私をくいとめてのレビュー・感想・評価
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能年玲奈=のんの本領発揮
この映画でのんが演じた主人公は、これまでに能年玲奈=のんが演じたどの役とも似ていない。あまちゃんでも海月姫でもホットロードでもこの世界の片隅にでもない。それは、発声ひとつを聴いても明確にわかる。主人公がどんな人間で、どんな声を発し、それがカメラでどう映るべきなのか。そういった確信に裏打ちされているからこそ、この感情の振れ幅の広い主人公が、類まれなる実体感を持っているのだと思う。残念な事情で、存分に演技の実力を発揮する機会が少なかった彼女だが、どれだけすごい役者なのかを目の当たりにするためだけでも、料金以上の価値がある。
ただ、演出面については、個人的には歩調が合わないというか、乗れないところが多かった。演技だけでも十分素晴らしく、観ているこちらものめり込むのに、BGMが余計だと思ってしまったシーンもあった。しかし、名演技を画面に定着させるのもまた監督の才能であるのかも知れず、一方的に「のんはすごい」と言う気はなくて、映画の魅力がどこから生まれるのかについても考えさせられた。
大久監督とのんの出会い。あまちゃんコンビの再会。模索する表現者たちの邂逅に感慨
のんはどんな役にでもなりきる器用な演者ではない。だが、どんな役を演じても自身の個性が前面に出てくる俳優でもない。容姿と表情と声から醸すナチュラルで柔らかな魅力を備えつつ、表現する行為を常に模索している求道者のストイックさも感じさせ、本作のみつ子役はそうした彼女の資質がピタリとはまった。
ピン芸人として活動した時期もあったという大九明子監督にも、そんな模索する表現者の気概が感じられる。温泉ホテルの演芸ショーでの一幕は映画オリジナルであり、原作にあった抵抗しにくい立場の女性へのセクハラを、監督が実体験を交えて翻案したのだろう。ここに込められたメッセージを、特に男性観客はしっかり受け止めなければならない。
そして、綿矢りさが「あまちゃん」で親友役だった2人に当て書きしたのではと妄想してしまうほど絶妙なキャスティングになったのが、みつ子と久々の再会を果たす皐月役の橋本愛。互いのポートレートを描く場面は「燃ゆる女の肖像」を思わせもし、女性たちの絆を感じるとともに、悩みながらも表現すること、ひいては生きることを楽しむ喜びを教えられた気がした。
のんと林遣都の演技が光る、ちょっと変わった「邦画では珍しい意欲作」。
誰もが脳内にもう一人の自分がいて、自問自答をし会話をしていると思いますが、本作では、それを「見える化」しています。
「ひとりきりの生活」に慣れきっている主役の「31歳の黒田みつ子」をのんが演じています。
かなり情緒が不安定な演技も含めてとても良かったです。
「取引先の若手営業マン・多田」を演じる林遣都もどんどん良い役者になっています。ちなみに、本作では、(これまでは一度も感じたことが無かったのですが)立ち振る舞いや話し方も阿部寛と似ていると感じました。
本作は、敢えて分類すると、「前半」「中盤」「後半」と3つのパートに分かれています。
「前半」の私生活や会社などのシーンは、テンポや初々しい感じもよく私は特に気に入っています。
このまま進んでいくとかなり期待できるな、と思っていたら、「中盤」で舞台が海外に移ります。
ここで作風が一転して変わります。
そして「後半」は、「前半」に近い作風に戻りますが、会社関連のシーンは変わらず良かったです。
ただ、ラストのほうは、ちゃんと考察すると「どこからどこまでが夢なんだろうか?」と区別がつきにくい演出に少し違和感を…。「私をくいとめて」というタイトルの意味は分かりましたが、夢の中の夢【「インセプション」的な?】である可能性もあって、ここはもう少しシンプルな方が良かったかな、と思いました。
個人的には、「前半」のノリでそのまま突っ走ってもらえたら、もっと評価は高かったので、その点が若干のマイナス要素です。(ラストの鍵の仕込みも、本当に必要だったのか判断が難しいところです)
とは言え、のんと林遣都の演技が光る意欲作であり、見て損はないと思います。
追記
公開前は非公開情報だった、心の声「A」の中村倫也は、女性の声も上手いので隠れた名演でした。
