ミス・マルクスのレビュー・感想・評価
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歴史上の人物の胸中をこんなふうに奏でるとは
時は19世紀の終わり。カール・マルクスの末娘のエリノアは、偉大な父の亡き後、いったいどんな人生を送ったのか。この物語は、労働者や女性の権利向上のために活動した主人公の生き様を描きつつ、同時に、毅然とした表情の裏側にある彼女ならではの苦悩を浮き彫りにする。とはいえ、イタリア生まれのニッキャレッリ監督はこの映画を決してそこらにあふれた定型的な伝記の域にとどめようなどとは全く思っていない。それゆえヒロインの中で感情がたかぶりを見せる時、その思いを代弁するものとしてなんとパンク・ミュージックを炸裂させる。これにはきっと賛否が分かれるはず。だが監督の目には確かにこう映ったのだろうし、彼女の生き様からパンクの魂を感じたのもきっと事実なのだろう。それを純粋に映像へと昇華させることこそひとつの作家性である。成功しているか否かは別としても、この大胆な試みというか失敗を恐れない度胸を、私は興味深く受け止めた。
カール・マルクスの娘の伝記
カール・マルクスの娘が活動家だったことは知らなかった。彼女なりの信念を持ち、大衆の前で立派に演説をする。立派な賢い女性である。なのに、なぜ自分のことになると、、、あんな男に惚れてしまったんだ?日々自分が語っていることに反しているのでは? 奥さんがいて、自分は正式な妻にもなれない。お金にもだらしなく、他にも女がいるらしいと感じながらも寄り添う。そんな男、さっさと捨てちゃいな、と観ていてヤキモキ! ついには辛くなって自殺しちゃうなんて。彼の元を離れていたら、その後も活動し続けていたんだろうと思うと残念!
ノリは好き。けど内容が乗り切れない
これからご覧になる方は、Wikipediaでも良いので。マルクス一家の情報はインプットしておいたほうがよいですね。初見で家族状況について置いていかれちゃうんで。 本作、好みわかれちゃうかな? 僕は彼女のことはよくわからないけど、この音楽を使っているなら、もっとパンキッシュな描き方して欲しかったかな。事実かどうかは置いといて、私生活についてをもっと。なぜ、だめんずに行くのか? 彼女の幕引きが一体どんな動機だったのか?を観客に考えさせてくれるような、イメージ膨らませてくれるような、そんなの欲しかったなー。彼女の中での何かぎ弾けたはず。もちろん誰も真実はわからないのですが、でも提示して欲しかったかな。 社会活動と私生活のギャップの訳も事実じゃなくてよいから、なんらかの提示が欲しかったかな。 父に自由を与えてもらえなかった。その反動なのか?とにかく、自身が選んだ結果だったのだろうか? 反体制、けど私生活では搾取されることを良しとしてる。強がり?なんだろ? そのあたりの描き方に不満があるんです。 凄く惹きつける人生、もっと踏み込んでほしかった。
¥800出してパンフレットも買った
オープニングから大音量、パンクロックの音楽が流れた。ヴィクトリア朝の時代の話なのにと少々違和感がありましたが、エンディングですべて理解できた。 ニュース解説の番組ではないですが「そうだったのか!」という感じで、宣伝チラシの絵柄はこの映画の本質を衝いてます。 歴史上足跡、時に爪痕を残した人というのは、「これ以上は無理」というところまで振り切った生き方をしてきたはずで、エレノアもそういう人生を歩んだのでしょう。 にもかかわらず、彼らの「続き」を担うどころか、後世の人間は(知ってか知らずかは別として)その苦闘を平気で踏みつけにする。 社会はなかなか良いほうには行かないのも当たり前のことですね。 しかしこういう歴史上の人物の生涯を知ることと並んで、現在世に出ている人の本性を見抜く力を持つことも大事だ、という認識だけは捨ててはいけないと思います。 (映画の感想) エレノア、あーこの人だなあ、なるほどなあと思った一つは、 「ダメンズ」に惹かれてしまう女ごころの弱さは、ストーリー中盤でシュライナー女史の夫(?)に「ポイズンピル」を飲まされるところに伏線がありました。 見てゆくうちに、ニッキャレッリ監督は頭のいい人であることが分かってくる。 「エレノア・マルクスに対する捉え方は様々です。皆さんお好きに解釈してください」などと逃げていない。メッセージ性に直球の気持ちよさがあります。きっとご自身に自信があるのだと思います。 全国を巡回してロードショーしているようですので、自分の地域に来たらぜひ見ていただきたいと思いました。 子ども時代のマルクス家三姉妹も可愛いし、衣装も時代の雰囲気があって結構でした。 (雑 感) 午前中に座席予約したときは全部で5つ位しか席は埋まっていなかったですが、開演前は結構お客さんが入ってました。 見渡したところ、後頭部が光っている男性が8割超、この人達が日本の選挙時のリアルパワーなのか、全体の9割以上が前期高齢者以上とお見受けしました。 せっかくのパンクロックなのに。。。若い人「にも」見てほしい。
