「日々旅にして 旅を住処とす」ノマドランド きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
日々旅にして 旅を住処とす
太い腕に彫られていたタトゥーの言葉は
《 HOMEとは心の中にあるもの 》
言い訳のようであり。
強がりのようでもあり。
HOUSE less がHOME lessにならないために、主人公ファーンはアメリカの大平原をゆく。あてどもない旅に出る。
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30年もつづけた僕のトラック人生。
長距離トラックにはベッドが付いているので、年間150日ほどはそのトラックで寝る。
もちろん炊飯機も完備だ。
で、残りの200日は何処で寝るかと言えば190日は会社の仮眠室を使い、
最後の10日ほどを自宅で眠る。
自分で住まない家のために銀行ローンを払い、
一緒に暮らしていない家族のために稼ぎ続けた長旅が近々、定年で一区切りだ。
そんな感じだった。
愛知県の「尾張一宮パーキング」は、皆さんご存じだろうか、高速道路の深夜のパーキングは、平日は夜の9時から明け方の5時まではトラックで満車だ。
もう絶望的な混雑で、その時間に高速道路のパーキングにトラックで行っても絶対に駐められないから諦めてください。
「平日」の「月曜日〜木曜日」。その夜の時間にはトラック運転手には車を駐める場所さえ無い。
トイレにもいけない。
寝る場所もない。
しかし厳しい法的規制で、運転は4時間につき30分は絶対に車輌を停止させないといけない。
そして翌日の運行開始まで10時間1分以上を必ず時間を開けないといけない。法律違反で会社が検挙されるから。
でも駐められない。だからみんな悲しく右往左往だ。
なぜ旅の人生を選んでしまったのかは、きっかけは人それぞれ。
たくさんの言い訳と、たくさんの過去と、たくさんのそれまでの職歴を、みんな一人残らず、運転席とベッドに山盛りに積んでいる。
「たまには家で眠りたい」と大書していたあのトラックは何処へ行ったのだろう。
銀色の軽乗用車で暮らしていたおじいさんの姿も見なくなった。家財道具とゴミで満載だった軽自動車だ。
どんな理由で、あのおじいさんもノマドをやっていたのだろう。
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劇中デイブは言っていた
「“父親”のやり方を忘れてしまったから息子と同居はできない。慣れていないんだ」。
劇中ボブも言っていた
「死んだ息子を探している」。
定住しなかった僕も、間もなく定年を迎えてしまうから、漂泊の旅が終わってしまう事への、言いようのない不安もあるのだ。
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興味があり「遺伝子解析」を頼んでみた。
僕は数万年前にアフリカで発生したあとに、大陸からこの日本列島に渡って来た形跡があるとの解析結果が出た。
我々モンゴロイドは、太古の時代に、島伝いにアリューシャン諸島を経て海を渡り、北米大陸から中米〜南米へと小舟と徒歩で移動をし、
ついには南極大陸を対岸に見る行き止まり=チリの突端フェゴ島まで行き着いたノマドの民だ。だから遥か遠くで暮らす南米のインディオは、実は蒙古斑のあるアジア人なわけで。
だから ややあって、日本列島に農耕民族として定住した者が有り。
旅を住処とした流浪の民有り。
血が、DNAが、声なき声で我々に語り掛けるのかも知れない。
主人公ファーンは、
石ころと、砂と、水と、火と、風を、
その原子の四大要素を自分の身体で確かめながら、彼女は目的地の無い旅を目的にしたのだ。
夫は死に、街も変わり、父からもらった皿は割れる。
車は古くなって壊れるし、友人たちも年賀状も減っていくではないか。
誰しもが
家族・友人の墓所を後方に残して振り返り、
自分の墓は前方に見晴らして進んでゆく。
・・これが僕たちすべての、「人間の負う旅の人生」ではなかろうか。
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108分。
監督も移民らしい。
ファーンに長期密着取材のドキュメンタリー作品だったのか、あるいはこれは非常によく出来たドラマだったのか。
理由も、終わりも、わからずに、
僕はスクリーンに映る「人と大地の春夏秋冬」をじっと観ていた。