マイ・バッハ 不屈のピアニストのレビュー・感想・評価
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この音楽家の演奏にもっともっと浸りたくなる
音楽家の物語といえば欧米メインとなるケースが圧倒的に多い中、本作の舞台はラテンアメリカ。それだけでも非常に意義深い作品ではないか。主人公の神童ぶりは、まだ幼い少年時代の描写から鮮烈だ。どんな難しい練習曲も「タッタタ、タッタタ」とたやすく拍を諳んじてみせ、音楽への情熱は人一倍。それに、いつしか世界進出する彼には無邪気で奔放なところもあって、そこがまた人を(特に女性たちを)惹きつける。
演奏場面で俳優の表情と手の動きをきちんと活写するあたり、相当な準備期間を経てこの難役に挑んだものと感じた。そして苦難に次ぐ苦難と対峙する後半は人間ドラマとして力強く、言葉以上に音楽が魂のうねりを代弁する。決してあきらめない。絶望しない。自分にやれる範囲で情熱を捧げる。その人生が巡り巡って音楽の響きにもいっそう輝きをもたらしているかのよう。本作を鑑賞後、この音楽家の演奏にもっともっと浸りたい思いで一杯になった。
天が与えた才能を使いバッハを愛したピアニスト
9歳であれだけ弾けたら皆んなに期待されるよね。
バッハの曲は難しいのにロマンティックで情熱的な演奏が出来てとても羨ましい!
音楽家の最後って大概貧乏で大変な末路だと勝手に思っていたけどこの映画のエンドロールを見て感動した!
とことん音楽をこの人は愛しているのが分かる。
本人の演奏をもっと聴いてみたくなる
映画って勇気を与えてくれて素晴らしい💓
良い作品、ありがとう。
芸術家はみんなこういうタイプなのかと勘違いする
芸術家はみんなこういうタイプなのかと勘違いしそう、今一彼のピアニストとしての素晴らしさが伝わりづらかった。偏屈で女好きの一面どころかそこしかなかったようなぁ。実在の人物なのでそこにドラマを求た自分も見立て違いでしたが。
ただやはり演奏シーンは聴き入ってしまうほどの迫力もあって、知っている曲が流れると興奮もするしもっと聴いていたかった。実際の音響を使っているとのことで納得。パラリンピックでの演奏シーンを見たかったと思うのは我が儘かな。自分で調べます。
音楽の神様は、いる。
ピアノの神童→ピアニストとして成功→花高々の最中右手をケガ→挫折。
やっちゃったよ。
でもそこからどう立ち上がっていくか。
約1時間ここまで。でも、まだ多分1時間あるけど?。
そこからが、興味深かった。
「人生のほとんどをピアノの前で過ごしたから、愛し方がわからない」。
なるほどね、その道の達人はだから不器用なのか。
そしてもう一度ケガをしてしまう災難。指に障害。もう再起不能だよね普通。
でも医師の言葉「ピアノ“は“弾けない」。
音楽を表現するのは、何もピアノだけじゃない。
そっか、そういうことか!。
印象的だったのが、一度挫折した時。
久しぶりにピアノに向かった際、アパートの住人からこんな苦情が。
「窓を開けて弾いてくれ、よく聞こえないじゃないか」。
自分の音楽を、聞いてくれる人がいる。きっと彼の励みになったでしょう。
なんでも作品中のバッハピアノ曲は(多分全編バッハ曲)。
実際のジョアン自身が録音した曲を、使っているとありました。
ピアノの音色が嫌いじゃなかったら、ぜひおすすめの1作。
後半からがグッときますよ。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「バッハの曲は、すべての演奏家のためにある」
ジョアン・カルロス・マルティンス
ブラジル生まれの天才ピアニスト、ジョアン・カルロス・マルティンスの伝記映画。
世界的に名は轟いていたが、不慮の事故により右手の指三本が動かなくなる。
その後も次々と試練が訪れるが、都度、乗り切って行くのがすごい。
芸術への執着は破滅的探求
「芸術への執着は破滅的探求」
これ、いつか見た光景です
僕も鍵盤を血で汚したことがあるから。
0か100かしか選べなかったぶきっちょな僕は、10年ほどバッハを弾いたあときっぱり音楽はやめ、膨大な書き込みのある楽譜も全部捨てました。
「神経を切って言語中枢を残すか、あるいは言葉は失ってでも手を温存するか」、
― ピアニスト、ジョアンが立たされたこの究極の選択は「弾くか」「死ぬか」の、つまり0:100の決定だったのでしょう。
凡人の僕は、鍵盤を捨ててしまっても こうして平気で生きていますが、ジョアンはそうではなかったはず。
DVDを、空いた時間に細切れで観たけれど、どの場面から再生してもあの本人の音源と、役者の一途さには、鼻水を垂らして僕は泣くばかりでした。
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【残った左手で弾く】
「左手のためのピアノ協奏曲」(モーリス・ラヴェル作曲)。
ジョアンの妻はこの譜面を、夫のために棚の下のほうから見つけ出して、彼のためにピアノの上に置いてあります。
いろいろの思いはおくびにも出さないで。
