私というパズルのレビュー・感想・評価
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Sad Poetic State of the Age
I never had a kid, and I never lost a kid, so I don't know what I am missing in this film's mourning philosophy. However, I do see in the film a projection of this world, where all misfortune must be blamed on the first person coincidentally with any causal relation. I also see where the echoes of this sorry state come from the pain in past generations, presented by the protagonist's mother. Goood
リアル過ぎる出産シーン。でも、映画の本番はその後
冒頭25分間の自宅出産シーンがあまりにもリアルなので、そのイメージが先行し過ぎているような気がする。しかし、本番はタイトルが画面に表示されたその後。監督たちは出産直後に我が子を亡くした夫婦関係の崩壊や、ホワイトカラー(妻側)とブルーカラー(夫側)の断絶や、それ以上に深刻な母娘の亀裂に容赦なく言及して、観ている側をさらに暗い気持ちにさせる。舞台となるボストンの空に重くのし掛かるどす黒いの雲のように。果たして、主人公は深い喪失感をどう克服していくのか?夫との破綻した関係を修復できるのか?厳格すぎる母親とどう折り合いをつけていくのか?という風に、始まりはショッキングだが、突きつけてくる疑問符はすべて普遍的。大切なものを失った人間が出口を目指して徐々に再生していくプロセスは、始まりがショッキングな分、上向きに推移していく。発端となる"乳幼児突然死症候群"の原因究明や、助産婦が被告として出廷する裁判の詳細など、いくつか考察の甘さはあるものの、女性が生きる上での障害や苦悩、そして生き方そのものにまつわる諸問題を、性差や年代を超えて訴えかける本作のパワーは格別。主演のバネッサ・カービーがそれを演技以上に肉体で表現して、凄まじい迫力がある。演技は肉体表現だと痛感させるオスカー有力作である。
ヴァネッサカービー
出産により子の死を乗り越えるための、親と子、夫婦の苦悩。
出産シーン長回しヴァネッサカービーの自然の演技が素晴らしい。この人は更に伸びる予感、王道の女優になって欲しい。
そしてパートナー役のシャライアがまた凄い、この人は自然の演技が本当に上手い。
更に母役のエレンバースティン、言うまでもなく演技は保証付。
三人のそれぞれの苦悩と演技を、どうぞ堪能して欲しい。
出産シーンが見所です
2021年7月15日
映画 #私というパズル (2020年米)鑑賞
自宅出産で死産した女性の悲しみと再生のお話
主演の #ヴァネッサ・カービー の迫真の演技が見所です。出産シーンはリアルリアルでまるで出産経験があるかのような演技。あるの?
夫役が #シャイア・ラブーフ だったのにまったく気づかなかった
家族の葛藤
物語の初めから、リアルな出産シーンが約20分くらい流れ、この緊迫感で一気に物語りに入り込む。
中盤とても重い空気が流れ観ている方も気持ちが重く沈む。
あんなに綺麗だった家も段々荒れていくのがショーンとマーサの関係性と相まって切なくなる。
リンゴの意味がわかった時は涙が出てきた。
重く切ない映画だけど、それだけではないラストに心が救われる。
エレン・バースティンに魅せられる
個人評価:3.7
オスカーノミネートも納得のバネッサ・カービーの熱演。またそれ以上に心に残ったのは、エレン・バースティンの幼少期の思いを語る場面。心に突き刺さるシーンだった。
痛みのある現実世界を、とてもリアルに静かに描いている。
ヴァネッサ姐さんやるなぁ
内容的には、若干のツッコミどころはあるが非常にセンシティブ。登場人物それぞれの想いがエピソード毎に刺さってくる。
序盤の強烈な流れを最後まで保ちきったヴァネッサ・カービーの演技が素晴らしかった。
体当たりの演技が良かった
最初の出産シーンは迫力があり本当にすごかった。
正直なところ、あれが1番の見せ場だったような映画だった。そのあとの夫婦の問題や親子の問題など、とてもテーマは盛り沢山で、さらに裁判に至る過程も途中の考えが描かれていないのでちょっと唐突な感じを受けた。
材料はいいけど料理がちょっとなぁという印象を個人的には受けた。
衝撃的なスタート、そしてここからさらに息が詰まりそうになりながらど...
