親愛なる同志たちへのレビュー・感想・評価
全51件中、21~40件目を表示
社会主義国、共産主義国の人びと
この映画をエレンイエーガーが見たら「この飼育場の豚が!!!!」っていうだろうな~って見てました( ´∀` ) 社会主義国、共産主義国の人々やその現実世界ってこの映画見ればなんとなくわかるような・・。自分に有利な特権を与えてくれそうな人を優遇したり、忖度したり。金を稼ぐ意欲はなく、ただ国の規範から外れないように生きている。飼育場の家畜だってもう少し場主から愛情貰っているだろうに…ここにはただ、方針に従うだけの…。 西側から見ればレーニンというのは悪の独裁者って感じですけど、ソ連では英雄なんですね。西側から見るのと、彼ら東側が見えてる現実と全く違うなぁと。民主化して何年も経って、侵攻という他国を侵害している訳ですけど、民主主義は育たなかったってことなのかな・・。 正直、社会主義の方がなじむ国民性ってあると思っていたんですよ。でもそれは食べるものに困らない土地柄で温暖な気候じゃないと無理じゃないかなって…苦労なく作物が育ち、エネルギーを使うことなく機構が保たれて、最低限生きていけるような。私が思っていたのとちがう。 しかし私が民主主義の中であえて選んだ「あまり労働したくない」「楽したい」というのと社会主義の中にあるものは似すぎている…!! 会社にいる平社員のわたしと社会主義の国に仕事している人との違いなんて何もないじゃん!!wって思いました。個人的な楽しみのために、働く意欲や稼ぐ意欲よりも自由時間を大事にしているもんな……もっと給料上げろ。税金下がれ!!笑・・(えないゾ) でも、それは私が選んだから笑えているんです。似すぎているけど決定的にちがう。 この闇に放り込まれた事件を描き、主人公にこれからはよくなる、と言わせた監督は、今の隣国に侵攻したロシアをどう思うのだろうか…。 民主化は、ロシアにとって苦しいものばかりだったんだろう。光が差すような自由や喜びは感じられなかった出来事だったのだろう。でも、苦しさの果てに民主主義の自由を得た人もいるだろう。
切実さに圧倒された年間ベスト級
スタンダードモノクロ。パリ、13区で書いたがモノクロの作品は最近全く珍しくない。スタンダードだって珍しくない。そんな中でしかもウクライナ侵攻中のロシアの歴史を描くのだが、これがとんでもなく素晴らしかった。 映画、歴史、ソ連全てに対して向き合う。いちいち画に圧倒される。スタンダードは人を写すのに適しているが、風景には向いていないと読み齧ったことがあるが、重層的な空間が素晴らしい。 母でもあり党に誠実な女性の主人公の対比なのか男性陣がどうすることもできなく諦観に飲まれてしまう態度なんて、身に覚えがある。父親がレーニン時代を懐かしみ当時の軍服を着るのなんて、おかしみもあるのに悲しい。 隠蔽は国家の専売特許ではなく、どんな組織でもある。さらにこの弾圧は今のロシアでも続いている。徹底的に組織の構造を描く正面突破の姿勢も素晴らしい。 共産主義体制は国民に求めるレベルが高く、思想が狭すぎることが運営の難しさのようにも思った。 年間ベスト級の作品だった。
今まさに観るべき映画
現在の情勢がキッカケで、ロシアとウクライナの歴史を少し学んだ事で、この映画について理解が深まったように思う。お父さんのコスプレは先祖のコサック兵の制服。コサックは元々ウクライナの農奴が武装した騎馬民族集団。帝政ロシアでは重用されたがソ連には弾圧された。 そしてスターリン時代にウクライナの農民は中央政府に穀物を収奪され大量の餓死者を出した。つまりコサックの魂を心に持つ祖父と、スターリン信者の母、スターリンを批判したフルシチョフ(ウクライナ出身)時代の娘という三世代の断絶がある。 この映画でまず感じたことは、党委員たちのグロテスクなまでの保身ぶり。我が国の官僚や政治家の世界にも在るのだろうが、共産主義の世界では立場を守る事が人生の最重要課題のよう。 軍司令官がKGB指揮官に、車の中でこっそり言う。「この国は外には誇れない。」 今のロシアの人たちどう思ってるのだろうか。
