親愛なる同志たちへのレビュー・感想・評価
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今まさに観るべき映画
現在の情勢がキッカケで、ロシアとウクライナの歴史を少し学んだ事で、この映画について理解が深まったように思う。お父さんのコスプレは先祖のコサック兵の制服。コサックは元々ウクライナの農奴が武装した騎馬民族集団。帝政ロシアでは重用されたがソ連には弾圧された。
そしてスターリン時代にウクライナの農民は中央政府に穀物を収奪され大量の餓死者を出した。つまりコサックの魂を心に持つ祖父と、スターリン信者の母、スターリンを批判したフルシチョフ(ウクライナ出身)時代の娘という三世代の断絶がある。
この映画でまず感じたことは、党委員たちのグロテスクなまでの保身ぶり。我が国の官僚や政治家の世界にも在るのだろうが、共産主義の世界では立場を守る事が人生の最重要課題のよう。
軍司令官がKGB指揮官に、車の中でこっそり言う。「この国は外には誇れない。」
今のロシアの人たちどう思ってるのだろうか。
人類は進歩していないのだろうか?
スタンダードサイズの画面とモノクロームの映像という手法は、果たして適切だったのだろうか?それによって、ここで描かれる民衆の弾圧や虐殺が、現在とは関係のない、遠い昔の出来事であるかのように感じてしまうからでである。
共産主義の非人間性を目の当たりにしたはずの主人公が、フルシチョフを批判しつつも、スターリンの時代を懐かしむなど、結局、共産主義そのものを否定するまでには至らないところも歯がゆい。
絶望から希望へと転調するラストは、映画としては明るい余韻を残すことになるが、その後の歴史的な事実と、いまだに同じようなことが繰り返されているという現実に思いを巡らすと、かえって暗澹たる気持ちに陥るのである。
60年前の惨劇が今まさに行われている侵略と併せ鏡になっている壮絶な皮肉に絶句するずっしりと重いドラマ
激しい物価高騰と物資不足、そこにかぶさる給与カット、今まさに我々に襲いかかってきていることに耐え切れなくなった労働者達が意を決して起こしたデモ。民衆に紛れて首謀者達の情報収集に奔走するKGB。あくまで銃を所持せず沈静化を図ろうとするソ連軍。そして突如鳴り響く銃声と阿鼻叫喚。錯綜する現況の中で共産党員としてデモの首謀者を逮捕すべきと軍部に進言した共産党員リューダは一人娘スヴェッカがデモに参加した後行方不明になったことを知り、広場にも検死所の廊下にも横たわっている無数の亡骸に毅然と向き合っていく。リューダの苦悩を扇情的に描写していないので、時折リューダが見せる焦燥や狼狽が際立ちます。事態を収拾しなければいけない共産党員としての立場と、激しく対立していても愛してやまない娘の身を案じる母親としての立場に引き裂かれそうになるリューダの決意が示される終盤までに散々見せつけられる地獄絵図が今テレビやネットを通じて見せつけられているものと重なる既視感にも胸が痛くなります。過去の惨事を糾弾すべく製作されたであろう映画が現政権が今まさに行っている侵略の併せ鏡となっている壮絶な皮肉に絶句しました。静かで地味ですが重い使命を帯びた作品です。
“外へ見せられない社会”への問いかけ
不自由さの中で、自由の実態は浮き彫りとなる。
理不尽が蔓延る国の中でも、それらを渇望し声を震わせながら訴えた民はいたのだ…確実に、今も尚。トロツキー暗殺から始まったスターリンの恐怖政治を、没後批判したフルシチョフの時代、それは開放的な側面の裏で、再び弾圧が強化された歳月でもある。信じた思想、揺るぎなき信念は、時に隣人の安全が脅かされる不穏な日々を境に、疑念と葛藤を生み出した。本作は、その矛盾が特に苦しくのし掛かったであろう60年代にて、今以て理解するべき「人間の尊厳」と「民衆の力」を突き付ける。均等と統率の遵守において、臆病なほど目を光らせる社会主義下では、群衆の力は恐れられ、暗殺と抹消は伝統となり、マルクスの理想は机上の空論である事を、この国の歴史一つとっても立証しているのだが…現在、独裁者を再び求めているのもまた群衆であるのだ。歴史における彼等の末路を冷静に把握するべき時に、この作品が上映された意味合いも大きいのだ。
同胞も容赦無しですか。