実は左手のための鍵盤曲はちゃんと世の中に存在していたのです
元々は右手を失った戦傷者のために創出されたと言われています。
日本では半身麻痺から再起したピアニスト舘野泉が有名。
シューマンも過練習で手を壊して作曲家に転向した人物。
時を見て、夫のためにラヴェルの楽譜をそっと出した妻=弁護士のカルメン。良き理解者。
【楽譜のネガの部分を弾く】
【フェルマータは延ばす印ではない】
モーツァルトやベートーベン以降の古典派の楽譜では、私たちが音楽室で習ったとおりで「フェルマータは延ばす印」です。半円の中に点のマーク。
しかし、それ以前のバロック時代においてはフェルマータの用法は逆です。真逆です。
⇒「延ばさないで止める」「残響を消すために止めて待つ」の意味なのです。
『そもそもイタリア語における"fermata"とは、「停止」を意味する名詞である(例えばバス停の標識には"Fermata"の表示がある)。』Wikipedia
楽譜の研究者が、
延ばすはずのフェルマータ記号が、バッハのスコアにおいてはどうもおかしい事、
つまり他声部は止まらずに流れているのに、(=つまり同時に全体が流れて行くはずのスコア楽譜なのに)、何故かひとつの声部にだけフェルマータ記号が付いているケースを発見し、バッハに代表されるバロック時代の、独自のフェルマータの用法・意義が判明したのです。
【バッハ弾きにおいては、フェルマータは「無音」指定】
ゆえに、そこを踏まえて、
僕がこの映画で特に心引く一語として残ったのが教師とジョアンの問答なのでした、
「君に奏でて欲しいのは静寂」
「音楽のポジではなくフイルムのネガの部分」
「休符だ」
ああ、これわかります!
僕もパイプオルガンを独習していてこの“秘密”を発見しました。演奏は埋めることではなく、引くこと。
音楽の奥義は音を出さないことなのです。
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【楽譜の指示する無音部分を無音として弾く】
①パイプオルガンは、他の鍵盤楽器と全く違い、音の頭に強音のアクセントを付けることは出来ない。そして他の楽器と異なる特徴としてはキーを押している間は音量は減衰なく、永遠にその音が鳴る。
②ところが、人は鳴り続けている音にはわりとあっけなく無感覚になる。音が切れた(静寂が戻った)瞬間に「音が鳴っていたこと」「音が消えたこと」に気がつく。
特にバロック様式の演奏において、旋律が複数絡み合う「多声音楽」では、聞こえにくくて聴衆の耳と印象に残りにくい内声部の音価は「敢えて短く切ってしまうことでその音が長く聴こえる」と言う不思議な手品が引き起こされるのです。
10延ばさなければならない音価の音符を、敢えて8で切って静寂を置くことで逆に指定されている10の音価が強調されて11に聴こえるのです。
⇒これこそがバッハの時代のフェルマータ。
例1:有名人が亡くなると、「巨星落つ」と報じられ、巷の人間は「へー、あの人はまだ生きていたのだなぁ」と知らされ、死によって命が持続していたことに気がつく。
音が終わること、命が終わること=休符と静寂の回復によって、それまで延ばされていた音は「鳴っていたこと」と「消えてしまったこと」との両方が同時に成立し、初めて音に印象と生命が宿るのです。
例2:潜水艦の映画を観ると必ず艦内に響いている「あの音」。「コーン、コーン、コーン・・」ご存知ですね?
機器が正常であり、順調に動いている合図の信号音なのだそうです。異常発生時には「音が消えることによって」艦員に緊急事態を知らせます。
警報ブザーやベルは電源喪失時には鳴りません。使えません。
だから「音が消えることによって」何事かを=異常を=知らせる方法を残してあるのです。
説明が長くなりましたが、
音の減衰のあるピアノやチェンバロならなおさら意識して音を消し、静寂をアピールしなくてはならない。
・・ジョアンの教師が「無音こそ音楽の生命だ」と教授したあのシーンには、我が意を得たりでした。僕しか知らない奥義だと思っていたので(笑)
ジョン・ケージは「4分33秒」という画期的な前衛ピアノ曲を作りました、興味のある方は動画検索して下さいね。
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それにしても
思わぬ所から=クラッシック音楽の郷里ではない遠い大陸から
ダンタイソン=ベトナム
ランラン=中国
アルゲリッチ=アルゼンチン
そしてバレエではジョルジュドン=同アルゼンチンなど、
奇跡のように突然変異の演奏家が誕生する、この現象は一体何なのだろうか。不思議だ。
本作中の録音はすべてジョアン・カルロス・マルティンス本人の物。
ジョアンのバッハはリズム重視。タンゴとサンバの血を彼は出自のベースに内包しながら、安易に南米風に、また万人好みのフュージョンに流れていく危険を徹底的に排し、バロック時代のバッハの楽譜に正面から向かっている。
この姿勢に、何よりも打たれた。
以上、
僕まで久しぶりに無我夢中になって、長文を書いてしまいました。
誰かが言っていた!諦めない事こそが才能!