ラストのシークエンスについて
スターリン時代を懐かしむきまじめな共産主義者のリューダが、物価高や賃下げでデモが起きた街を鎮める仕事に没頭せざるを得ないのに、娘が労働者デモに参加して行方不明になる。(軍は市民に銃を向けないというのが、軍人にとっても市民にとっても共通理解のようなのに、治安維持のためにデモをする市民は銃撃してもいいと考える人もいて、指揮も混乱しているのが恐ろしい)暴動にモスクワから鎮圧部隊がやってくるが、KGBのスナイパーが市民を銃撃するところをリューダは目撃してしまう。何が正しいのか自分の中で信じてきたもの折り合いをつけてきたものがどんどん揺らいで、ただ動物的な母性が行動原理になってしまう。
発表よりはるかに多い死者。行方不明の娘を探しにくるKGBの男とリューダは封鎖を破り(死者数をごまかすために)市外にこっそり遺体が埋められているという墓地を訪ね、娘が埋められたと知るのだが…
(ここからネタバレまじえての考察)
結局娘は友人宅に隠れていてどこかに逃げようとしているのですが、パスポートが見つからないとパニクっています。リューダはKGBの男から返してもらった(そのときに何かあったら助けるよと親切に、下心で?言われています)パスポートを自分が持ってることを娘に告げ何としても助ける(助けてくれる人もいるから!)と娘を抱くのですが、これって、KGBの罠ですよね。
市外の墓地に行くとき検問で捕まり、しかしすぐに解放されて墓地まで行けたのは、リューダとデモ参加者の娘を捕まえるためだったのでは。
車の中で「君はすでに危険分子認定されてる(大意)」と言ってたけど、見てる側も当たり前でしょと思ったけど、コトは思った以上に深刻で2人はこの後うっかり男と連絡取って殺されるんだろうなあと思ったのですが。
ほかの方のレビューで、ラストはハッピーエンドととらえたのが多かったので、違うんじゃないかなあと。
他にも上の気に入るようなレポートを書くことに腐心したり立場で発言をスルーされたり「蠅一匹も」の台詞があったり、細かい見所が多いです。2022年の今これを見られた僥倖。(お父さんの軍服のニュアンスがソ連史に詳しくなくて分からなかったのが残念。あの軍服はソ連のではないとして、ではどの立場の軍属だったのかな?)
人類は進歩していないのだろうか?
スタンダードサイズの画面とモノクロームの映像という手法は、果たして適切だったのだろうか?それによって、ここで描かれる民衆の弾圧や虐殺が、現在とは関係のない、遠い昔の出来事であるかのように感じてしまうからでである。 共産主義の非人間性を目の当たりにしたはずの主人公が、フルシチョフを批判しつつも、スターリンの時代を懐かしむなど、結局、共産主義そのものを否定するまでには至らないところも歯がゆい。 絶望から希望へと転調するラストは、映画としては明るい余韻を残すことになるが、その後の歴史的な事実と、いまだに同じようなことが繰り返されているという現実に思いを巡らすと、かえって暗澹たる気持ちに陥るのである。
この映画、どストライクな感じ。何故今?
この映画には、矛盾点がある。ネタバレになるが、あえてあげれば、
『何故、狙撃者が女を撃たなかったか?』女性が最大の目撃者のはず。
『この暴動が、ソ連崩壊後30年もの間、何故、大々的に取り上げられなかったのか』従って、細かい部分になるが、虐殺のきっかけを作ったのが、誰(軍?KGB?)であったかもはっきりしない。全体主義でかつ軍事国家なのだこら、軍の暴走で済ませられないのか?
プーチンは元KGBじゃなかったのか?