前のさんが気持ち悪いと思ってしまいました、ごめんなさい
第九監督とのタッグわたしの大好物
光子は不器用なところがあり共感した
橋本愛が涙を流し気持ちを吐き出すシーンが一番よかった
のんが旅館で叫ぶ(妄想だけど)もよかった
彼女は自分の行動で迷ったときはAIに話しかける。 AIの声は中村倫也。 AIはいつでもみつ子の味方で、 みつ子を傷つけることも孤立させることもしない。 正しい答えを常に選択してくれる。
動画配信で映画「私をくいとめて」を見た。
2020年製作/133分/G/日本
配給:日活
劇場公開日:2020年12月18日
のん(みつ子)27才
林遣都(多田くん)30才
臼田あさ美36才
若林拓也
片桐はいり
前野朋哉
山田真歩
橋本愛(皐月)
中村倫也(AI)
芥川賞作家・綿矢りさ原作の映画と言えば、
もう5作品が撮られている。
インストール(2004)
勝手にふるえてろ(2017)
夢を与える(2020)
私をくいとめて(2020)
ひらいて(2021)
みつ子(のん)は30才を過ぎて、おひとりさま。
ひとり暮らしを満喫しているように見える。
彼女は自分の行動で迷ったときはAIに話しかける。
AIの声は中村倫也。
AIはいつでもみつ子の味方で、
みつ子を傷つけることも孤立させることもしない。
正しい答えを常に選択してくれる。
みつ子はこの先も心地よいおひとりさま生活が続くのだと思っていた。
会社には気の合う先輩(臼田あさ美)がいるし、
尊敬する女性社員(片桐はいり)もいる。
みつ子は会社に出入りする業者である多田くん(林遣都)が気になっている。
多田君はみつ子よりも2才年下である。
多田君がみつ子に気があるのは明らかだし、
みつ子も多田君が好きなことは否定できない。
ある日、多田君がみつ子の近所に住んでいることが判る。
近所で何度も出会ううちに、
ついに多田君がみつ子宅で一緒に食事することになる。
このシーンは個人的に親近感を持った。
妻が一人暮らしでオレが年下で
妻の自宅に食事に誘われるというのが同じだったからだ。
みつ子は多田君とつきあうことになるが、
デート先でホテルに2人で泊まった時に
予想外のことが起きる。
みつ子はそこから逃げ出したくて、
泣き叫ぶ。
AIは正しい答えを出して、
この窮地からみつ子を救うことができるのか?
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
簡単なようで難しい「私」という存在
芥川賞の小説を実写化すると何とも奇妙で難解な作品になったのだろう。
原作未読
物語の内容そのものに難しさは感じないが、主人公みつこの心に隠されたものに難しさを感じる。
男女の違いがそうさせるのか?
タイトルは、みつこが頭の中のおしゃべりでパンクしそうになった際に言うセリフ
これ以上しゃべればどうにもならなくなってしまう。
そしてみつこの最後のセリフ「よろしく頼みます」は、このタイトルのようにならないようにAではなく、「多田」に依頼したセリフ。
Aは「私自身」 真我というよりも「本心的存在」
Aはみつこに諭すように言う。
「あなたは、あなたであることから逃れられません」
普遍的言葉
さて、
一見ごく普通の女性みつこ
雪の所為で帰れなくなり、多田とホテルに宿泊することになるが、二人でいる空気感に堪えられなくなる。
「一人でいたほうが楽」「私ここから逃げたい」「とにかく逃げたい」「逃げたいよー!」
一生懸命なだめるAに対し「役立たず」
Aは幻を見せる。
Aの声は明らかに中村倫也さんだが、Aとして登場したのは前野朋哉さん。これは原作のイメージに合わせたのだろうが些細な変化球に少々混乱した。
それでもなぜ、みつこ本人であるはずのAが、小太りの男性だったのだろうか? スピリチュアル要素なのか?
彼を初めて見たみつこは「いい感じ」と喜ぶ。それがなぜ「私」と認識できるのだろう?
確かにいつものAの声は男性。でもわからない。もしかしたら、それが彼女の考える「等身大の自分」という意味なのだろうか?
さて、
みつこは過去の出来事に大きなトラウマを抱えている。
「細いね」と言いながらいきなり手首をつかんできた上司。
表面上には些細なことだが、それが彼女の恐怖となり怒りとなっている。
心の奥底にある男性恐怖症というものになったのだろうか?
