FLEE フリーのレビュー・感想・評価
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その勇気の重みを読み取る想像力が試される
1979年の旧ソ連によるアフガニスタン侵攻で激増したアフガニスタン難民は、近年でも約260万人(外務省サイト)、あるいは273万人(2020年、UNHCR)にのぼるそうだ。その中のひとりである実在の人物アミンの体験談が、本人の安全のためアニメーションで描かれる。あくまでドキュメンタリーであり、80年代から90年代当時の実写記録映像も多用される。
この作品は2021年に製作されているが、奇しくも今年ウクライナがロシアの侵攻を受けてから、ウクライナの人々が祖国を追われるさまを、報道の映像で多く見てきた。ニュース番組などで毎日のように接しているうちに、こちらがつらくて耐えられなくなるほどだった。その理由のひとつは、あまりに理不尽な蛮行が実力行使で堂々とまかり通っている、それが見るに耐えないこと。もうひとつは、自分の想像力が彼らの過酷な状況に到底追いつかないことだった。
そうした映像体験を経て四半世紀以上前の出来事を描いた本作を観ると、結局同じようなことが昔から繰り返されているのだという思いに至る。誰もがスマホのカメラで撮影する時代になったので、生々しい映像が増えた分インパクトの強い出来事のように錯覚するが、悲惨さは変わらないはずだ。アニメという表現方法は個人の特定を防ぐだけでなく、良くも悪くも描写のえぐみを抜くが、私の脳裏にはその部分の想像を補うものとして、報道されたウクライナの人々の姿が浮かんだ。
政治情勢に翻弄された人たちの過酷な状況をアニメで描いた作品としては、個人的には「トゥルーノース」のインパクトが忘れられない。この作品は生存者の証言を参考に作られているが、監督の信条でエンタメ的展開も組み込まれている。物語に揺さぶられると、作品の本来のメッセージも心に刺さりやすくなる。
本作はドキュメンタリーなので、そこまで都合よくこちらの感情を揺さぶる展開はない。
アニメは美しいが実写の生々しさはないし、モノクロのラフ画のような描写が用いられる部分もあるし、彼が本来の目的地と違うデンマークへ亡命してから研究者として身を落ち着けるまでの経緯の描写は省かれている。
また、彼は自分がゲイであることを打ち明けるくだりは、フィクションだったなら故郷を追われたことと性的嗜好とからくる二重の疎外感に苛まれる分かりやすい描写がありそうなものだが、この点は割とさらっと解決する。
「FLEE」(〈危険などから〉逃れる、〈安全な場所に〉避難する)という直球のタイトル通り、具体的描写の重点はあくまで逃亡生活の部分に置かれている印象だ。
アニメによって和らげられた部分、逃走描写以外の背景の細部は、観客の知識と想像力に委ねられている。リテラシーが試される作品のように思えた。
故郷とはずっといてもいい場所、自分の存在を拒否されない場所。生まれ育った地への思いを封印してそのような考えに至るまでに、どれほどの苦悩があっただろうか。
監督が幼馴染であり、アニメで容貌が隠されるとはいえ、特定されれば身に危険が及びかねない逃亡の現実を告白する決心へと、どんな思いが彼を突き動かしたのだろうか。
彼のような人間が作品に「出演」し(声は本人)秘密を告白する勇気の重さこそが、本作の凄みだとも言える。いわば犠牲者とも言える彼にそこまでしなければならないと思わせる、問題の複雑さと根深さを考えさせられた。
記憶の中にだけある事実を取り出すアニメーション
人の記憶は直接カメラで撮影できない。アニメーション・ドキュメンタリーというジャンルが重要なのは、カメラで今現在、撮影可能なものだけが事実ではないということを言えるところにある。主人公アミンが蓋をし続けたアフガニスタン時代と難民としての過酷な記憶は、カメラで撮影不可能だが、事実だ。その事実を描くためにアニメーションが必要とされる。とりわけタリバン以前のアフガンの映像はあまり残っていないから、アミンの記憶にある、平和な時代のアフガニスタンの光景は非常に貴重だ。当然、難民として各地を転々とさせられた時もあのような旅にカメラは同行できない。実写の再現映像でもなくアニメーションでその記憶を再現することで、観客はよりアミンと記憶の共有をしやすい。抽象的であればあるほど、想像力は喚起される。