つまり、フルシチョフが行なった粛清は事実であるが、この虐殺の経緯がこの映画の通りであるかは不明確で、真実を慎重に判断すべきだと思う。(あったのだろうが、状況を科学的に検証しなければ駄目と思う)
この映画の監督はロシアの巨匠と言うが、85年の歳を重ねている。この御歳に遺言の様に書くような台本とは思えない。『なんで、今まで黙っていたのだ』従って、この監督の名前を使ったプロパガンダ映画の様な気がしてならない。但し、どこの国のプロパガンダかははっきりしない。
『共産主義国家の後、もっと良い世界がやってくる』ってことなのだろうが(そんなセリフが映画の中にあった)、現状のロシアは立派な資本主義国家である。
また、ソ連のKGBの怖さを、今のプーチンの愚行に繋げては行けないと思う。プーチンもKGBもCIAもその国の権利を握ってイル者は怖いので、その国のイデオロギーに影響することでは無いと思う。戦争や虐殺は、権力者と権力者に挟まれた市井の人々を犠牲にして拡大していくものだし。
ソ連は共産主義国家では無く、全体主義国家である。しかし、現在のロシアも資本主義国家では無く、全体主義国家になりさがった。そして、アメリカは成熟した資本主義国家であるが、全体主義国家でなくとも、市井の人々を犠牲にして、戦争をして栄えてきた国である。
追伸 多分、ロシア系なのだろうが、フルシチョフはウクライナ人だし、ブレジネフもウクライナなまりがひどかったそうだ。
プーチンの愚行は非難されるべきだろうが、ロシア人を憎んではいけないと思う。勿論、ウクライナ人に対しても同様だと思う。
60年前の惨劇が今まさに行われている侵略と併せ鏡になっている壮絶な皮肉に絶句するずっしりと重いドラマ
激しい物価高騰と物資不足、そこにかぶさる給与カット、今まさに我々に襲いかかってきていることに耐え切れなくなった労働者達が意を決して起こしたデモ。民衆に紛れて首謀者達の情報収集に奔走するKGB。あくまで銃を所持せず沈静化を図ろうとするソ連軍。そして突如鳴り響く銃声と阿鼻叫喚。錯綜する現況の中で共産党員としてデモの首謀者を逮捕すべきと軍部に進言した共産党員リューダは一人娘スヴェッカがデモに参加した後行方不明になったことを知り、広場にも検死所の廊下にも横たわっている無数の亡骸に毅然と向き合っていく。リューダの苦悩を扇情的に描写していないので、時折リューダが見せる焦燥や狼狽が際立ちます。事態を収拾しなければいけない共産党員としての立場と、激しく対立していても愛してやまない娘の身を案じる母親としての立場に引き裂かれそうになるリューダの決意が示される終盤までに散々見せつけられる地獄絵図が今テレビやネットを通じて見せつけられているものと重なる既視感にも胸が痛くなります。過去の惨事を糾弾すべく製作されたであろう映画が現政権が今まさに行っている侵略の併せ鏡となっている壮絶な皮肉に絶句しました。静かで地味ですが重い使命を帯びた作品です。
“外へ見せられない社会”への問いかけ
不自由さの中で、自由の実態は浮き彫りとなる。 理不尽が蔓延る国の中でも、それらを渇望し声を震わせながら訴えた民はいたのだ…確実に、今も尚。トロツキー暗殺から始まったスターリンの恐怖政治を、没後批判したフルシチョフの時代、それは開放的な側面の裏で、再び弾圧が強化された歳月でもある。信じた思想、揺るぎなき信念は、時に隣人の安全が脅かされる不穏な日々を境に、疑念と葛藤を生み出した。本作は、その矛盾が特に苦しくのし掛かったであろう60年代にて、今以て理解するべき「人間の尊厳」と「民衆の力」を突き付ける。均等と統率の遵守において、臆病なほど目を光らせる社会主義下では、群衆の力は恐れられ、暗殺と抹消は伝統となり、マルクスの理想は机上の空論である事を、この国の歴史一つとっても立証しているのだが…現在、独裁者を再び求めているのもまた群衆であるのだ。歴史における彼等の末路を冷静に把握するべき時に、この作品が上映された意味合いも大きいのだ。
同胞も容赦無しですか。
スタッフ、キャスト全部NO IMAGEとは、まさになんでも隠す共産圏映画。 生活困窮者なんてお構いなし逆らう者には銃を向ける。ソビエトに限ったことじゃないですが。 白黒、スタンダードサイズ画面か時代の雰囲気だしてる。
愛する娘へ