みつこが飛行機が苦手なのは、「何もかもが胡散臭い」から。
みつこが心の底で何もかもが胡散臭く感じているのが「男性」 おそらく特定の男性
温泉旅館で見た漫才
立場を利用し無礼にも、女性一人の漫才師に寄ってたかって肩を抱いたり抱き付いたりする男性客。
客席の中で妄想し爆発した怒り
「やめなさいよ!」
みつこにとって許せないこ行為 許せない過去 記憶を消したはずだったがあの男性客の行為に否応なく思い出した過去。
あの上司に対する怒りの次は、その他の人の悪口へと連鎖する。
それはやがて回りまわって自分の悪口へと変わる。
つまり、結局、想ったことを行動に移せない自分に腹が立つ…
これがみつこが抱える心の闇
みつこは会社では同僚ののぞみと一緒に特徴ある社員を妄想することを楽しんでいる。
では、のぞみとはいったい何者だろうか?
少し変わっているが、みつこと相性がいい。このことはみつこにとっていい環境になっている。彼女の素直な表現にみつこ自身が癒される。
みつこはそもそも会社に営業に来る多田のことが好きだ。
しかしAのアドバイスに従って行動しようとはしない。それは過去にAのアドバイスで失敗したからだろうか?
またはそれほどトラウマが大きく、ある種の男性が苦手というのもあり、それを切り離すことができず、行動できないのだろう。
「ある種」を見極めるのはとても難しい。
だから、おひとり様を楽しむのが彼女にとっての平穏な生活なのだろう。
Aとは本心 それと会話できることがこの物語
おひとり様を楽しむと同時に感じるいつまで経っても自分を変えられないこと。
サツキの住むローマを訪れ、あの想い出のクジラの公園から一歩も出られないことを打ち明ける。しかしサツキも、変化に付いて行けず、ローマに来たのを後悔してこの家から一歩も出れずにいた。
お互い涙で心境を告白した。
「それでももうすぐお母さんになる」のは、動いていないように感じるだけで実際には動いているということだろう。
それでも、
帰国した時すぐに多田にメッセージを送信しようと思ったものの、余計な妄想によって送信できない。
ネガティブな思いが増幅される。他人のネガティブな声まで拾ってしまう。
それでもAのアドバイス通り、メッセージを送信した。
やがて彼との交際が始まる。
ホテルの製氷機前でのAとの会話は、引き裂かれるほど限界だったから。
「悲しいね 寂しいのって、悲しいね」
部屋に戻ってきたみつこは、多田にそう言う。
多田がみつこのアパートに来て食事して帰ったとき、
「この部屋こんなに広かったっけ?」と独り言を言う。
みつこはいつもAのおかげでそのことを意識していなかったが、心の底にあったのは「寂しさ」だった。
それを紛らわせるためにAと会話し、おひとり様チャレンジを生きがいにしてきた。
ようやくみつこは寂しかった自分を認識したのだ。
多田との沖縄旅行直前に見つからないカギ。
あの不協和音 おそらくこの不協和音はみつこにだけ聞こえる彼女自身の恐れの音
Aに呼び掛けても何も答えない
やがて棚から滑り落ちてきたカギ
みつこはAに呼び掛け続けるが、返事はない。
「今度は、大丈夫だよね?」
家を出る前にも尋ねるが答えないAに涙が流れる。
これは、親離れということなのだろうか?
だから飛行機内でパニックになりそうになったとき、みつこはAではなく多田に声を掛けたのだろう。
エンディングロールには、二人で大瀧詠一さんの曲を歌ってリラックスしている二人の声が聞こえている。
みつこは大きな人生の波を一つ乗り越えたのだろう。
見終えたときにはそんなところまで感じ取れてはいないのだが、こうして書きながらそんなことが頭に浮かんできた。
他人からは些細に見えることも、本人にとっては重圧だったりどうしても無理だったりする。苦手に無理やり立ち向かう必要はないと思うが、みつこの場合、手に入れたいものと苦手とが同居の関係にあった。だからAが常に彼女にアドバイスしていたのだろう。
このみつこのケースの場合、苦手とは克服できないものではないということなのだろう。
相変わらず私の勝手な妄想を繰り広げたが、
良い作品だった。
のんしかあり得ない!