矛盾の中で生きる女性像
ぶっ飛んだ作品で、好みは分かれると思うが、私はそこそこ楽しめました。 油断すると、演説が始まります。 忘れた頃にパンクを歌い出します。 主人公エリノアの父、カール・マルクスの『資本論』は、大資本を持つ側に、弱き持たざる者たちが搾取され虐げられる資本主義の構造を指摘するもの。 民主主義制度下の、平等と権利獲得を目指す社会主義的な、革命闘争だったわけですが。 (マルクスの社会民主主義が共産主義へと変質する前は、牧歌的かつ家族重視の在り方だったという側面も見せつつ) 娘のエリノアも子どもや女性の権利を社会に認めさせる活動家だった反面。 自らダメンズな浪費家、浮気者のエドワードに愛を搾取されていくことを選ぶ。 矛盾した自らの感情の狭間で、どんどん病んでいく。 その圧迫を表現するのが演説とパンクという、実に独特な描き方でして。 エレノアが心の奥底で望んでいたのは「家族」だったが、尽くす恋で「叶わない幻想を追う快感に酔ったのかも」と言いたかったように思ったりもして。 平等を求めながら「女」として生きたのだなと。 それにしても、物語に登場する社会主義者ってだいたい口のたつ理想主義者のくせに、退廃的なロクデナシばっかりだよねw
時代に引き裂かれた不幸な女性の典型
高校生の頃、5月5日生まれの友人がカール・マルクスと誕生日が同じだと話していたのを思い出す。マルクスは1818年にドイツで生まれ、1883年にロンドンで死んだ。同時代の偉人に1821年に生まれて1881年に死んだドストエフスキーがいる。音楽家のリストやショパンもマルクスと同時代の人である。 本作品では幼い頃トゥッシーと呼ばれていた主人公エリノア・マルクスの生涯が音楽とともに描かれる。ロックは不案内なのでよくわからなかったが、クラシック曲はリストのラ・カンパネラ、ショパンの幻想即興曲、そしてショパンの英雄ポロネーズが壮大に使われていたと思う。 エリノアは偉大な父カール・マルクスの遺稿を整理し、その思想を受け継いで労働者と女性の権利を守ろうとしたようだが、彼女の演説は何故か空疎に聞こえ、心に響いてくるものが何もなかった。父が母に宛てた手紙を読んだシーンだけが心に残った。 2017年のフランス映画「Le jeune Karl Marx」(直訳「若き日のカール・マルクス」邦題「マルクス・エンゲルス」)のマルクス本人の論理はビシビシと刺さるものがあったのに、その娘であるエリノアの言葉がこうも空を切るのは何故だろうか。 その理由は映画の後半で徐々に明らかになる。エリノア本人も認めていたように、彼女の心は父親に、そしてその亡き後はエドワード・エイヴリングに蹂躙されていた。それほど彼らの理論に傾倒していたということだ。尊敬はしているけど愛してはいない。相手も同じなのではないか。尊敬されているが愛されていない。 男性なら世間の尊敬を集めることができればそれで満足だが、女性はそうはいかない。愛されなければ生きていけないのだ。愛に命をかけることはできるが、思想に命をかけることはできない。彼女の演説が空疎で心に響かなかった理由はそこにあると思う。そして、そこまで計算して演出した監督も、その演出に応えて演技した女優も見事である。 19世紀は哲学でも文学でも音楽でも、沢山の巨人を輩出したが、その殆どが男性である。女性で思い浮かぶのはイギリスのブロンテ姉妹、そしてフランスのジョルジュ・サンドだ。ジョルジュ・サンドはフランス人らしく恋多き女性で、音楽家のリストやショパンとも付き合っていたらしい。本作品でリストやショパンの曲が盛大に使われていたのは何か関係があるのだろうか。 いずれにしても、女性が生きづらかった時代である。エリノアが精神的に独立するには環境が向かなかったのであろう。子供を産んで母として慎ましく暮らすには視野が広すぎ、思想家として自立するには愛されることを望みすぎた。時代に引き裂かれた不幸な女性の典型だと思う。
ブルジョワ社会に生きるマルクスの娘