全くノーマークで、緊急事態宣言の中、
スクリーン数の少ない極小ミニシアターは営業しており
お目当ての映画と二本立てだったので鑑賞!
凄かった!
小さなころから天才ピアニスト!それは間違いないが
海外に出たとたん娼館に泊まり込みって!
才能は有るけど破滅型の人間の話なのかな?
と思いきや、事故でピアノの道が危うくなっても
酒や女に崩れることなく、
鍵盤を血に染めて演奏を続ける執念!
その後も襲ってくる不幸に壊れることなく
音楽を追い続けるその姿勢が
表題のごとく
誰かが言ってた!「諦めない事こそが才能!」
正にその通り!!
この映画が実話で、映画の中の演奏シーンは
すべてホントの音って!!凄すぎる。
で、月に8回ほど映画館に通う中途半端な映画好きとしては
ノーマークだった映画を何かの都合で観たときに
「幸せな出会い頭事故!!」が発生するときが、まま、有る。
この映画もそんな一本!
ぜひ、チャンスがあれば若い人に観て欲しい。
才能があっても人生は一筋縄では行かないし
好きなことやりたかった事と今やってる事が多少違っても
本当にそのやりたかった事が自分の生きる道だと思うなら
王道以外にもその世界に接しながら生きる術は
自分次第で何とかなる!
広い視野で考えるヒントを貰える映画ですよ。
心技体
芸術が 心技体による最高のパフォーマンスによって傑作が生み出されるなら、ジョアン・カルロス・マルティンスは、体の怪我によって技が再現できなくなり、のちに心も崩れかけた。しかし芸術への渇望が消えなかったからこそ生きながらえながらも、晩年に渡って新たな芸術を生み出すことができた。ビルエヴァンスは天才的な美しさがありながらも長年の薬物によって人生を終えたが、ジョアンのピアノにはずっと変わらない情熱が宿っていた。心を鍛えるのは難しいが、最後は強い精神力が生を全うする為に大切だと感じた。昨年2020年にバイオニック技術を利用した手袋を使って20年ぶりにピアノを弾いている姿がSNS上で拡散され、見ていたが今回の映画で深い背景を知ることができた。
ジョアンのピアノと生き様に感動する逸品
Johann Sebastian Bach & João Carlos Martins❣️
今作はブラジルのピアニスト、ジョアン・カルロス・マルティンスのアンソロジー。「20世紀最高のバッハの演奏家」と称されたということだが、クラシックの演奏家には明るくないので彼のことは知らなかった。
いわゆる神童だったのですね。若くして世界に出たのだが、人としては問題ありで、次々に遭遇する苦難も自業自得と言えなくもない。そんなダメなところも憎めないのは抜きんでた才能のせいか。
今作の演奏はすべてジョアン自身によるものとのこと。映画好きには欠かせないバッハの音楽が在りました。極上の音と下世話ながらも実に人間的なジョアンの生き様に感動する逸品であります。
感動☆彡
バッハの生涯かと思って見に行きました。
一人のピアニスト、しかもブラジル人のリアルな話
感動☆彡しました。
歳をとるごとにステージが上がるごとに
パートナー、環境が変わって
芸術とは、過酷な人生なんだなぁと。。。
ピアノ全て本人の音源ということなので
またまた感動☆彡しました。
芸術を追求した先は…
ピアノ経験者で、バッハが大好きな知人を思い出しながら観ていました。
もちろん主人公とは成し遂げた偉業が違いますが芸術を追求する人特有の頑固さ、ストイックさ、周りとは相容れない自意識の強さなど共通するものがあり、芸術がそうさせてしまうのか?それともそういう人種が芸術に惹きつけられるのか?どちらもありそうですが、彼の場合は原動力は芸術への探究心や情熱でそれに取り憑かれた様に突き動かされて生きているのだと思いました。
エンドロールでは彼が今まで行った慈善事業の数々が映し出され、彼が心から音楽を愛している事が分かり心温まりました。
音楽好きの方、ぜひ映画館でご覧になってみて下さい。
力強いピアノ大好き
鬼のような指さばきのピアノは
観るものを圧倒させます!