この出来事の事をほとんど知らなかったので、他のレビュアーさんのレビューがめちゃくちゃ参考になりました。 いやぁ、ちょっと考えられないようなあまりにも痛ましすぎる事件です。一番の感想が民主主義国家に生まれて本当に良かった、と。 秘密保持の契約書にサインさせられ、もし破れば死刑、死体も知らされることなく葬られ、 病院に行く者はその後は… そして最も私が顔をしかめたのが、広場についた血糊を隠すべくアスファルトを塗ってさらに、何もなかったかのように数日後にダンスイベントが開催されたこと。 同じ娘を持つ身として、主人公の心情に思いを重ね、胸が締め付けられる感じで居ても立っても居られない状態でした。ラストに関しては意見が分かれていますが、私はむしろ良かったと。 モノクロ映像が当時の状況をリアルに描き出している。 ラストに放った主人公の言葉… 今のロシアを見ていて到底そのようには思えない。
親の愛も「自由」「わがまま」に分類される状況。
1962年実際にあった事件を元に作られたロシア映画。この事実はソビエト崩壊まで隠蔽されていたそうで2020制作とはいえ、よくロシアでこの映画作れたなと思う。 終わり方違ってたら許可でなかったかも、、、などと邪推してみる。 粛清された地方のストライキに娘が紛れ込んでいて必死に探す母党員の苦悩の物語。粛清と隠蔽がどのようにすすむかが興味深い。誰もが完全に状況を把握してるわけでは無いし、立場の違いも有るが結果が隠蔽一択なのは権力者への共通の恐怖だ。隠蔽は大国なら自由主義でも存在するわけだが、共通認識としての権力者への恐怖は少ない。 さらにインターネットの時代になり状況は変わりつつあるのはウクライナの件やウイグルの件を見ていても感じる。心底日本に生まれて良かったと思うが、その日本でも大戦突入前には似たような状況があった事、ちょっとした事で自由は失われちゃう事は忘れてはいけないなぁ、、、と思った。 モノクロの画面のカッコ良い構図が、流石ロシア映画の底力を感じさせる。皮肉なタイトルも良い。
子供を思う親ごころは、万国共通。観ていて、辛かった。
主人公が「スターリンが恋しい」と2度か3度発言する。私には信じられない言葉だ。存命中、スターリンと毛沢東は、百万単位ではなく千万単位で人を殺しているからだ。 ソ連・フルシチョフ時代に起こったストライキ鎮圧事件が舞台だ。ウクライナ侵攻とあいまって、ソ連・ロシアを非難するレビューが散見する。ロシアの肩を持つ気はさらさら無いが(くれぐれも誤解しないでほしい)、このような歴史に埋もれた、又は隠ぺいされた虐殺事件は、どの国にもあるのでないか。死者の大小の違いはあるけれど。幸いにも民主主義国家では言論の自由が保証されているから、起こりにくいだけだ。 どのような政治体制にあっても、人は生きていかなければならない。民主主義国家に生まれた人は、その幸運に感謝する。また、圧政下に生まれても、この映画のように良い人は必ず存在する。ちょっとは希望が持てる。だが、日本の隣国たちは何とかならないものかと思う。 主人公の父が着ていた軍服は、帝政ロシア時代の軍服か。 KGBと軍の仲の悪さとか、発砲責任のなすり合い、ストライキや暴動に対処できない地方共産党組織、ストライキが起こった本当の原因を解っている共産党中央幹部等嫌な事ばかりで、身につまされる。結末は私には疑問だ。
チャーチルの名言を紹介させていただきます
普段は忘れているのだけれど、強権的な国家やリーダーの横暴な振る舞いを見ると、いつもネットで再確認するのが、チャーチルの数々の名言です。『ローマ人の物語』の塩野七生さんもよく引用されています。 以下に三つほど紹介します。 過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう。 The farther backward you can look, the farther forward you are likely to see. 民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。 It has been said that democracy is the worst form of government except all the others that have been tried. 資本主義の欠点は、幸運を不平等に分配してしまうことだ。社会主義の長所は、不幸を平等に分配することだ。 The inherent vice of capitalism is the unequal sharing of blessings. The inherent virtue of socialism is the equal sharing of miseries. この映画で描かれている当時のソ連。 