スタッフ、キャスト全部NO IMAGEとは、まさになんでも隠す共産圏映画。
生活困窮者なんてお構いなし逆らう者には銃を向ける。ソビエトに限ったことじゃないですが。
白黒、スタンダードサイズ画面か時代の雰囲気だしてる。
愛する娘へ
この出来事の事をほとんど知らなかったので、他のレビュアーさんのレビューがめちゃくちゃ参考になりました。
いやぁ、ちょっと考えられないようなあまりにも痛ましすぎる事件です。一番の感想が民主主義国家に生まれて本当に良かった、と。
秘密保持の契約書にサインさせられ、もし破れば死刑、死体も知らされることなく葬られ、
病院に行く者はその後は…
そして最も私が顔をしかめたのが、広場についた血糊を隠すべくアスファルトを塗ってさらに、何もなかったかのように数日後にダンスイベントが開催されたこと。
同じ娘を持つ身として、主人公の心情に思いを重ね、胸が締め付けられる感じで居ても立っても居られない状態でした。ラストに関しては意見が分かれていますが、私はむしろ良かったと。
モノクロ映像が当時の状況をリアルに描き出している。
ラストに放った主人公の言葉…
今のロシアを見ていて到底そのようには思えない。
親の愛も「自由」「わがまま」に分類される状況。
1962年実際にあった事件を元に作られたロシア映画。この事実はソビエト崩壊まで隠蔽されていたそうで2020制作とはいえ、よくロシアでこの映画作れたなと思う。
終わり方違ってたら許可でなかったかも、、、などと邪推してみる。
粛清された地方のストライキに娘が紛れ込んでいて必死に探す母党員の苦悩の物語。粛清と隠蔽がどのようにすすむかが興味深い。誰もが完全に状況を把握してるわけでは無いし、立場の違いも有るが結果が隠蔽一択なのは権力者への共通の恐怖だ。隠蔽は大国なら自由主義でも存在するわけだが、共通認識としての権力者への恐怖は少ない。
さらにインターネットの時代になり状況は変わりつつあるのはウクライナの件やウイグルの件を見ていても感じる。心底日本に生まれて良かったと思うが、その日本でも大戦突入前には似たような状況があった事、ちょっとした事で自由は失われちゃう事は忘れてはいけないなぁ、、、と思った。
モノクロの画面のカッコ良い構図が、流石ロシア映画の底力を感じさせる。皮肉なタイトルも良い。
子供を思う親ごころは、万国共通。観ていて、辛かった。
主人公が「スターリンが恋しい」と2度か3度発言する。私には信じられない言葉だ。存命中、スターリンと毛沢東は、百万単位ではなく千万単位で人を殺しているからだ。
ソ連・フルシチョフ時代に起こったストライキ鎮圧事件が舞台だ。ウクライナ侵攻とあいまって、ソ連・ロシアを非難するレビューが散見する。ロシアの肩を持つ気はさらさら無いが(くれぐれも誤解しないでほしい)、このような歴史に埋もれた、又は隠ぺいされた虐殺事件は、どの国にもあるのでないか。死者の大小の違いはあるけれど。幸いにも民主主義国家では言論の自由が保証されているから、起こりにくいだけだ。
どのような政治体制にあっても、人は生きていかなければならない。民主主義国家に生まれた人は、その幸運に感謝する。また、圧政下に生まれても、この映画のように良い人は必ず存在する。ちょっとは希望が持てる。だが、日本の隣国たちは何とかならないものかと思う。
主人公の父が着ていた軍服は、帝政ロシア時代の軍服か。
KGBと軍の仲の悪さとか、発砲責任のなすり合い、ストライキや暴動に対処できない地方共産党組織、ストライキが起こった本当の原因を解っている共産党中央幹部等嫌な事ばかりで、身につまされる。結末は私には疑問だ。
チャーチルの名言を紹介させていただきます
普段は忘れているのだけれど、強権的な国家やリーダーの横暴な振る舞いを見ると、いつもネットで再確認するのが、チャーチルの数々の名言です。『ローマ人の物語』の塩野七生さんもよく引用されています。
以下に三つほど紹介します。
過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう。
The farther backward you can look, the farther forward you are likely to see.