衝撃的なスタート、そしてここからさらに息が詰まりそうになりながらどんどん物語に引き込まれていく。頭ではなく心に訴えかけてくるバネッサ・カービーの表現力が本当にすごい。美しい映像で締めくくる穏やかな終わり方も素敵、心に残る作品だった。
言葉にならない感情を映像で切り取る
どうしてだったのか、とかなぜなのか、とか言葉にすると薄っぺらくなってしまうがために言葉にできない感情をしっかり映像で切り取ってある
冒頭から最後になるまで穏やかなすべてを包むような表情の映画
子どもが出てきたときの感情なんて言葉で言えないと思うし、それは喜びとか驚きとかそういうものには分類できない
出産経験のある人の方がじーんとするかもしれない
罪悪感
女として、妻として、母としての私の見解です。
現実的な疑問が多々あり過ぎて
正直、とても嫌な作品だと思いながら見続けていました。
産まれてくる命のためにも、特別な事情がない限り、
病院で出産すべきなわけで、
このあたりから、胡散臭く感じはじめたからです。
夫との関係も結果通りとなりました。
かの女にはもう夫は必要ではなく、
亡くなった赤ちゃんこそが、かの女のすべてであり、
助産婦とのやりとりもどうでもいいこと、他人事になっていきます。
そして、それは、自宅出産を望んでしまった自分の過失かもしれない、と言う、
重い罪悪感に耐えられない彼女のとてつもない悲しみ、苦しみ、
自分への怒り、です。
世の中と縁を切ったようななげやりな行動は、
自殺をしてもおかしくない精神状況に追い込まれていた結果なのでしょう。
りんごの意味がわかったとき、
私もまた、罪悪感から逃れられない切ない彼女の心が読めたような気がしました。
自分の大切な小さな命を、自ら殺してしまったかもしれない、
僅かでも、胸に抱いた温かく小さない命。
痛いほど胸が張っても捨てなければならない母乳。
母性の、あまりにも悲しいすぎる葛藤を描いた作品だったことを改めて知り、
切なくてたまらなくなりました。
きっと乗り越えられる
冒頭の長回しによる出産シーンは圧巻。
言葉ではなく、仕草やセットや衣装で状況を伝えるうまさ。
95%は辛く苦しいのですが、最後は乗り越えられる。
人生には耐え難いと思われることがおきるけれど、
きっと乗り越えられる、そう勇気づけられました。
なんで自宅でうむかなあ?
個人的には、出産シーンに露悪を感じた。
赤裸々な描写が、見る者を釣っている──ように感じてしまった。
妊婦の絶叫って、すごく効果的なアイキャッチになる──と思いませんか?出産と死に目って、抗えませんよね?
出産はたいへんなことにちがいない。
そのこと自体に議論の余地はない。
だいたい男なんて、傍らのラブーフがそうだったように、オタオタしている以外、することなんて、なにもない。
ただけっこうリアルな分娩を見せるのが、方法として、鼻についた。
なんでそこまで見せるの──という感じ。
そう感じたのは、基本的にわたしが食えない奴だからでもある。
海外評が参考になった。
ウィキペディアの引用なのだが、こうあった。
『(~中略)『私というパズル』のオープニングシーンは実に衝撃的なものだが、それで得たパワーを持続するのに苦戦している。しかし、ヴァネッサ・カービーの演技のお陰で、死産の悲しみを切実に描写することには成功している。』
(ウィキペディア「私というパズル」より)
なんと見事な考察。
これはRotten Tomatoesの批評家の見解の要約となっていた。
tomatoesではハッとする発言を見つけることがしばしばある。
オープニングが衝撃的だから、そのあとのドラマ部が、なんとなく沈滞する→だけどカービーの演技がそれをくつがえしている・・・簡潔で明断である。
冷静に考えてみると、この夫婦は、自宅で分娩をすることを決め、助産婦をたのんで、挑んだわけである。その是非は言わないが、設備や経験などの不備により、不測の事態も了解していたはずだ。それは弁護側も突いている。