とても良かった。人と関わることで、救われることもあれば辛い目に遭うこともある。それでも、隣にいる「その人」の存在が必要な時もある。「(私を)よろしくお願いします」と言える人が。
ただ、おひとり様の人生だって良いではないかとも思う。だから、出てくるキャラがみんな誰かと一緒になっていたのは少し引っかかった。澤田さんも結婚してたし。
多田くんは優しいがマイペースな男だ。LINEの返事が微妙にズレてるし、聞いてることに答えない感じ。運転中に悪態をついていたのも気になる。みつ子が下着を干していたことに気づいて、バイクの駐車位置を変えに行ったのは優しいと思うが。しかし、のぞみさんが最初に言っていたように、誰かと一緒にいるためには、そのために頑張らなくてはいけないのだ。人間はもともと1人なのだから。
みつ子が皐月に「おめでとう」と言い、皐月が「ありがとう」と返すシーン。2人が互いのそれまでの気まずさを確認し、和解した瞬間だ。みつ子の妊娠を知らされていなかった小さなショックと、皐月の事前に言えていなかった小さな罪悪感。そういう「小さなトゲ」は徐々に大きくなり、互いの仲に割って入る。そのトゲが綺麗に溶けた瞬間だ。
キャラクターがストレスを抱えた時、動けなくなるシーンが多い。じっと耐えているのだ。耐えながら、誰かに助けを求めている。みつ子は、皐月も耐えているのだと分かったからこそ、和解できたのだ。
吉住さんが無礼な男たちに最低の絡み方をされているシーン。みつ子は自分が耐える経験をしていたからこそ、吉住さんの我慢を察知できたし、助けられずに苦しんだ。2人の苦しみが痛いほどに伝わってくる。
のんの、自由気ままで「不思議ちゃん」な明るさが、みつ子という役にピッタリだし、対人関係に悩み、苦しむ姿もすごく良かった。「不思議ちゃん」は繊細で人より悩みやすく、内側に抱えやすい人だ。もちろん、のん本人がどういう人か私は知らないが、等身大の彼女を観た、という感じがした。
Aという自分は誰にでも存在し得る。悲しい時、悩んだ時に自分を励まし、助言をくれる自分だ。特に孤独な人間には、そういう自分が必要である。ただ、中村倫也の包容力のある声はAに合っている気もするし、合っていない気もする。自分を肯定してくれる都合の良い声に聞こえてしまうからだ。自分にとってのAは、もう少し厳しくあるべきものだ。自分を肯定するもう1人の自分の声は必要な時もあるが、中村倫也の声は優し過ぎる。だから、他者に踏み出すためには、そして隣にいてくれる他者がいれば、Aは存在しなくてもいい。 Aのイメージを中村倫也本人ではなく、中肉中背のおじさんにしたのは、そこら辺に自覚的だったのかな。あれがイケメンだったら、これからもみつ子はAに甘えて、Aという存在から卒業できず、「よろしくお願いします」と生身の人間に言えなかっただろう。「言葉を形にする」ということは、他者に自分の言葉を投げてみる、ぶつけてみる、ということなのかな。
☆☆☆☆ 原作読了済み。 原作を読みながら最初に思ったのは、「如何...
☆☆☆☆
原作読了済み。
原作を読みながら最初に思ったのは、「如何にも女性作家が書きそうな、《女子あるある》に彩られた内容だなあ〜!」…と言う事。
松岡茉優の演技が素晴らしかった『勝手にふるえてろ』に近く。いわゆる同性からは支持されるものの、ストーリー性には大きく欠けているので、個人的には「大して面白くは無いかなあ〜!映画化されても微妙だなあ〜!」…としか。
でも直ぐに「のんちゃんだからなあ〜!」…と。結局は公開直後には劇場へ、、、
、、、とは個人的な事情で叶わずでしたが。意外にも好評な意見を数多く見かけ、居ても立っても居られず、年明け直ぐに劇場へと駆けつける。
既に述べた様に。原作の殆どの部分は、半ば自分に対して強制的に読んでいたと思う。
ただ…後半の部分で、「あ?これってひょっとして?」…と、思い当たる有名な作品を2〜3思い出してもいた。
あくまでもこちらの想像の範囲ではありますが。〝 自分にとっての大事な人が居なくなってしまう、、、かも知れない。
《それに対する大いなる恐れ》
………これって、『ドラえもん』の最終回であったり。又は『時をかける少女』等の要素が入ってはいまいか?…と、読みながら思い至る。
但し、例え当たっていたとしても。原作者本人は、全く意識はしておらず。書きながら、偶然にそうなってしまったのではなかろうか?…と。
映画はほぼ原作通りに進む。若干の変更点は勿論あり。ディズニーランドは東京タワーへ、原作前半に有る歯科医師との食事は映画後半へ。
意外だったのは吉住の登場(まるでその後のブレイクを予見していたかの様に)から続く、先輩に対する怒りの叫びで。この2つは原作には無い場面。
この連続コンポから続けざまに展開されるのは、〝 あのヒット曲 〟(原作にしっかりと有る)の素晴らしい使い方。
更には、◯◯愛の登場に至り。あの〝 大ヒットドラマ 〟フアンならば、知らず知らずのうちに感動させられる事になる。
その際に、私が1番驚かされたのが、唯一無二の親友との関連性。
原作には、何故【A】が登場する事になったのか?は、一切説明されない。
勿論、映画の中でもその疑問点に対しての答えは一切しない。
………だが、、、2人は学生時代を思い出し、お互いの肖像画を描くのだが、、、その刹那!
