私というパズルのレビュー・感想・評価
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Sad Poetic State of the Age
I never had a kid, and I never lost a kid, so I don't know what I am missing in this film's mourning philosophy. However, I do see in the film a projection of this world, where all misfortune must be blamed on the first person coincidentally with any causal relation. I also see where the echoes of this sorry state come from the pain in past generations, presented by the protagonist's mother. Goood
リアル過ぎる出産シーン。でも、映画の本番はその後
冒頭25分間の自宅出産シーンがあまりにもリアルなので、そのイメージが先行し過ぎているような気がする。しかし、本番はタイトルが画面に表示されたその後。監督たちは出産直後に我が子を亡くした夫婦関係の崩壊や、ホワイトカラー(妻側)とブルーカラー(夫側)の断絶や、それ以上に深刻な母娘の亀裂に容赦なく言及して、観ている側をさらに暗い気持ちにさせる。舞台となるボストンの空に重くのし掛かるどす黒いの雲のように。果たして、主人公は深い喪失感をどう克服していくのか?夫との破綻した関係を修復できるのか?厳格すぎる母親とどう折り合いをつけていくのか?という風に、始まりはショッキングだが、突きつけてくる疑問符はすべて普遍的。大切なものを失った人間が出口を目指して徐々に再生していくプロセスは、始まりがショッキングな分、上向きに推移していく。発端となる"乳幼児突然死症候群"の原因究明や、助産婦が被告として出廷する裁判の詳細など、いくつか考察の甘さはあるものの、女性が生きる上での障害や苦悩、そして生き方そのものにまつわる諸問題を、性差や年代を超えて訴えかける本作のパワーは格別。主演のバネッサ・カービーがそれを演技以上に肉体で表現して、凄まじい迫力がある。演技は肉体表現だと痛感させるオスカー有力作である。
とても辛い最初の30分
個人的には全くアンテナにかからない作品だったが、第93回アカデミー賞主演女優賞ノミネート作品ということで鑑賞。
あまり下調べをせずに鑑賞しただけに、最初の30分は本当に辛かった。というか正直ちょっと引いてしまった。全体を通して、確かにヴァネッサ・カービーの迫真の演技は超観どころなのだが、最初の30分に関しては、そこまでやらなくても…と思ってしまう。かなりリアルなのだが、個人的には生々しさが上回りげんなりしてしまう。
それでも、結構覚め気味にスタートした割には、中盤からはしっかりグッとくる。虚しく映るクリスマスイルミネーションあたりからスイッチオン。そして終盤の「娘はそんなことのために生まれてきたんじゃない」胸が締め付けられた反面、何となく救われた気持ちにも。
とても重要なテーマを扱った作品だとは思うのだが、最初の30分は賛否両論であろう。
ヴァネッサカービー
出産シーンが見所です
家族の葛藤
エレン・バースティンに魅せられる
体当たりの演技が良かった
衝撃的なスタート、そしてここからさらに息が詰まりそうになりながらど...
言葉にならない感情を映像で切り取る
どうしてだったのか、とかなぜなのか、とか言葉にすると薄っぺらくなってしまうがために言葉にできない感情をしっかり映像で切り取ってある
冒頭から最後になるまで穏やかなすべてを包むような表情の映画
子どもが出てきたときの感情なんて言葉で言えないと思うし、それは喜びとか驚きとかそういうものには分類できない
出産経験のある人の方がじーんとするかもしれない
罪悪感
女として、妻として、母としての私の見解です。
現実的な疑問が多々あり過ぎて
正直、とても嫌な作品だと思いながら見続けていました。
産まれてくる命のためにも、特別な事情がない限り、
病院で出産すべきなわけで、
このあたりから、胡散臭く感じはじめたからです。
夫との関係も結果通りとなりました。
かの女にはもう夫は必要ではなく、
亡くなった赤ちゃんこそが、かの女のすべてであり、
助産婦とのやりとりもどうでもいいこと、他人事になっていきます。
そして、それは、自宅出産を望んでしまった自分の過失かもしれない、と言う、
重い罪悪感に耐えられない彼女のとてつもない悲しみ、苦しみ、
自分への怒り、です。
世の中と縁を切ったようななげやりな行動は、
自殺をしてもおかしくない精神状況に追い込まれていた結果なのでしょう。
りんごの意味がわかったとき、
私もまた、罪悪感から逃れられない切ない彼女の心が読めたような気がしました。
自分の大切な小さな命を、自ら殺してしまったかもしれない、
僅かでも、胸に抱いた温かく小さない命。
痛いほど胸が張っても捨てなければならない母乳。
母性の、あまりにも悲しいすぎる葛藤を描いた作品だったことを改めて知り、
切なくてたまらなくなりました。
きっと乗り越えられる
なんで自宅でうむかなあ?