マルクスの娘エリノアは父の遺稿を守っただけでも立派だが、父の思想を実践して普及させたのも、なかなかの人物である。そういう知的な女性でも、私生活ではダメな男の内縁の妻となり、その浪費と借金に苦しむ。マルクスが生きていたときから援助していたエンゲルスから貰ったお金もあって、生活はプチブル的なのだが、そうでなければ、あれだけの思索や運動に専念できなかっただろう。ブルジョワ社会に生きる社会主義者の矛盾と葛藤の中で、なんとか人生を楽しもうともしていたのかなと想像させてくれる。歴史物なので、あの時代の服装や風俗は楽しめる。
インターナショナル
カール・マルクスの末娘で活動家の工リノア・マルクスの半生…といってもこの方存じ上げてませんでしたが。 要所要所でパンクは流れるけれど、パンクに乗せてという程でもない印象で父親の死去からの彼女の半生をみせる。 確かに賢く議論が好きな印象はあるし、思想を語る演説シーンもあるけれど、選んだ男やその関係性をみるに親の後光を浴びているだけという印象は否めず。そこに特化した話でもないしね。 だからこそのこの最後なのか、そこまではわからないけれど、矛盾とか葛藤とか、みたいなものの中で溺れてしまった人なのかなという印象を受けた。
女性として生きるということ
主人公は、資本論を書いたカール・マルクスの末娘のエリノア・マルクスで、通称はトゥッシーです。 ミス・マルクスという題名は、エリノア・マルクスが結婚せず、内縁関係のままで、自殺ということを表しています。 エリノア・マルクスは、才女だったようですが、自信過剰によりエドワードのような男性との関係を断ち切ることができなかったのではと感じました。 世界史や経済史に興味のあり、カール・マルクスを知っている女性にはお勧めできる映画です。 映画「マルクス・エンゲルス」の続編のような映画だから、映画「マルクス・エンゲルス」を鑑賞した人にもお勧めです。 登場人物は、知っていることが前提で、物語が進みます。 パンフレットには、登場人物について、詳しく書かれているので、パンフレットを購入し、読んでから、鑑賞することをお勧めします。 カール・マルクスの妻であるイェニー・マルクスは、カール・マルクスが亡くなる2年前に、亡くなっています。 長女のジェニーは、フランス人と結婚し、フランスに住んでいますが、カール・マルクスが亡くなる数か月前に、亡くなっていて、ジョニーという息子がいます。 次女のラウラは、フランス人と結婚し、フランスに住んでいて、幸せに過ごしています。 英国のロンドンに住んでいるカール・マルクスの世話をするのは、末娘のエリノア・マルクスだけということになります。 物語は、カール・マルクスが亡くなり、カール・マルクスの葬式から始まります。 エリノア・マルクスは、25歳です。 物語は、時系列に沿って進みますが、所々で、カール・マルクスが生きてた頃で、エリノア・マルクスが少女時代の話が挿入されます。 女性にとって、家族とはという何かというテーマが描かれています。 家族は女性を束縛するものなのか、守るものなのか? 女性は、男性と平等であるべきですが、平等であることで解決されるのか? 日本では、男女雇用機会均等法が1986年施行され、35年が経過しました。 男女雇用機会均等法が、日本の女性を幸福にしたのか、不幸にしたのか、 検証するべき時です。 2021年の男女平等ランキングでは、日本は153ヶ国中、第120位です。 韓国は第102位で、中国は第107位で、日本は韓国や中国以下です。 日本に住んでいる井の中の女性は、このことをどう感じているのでしょうか? 男性は働かざる得ませんが、望んで働いている人は少数派なのではないのでしょうか? 家計を管理できる専業主婦になることを望んでいる女性は、20%程度いるそうです。 労働により成果を生み出す人は貧しく、人を使うだけで成果を生み出さない人間が富を得る搾取構造は、今も変わりません。 政治家、官僚、社長、役員や中間管理職は、人を使うだけで成果を生み出さない人間で、富を得ています。 150年以上もの年月が経過していますが、「前へ」進んでいない感じがします。 だからこそ、この映画を鑑賞する価値があります。 「インターナショナル」という歌が、現代風にアレンジされて、象徴的に使用されています。 「インターナショナル」は、1871年、パリ・コミューンに参加していたウジェーヌ・ポティエが作詞し、英国に亡命し、発表されました。
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