「体制の中の倫理観」アーニャは、きっと来る Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
体制の中の倫理観
ナチス占領下の中で、ユダヤ人をかくまったり、助けたりする映画をよく観ている。この映画でジョー(Jo:Noah Schnapp) が親しくなったドイツ軍の下士官に触れてこのレビューを書いてみたい。
現在まだ ユニバーサルな問題である、人間のサガか運命か知らないが、もしかして本質なのかもしれない。『人にされて嫌なことは自分もするな』ということで、人にされて嫌なこ
とだと十分わかっているが、体制のなか(この場合、ナチ政権)のなかで、個人の感情はなしで生きなければならない、そして、その中で生きていく人の罪の意識に深く同情する。
そして、自分の本意を通せず、辛い思いをし、それで、一生、いきていって、死ぬまで、後悔をしている人もいるだろう。辛いだろうね。
この映画を見ながら、イーストウッド監督の、第二次世界大戦における硫黄島の戦いを描いた『硫黄島からの手紙』を思い出した。ここでも、日米双方の視点から描いたといってるし、それがよくわかる。太平洋戦争のなかで敵味方と戦っていたが、国の戦いであっても、人間がいる限り、倫理観はそこに出てくる。大戦の中、自分の意見が揉み消されて、善悪を理解できる人間が生きていくのには葛藤が多すぎる。『硫黄島からの手紙』ではそれが、単刀直入に現れている。
しかし、ドイツ将校(トーマス・クレッチマンThomas Kretschmann)とジョー(Jo:Noah Schnapp )との関係は二人の気持ちの動きをよく見せている。最初、スーパーであって、ジョーは将校を先に買い物させたかったが、将校は寛大な態度で村人の買い物風景を楽しんでいるように待っている。ジョーが買い物袋を落としてしまったところから二人の会話は本格的に始まる。子供好き、人好きな将校はジョーと話すことにより、自分の子供と話しているような気分になるんだと思う。ジョーに対する優しい眼差しは『ドイツ将校』の眼差しではなく、占領下における独裁者の眼差しでもない。人として手を差し伸べている。徐々に、人間関係を築いていってるいくシーンだから好感が持てるし、『硫黄島からの手紙』より、心にジーンとくる。彼の善意はよくわかる。最後、敗戦でドイツ軍が引き上げでも、体制のなかにいる心のある人でも、 ドイツ中尉がフルベルト(ジョーの友達で身障者)を撃ち殺すところを止めることができなかった。
この青年ジョーにとって、ドイツ将校と会話をしたことにより、人生において、敵の中にも心が通じ合える人がいることがわかったと思う。そして、心のある人がこの体制の中で、なにもできないことがあることも。
映画を見終わった後、スペインとの国境にある、レスカンLescunという村を調べた。緑が豊かで、映画のように美しい村だ。ピレニー山脈の麓の閑静な村で観光地にもなっているようだ。
トーマス・クレッチマンThomas Kretschmannというドイツ将校を演じた俳優だが。人を大切にする演技が上手でだった。英語も発音がよく、ドイツ語が話せるのと思ったほどだ。ジョー役ノアも英語にアクセントをつけて話していて、ノアの話し方とはまるっきり違う。この映画は英語を使っているのが解せない。(まあ、この小説が英語でかかれているからね。)将校同士がちょっとドイツ語を話したり、村人が片言フランス語を話すだけで、不自然だった。やっぱり、フランス語、ドイツ語で、将校と村人の会話は通訳が入った方が自然な映画になる。正直なところ、この映画の後、英語圏の落人が住んでいる村かと思って、レスカンで使われている言語をしらべたが、英語という情報はなかった。