのもののようです。
ヘッフェルフィンガー監督の意向がかなり強く反映されているという映像は、実写部分とCG、そしてグラフィックのエフェクトをかなり強調したものとなっており、被爆当時の状況の忠実な再現というよりも、そのインパクトをイメージとして提示する方向に重点を置いたものです。では現実味を欠いているのかといえば決してそうではなく、例えば被爆当時の写真や原爆資料館で被爆資料を見たとき、当時の状況はこうだったのではないか、という想像がそっくりそのまま具現化したような迫力がありますし、息子を想う父の描写は胸に迫るものがあります。また実際の美甘氏のインタビューと、田中壮太郞によるインタビューの再現映像(英語)がほどよく取り混ぜられている点も、ドキュメンタリーならではの、現実味はあるけどちょっと映像的なとっつきにくさがある、という問題点をうまく克服していました。
「どう観せるか」がすべて
優れたドキュメンタリーは、結局どう観せるのか、に全てかかってる。その意味でこの作品は充分木戸銭をとれるだけの水準に達している。内容とテーマには心揺すぶられたのか? (...ええ、まあそうですね)。でもそれより遥かに観せ方の工夫、例えば本人を最後の最後にカメラで捉える演出の巧さの方に、関心し感動した。
地獄絵図を目の当たりに
戦争があっても平和で穏やかな日常だった。
8時15分
何もかもが一瞬にして焼けただれた。
観ているこちらまで息が苦しくなった。
一瞬で人間が化け物に変わった。
それでも生きた。
死なせてくれと言う息子の身体を抱えた父親が生きてればなんとかなると唱え続け命を繋いだ。
他方では爆風で抱えてた子を落としてしまい立ちすくむ幽鬼のような母親
生き地獄とはこのことを言うのだろう。
恐ろしかった
涙も出なかった
ただただ恐ろしかった
人類最大の大罪があるとしたら原爆を開発したことだろう。
もうすぐ被爆者がいなくなる。
この映画は記録を残すという意味でも大変意義のある作品だと思った。
私達若い世代が平和を繋ぐ義務がある。
76年前のぎせいをむだにしてはいけないと思った。
評価に迷う映画
レビューの評価は押し並べて高い。勿論、悪い映画とは思えない。
アウシュビッツや広島・長崎を題材に取った映画は、その事実の圧倒的な重みに評価者に有無を言わせないところがある。この映画を見た後、「アウシュビッツ レポート」を観た。この映画にも同様なことが言える。
「事実は描かれているが、真実は描かれていない」ような印象を受けた。
広島で父と息子は被爆した。息子は重傷を負った。その息子を父は生きるようにと叱咤激励する。あの地獄なような状況で、父はなぜ強い心を持ち得たのか。私は本当に知りたいが、残念だがそこは描かれていない。その後、この親子は生き別れた。
原爆投下から76年経過している。そろそろ、被害者視点からの映画から脱却してはどうかと思う。
進示さんの言葉は重い
原子爆弾の構造について小学生の頃に学校の図書館で調べたことがある。一番の衝撃は爆発の熱が理論的には摂氏5000万度に達すると書かれていたことだ。実際の原爆は中心部で摂氏250万度、地表で摂氏3000度くらいだったようだが、それでも想像の出来ない温度である。本には人体に長期的な悪影響を及ぼすガンマ線が広範囲にわたって照射されるとも書かれていた。
それほどの熱と放射線を発出する巨大なエネルギーを、民間人が多く住む市街地へ投下した理由は何か。当時の日本の軍部の徹底抗戦の方針は暗号を完全に分析していたアメリカに伝わっていた。このままでは日本全土が焼け野原になってしまうまで、日本の軍人は抵抗するだろうとアメリカ側は懸念した。そこで民間人の犠牲を出してでも原子爆弾を使用して、軍事力における彼我の差を明確に知らしめ、日本に負けを覚悟させる必要があった。加えて、連合国内の力関係もあり、いち早く核兵器を開発したアメリカがその威力を列強に見せつける目的もあった。つまり軍事的、政治的な思惑で原爆は投下された訳である。人道的な見地との葛藤もあったようで、必ずしもアメリカの思惑は一枚岩ではなかったが、最後はトルーマン大統領が決定を下した。そのように言われている。