今、世界に現実的な実害を及ぼしているロシア。 いつも世界に不安を与え続けているアジアの二つの一党独裁国家。 民主主義は、何かの決定までの手順が面倒だし、相応に時間がかかる、という点は確かにあります。 首相本人の個人的な資質による程度差はあるにしても、一定の手順や時間のおかげで、世論動向や他者の意見を聞かざるを得ない分、最低限の謙虚さが求められます。 強権的な国家やリーダーに一番欠けているのがこの謙虚さ(そこには、意見は違えど他者の考え方との相違を認め、一定のリスペクトの念を持つことも含まれます)なのだと思います。 私はパワハラ系の威圧的な人間が大嫌いなのですが、たぶん、このような謙虚さの欠如という点では共通しているからなのですね。 強権的なリーダーのもとでは、お追従や忖度でうまく立ち回れる人と、天の邪鬼なまま弾かれていく人に二分化されていくので、どちらの側だとしても、とても息苦しくて窮屈で、誰もが幸せでない社会になってしまいます。自らの尊厳を保とうと思ったら弾かれる側になるしかないので、とても辛いことになります。
こんな世界でも親が子を想う気持ちは共通
この時期だからこそ本作品を見る意義があるかと思い見てきました。 まずは、時代背景も考慮してか、作品がモノクロであり、16mmで撮られているような真四角なスクリーンサイズです。 この手法に、見ているこちらも、当時の時代背景を感じながら作品に冒頭する事が出来ます。 本作品、かなり重厚な作品です。 人間は誰の為に生まれて来るのか、何の為に生きていくのか、改めて考えさせられました。 信じていた国に裏切られ、その格闘が大変に色濃く出ていて、あの国は、50年以上経って何も変わっていない・・・・ まじで、機密契約に笑うしかなかったな・・・・カッコよく言えば、隠蔽なんだろうけど・・・・ あまりにも不様過ぎて、信じきっている国民は、可哀想だよな・・・・ 人の命をなんだと思っているんだよ、人の人生をなんだと思っているんだよ・・・ しかし、こんな世界でも、親が子を想う姿勢は万国共通なのは、本作品の中でも一安心するエピソードだね・・・ しかし、本作品がロシア人によるロシアの映画だと言う事も大変に不思議な気がするな・・・ 少しでも、今の国の体制に疑問がある人達がいるのなら、その数を増やし、生まれて来た人が馬鹿をみない国作りに励んで欲しいな・・・ しかし、平気で嘘がつけるのだから、怖い人たちだよ、まったく・・・・
なかなかに難しい内容だけど、今だからこそ。
今年103本目(合計376本目/今月(2022年4月度)13本目)。 リアルではNHKなどが報じているウクライナ侵攻ですが、私たち一般人は通常、ウクライナ等に行くこともなければ、まして今問題視されているロシア等には(特に興味があるのでもない限り)行くことはないし、ロシア文化やロシア語を習うということも少ないのではないかと思います。せいぜい、数少ないロシア料理等が日本で知られているところです。 さて、本映画です。 ほぼモノクロという展開です。ただ、リニューアル版というわけではなく、当時の雰囲気を出したかったためにこうしたのだろうというところです(そのため、リボンの色が青だとか何だとかという発言は、確かめようがないという問題も一応あるのはある…)。事件自体も実際に起きたもので、ソ連崩壊→ロシア成立の1992年まで延々と隠されてきたので、そもそも現在でも「何が正しくて何が正しくないのか」という点が完全にはっきりとせず(関係者も亡くなった方もいれば、墓地等を掘り起こすというのは(倫理上)まずいということもあり、「現在、情報公開が進んだロシアの中で得られた情報を総合的に勘案した結果」という扱いです。 内容として、結構、日本基準で見ていて「わかりそうでわかりにくい字幕が多い」点がやはり気になりました。日本は漢字圏なので、わからない単語でも漢字で書いてある限り、漢字からの推測が利きますが、それこそ、原始的な共産主義(マルクス等)の「共産党宣言」などのレベルから、当時のソ連の共産主義の語、さらに事件の舞台となった地域(ただ、こちらは原則、漢字で出る)と色々出るので、実は「漢字圏である日本では」、ある程度推測がつくものもあるが、それは漢字圏であるからであり、その推測が正しいかどうかは保障されない、というものです。 ひるがえって映画の内容を見ると、1960年代という時代背景から見ると、日本も無批判で他国のことを言えるわけではなく、戦後間もない混乱期は、それこそいわゆる「正規の裁判」によらずに処刑をしていたり、現在基準で考えれば支離滅裂というような事件は結構あったりします(なお、これらのほぼ全ては現在では当事者謝罪という形でクローズしていあす)。