民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。
It has been said that democracy is the worst form of government except all the others that have been tried.
資本主義の欠点は、幸運を不平等に分配してしまうことだ。社会主義の長所は、不幸を平等に分配することだ。
The inherent vice of capitalism is the unequal sharing of blessings. The inherent virtue of socialism is the equal sharing of miseries.
この映画で描かれている当時のソ連。
今、世界に現実的な実害を及ぼしているロシア。
いつも世界に不安を与え続けているアジアの二つの一党独裁国家。
民主主義は、何かの決定までの手順が面倒だし、相応に時間がかかる、という点は確かにあります。
首相本人の個人的な資質による程度差はあるにしても、一定の手順や時間のおかげで、世論動向や他者の意見を聞かざるを得ない分、最低限の謙虚さが求められます。
強権的な国家やリーダーに一番欠けているのがこの謙虚さ(そこには、意見は違えど他者の考え方との相違を認め、一定のリスペクトの念を持つことも含まれます)なのだと思います。
私はパワハラ系の威圧的な人間が大嫌いなのですが、たぶん、このような謙虚さの欠如という点では共通しているからなのですね。
強権的なリーダーのもとでは、お追従や忖度でうまく立ち回れる人と、天の邪鬼なまま弾かれていく人に二分化されていくので、どちらの側だとしても、とても息苦しくて窮屈で、誰もが幸せでない社会になってしまいます。自らの尊厳を保とうと思ったら弾かれる側になるしかないので、とても辛いことになります。
こんな世界でも親が子を想う気持ちは共通
この時期だからこそ本作品を見る意義があるかと思い見てきました。
まずは、時代背景も考慮してか、作品がモノクロであり、16mmで撮られているような真四角なスクリーンサイズです。
この手法に、見ているこちらも、当時の時代背景を感じながら作品に冒頭する事が出来ます。
本作品、かなり重厚な作品です。
人間は誰の為に生まれて来るのか、何の為に生きていくのか、改めて考えさせられました。
信じていた国に裏切られ、その格闘が大変に色濃く出ていて、あの国は、50年以上経って何も変わっていない・・・・
まじで、機密契約に笑うしかなかったな・・・・カッコよく言えば、隠蔽なんだろうけど・・・・
あまりにも不様過ぎて、信じきっている国民は、可哀想だよな・・・・
人の命をなんだと思っているんだよ、人の人生をなんだと思っているんだよ・・・
しかし、こんな世界でも、親が子を想う姿勢は万国共通なのは、本作品の中でも一安心するエピソードだね・・・
しかし、本作品がロシア人によるロシアの映画だと言う事も大変に不思議な気がするな・・・
少しでも、今の国の体制に疑問がある人達がいるのなら、その数を増やし、生まれて来た人が馬鹿をみない国作りに励んで欲しいな・・・
しかし、平気で嘘がつけるのだから、怖い人たちだよ、まったく・・・・
なかなかに難しい内容だけど、今だからこそ。
今年103本目(合計376本目/今月(2022年4月度)13本目)。
リアルではNHKなどが報じているウクライナ侵攻ですが、私たち一般人は通常、ウクライナ等に行くこともなければ、まして今問題視されているロシア等には(特に興味があるのでもない限り)行くことはないし、ロシア文化やロシア語を習うということも少ないのではないかと思います。せいぜい、数少ないロシア料理等が日本で知られているところです。
さて、本映画です。
ほぼモノクロという展開です。ただ、リニューアル版というわけではなく、当時の雰囲気を出したかったためにこうしたのだろうというところです(そのため、リボンの色が青だとか何だとかという発言は、確かめようがないという問題も一応あるのはある…)。事件自体も実際に起きたもので、ソ連崩壊→ロシア成立の1992年まで延々と隠されてきたので、そもそも現在でも「何が正しくて何が正しくないのか」という点が完全にはっきりとせず(関係者も亡くなった方もいれば、墓地等を掘り起こすというのは(倫理上)まずいということもあり、「現在、情報公開が進んだロシアの中で得られた情報を総合的に勘案した結果」という扱いです。