、、、、、ひょっとしたならばこの2人!
親友に【その想い】が有ったのか?は分からない。
みつ子は本人にも、映画では本当に【その想い】が有ったのか?も、一切の説明は無い。
当然原作にも【そんな雰囲気】を臭わせる描写は無いし。映画本編でさえ、そんな描写は一切無い。
だがしかし、映画を観ているうちに【ひょっとしたなら?】という匂いが、それとなく漂って来る。
親友が言う「妊娠したよ…」の台詞から、2人の間に何となくだが仄かに香って来る。
あくまでも…そうあくまでも、【それは】映画を観ている観客に対して投げ掛けられる、監督からの質問状に他ならないのだけれど。
誰にも言えない【その想い】を、長年に渡って内に秘めていたからなのか?自分自身での肉体と精神のバランスを崩し。その結果として【A】の存在が出来上がってしまったのではないだろうか?…と。
原作を読んでいただけに。この辺りの演出は全く予想外で、1番の驚きでした。
意識しての演出だったならば、これは本当に凄い!
だからなのか?原作だと、みつ子は30代のお局に入りかけた年齢だが。※ のんの実年齢(27)に近い25歳前後(「卒業から2年」の台詞が有った筈)となっていた。
ここはやはり原作通りだと、単に恋愛に疎く痛すぎるOL像が強く出過ぎてしまうからでしょうか?
話はクライマックスに近付き、ホテルでのみつ子の感動的な叫びから、遂に【A】の存在そのものが!
何しろ、それまでの声がイケメンのあの人だった、だけに、、、
椅子から転げ落ちる人が居るやも知れない💦
がしかし、これは原作をも遥かに乗り越えて来た傑作だと確信しました。
何よりものんか素晴らしい!
2021年1月2日 TOHOシネマズ西新井/スクリーン3
※ 鑑賞当時の年齢
『勝手にふるえてろ』を勝手に期待しないように。
見かけは似ていなくもないですが、別物ですね。
通常時とダークサイドの落差が…
「のんさんの演技すごかったですね」
あの先輩役の人も。
「臼田あさ美さんですね。『蜜蜂と遠雷』でしか遭遇していませんね」
片桐はいりは飛び道具だと思っていたので、ここでのカッコいい上司役にビッタリハマっていて驚く。
「片桐さんに超失礼です。まあ唯一無二の存在感があることは確かですが」
むしろ前野智昭が飛び道具的に使われていてもんげー(○○○○ファンなら崩れ落ちること必至)。
「前野さんにさらに失礼です」
一人暮らしだとひとりごとが多くなるのはよくわかりますが、さらにレベル高い感じに。
「あなたは仕事中も結構ひとりごと多いですよね」
週に一回は部屋を掃除するの偉い。
「あなたの部屋絶対人呼べませんからね」
客を滅多刺しにしてはらわた抉り出してくれちゃうのは『勝手に〜』と同じだが、突然逆方向から流れ弾が飛んできたりして焦る。
「日頃の行いを反省してください」
わ、わたし大丈夫だよね。吉住さんの面白さがちゃんと分かってるよね?
「さあどうでしょうかね」
一人焼肉は行ったことないです(ドヤ)。
「なぜドヤりますか。一人映画は大ベテランですよね」
え? 映画は一人で観るものっしょ?
「あなただってたまにお友達と観るでしょう」
二人まではセーフなんです。あの映画館、渋谷のヒューマントラストでは?
「エスカレーターの吹き抜け周りのハイカウンターとあのデザインのハイチェアからみて、おそらくは。でも違ってたら恥ずかしいですよ」
中村倫也ボイスでお願いします。
「無理です」
2度視聴しました。 主人公ミツコや職場の先輩のキャラが良いので楽し...