そのため、日本も「実は」こういう「支離滅裂なことをやっていた時代」があったということは知っておかなければならないところでしょう(戦後の混乱期等)。 なお、現在(2021~2022年)に日本でもロシアでも、同じような事件が起きたら、それはもう証拠が完全に残りますから、どちらにも言い分はありません。 さて、この映画の舞台となった都市は、いわゆる「非正規軍」という扱いの「コザック」という文化がソ連(ロシア)にはあり、その集まりでできたのが、この町です。したがって、19世紀の本当の終わり(1890年ごろ)には、当時、まだフェミニスト思想すら危うかったソ連(ロシア)に女学校がたてられるなど、文化は首都をしのいでいたようです。第二次世界大戦で一時期、ナチスドイツに占領されていた時期もありましたが、この都市はこの当時、旧ソ連の中でも工業都市として知らない人も少なくはなかった(ただ、ソ連が大きすぎたために、全部を知っている人が(共産主義で秘密主義という文化もあって)少なかった、という妙な論点もあった)という特異な経緯を持ちます。 本事件そのものはソ連内部の「組織のもめごと」ですが、そうなる過程というのには必ず何かが入っています。1人や2人でこういう行動はとれないからです。複数人のチェックが入っているのが普通であり、それが映画内での描写でもあり、今のウクライナ侵攻でもまさにそうです。 ただ、他の方が何度も書かれれているのであえて書きませんが、本映画を通じて、「正しい意味で」「ロシア文化に興味を持っていただければ」という強い願いです。「国同士のモメ愛とエンターテイメントをいっしょにしちゃいけない」(日本と韓国は仲は良いとは言えないけど、エンターテイメントである韓国映画はどんどん来ます)のです。 このことを間違えると、15日、東京の駅だったでしょうか、キリル文字の看板「だけ」を外していたものが元通りになった(もっとも、キリル文字を使う=ロシア人(語) とは限りません)のことも、結局グチャグチャになってしまうのです。 本映画がそれこそ本当に今回のウクライナ侵攻について是か非かを論じているのなら、それにはレビューで答えるつもりですが、「政治経済の問題と、エンターテインメントを混ぜることの危うさ」も理解はしているので、ここは「解答なし」になるかな、と思いまう。 ---------------------------------------------------------- (減点0.3) ロシア映画という事情もあるので、字幕などやはり担当できる方が少ないのはわかるのですが、字幕不足という点は結構見られます。 最初から何が足りないこれが足りないという話はどんどん出るのですが、「スーパー」だの何だのという表記は一切ないので(というより、この映画の舞台となる街は、前述したように、かなり大きな都市で、ほぼ何でもあった)、セリフのマニアックさ(漢字圏なので理解はできるが…というだけ)も入ると、さらにきついです。 ----------------------------------------------------------
人類には民主主義が精一杯なのだろう
共産主義の理念は、能力に応じて働き、必要に応じて消費するというものである。なんとも合理的であり、そういう社会が実現可能であれば、今流行りの持続可能開発目標に近づくだろう。しかしそれは夢物語だ。 ドストエフスキーは社会主義について、非合理的な存在である人間を合理的なシステムに組み込めるはずがないと喝破した。そのとおりだと思う。 労働については、皆が皆、一生懸命働くとは限らない。それに共産主義における労働というのは主に第一次産業と第二次産業だ。マルクスは金融資本主義が経済の主流になるとは考えなかっただろうし、IT技術などは想像すらできなかったに違いない。 消費については、プライベートジェットや大型クルーザーや果ては自家用の飛行場まで必要だとする人もいれば、極端に質素な生活で十分という人もいる。人間の欲望に合理性などないのだ。 つまるところ、国家が強権的に管理することになる。人間はまだ共産主義に移行できるほど完成されていない存在なのである。だから共産主義国は、共産主義がどれだけ平等な幸福を齎すかを宣伝しなければならない。プロパガンダだ。プロパガンダを必要とする政治は、要するに欺瞞の政治である。 本作品はキューバ危機の頃のソビエト社会主義共和国連邦のある一都市の様子を描いているが、ソ連の縮図となっている。