内容として、結構、日本基準で見ていて「わかりそうでわかりにくい字幕が多い」点がやはり気になりました。日本は漢字圏なので、わからない単語でも漢字で書いてある限り、漢字からの推測が利きますが、それこそ、原始的な共産主義(マルクス等)の「共産党宣言」などのレベルから、当時のソ連の共産主義の語、さらに事件の舞台となった地域(ただ、こちらは原則、漢字で出る)と色々出るので、実は「漢字圏である日本では」、ある程度推測がつくものもあるが、それは漢字圏であるからであり、その推測が正しいかどうかは保障されない、というものです。
ひるがえって映画の内容を見ると、1960年代という時代背景から見ると、日本も無批判で他国のことを言えるわけではなく、戦後間もない混乱期は、それこそいわゆる「正規の裁判」によらずに処刑をしていたり、現在基準で考えれば支離滅裂というような事件は結構あったりします(なお、これらのほぼ全ては現在では当事者謝罪という形でクローズしていあす)。そのため、日本も「実は」こういう「支離滅裂なことをやっていた時代」があったということは知っておかなければならないところでしょう(戦後の混乱期等)。
なお、現在(2021~2022年)に日本でもロシアでも、同じような事件が起きたら、それはもう証拠が完全に残りますから、どちらにも言い分はありません。
さて、この映画の舞台となった都市は、いわゆる「非正規軍」という扱いの「コザック」という文化がソ連(ロシア)にはあり、その集まりでできたのが、この町です。したがって、19世紀の本当の終わり(1890年ごろ)には、当時、まだフェミニスト思想すら危うかったソ連(ロシア)に女学校がたてられるなど、文化は首都をしのいでいたようです。第二次世界大戦で一時期、ナチスドイツに占領されていた時期もありましたが、この都市はこの当時、旧ソ連の中でも工業都市として知らない人も少なくはなかった(ただ、ソ連が大きすぎたために、全部を知っている人が(共産主義で秘密主義という文化もあって)少なかった、という妙な論点もあった)という特異な経緯を持ちます。
本事件そのものはソ連内部の「組織のもめごと」ですが、そうなる過程というのには必ず何かが入っています。1人や2人でこういう行動はとれないからです。複数人のチェックが入っているのが普通であり、それが映画内での描写でもあり、今のウクライナ侵攻でもまさにそうです。
ただ、他の方が何度も書かれれているのであえて書きませんが、本映画を通じて、「正しい意味で」「ロシア文化に興味を持っていただければ」という強い願いです。「国同士のモメ愛とエンターテイメントをいっしょにしちゃいけない」(日本と韓国は仲は良いとは言えないけど、エンターテイメントである韓国映画はどんどん来ます)のです。
このことを間違えると、15日、東京の駅だったでしょうか、キリル文字の看板「だけ」を外していたものが元通りになった(もっとも、キリル文字を使う=ロシア人(語) とは限りません)のことも、結局グチャグチャになってしまうのです。
本映画がそれこそ本当に今回のウクライナ侵攻について是か非かを論じているのなら、それにはレビューで答えるつもりですが、「政治経済の問題と、エンターテインメントを混ぜることの危うさ」も理解はしているので、ここは「解答なし」になるかな、と思いまう。
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(減点0.3) ロシア映画という事情もあるので、字幕などやはり担当できる方が少ないのはわかるのですが、字幕不足という点は結構見られます。
最初から何が足りないこれが足りないという話はどんどん出るのですが、「スーパー」だの何だのという表記は一切ないので(というより、この映画の舞台となる街は、前述したように、かなり大きな都市で、ほぼ何でもあった)、セリフのマニアックさ(漢字圏なので理解はできるが…というだけ)も入ると、さらにきついです。
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人類には民主主義が精一杯なのだろう