押し寄せる大波のような
力強く荒れ狂う旋律!音楽!オーケストラ!
音楽に魅入られた者の気概と人生を
ひとつの曲にまとめたような
素晴らしい映画でした!
これが実際に居た人の話だと
いうのだから世の中は恐ろしいですね!
真面目に育てられた童貞クンが
娼婦に飛びつく様が
またなんとも人間らしくて
素敵でした!笑
ダイジェスト?
124本目。
あーやっぱ実話なんだね。
ダイジェストつーか、再現ドラマみたいだし、才能ありすぎるから共感出来る所がないんだよね。
苦労もしてるんだけど、やっぱこの作りだと、サクセス感が感じられない。
良くもなければ、悪くもない。
知ってる人は涙なしには観れないんだろうけど40分前に、シリアにて、を観てなければ別の感情を抱いたかもね。
淡々としすぎだけど、それが実話なのかなぁ?
何度も訪れる困難を乗り越えられた理由が
「全く」
伝わってこない。
事実、確かに素晴らしい方なんだと思う。
しかし、この困難の人生を乗り越えた源泉が
一体なんなのか?
そこが大きなポイントであるはずなのに、
カタルシスを感じられない。
なぜに不屈のピアニストたりえたか?
そこにこそ、描くべきポイントがあるように思いますが。
ソコが薄い、薄すぎる。
残念。題材がとてもよかったから尚更。
ブラジルのバッハ弾き
ブラジルの音楽が好きなので、観る前からテンション上がりました。
映画としては色々あるけれど、当人の存在と演奏がハンパなく圧倒されました。
こんな事出して良いのかなぁ?と言いたくなるエピソードもあるけど、何より音楽の神が彼を通して伝えている何か神々しいもの?に感動した。
エンドロールでの実際のジョアン・マルティネスが、左手の2〜3本の指と右手の本の指で弾いている映像、子ども達に音楽を教えている写真、良かったです。
類まれな才能
ストーリー自体は総じて悪くはないのだが、いかんせん主人公中心の伝記物語的色彩が強くて、主人公を取り巻く人間関係が希薄だったのは気になった。また結局はサクセスストーリーで終わるのだが、一時期、人生のどん底に陥ったのは自業自得的な部分があり、主人公にそれ程、感情移入できなかったのは残念であった。ただ音源自体は主人公が実際、弾いた音源全てを使用したのは良かったかな。ちなみにC・イーストウッドが、この映画化を希望してたそうだが、断然そちらの方が観て見たかった。
ブラジル音楽といえばサンバやボサノバ・・・というイメージを破壊されました
序盤から中盤にかけて淡々とした成功物語だったのに、数々のエピソードとちょっとした事故によって挫折を味わうことで彼の痛みが爆発的に伝わってくる内容だった。その波乱万丈の人生の中でも、3度もカムバックするところでは感動とともに、年を取ってからでも出来る!という希望を与もえてくれるものでした。
リオ・パラリンピック大会の開幕式でも3本指でピアノを演奏して話題にもなったピアニストらしいのですが、リオ・オリンピック=マリオのイメージが定着して、他の何も覚えていない記憶障害のkossy。こんなに素晴らしい音楽家だったとは思いもよりませんでした。
サッカーを楽しんでいるときに倒れ、右手の3本の指が動かなくなり、リハビリ、金属ギプスでの演奏。鍵盤が血だらけになるシーンでは目を覆いたくなるほど痛々しかった。そして、復活を果たしてからバッハの全曲をレコーディングする偉業に挑戦するときに再び悲劇が襲う。簡単に女を引っ掛けるから・・・もう。
脳の神経が近道をしてしまい、言語能力がそのために失われる・・・なんて医学的な話は全くわかりませんが、そんなこんなで二度目の結婚相手カルメンが彼の心をよくわかっていたため、苦渋の決断も難なく。と言った具合に“破滅的”な芸術の追及も失われたかのように思われたのでした。
最後の本物のジョアンの演奏にも涙できるし、何より彼自身のレコーディングした音源をそのまま使用した作品でもあるので、音楽の素晴らしさにも涙できることでしょう。多少、映像と音楽がずれているのもそのためかと思います。
クラシック音楽は苦手な分野でしたが、途中でボサノバ曲が流れて嬉しくなったし、ロックミュージシャンと一緒に番組に出るといった興味深い事実も描かれてました。そして劇中では「キース」、「カール」と名乗っていたけど、明らかにエマーソン・レイク・アンド・パーマーの3人が登場しました(本物じゃないけど)!「いつもジョアンの演奏に刺激されてんだよ♪」などと言うELPも「展覧会の絵」などクラシック作品を演奏するほどクラシックとジャズを盛り込むプログレッシブロックのアーティスト。バッハ好きの方も必見だが、ELPファンも必見だ!
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