2度視聴しました。
主人公ミツコや職場の先輩のキャラが良いので楽しめます。しかし平和な日常で、旅と恋が少しあるというくらいの退屈なストーリーでした。
旅といえば映画に登場したローマの建造物、築地の建造物は凄い建築技術が必要ですね。重機の無かった時代に建造したとは信じがたいです。あえて映画に登場させた理由は何でしょうか、人間関係ばかりに氣をとられて世界や歴史に関心がない主人公を皮肉っているようにも感じます。
"おひとりさま"について考えました。家族全員を養う一家の大黒柱という構造が崩壊されて女性の社会進出が美化され、その結果、一生独身または離婚増加、少子化になり人口減少、人付合いが面倒で協力し合うことをせず何でも取引や契約で解決するようになってしまいました。"おひとりさま"でも生きていける世界になってしまいました。
こうした現在の状況を一人の女性視点でリアルに描くことは大事だと思いました。
コメディですが、のんきに笑っていられませんでした。
もう吉住じゃん
のんが阿鼻叫喚する時の演技が吉住っぽかった
あと自分が一人でキレている時の口調とか雰囲気が似てた
みんな「A」を飼っている
アメリカのコメディは監督の「ほら面白いでしょ?」っていう押し付けが強くて嫌いだけど、この作品はボケが結構散りばめられているけど気持ち悪さはなくて良かった
みつ子がそこまで言うのなら…
「人生は後ろ向きにしか理解できないが、前を向いてしか生きられない」というのは実存主義の創始・キルケゴールの言葉ですが、みつ子(のん)は脳内のAと対話することで、「前」を理解しょうとしていたのではないかと思いました。評論子は。
そう考えると、彼女は、著名な哲学者であるキルケゴールも真っ青の哲学的な思考力の持主だったのかも知れません。
いずれにしても、言わば「勝手に」脳内のAと対話している限りは人畜無害な訳ですから、好きに放っておいても良いと思うのは評論子だけではないことでしょう。
しかし、そうは言っても、脳内にAが現れなくなると、とたんに情緒不安に陥ってしまうようですから、みつ子がそうまで言うのなら、誰が食い止めてあげても「小さな親切、大きなお世話」ではなかろうと、評論子は思います。
映画製作の着想として…というのか、みつ子という一人のまだ若い女性の心理描写・内面描写としては、のんの持ち前のキャラクターとも相俟って、面白い一本ではあったと思います。評論子は。
根暗の生きづらさ
人間関係アレルギーの解像度高め
人への不信感とか好きな人に嫌われたくないが為に気を使いすぎて怖くて息も出来なくて発狂しちゃいそうになる感じとか共感しすぎて鬱になった
人に心開けてもっと社交的だったらどれだけ生きやすいんだろうな~っておもうよな
能年玲奈のなり切り一人芝居を堪能する映画
1.5倍速でも無問題。というよりそれでも滅茶苦茶長く感じたわー・・・・
普通速だったらイライラブチ切れていただろう、間違いなく
一つ気付いたのが能年誰かに似ているなとずっと記憶をまさぐって、それが小松菜奈と思い当たる。
とはいえ、あのなり切り一人芝居はやはり能年しかできなかったかもしれない。
その意味では本作は彼女ありきの彼女のための映画だったということだろう。
カップルが楽しめるか分からないが、彼氏なし女子友二人連れなんかで見ると共感できるかもね。
満足度高めです。
お腹いっぱいになりました。
最初から最後までずっと飽きずに観れました。
自分も「A」という存在を渇望してしまいます。
イタリアに行く機内での演出がめちゃくちゃいいですね。
役者さんの演技も素敵でした。
既婚者でも
お付き合いの方がいても
同居家族がいても
基本的にはみんなどこかおひとり様であるように思います。
それが良くもあり寂しくもあります。
なので
自分の人生をより豊かにしたいと思った時、
「A」という存在はうってつけの相棒だと思いました。
「A」が消えている時は大丈夫な時で、
不安な時は「A」を頼りにしてしまう。
もし、「A」を越えるような人生最良の伴侶に出会えない
としたら「A」の存在は必須です。
ようは自分自身のこころも持ちようで人生の豊かさはどうにでも
なるのかもしれませんね。
そんな力をもらえる作品でした。
もう一回観てみようと思います。
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