「ファーンの横顔」ノマドランド 消々さんの映画レビュー(感想・評価)
ファーンの横顔
ファーンの心残りが記憶に変わるまでの旅だと思った。居場所が消されてなお、夜空の下、岩と岩の間、せせらぎの中、人間の領域、地上の全てを住処とする彼女のしなやかさ。人を求め、人との会話を自身の居場所にしてしまう人懐っこさと柔らかさ。ファーンは水のような人だとも思った。いろいろな感想が次から次に出てきた。それらすべてをかみしめながら、でも、ファーンの横顔をずっと見ていたかった、と一番強く思った。
肉は無く皮膚はたるみ、深い皺がはしる半月のような横顔。実際、横顔が多かっとは思わない。けれど、夜明け前や夜になりかけの紫色の世界をうつむき加減に歩き、おんぼろ車だけど「ここに住んでいる」と真剣に訴え、フィルムを覗き帰れない時間をじっと見る。岩と岩の間を楽し気にさまよい、かつての家のキッチンに立ち、運転席でハンドルを握る。印象に残っているのは、いろんな表情を乗せる、灰色の半月のようなファーンの横顔ばかり。
それはきっと、横顔は隣に立たないと見れない顔だからかと思う。友人や親しい人にしか許されない「すぐ隣」というポジション。そこに立てた気になるから、ファーンの横顔が特別なものとして印象に残っているんだと思う。
彼女のこの旅はある意味で、住んでいた街が消されて、家族との思い出も友人たちも街への愛着も心に重く残したまま旅に出ざるを得なかったファーンが、そのわだかまりと喪失感を、消えやしないけど思い出としてしまい込むまでの、記憶として消化するまでの時間だと思う。彼女がスクリーンに横顔を見せるたび、観客である私たちは「いち友人」として隣に立って旅をしている気分になる。だから、彼女の横顔をずっと見ていたい。つまり、一緒に旅を続けたかった、と思うのだ。