劇場公開日 2021年9月17日

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「【”紛争勃発前は隣人だったのに・・”ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期に行われたジェノサイドを尋常でない緊迫感の中で描いた作品。宗教、民族の違いは何故に争いを産むのであろうか。】」アイダよ、何処へ? NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0【”紛争勃発前は隣人だったのに・・”ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期に行われたジェノサイドを尋常でない緊迫感の中で描いた作品。宗教、民族の違いは何故に争いを産むのであろうか。】

2021年11月6日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

難しい

ー 1992年に勃発した紛争が泥沼化する中、イスラム教を信仰するボシュニャク人達が住んでいた、東部ボスニアの町スレブレニツァは、国連から安全地帯に指定され、オランダ軍による国連防衛軍に護られていた。
  だが、1995年7月、ムラディッチ将軍に率いられたセルビア人勢力が町を制圧。国連軍の施設には2万人のボシュニャク人達が押し寄せた。が、施設規模から2万人は収容できず、大多数の人は、施設の外で助けを待つことに・・。
  今作は、僅か25年前のナチスの如きセルビア人によるジェノサイドを、国連の通訳を務めていたアイダ(ヤスナ・ジュリチッチ)の視点で描いた戦慄の作品である。ー

◆感想<Caution 内容に触れています。>

 ・元教師だったアイダに対し、元教え子のセルビア人青年たちが、見下したように掛ける言葉の数々。
 ー 紛争勃発前は隣人だったのに・・。故郷の町を追われるボシュニャク人達の姿。ガランとした町にやって来たムラディッチ将軍が行った事。
   それは、ボシュニャク人達の文化(旗、地名)を否定して行く行為である。ー

 ・全く機能しない国連。オランダ人カレマンス大佐が、セルビア人側が、最後通牒を破ったとして空爆を求めるも答えはない。圧倒的兵力の差により、易々とムラディッチ将軍達に、基地に入り込まれ、人々は男女に分けられて、男は“死のトラック”に乗せられて、どこかに運ばれていく。
 泣き叫ぶ女達。
 ー これは、本当に25年前に行われたことなのか?民族浄化を行ったナチスと同じではないか。更に言えば、国際社会が少数民族を見捨てたかのような、無関心な態度。
 日本でもボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、報道で報じられていたが、ここまで悲惨極まりない行為が行われていたとは・・。ー

 ・アイダは、せめて自分の夫と息子二人だけでも救おうと、基地内を必死の表情で走り回るが、オランダ軍人たちも、”規則”を建前にして、相手にしない・・。
 ー 職務を放棄して、部屋に籠る大佐。外国による平和維持活動の限界を問題提起しているシーンである。ー

 ・学校の講堂らしき建物に連れ込まれた男達。セルビア人将校は、”今から映画を見せる”と言い。扉を閉める。建物上部から男達に向けられた銃口。
 ー 銃声が響き渡る中、セルビア人の子供たちは、サッカーに興じている。物凄くシニカルで、恐ろしいシーンである。ー

 ・紛争終了後、虐殺された男性達が土の中から、掘り起こされ、白い建物の中に骨と遺留品が並べられている。女性達が、夫、息子を探す姿。
 アイダは、セルビア人たちの冷たい視線を浴びながら、且つて家族で住んでいた家を訪れる。出て来た若きセルビア人の女性。

<ラスト、アイダは幼き子供たちを教える立場に立っている。微かな希望を感じさせるシーンであるが、ジェノサイドを引き起こしたムラディッチ将軍が数年後に言い渡された量刑は、終身刑である。
暗澹とした気持ちになる。
 更に言えば、2021年の現代でも、アメリカ軍が引き上げたアフガニスタンでは、アイダ達と同様のアルカイダの脅威に晒されている人たちがいるという事実である。
 宗教、民族の違いは、何故に憎しみを生み出すのか・・。
 世界はいつになったら、多様性を受け入れられる文化に熟成するのであろうか・・。
 観る側に重いテーマをに突きつける作品である。>

<2021年11月6日 刈谷日劇にて鑑賞>

NOBU