共産主義の理念は、能力に応じて働き、必要に応じて消費するというものである。なんとも合理的であり、そういう社会が実現可能であれば、今流行りの持続可能開発目標に近づくだろう。しかしそれは夢物語だ。
ドストエフスキーは社会主義について、非合理的な存在である人間を合理的なシステムに組み込めるはずがないと喝破した。そのとおりだと思う。
労働については、皆が皆、一生懸命働くとは限らない。それに共産主義における労働というのは主に第一次産業と第二次産業だ。マルクスは金融資本主義が経済の主流になるとは考えなかっただろうし、IT技術などは想像すらできなかったに違いない。
消費については、プライベートジェットや大型クルーザーや果ては自家用の飛行場まで必要だとする人もいれば、極端に質素な生活で十分という人もいる。人間の欲望に合理性などないのだ。
つまるところ、国家が強権的に管理することになる。人間はまだ共産主義に移行できるほど完成されていない存在なのである。だから共産主義国は、共産主義がどれだけ平等な幸福を齎すかを宣伝しなければならない。プロパガンダだ。プロパガンダを必要とする政治は、要するに欺瞞の政治である。
本作品はキューバ危機の頃のソビエト社会主義共和国連邦のある一都市の様子を描いているが、ソ連の縮図となっている。強権的な管理社会は、反体制的な言動に厳罰を課す一方で、プロパガンダへの協力や有用な情報提供には褒美を与える。仮面社会、密告社会だ。
ソ連の体制側にいる主人公は、共産主義の理想を信じて疑わない人生を送ってきたが、平和なはずの町で暴動が起き、銃撃で人々が殺され、娘が行方不明になったことで、共産主義を疑いはじめる。しかしそれはこれまでの人生を疑うのと同じことだ。自分の人生が無駄だったとは思いたくない。心は千々に乱れる。
共産主義の強権の中枢にいる人は、逆に共産主義の理想を信じていない。信じていれば人々が自発的に共同作業と共同分配を行なうはずだから、強権的な管理は必要ない。管理が必要ということは、共産主義の理想は実現されることがないということである。つまりソ連は、その出発点から決定的な矛盾を内包していたわけであり、内部崩壊は必然だった。
共産主義に限らず、すべての強権的な政治は内部崩壊が必然である。現在は民主主義国よりも強権政治の国が多いが、過渡期であるとも考えられる。マルクスも過渡期の問題を論じている。強権政治→民主政治→共産主義ということなら、現在も過渡期ということになる。
しかしドストエフスキーの言う通り、人間が合理的な整合性を獲得するとは思えない。人類には民主主義が精一杯なのだろう。
祖国への愛と憎悪
1962年、冷戦下のソビエトにて発生したノボチェルカッスク事件をきっかけに、党に忠誠を誓っていた市政委員のシングルマザーの心の葛藤を描いた作品。
序盤からただならぬ雰囲気。
頑固なまでに共産主義に固執する母親リューダに対し、ストライキを起こす労働者側に傾倒していた娘。
国柄なのか時代なのか、同じ家に住む家族にでさえこうなってしまうとは。妄信は恐ろしい…。
しかし、それでも事件に巻き込まれたかもしれない娘を案じて銃弾の中を駆けまわる姿は紛れもなく一人の母親。行方をくらました娘を想いながら、自身の信じてきたイデオロギーへの気持ちも揺らいでいるのか・・・。
個々人の信念はあれど、改めて共産主義の怖さを教えられる作品。
平等な社会を謳いながらも、皆が皆物価高騰や賃金減少に苦しめられちゃ・・・。そしてノボチェルカッスク事件の真相も、真実を漏らせばはたしてどうなるか。発砲されケガを負っても病院に行けば・・・。この監視体制の先にユートピアなどあるのだろうか。
その他、あてにならない中央委員会に苦しめられる市政委員の姿や、まだ人の心が残っていそうな軍トップへの発砲許可(命令)を言い渡す場面、お偉いさん方の責任のなすりつけ合い等々、考えさせられるシーン盛沢山。KGBと軍の対立なんかも、複雑ですね。
兎に角、揺れているのか、或いはそれでもブレていないのか、場面ごとのリューダの心情を考察する面白さに加え、要所で味を出す上司やKGB、お父さん等々脇を固めるキャラもしっかり立っており、非常に見応えのあった作品だった。より勉強してからまた観てみたい。
最後のシーンはよくわからなかったな。。結局あの巡査は単に間違えてたのかな?
きっと良くなる・・・。
半世紀経った今、この言葉を放ったリューダは、まさに今日のかの国を見て、果たしてどう思うだろうか?