この作品がオスカーの長編ドキュメンタリー賞と長編アニメーション賞に同時にノミネートを果たしたことはとても大きな意味を持つ。映像の事実性というものについて、多くの人が思いを巡らすことになっただろうから。
アニメーションとドキュメンタリーの可能性を広げた秀作
これまで感じたことのない手触りを持った作品だ。内容としてはドキュメンタリーに属するのだろうが、しかしアニメーションを採用することでその印象や浸透の度合いは全く異なるものとなった。アニメにした理由が「匿名性を守るため」なのは大いに納得するところだが、と同時に、いわゆるフラッシュバック構造が本作の随所に挟み込まれている点もまた、アニメだからこそ。これにより主人公アミンの逃避行は単なる「語り」でなく、家族の温もりや心の機微が際立って伝わってくる「実態」となった。祖国を離れ、ソ連では理不尽な暮らしを強いられ、他国への脱出にも命がけの覚悟が必要だったアミン。さらに彼がずっと胸に秘めたものを口にする場面が印象的だ。この瞬間、彼が二つの長い道のりを歩み続けてきた事実が鮮明となり、よりいっそう尊さがこみ上げてくる。並走して描かれる現代の恋人との関係性も含め、人間の尊厳をめぐる旅路がギュッと詰まった秀作だ。
テーマの重さ・深刻さと、ドキュメンタリーとアニメを融合させた柔軟さ・軽やかさ
アフガニスタンから脱出(flee)した青年を題材にしたドキュメンタリー映画と聞いて、まず昨年9月公開の「ミッドナイト・トラベラー」を思い出した。同作は監督とその家族の難民としての旅と暮らしを、本人と家族たちが数台のスマートフォンで撮影した手法がユニークだったが、本作「FLEE フリー」も手法のユニークさの点で引けを取らない。
本作の主人公は、諸事情(映画の中で具体的に明かされる)により本名を明かしていない。映画の中ではアミンという仮名が与えられているが、本人の特定につながる可能性のある周辺情報もぼかすか、事実から変更されているようだ。監督のヨナス・ポヘール・ラスムセンは、15歳の時に自身が住むデンマークのある町にアミンがやって来て以来の友人だったが、アミンが過去の過酷な体験をラスムセンに明かしたのはずっと後のことだったという。ラスムセン監督は友人の半生をドキュメンタリー映画化するにあたり、匿名性を担保するためにアニメーションで語ることを選択した。しかも、同じタッチのアニメで作品全体を語るのではなく、アミンの記憶に基づき客観的に再現するシークエンスは2Dのカラーアニメで、トラウマに結びつくような悲惨なシーンはモノクロ調の抽象的なタッチで描き分けられ、さらに時代時代の統治者や街の風景などが実写のフッテージで挿入される。
アミンとその家族が欧州へ逃れるために体験したことは、なかなか簡潔に言葉に代えられるものではないが、本作の秀逸な表現手法によって視覚的に“体感”することはできる。多くの人に鑑賞してもらい、難民問題に関心を持つ人、問題意識を深める人が少しでも増えることを願う。
逃げるという過酷な日々
まだ幼いアミンは父を連行され、アフガニスタンから夜通し歩いて船に乗り込み、嵐で沈没しそうになりながらロシアへ。そして長兄の待つスウェーデンを目指し脱出、一度の失敗を経てついにデンマークへ。言葉にすると数行で終わる物語だが、それは生き延びるためのとても過酷な逃亡で、学者としての成功を収めた今も人生に暗い影を落としていることが告白される。
シンプルなアニメーションで、逃げ続けた人生の重さが淡々と描かれる。生まれた場所によって辛い少年時代を過ごさなければならない、それは世界中で今も続いているのだ。