自宅出産というものは危険や責任を伴うものであり。どちらかといえばパンケーキを潰す芸人やるようなDQN行為なのではないだろうか。
よくわからないが。
もし、この映画のオープニングで「衝撃的な」出産シーンがなければ、たんに、自宅出産によって産んだ子を数分で死なせた夫婦──ってだけが知らされる事後のドラマであれば、映画ぜんたいが瓦解してしまっただろう。
ただでさえ自己責任論に寄せがちな日本人は、なんで自宅出産なんかしたんですか、それで助産婦うったえるって責任転嫁だろうが──みたいな感じで、忿懣がくすぶってしまい、事後ドラマなんか見てはいられない──からだ。
それを、完全に抑えてしまうのが、オープニングの出産シーンだった。のである。
あるていど露悪でも、半裸と苦痛と産んだ子がすぐに亡くなった──の劇的なオブセッションを、最初に置いたおかげで「DQN夫婦の自宅出産」という負の場景をスポイルすることに成功している──わけである。
そのオープニングの衝撃により、観衆は、すんなりと、彼女の悲しみに寄り添うことができた。
──はずだが、個人的には彼女に振り回されるショーン(シャイアラブーフ)が、気の毒だった。
出産時は、励まし、楽しませ、ことさら元気に振る舞って、マーサ(ヴァネッサカービー)を大事にしていたし、死産後は彼女の深い虚無感に巻き込まれる。俺だってすげえ悲しいんだ──の感じが痛々しかった。やはりラブーフじょうずだった。
だから結局、マーサ、なんで自宅出産にこだわった?──に戻ってきてしまう。
個人的には、上述したように出産が衝撃というよりは露悪だったわけで、むしろSarah Snookが演じていたDAの尻軽度のほうが衝撃だったが、この話をなんとなくさわやかにしていたのがりんごだった。
ずっとりんごを伏線してきて、ラストにしっかりシンボライズし、それがきれいに決まっていた。──と個人的には思った。
誰にとっても、いいことがない、この話が、りんごによって後味さわやかにまとまる──わけである。
ところで、映画のキーパーソンは、助産婦エヴァ役のMolly Parkerだったと思う。初見から、かのじょにはまったく害心が見えない。すこしも愚かに見えない。
彼女の賢明・博愛・献身の見ばえが、この自宅出産を、不幸な事故にしていた。あなたが付いていたならば、それは事故だったにちがいない。という感じ。
悲劇→混迷→再生というドラマ曲線は、オープニングとエンディングだけ出てくるMolly Parkerの善良な見た目、なかりせば、達成できなかった。監督はかんぜんに意図的にエヴァ役をMolly Parkerに振ったと思う。
それも、ふくめちょっと発声できない感じの監督(名)だけど、かなりの遣い手だと思いました。
美しく強く、でも弱い
死産を経て人生が一変した女性が、辛い経験と自分の気持ちに向き合っていく姿を、台詞で説明せず画や表情で伝え、鑑賞者も想いを巡らせる余白を取りながら描いていました。
死産の後も淡々と、でも生気なく過ごすマーサ。逆に周囲の人々の方が怒ったり悲しんだり感情的になっている。このあたりのやり取りがリアルで、マーサを想っての行動なのか、自分のやり場のない思いをぶつけたいのか、どっちとも言えるショーンや母がもどかしく、でもしょうがないよなと、何とも言えない気持ちに。。
そして自分の意思を貫いたことが少なからず悲劇の一端を担っていたと考えてなのか、現実から目を背けているようにも見えたマーサの、最後の法廷での言葉は響きました。よく頑張った。
女性の強さと弱さが出産という人生のターニングポイントを通して描かれていました。
破水から死産まで約25分圧巻の長回し!でも序章に過ぎない…
この映画観て子どもほしいと思う人は度胸があるなと思います。AKBのドキュメンタリー観てもアイドル志望する人もいるくらいだから、女性って色々と根本的に男とは違うのかなと思ったり。自分が独身なので、結婚すると気持ちは変わってくるのかなと思ったり。つまり、また己を取り巻く環境が変わるたびに見てみたいと思うくらい重厚で考えさせられる作品でした。