個人的には、出産シーンに露悪を感じた。
赤裸々な描写が、見る者を釣っている──ように感じてしまった。
妊婦の絶叫って、すごく効果的なアイキャッチになる──と思いませんか?出産と死に目って、抗えませんよね?
出産はたいへんなことにちがいない。
そのこと自体に議論の余地はない。
だいたい男なんて、傍らのラブーフがそうだったように、オタオタしている以外、することなんて、なにもない。
ただけっこうリアルな分娩を見せるのが、方法として、鼻についた。
なんでそこまで見せるの──という感じ。
そう感じたのは、基本的にわたしが食えない奴だからでもある。
海外評が参考になった。
ウィキペディアの引用なのだが、こうあった。
『(~中略)『私というパズル』のオープニングシーンは実に衝撃的なものだが、それで得たパワーを持続するのに苦戦している。しかし、ヴァネッサ・カービーの演技のお陰で、死産の悲しみを切実に描写することには成功している。』
(ウィキペディア「私というパズル」より)
なんと見事な考察。
これはRotten Tomatoesの批評家の見解の要約となっていた。
tomatoesではハッとする発言を見つけることがしばしばある。
オープニングが衝撃的だから、そのあとのドラマ部が、なんとなく沈滞する→だけどカービーの演技がそれをくつがえしている・・・簡潔で明断である。
冷静に考えてみると、この夫婦は、自宅で分娩をすることを決め、助産婦をたのんで、挑んだわけである。その是非は言わないが、設備や経験などの不備により、不測の事態も了解していたはずだ。それは弁護側も突いている。
自宅出産というものは危険や責任を伴うものであり。どちらかといえばパンケーキを潰す芸人やるようなDQN行為なのではないだろうか。
よくわからないが。
もし、この映画のオープニングで「衝撃的な」出産シーンがなければ、たんに、自宅出産によって産んだ子を数分で死なせた夫婦──ってだけが知らされる事後のドラマであれば、映画ぜんたいが瓦解してしまっただろう。
ただでさえ自己責任論に寄せがちな日本人は、なんで自宅出産なんかしたんですか、それで助産婦うったえるって責任転嫁だろうが──みたいな感じで、忿懣がくすぶってしまい、事後ドラマなんか見てはいられない──からだ。
それを、完全に抑えてしまうのが、オープニングの出産シーンだった。のである。
あるていど露悪でも、半裸と苦痛と産んだ子がすぐに亡くなった──の劇的なオブセッションを、最初に置いたおかげで「DQN夫婦の自宅出産」という負の場景をスポイルすることに成功している──わけである。
そのオープニングの衝撃により、観衆は、すんなりと、彼女の悲しみに寄り添うことができた。
──はずだが、個人的には彼女に振り回されるショーン(シャイアラブーフ)が、気の毒だった。
出産時は、励まし、楽しませ、ことさら元気に振る舞って、マーサ(ヴァネッサカービー)を大事にしていたし、死産後は彼女の深い虚無感に巻き込まれる。俺だってすげえ悲しいんだ──の感じが痛々しかった。やはりラブーフじょうずだった。
だから結局、マーサ、なんで自宅出産にこだわった?──に戻ってきてしまう。
個人的には、上述したように出産が衝撃というよりは露悪だったわけで、むしろSarah Snookが演じていたDAの尻軽度のほうが衝撃だったが、この話をなんとなくさわやかにしていたのがりんごだった。
ずっとりんごを伏線してきて、ラストにしっかりシンボライズし、それがきれいに決まっていた。──と個人的には思った。