今ここから抜け出し、自由を求め目指し続ける日々に疲れたアミン。パートナーとこれからの人生を豊かに満たしながら生きることを選択した彼がこれまで得られなかった安らかな時間を過ごす家が、最後のシーンである。
猫とサボテンをかかえて越してきた家は、まだ家具も揃わず、がらんとしている。そして映画のラストに、一瞬だけ実写で描かれる、ベリーが茂る庭に続くシーンがとても美しく、救われる思いだ。
ソ連の国旗が出てこない
アンドリュー・ヘイは映画『異人たち』の中で、死なない限り救われない孤独なゲイの生き様をドラマチックに描いて見せた。🇦🇫から難民として🇩🇰へ逃れた経験のある人物をネタにした監督ラスムッセンの場合、むしろゲイであることが救いになるほど過酷な難民のリアルを、時折実写映像を交えながらドキュメンタリータッチで描いている。
本アニメを鑑賞する前にまず🇦🇫紛争について予習しておく必要があるだろう。
冷戦時代の1978年に成立した🇦🇫民主共和国(🇦🇫)と同国と軍事同盟を締結して介入・侵攻したソ連、それらの政府の政策に反対して総決起したムジャーヒディーンと呼ばれるイスラム聖戦士の間で勃発した戦争である。 (Wikipediaより)
🇺🇸🇬🇧をはじめ、🇵🇰、🇸🇦、🇮🇷のアラブ諸国に加え、当時ソ連と対立していた🇨🇳までムジャーヒディーン側を軍事援助、結果軍事侵攻していたソ連は1989年に🇦🇫から完全撤退。ソ連崩壊の基点となった事件である。
主人公アミンの父親はおそらくこの民主共和国側の人物であり、ゆえにムジャーヒディンの聖戦士にとらえられ処刑されたのだろう。共和国が軍事援助を求めたソ連への亡命を企てたのも、アミン一家に西側のコネクションが無かったからに相違ない。地元住民の🇺🇸🇬🇧に対する不信感も非常に根強く、🇺🇸🇬🇧が直接介入ではなく分離政策をとっていたことも多分影響しているのだろう。この聖戦士の残党が後にテロリスト化していった事実を我々は見逃してはならない。
🇷🇺の警察官が難民を道端でとっつかまえては公然とワイロを要求し、女性難民には集団レイプまでやらかすシーンには、バイデン支持派ならずとも胸糞悪くさせられることだろう。ゴルバチョフからエリツィンにいたるソ連ならびに🇷🇺公権力の腐敗ぶりは目を覆わんばかり。共産主義国家が自由主義を部分的に導入すると、必ずや特権的地位にいる公務員の汚職が蔓延るのである。🇨🇳しかり、🇷🇺しかり、🇷🇴しかりなのだ。習近平やプーチンが強権を発動しえない状況をよくご理解いただけたと思う。
叔父さんが住んでいる🇸🇪に何としても逃れたいアミン一家だが。ソ連の安アパートで、1日中部屋に閉じ籠り🇲🇽のメロドラマをながめながら1年をやりすごす。亡命のための金がたまってさてようやっとバルト海を横断するボロ船に乗り込んでみれば、🇳🇴の豪華客船に見つかって🇪🇪へ強制送還されてしまう。二度目の亡命によってかろうじて単独🇩🇰へ入国することができたアミンは、そこで過去の自分を捨て去らなければ新しい国で生きていけないことを学ぶのである。
そもそもゲイという言葉すらない祖国🇦🇫では同性愛者であることを隠し通し、🇩🇰では家族がまだ存命にも関わらず天涯孤独の身であると偽らなければ生きていけない、とアミンは思い込んでしまうのだ。大学を出て職も見つかり、フィアンセから一緒に住む家を探そうと提案されるのだが、元難民としてのトラウマがアミンになかなかうんと言わせないのである。数年後🇸🇪に住む叔父さんや姉さんと再会したアミンは、自分がゲイであることをカミングアウトする、過去の呪縛から自分を解き放つために。
逃げる
コペンハーゲンで、ラスムセン監督はアフガニスタン出身のアミンにインタビューをする。1984年、少年時代カブールに住んでいた彼は、紛争から逃れるために母や姉と国外脱出をする。アミンの兄がいるスウェーデンを目指すが、ロシアで足止めされる。密入国業者に依頼するなど、幾多の困難の結果。
王政、共産主義、タリバン台頭、と未だ内乱状態が続くアフガニスタン。国内の緊張感、密入国の過酷さ、さらにアミン自身の性的志向と事実を元にした物語。特に密入国は命がけで驚きました。この人たちは、何でこんなに苦労しなきゃならないんだろ、アフガニスタンはたくさんの人材を失うことに何も感じてないのだろうか。