とにかく序盤の破水から死産までの長回しが圧巻で見どころがあります。まず、夫の頼りなさそうであたふたしてるけども、妻のために何とかしようとする姿に共感。しょーもないジョーク言ったり、スキンシップとったり、妻もどう思ってるんだろうって感じさせられました。また、本来来るはずではなかった別の助産師さんが来たということで、夫妻が微妙に代わりの助産師を信頼してないように見せるところも良かったし、助産師も曖昧な返事をたまに使うことで、どこか掴みどころがない、でもベストは尽くしているという感じが伝わってきました。
死産から完全に心を閉ざしてしまう妻。何としてでも裁判をして勝たせたい母。夫もその策略に上手いこと乗っていく。妻は身体は母親のまんま。胸は張ってしまうし、周りの子どもたちの様子を見ていると母性がくすぐられるからか、うっすらと母乳が出てしまうシーン、かなりしんどかったです。
最終的に家族がどうなり、助産師との裁判はどうなっていうのかはネタバレになるので避けますが、非常に心理描写が丁寧でありつつ、良い余韻も残る作品でした。
少し気になったところは、自宅出産=悪っぽく描かれているように見えてしまったところですかね。あと、死産のあとは然るべき自治体や団体からフォローがあっても良いものかなと思いました。
橋がかかる --- 母娘の物語
《橋》コーネル・ムンドルッツォ監督 × ヴァネッサ・カービー主演(熱演!)のドラマ。一筋縄ではいかない印象・個性的作品を世に送り出してきた感のある監督の新作に、他にもシャイア・ラブーフ、エレン・バースティン、ベニー・サフディなど素晴らしい役者陣キャスティング。そうした見事な演技で引っ張っていく。語弊を恐れずに言ってしまえば本作には犬も飛ぶという行為も、(宣伝で使いやすそうな)一種飛び道具のようなものはない至極真っ当なドラマ。ただ語り口は、膨大なページの内の何十ページ置きの数ページを丹念に描くことで他のページまで、間にどういった出来事があったのかを文脈に予感させる作り。こちらの想像を膨らませるのに十分な視聴体験を与えてくれる。そうして僕たちの人生、日常に悲しいかな起こり得る、降りかかる危険性のある残酷な悲しみ、ヘビーな題材を自宅出産の危険性にとどまらない、親子・母娘の物語として描き紡いでみせた。余韻がすごい。ヴァネッサ・カービーが、その悲しい出来事の前後でしっかりと顔が変わって見えるのも、すごいなと思った。
《リンゴ》長回しで見る者を引き込む圧巻の出産シーン。タイトル出るまで息つく暇も与えてはくれない。9月から10月、11月…そして月日は流れていく。癒えない時の中で時間を積み上げていく。深い深い悲しみ……NETFLIXと喪失、オリジナル映画で度々表れる要素。印象的な瞬間が本作には確かにある。例えば林檎という小物使い。また例えば冷蔵庫を開けるという何気ない仕草。一挙手一投足に目を向けさせる。そうした積み重ねで微かに、けど確かに主人公とその葛藤が見えてくる、感じられる気がする。流れる空気がごくごく自然体でまるで本当に日常を切り取っているようだから、その前後を予感させる。観客に想像の余地を与えるよう。ふとしたとき、何気ない瞬間に緊張感が走る。僕のラブーフ・センサーが働いた、彼が信頼すると決めたならそれは確かだと。ホワイト・ストライプスは良い。そして4月。
橋、家族3人が主役、陣痛は6分おき、ブロックンロール、サラダバー、キスして、何もかも知ってる、細かいこと、煙草、なぜ冷たい?触って、共振、ウソつきのクソ女、時間が傷を癒やす、カップルのバンド、自然に産みたかったから、信頼していました、あなたは"チーム"にこだわり…、リンゴの香りがした、その人は危害を与える気はなかった、償ってもらうことなど負可能だと言いたいわ、ルシアナ!
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