誰にとっても、いいことがない、この話が、りんごによって後味さわやかにまとまる──わけである。
ところで、映画のキーパーソンは、助産婦エヴァ役のMolly Parkerだったと思う。初見から、かのじょにはまったく害心が見えない。すこしも愚かに見えない。
彼女の賢明・博愛・献身の見ばえが、この自宅出産を、不幸な事故にしていた。あなたが付いていたならば、それは事故だったにちがいない。という感じ。
悲劇→混迷→再生というドラマ曲線は、オープニングとエンディングだけ出てくるMolly Parkerの善良な見た目、なかりせば、達成できなかった。監督はかんぜんに意図的にエヴァ役をMolly Parkerに振ったと思う。
それも、ふくめちょっと発声できない感じの監督(名)だけど、かなりの遣い手だと思いました。
美しく強く、でも弱い
死産を経て人生が一変した女性が、辛い経験と自分の気持ちに向き合っていく姿を、台詞で説明せず画や表情で伝え、鑑賞者も想いを巡らせる余白を取りながら描いていました。
死産の後も淡々と、でも生気なく過ごすマーサ。逆に周囲の人々の方が怒ったり悲しんだり感情的になっている。このあたりのやり取りがリアルで、マーサを想っての行動なのか、自分のやり場のない思いをぶつけたいのか、どっちとも言えるショーンや母がもどかしく、でもしょうがないよなと、何とも言えない気持ちに。。
そして自分の意思を貫いたことが少なからず悲劇の一端を担っていたと考えてなのか、現実から目を背けているようにも見えたマーサの、最後の法廷での言葉は響きました。よく頑張った。
女性の強さと弱さが出産という人生のターニングポイントを通して描かれていました。
破水から死産まで約25分圧巻の長回し!でも序章に過ぎない…
この映画観て子どもほしいと思う人は度胸があるなと思います。AKBのドキュメンタリー観てもアイドル志望する人もいるくらいだから、女性って色々と根本的に男とは違うのかなと思ったり。自分が独身なので、結婚すると気持ちは変わってくるのかなと思ったり。つまり、また己を取り巻く環境が変わるたびに見てみたいと思うくらい重厚で考えさせられる作品でした。
とにかく序盤の破水から死産までの長回しが圧巻で見どころがあります。まず、夫の頼りなさそうであたふたしてるけども、妻のために何とかしようとする姿に共感。しょーもないジョーク言ったり、スキンシップとったり、妻もどう思ってるんだろうって感じさせられました。また、本来来るはずではなかった別の助産師さんが来たということで、夫妻が微妙に代わりの助産師を信頼してないように見せるところも良かったし、助産師も曖昧な返事をたまに使うことで、どこか掴みどころがない、でもベストは尽くしているという感じが伝わってきました。
死産から完全に心を閉ざしてしまう妻。何としてでも裁判をして勝たせたい母。夫もその策略に上手いこと乗っていく。妻は身体は母親のまんま。胸は張ってしまうし、周りの子どもたちの様子を見ていると母性がくすぐられるからか、うっすらと母乳が出てしまうシーン、かなりしんどかったです。
最終的に家族がどうなり、助産師との裁判はどうなっていうのかはネタバレになるので避けますが、非常に心理描写が丁寧でありつつ、良い余韻も残る作品でした。
少し気になったところは、自宅出産=悪っぽく描かれているように見えてしまったところですかね。あと、死産のあとは然るべき自治体や団体からフォローがあっても良いものかなと思いました。
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