すごい迫力
あまりにリアル。息をつかせぬ迫力。2時間、食い入るように画面を見つめた。
政治が、絶対的な「正義」を主張するとどうなるかを、余すところなく描いている。
ソ連時代の真実は、そのままプーチン治下のロシアに受け継がれているのだろう。
ウクライナ侵略を見れば、それが良くわかる。
日本政府は体制 (国体・皇統、天皇制) を維持するために自衛隊に国民を撃てとを命令するか? そのとき自衛隊トップ・幹部・最前線は? 【追記】4/15(金)再鑑賞。 【再再】5/15(日)
リューダにとって、ストで暴徒化した労働者は共産主義体制を守るために全員逮捕するべき犯罪者だ。しかし軍が労働者を虐殺し隠蔽するのを見て驚く。いくら何でもやり過ぎだ。しかも娘もストに参加していて安否が分からない。おそらくこの時点でも彼女は共産主義は正しいと信じている。しかし忠誠を誓ってきた国家のやり方に戸惑い心がゆれる。リューダの気持ちが伝わってくる。そして何よりも気になるのが娘の安否だ。不安で不安でしょうがない。娘の無事を祈りながら病院や安置所を探すリューダに私はもう完全に感情移入。もうこうなったら娘さえ無事なら物語なんかどうでもいいと思って映画鑑賞。
そして物語の最後、リューダの願いが込められた言葉に、この後の歴史を知っている私は、ため息をつき悲しい気持ちになるのだった。 (終わり)
ソ連時代の自国民の虐殺と隠蔽を描いているから、ロシアのウクライナでの虐殺と隠蔽を絡める人が多いと思うが、私はウクライナは考えなかった。私が思わず息をのんだ場面は 「軍の市民への発泡は憲法違反です」という軍司令官の良識ある正論を、政府高官が却下してしまうところだ。決定権のある者が体制の維持のために自国民を撃てと命令したら軍は国民を撃つ。天安門、ホンコン、光州市、ミャンマーの弾圧は専制国家・軍事政権での出来事だけど、民主国家ニッポンはどうか? 私は撃つと思っている。
映画の中で虐殺が隠蔽される。政権にとってマズイことは隠す。民主国家日本はどうか?自民党の福田康夫首相が作った公文書法が有るのに 「個人メモは公文書ではない 」とか言って公文書法を誰も守らない 。
資本主義にしろ共産主義にしろ、一部の権力者や富裕層に富が集中したり汁を吸うところは一緒。だけど共産主義の国では物不足が多いような気がする (ちゃんと調べてないヨ)。今の日本は物価上昇による実質賃金カットが映画と似てるけど、物にあふれてるから暴動は起きないでせう。
共産主義もダメだが、資本主義はどうか? ZOZOの前社長前沢さんが100億で宇宙に行くのに、コロナでお金と仕事がなくて多くの人が困っている状況を見ると、富が一部に集中する資本主義も良くないと思う。ZOZOの前園さんは寄付もスゴークしてるよヨ (^o^)。 ワタシが潤う経済体制募集中。
《追記》4/12(火):発泡酒の泡にしてしまって自分でウケて笑えたからそのままにする。
【再鑑賞】 4/15(金)
この映画を見て気になるのはヤッパシ日本のことだ。将来ニッポンは映画のように言いたいことや事実を言えない国になるのではないか?