強権的な管理社会は、反体制的な言動に厳罰を課す一方で、プロパガンダへの協力や有用な情報提供には褒美を与える。仮面社会、密告社会だ。 ソ連の体制側にいる主人公は、共産主義の理想を信じて疑わない人生を送ってきたが、平和なはずの町で暴動が起き、銃撃で人々が殺され、娘が行方不明になったことで、共産主義を疑いはじめる。しかしそれはこれまでの人生を疑うのと同じことだ。自分の人生が無駄だったとは思いたくない。心は千々に乱れる。 共産主義の強権の中枢にいる人は、逆に共産主義の理想を信じていない。信じていれば人々が自発的に共同作業と共同分配を行なうはずだから、強権的な管理は必要ない。管理が必要ということは、共産主義の理想は実現されることがないということである。つまりソ連は、その出発点から決定的な矛盾を内包していたわけであり、内部崩壊は必然だった。 共産主義に限らず、すべての強権的な政治は内部崩壊が必然である。現在は民主主義国よりも強権政治の国が多いが、過渡期であるとも考えられる。マルクスも過渡期の問題を論じている。強権政治→民主政治→共産主義ということなら、現在も過渡期ということになる。 しかしドストエフスキーの言う通り、人間が合理的な整合性を獲得するとは思えない。人類には民主主義が精一杯なのだろう。
凄惨な流血を際立てさせないセピア色映画
1962年のソビエトはロシアにとって、もう過去扱いなんですかね。
前半の物価高騰の場面では、スターリンのときは物価はむしろ下がったというセリフが繰り返し聞かれました。
映画「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」が思い出されました。
世界恐慌のなかでロシアだけが景気がよかったのです。しかし、それは穀倉地帯(ソビエトの米びつ)であるウクライナから一方的に搾取強奪することによるジェノサイドによる見かけ上の繁栄でした。
理想論としての共産主義自体が悪いわけではないのでしょうが、KGBの存在や相互密告制度が暗く自由のない社会の元凶となっていました。冒頭の自由な男女交際描写はサービスショットなんでしょうが、それしか捌け口がないということなんでしょうか。党の下部組織に属し、優遇措置を甘受できる主人公はきつい性格の自分勝手な美人さんです。
KGBのイケメンオヤジはあきらかに美人さんに甘くて、ロマンス映画風に仕立てあげられたような感じでした。
不完全燃焼的な感じはやはりロシア国家体制への遠慮、忖度なんでしょうか?
セピア色だとアスファルトの血は全然わかりません。床屋さんの描写で充分なのですが。
靴下の穴には騙されましたが、それはそれで、良かったです。
祖国への愛と憎悪
1962年、冷戦下のソビエトにて発生したノボチェルカッスク事件をきっかけに、党に忠誠を誓っていた市政委員のシングルマザーの心の葛藤を描いた作品。 序盤からただならぬ雰囲気。 頑固なまでに共産主義に固執する母親リューダに対し、ストライキを起こす労働者側に傾倒していた娘。 国柄なのか時代なのか、同じ家に住む家族にでさえこうなってしまうとは。妄信は恐ろしい…。 しかし、それでも事件に巻き込まれたかもしれない娘を案じて銃弾の中を駆けまわる姿は紛れもなく一人の母親。行方をくらました娘を想いながら、自身の信じてきたイデオロギーへの気持ちも揺らいでいるのか・・・。 個々人の信念はあれど、改めて共産主義の怖さを教えられる作品。 平等な社会を謳いながらも、皆が皆物価高騰や賃金減少に苦しめられちゃ・・・。そしてノボチェルカッスク事件の真相も、真実を漏らせばはたしてどうなるか。発砲されケガを負っても病院に行けば・・・。この監視体制の先にユートピアなどあるのだろうか。 その他、あてにならない中央委員会に苦しめられる市政委員の姿や、まだ人の心が残っていそうな軍トップへの発砲許可(命令)を言い渡す場面、お偉いさん方の責任のなすりつけ合い等々、考えさせられるシーン盛沢山。KGBと軍の対立なんかも、複雑ですね。 兎に角、揺れているのか、或いはそれでもブレていないのか、場面ごとのリューダの心情を考察する面白さに加え、要所で味を出す上司やKGB、お父さん等々脇を固めるキャラもしっかり立っており、非常に見応えのあった作品だった。より勉強してからまた観てみたい。 最後のシーンはよくわからなかったな。。結局あの巡査は単に間違えてたのかな? きっと良くなる・・・。 半世紀経った今、この言葉を放ったリューダは、まさに今日のかの国を見て、果たしてどう思うだろうか?
全51件中、21~40件目を表示