そんな原爆に至近距離で被爆した美甘進示(みかもしんじ)さんは、原爆を落とした人を責めるつもりはすこしもないと言う。パイロットはエノラ・ゲイを命がけで飛ばして広島までやってきたと彼は言う。おそらくではあるが、進示さんの言葉を敷衍すると、大統領の意思決定からエノラ・ゲイがヒロシマでリトルボーイを投下するまでに多くの人々が関わっているが、そのすべてを責めないという意味だと思う。
起きている事態は戦争なのだ。戦争だから何をやってもいいという訳ではないという議論はある。しかし東アジア及び東南アジアで日本軍がやってきた残虐行為は、戦争だから何をやってもいいという訳ではないという議論で言えば、非難の対象である。原子爆弾もまた然りだ。
許すことは許してもらうことでもある。戦争は許さない心が始める。許さないことは許してもらえないことである。つまり寛容の相手は寛容または不寛容だが、不寛容の相手は不寛容しかない。進示さんの言葉は重い。寛容は不寛容に対しても寛容でなければならない。人類がその覚悟を持ったときにはじめて、戦争がこの世から姿を消すのかもしれない。
赦しの語り部
1945年8月6日8時15分、爆心から1200mの自宅屋根の上で被爆した当時19歳の美甘進示氏の体験談。
御本人を模した語り部による全編英語での語りに、断片的な再現映像と資料写真、御本人の肉声を織り交ぜながらみせていく。
生々しい火傷のメイクや当時の心境など、被爆者の方々の話を何度か聞いたり資料をみたことはあるけれど、様々な人の話を何度でも聞くべきだし、とても貴重な体験が出来た。
英語には日本語の、日本語には英語の字幕が付されており、貴重な資料映画の一つになると思うのだけれど、字幕が背景に埋もれて読めない部分が少々あって少し勿体なく感じた。
それと、太平な現在との対比か何か良くわからないけれど、演技染みた章子氏のカットは折角の空気感に水を差される様で不要に感じた。
恨まず、怒らず
1945年8月6日8時15 分、広島に原爆が落とされた。
大変な怪我、思いをしながら、あれから75年、現在94歳の被爆者のドキュメンタリー映画。
広島に住んでるので被爆の惨状はある程度知っているが、アメリカを恨まず、唯一の父親の形見の被爆懐中時計を国連で盗難にあっても怒らず、「失ったものがあれば得るものがある」とポジティブに生きていらっしゃる姿勢に感動した。
何かを失うときは、何かを得るとき
昭和20年8月6日、19歳だった美甘進示さんは爆心地から800mほどの上柳町(今の幟町付近)の自宅で被爆。地獄絵の街を歩き、栄橋から東照宮、また自宅。避難所となった府中中学校で生き別れたお父様は亡くなったと思われ。原爆症に苦しみながらも回復した進示さんは、自宅の焼け跡からお父様の形見の懐中時計を掘り出す。8時15分は、破壊され歪んでしまった文字盤に焼き付いた二つの針の影が示す、惨劇の証拠。
この時計は、原爆の悲惨さを訴える目的で、1983年、NYの国連本部にケースに入れられて展示されます。89年、国連本部を訪れた美甘章子さんは、その時計が無くなっていることに気づきます。こともあろうに。国連本部での盗難。
この報を受けた美甘進示さんの言葉がすごいんです。「失うことで得られるものがある」。その言葉通り。時計の盗難を新聞報道で知った旧知の仲間や親族が、美甘さんの生存を知り連絡を取って来て、旧友復活。美甘さんは、焼失した家系図を15代前まで遡って復活させることもできました。
アメリカを憎まず。原爆を憎まず。国を憎まず。誰をにも憎悪することなく。全てを赦し、ただただ、自分の人生を生き抜いた美甘進示さんの言葉は、一点の曇りもない信念にあふれてて。
美甘さんは、その後、同じ被爆者である奥様と結婚。原作「8時15分:ヒロシマで生き抜いて許す心」の作者である美甘章子さんは、進示さんの次女。進示さんは、このドキュメンタリーが完成した2020年2月時点でご存命との事。いつまでもお元気で。
今年も、広島の慰霊式典には、黙とうする気も無く、爆騒音で人を罵り喚きたてるだけの集団が押し寄せて来ました。もう来ないでくれるかなぁ。私たちは、心底、迷惑しています。
そもそも。
二度と失わないための行動を起こす場所は、ここじゃないでしょ?
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