「東山さんの寄り添う気持ちが意外と胸に突き刺さる」おとなの事情 スマホをのぞいたら グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
東山さんの寄り添う気持ちが意外と胸に突き刺さる
このホームパーティーのきっかけとなった経緯は、否応なく最近発生頻度の高い豪雨や強風による自然災害を想起させます。
ラスト近くで、東山さん(三平)が語った内容は、次のようなことだと受け止めました。
どんなに非難されるような事情があったとしてもそれが生きてるってことだし、生き残った俺たちがそのことを互いに見届けるためにこの集まりを続けることは意味があるし、生き残った者の務めなんじゃないだろうか。
もちろん、倫理観にもとるようなことでも認めて赦すとか正当化してもいい、とかいうことを言ってるのではなくて、だらしないことも情け無いことも含めて、すべてが生きてることの証だし、それを確認することで、お互いに生き続けていること自体を〝祝福〟してもいいんじゃないか。
拡大解釈かもしれませんが、東北の津波や原発事故で被災された方々へのエールの意味も含まれているように、感じました。
何とか災害から生き延びた人たちが、精神面でダメージを受けることはよく知られていますが、心を蝕む要因は PTSDだけでなく、被災者の方への心ない非難や差別も相当にあるはずです。
報道などでは、事件や事故のご遺族に、亡くなった方の分もしっかり生きなきゃ、という思いを語らせていることが多いですが、〝しっかり生きる〟ということの意味の中に、なんとなく〝立派でなければいけない〟というニュアンスも含まれており、何かあった時には、『あの◯◯の遺族が、こんなことを…』みたいに一般の人以上に倫理観を求められて当然だということが前提で報じられてしまうことがないでしょうか。
生き残ること自体大変だったのに、その後生き続けることがもっと大変な状況に追い込まれているかもしれない、そんな境遇に置かれている方々へのエール。
トランスジェンダーのことも含めて、東山さん演じる三平さんは、生きづらくて仕方がない、そんな思いを持つ方々に寄り添う存在として描かれていたのだと思います。