FLEEとは、逃げる、の意味。
亡命
まさに日本の問題であるが、送還の無慈悲と絶望感が突き刺さる。後がないから国を失った人々。逆説的な最後の手口。まさに自分であることを亡くすようである。
アニメという手法をあえて用いてドキュメンタリーを撮ることに合理性がこの作品にはある。
この先も残り続ける作品
凄く良かった。作品の耐久力というか、この先も残り続ける作品だと思う。
主人公の告白によって「こうなりそう」と思ってたことが裏切られ目が覚める思い。
声の感じからか、アニメだけど実写的にも感じられた。
変わりゆく世界と変わらない世界
実写ではなくアニメーションで表現した所が野心的で、製作サイドは出演者のプライバシーを守るために、敢えて名前と地名を変えてアニメーションで表現することにしたという。
ドキュメンタリー作家は、被写体を傷つけ、加害者になり得ることを、覚悟する必要がある。ドキュメンタリー作家の相田和弘は、かつてそう語った。本作の監督もアミン(仮名)の身バレの危険性を排除するためにアニメーションによる表現を英断したのだろう。
もっとも、この表現方法には功罪あるように思う。というのも、事実を記録した映像ならともかく、再現映像になると、そこに”創作”というフィルターがかかってしまうので、どうしても疑いの目で見てしまいたくなるのだ。これはアニメ、実写に関わらず思う所である。
そもそもの話をしてしまうと、作り手の主観が介在する以上、ドキュメンタリーは本当の意味で真実を写しているとは言えないのかもしれない。いずれにせよ、観客としてそのあたりの判断は慎重に見極めなければならないところだろう。
アニメーションでドキュメンタリーを製作した例は過去にもある。レバノン内戦を描いた「戦場でワルツを」という作品がそうだ。そちらはPTSDにかかった兵士の記憶を探っていく、ある種戦場追体験のような映画だった。戦場シーンが非常にシュールで幻想的で、PTSD患者が見る記憶の断片とはこういうものなのかもしれない…と鑑賞時には驚かされたものである。ドキュメンタリーというジャンルに新たな表現方法がまた一つ加わったという感じがした。
本作も「戦場でワルツ」に通じる表現方法のドキュメンタリー映画である。ただ、演出は基本的にリアリズム主体で、戦争の犠牲となる市井の人々の悲しみと恐怖、苦しみを生々しく表現しており、手法は一緒でも演出は大分異なる。
例えば、アミンたち難民がソ連から亡命しようと密航船で渡航するシーンの緊張感と恐怖と言ったらない。見つかれば当然、連れ戻されて投獄されてしまう。仮に運良く外国に辿り着いたとしても、難民として受け入れてくれる保証もない。そんな生死の狭間に漂う彼らの運命に目が離せなかった。
また、アミンの生い立ちを回想する一方で、本作は現在の彼の私生活についても描いている。こちらはLGBTQをテーマにしているが、より普遍的に捉えるならば、キャリアと結婚の岐路に立たされた人生の選択のドラマというふうに解釈できる。
同性愛に厳しいイスラム社会での不自由な暮らしぶりから考えると、現在のアミンは大変恵まれた状況にある。世界は多様性を認める方向へ確実に変わっているのだ。なのに、いまだに古い因習に縛られ戦争を繰り返している国々がある。アミンの人生の選択は、そんな古い世界に少しだけ明るい希望を灯しているように感じられた。
アニメでしか描き得ないという状況から生み出された、印象深い一作
あえて滑らかさを排したアニメーションと、時に言い淀みながらも懸命に言葉を紡ぐさまがいつまでも印象に残る作品です。