以下受け売り。
最近、警察庁法が改正されて政府直轄の警察庁に捜査権が与えられた。戦後は内務省の中央集権的な国家警察の否定から、地方警察(県警と警視庁)が捜査してたのに大丈夫だろうか。
ウクライナとコロナに注目が集まって、コッソリ法案を通された気分。
以上全部受け売り。
小選挙区になって最近は自民党議員でも首相や政府の言いなりで、野党も弱いから独裁みたいで何か気になる。外国に侵略される前に、自分から強権国家になったら笑えない。
【再再鑑賞】 5/15(日)
3度目なのにリューダの不安にドキドキしてしまう。 現政権には絶望するが、まだ共産主義への希望を持つ姿に悲しくなる。
現在の日本にも悲しくなる。
2022(令4)5/3 国境なき記者団が世界180カ国・地域の報道自由度ランキングを発表。
【日本は71位】去年から4つ順位を下げ71位。 政府などからの圧力で厳しい自己検閲が生じているとしている。
せめて10位以内に入ってくれヨ。 情けないがこれが現状 ヽ(´д`)ノ
【ロシアは155位】去年から5つ順位を下げ、「非常に悪い」に分類される155位。
ウクライナ侵攻以降、ほぼすべての独立系メディアが活動を禁じられたことやロシアにとって「虚偽」と判断された報道を罰する法律の導入などを指摘している。
【中国は175位】
【最下位は北朝鮮で180位】
トップ3は今年も北欧【1.ノルウェー 2.デンマーク 3.スウェーデン】。
2022/4/10(日) ☀️ 新宿 武蔵野館
(ホントはヒューマンXX有楽町で見たかったけど時間が合わなかった)
. 4/15(金) ☁️🌂 新宿 武蔵野館
. 5/15(金) ☁️🌂 〃
白黒で時代を感じさせる…
うーん😔終わり方が今一。
国、民族、主義主張が変わっても、親が子を思う気は変わらないと言いたかったのかな〰️。
途中で母犬と子犬がお乳をもらう映像があるけど、主人公の状況とシンクロして、良い感じでした。
母や娘が見たら共感すると思うけど、男はちょっと…。あの娘はどうなったのかな。
あと心理描写が緻密ならば
モノクロだが、鮮やかに色彩が脳裏で印象を残していった。そして思ったこと。
その時点ではもうソ連ではなかったが、天安門事件もやはりなかったことにしようと、この事件に習ったのかなと思った。
ウクライナのことが、レビューでもよく取り上げられたが、私はむしろそんなことを思った。
あと心理描写が緻密ならば、四つ星。終わり方ももう少しやり方あったような気がする。
「共産主義とは何か?」を垣間見ることが出来る作品。
やはり、共産主義や社会主義とは何かを知らなければならない。
格差のない社会、弱者救済、社会保障などと、甘い餌を撒いて、人々を隷属への道へと誘いこみ、共産党への忠誠を誓わせ、秘密警察、密告などを通じて人々の自由を奪っていく。
そこには、一部の特権階級と、平等な貧しさがあるのみだ。
この映画は、1962年6月にソ連南部ノヴォチェルカッスクの機関車工場で起こったストライキに端を発した銃撃事件を描いている。
食料や物資の不足と価格の高騰に加え、賃金が下げられたことに労働者の不満が爆発し、ストライキが発生。そのストライキを鎮圧するために、時のフルシチョフ政権は民衆を銃撃し、多くの死傷者を出した。
その銃撃の現場や、負傷者を見た者は、守秘義務を課され、ストライキを扇動したり、参加した者は逮捕されたという事件だ。
銃撃現場のアスファルトに付いた血糊が消えないことを上層部に報告すると、その上を新しいアスファルトで舗装し直すよう指示され、その場所でダンスパーティーが催された。
死体の一部は病院に運び込まれたが、ほとんどの死体は郊外の墓地などに埋められた。
主人公リューダは共産党員として国家に忠誠を誓い生きてきたが、一人娘がストライキのデモに参加し、行方不明となる。
リューダは身の危険を冒し、娘の居場所を探し回るが…。
少し描き方に甘いところがあるようにも感じられるが、ソ連の実態についてはわからないため、批評は避けたい。
ぜひ、劇場で確認してください。
しばしの苦難
1962年6月2日にノボチェルカッスクで起きた労働者蜂起と虐殺の話。
電気機関工場のストライキで街が騒々しくなる中、市政委員会の生産課長でシングルマザーの主人公が18歳の娘と折り合いをつけられず奔走することになっていくストーリー。
スターリン時代よりも物価が上がった上に商店には日用品が無く、市民達の不満が募り、更には工場の賃金が大幅にカットされると囁かれる情勢にあって、立場を利用したと思しき贅沢な暮らしをする主人公家族。
そんな温い環境すら知らない娘の唱える思想と、そして洗脳とも言える思想を持つ母親の抱く疑問と諦めと…非常に良かった。
ただ、ラストワンシーンはそれまでの主人公の行動や意識とかを考えるとぬるさを感じてしまい無い方が良かった。
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