主人公がカウンセリングを受けるように自らの出自を話し始めるところから物語は始まります。その語り口は決して流暢ではなく、言葉に詰まったり、言い直しが加わったりするため、語り手はアニメーションのキャラクターではなく、まるで実在の人物が台本もなく、思いつくまま話しているかのように感じます。実際のところ本作には、証言した人の素性が分かると本人やその周辺の人々に危害が加わるかも知れない、という切迫した要因があり、当初予定していた実写のドキュメンタリー映画という形式から、アニメーション作品として制作することにした、という事情があります。確かに、戦火を逃れた難民、というだけでなく、様々な意味でマイノリティとしての自らを引き受けざるをえない主人公であることが明らかになるにつれ、その意図が十分理解できるようになります。
昨今のアニメーションを見慣れている眼からすると、一見するとキャラクターの動きはいくぶんぎこちなさがあります。これは恐らく、本編で展開する様々な凄惨な状況を描く際に、できる限り生々しさから派生する心理的衝撃性を弱めつつ、しかし状況についてはなるべく克明に伝えるため、あえてぎこちなさを残しているためだということが分かります(時折抽象的な表現が用いられるのも同様の意図があると感じました)。
ただし、「様々な事情により、アニメーションという手法をとった」という経緯があったとはいえ、ポスターなどの作品イメージからも明らかなように、その表現方法、技法は極めて高度で、かつ実に多彩な人々が、表情豊かに演技しています。このように本作は、高度なアニメーション表現を駆使しつつ、その背後にある”語り得ないもの”の深淵を感じさせるという点において、特に強烈な印象を残す作品となっています。
こんな表現方法が!
どうやら元祖はあるらしいのだが、アニメにすることが、こんなにも有効的に作用するものなのかと感心した!!
確かに自身が生まれつきのデリケートな部分、そして何より辛い過去を下手に実写化するより、我々には想像する力が備わっている。
それは心の奥底に訴えかけ、鑑賞者を揺さぶる。
アニメはシンプルだが、絶対的な平和という理想を叶えるまでは、永遠の名作として語り継がれるだろう。
自由のある土地を求め
深層心理を丁寧に呼び起こす過程でみえてくる、愛と自由と安らぎへの渇望、その尊さ。この真実の描き方に、感銘を受ける。儚く残酷な世の中へ、伝える事を諦めなかった勇気に敬意を表したい。アニメーションが故、心の中に優しく浸透し、苦悩がこちらにも伝染する作品であった。故郷を追われ、苦悩の半生を携え力強く生きる人々は、もはや世界ではマイノリティとはいえない存在だろう。歴史はそれ程までに残酷な現実を増産してきている。家族と安住の地での暮らし、自らの「個性」が尊重される環境、それが当たり前ではない社会において、これ以上の幸せはないだろう。悲しみを知る人が、平和と幸福を伝えていくのだ。
歴史は繰り返す
ドキュメンタリーをアニメにした様なセリフと、自身関わりのあるアフガニスタン人達から聞いていた話とまったく類似していて、さらにリアリティを感じた。
もともとアフガニスタンというと、日本との関わりも少ない事もあり、歴史も宗教も文化も知らない部分が多い。
自由だったアフガニスタンの良い時代、王政廃止後のアフガニスタン人の激動。
財産を持たずに海外に逃げたとか、難民として家族がバラバラに違う国に散り散りバラバラになるなんて想像もつかない事態だ。
自身が仕事で関わりのあるアフガニスタン人(移民で国籍は様々)と同世代の主人公が語る話は、私がいつも聞いている話と同じだった。
国籍がオーストラリア人である元アフガニスタン人の兄弟が名前も全然違うし、兄弟である証明が一切ない事に長年疑問を感じていたが、難民になる際にいろいろと事情があるのだろうと想像が出来たし、生きる力、家族を守る力が並大抵でないのはこういう背景からだろうと思った。
ますます国に帰れない人々の別な国籍取得の戦いは未だ続いていて、私の目の前にある。
私にとっても考え深い作品だった。
危険から逃げても過去には向き合わないと。
「FLEE=逃げる・避難する」の意味です。恥ずかしながら「FREE=自由」だと勘違いしてました。自由を求める作品なのかな?って・・・・。まぁ間違いだったんですが、そうでもないような・・・そして、「逃げる」も「何から?」って考えるといろんな意味合いが含まれた作品でした。まぁ考えすぎかな?
けど、本作は避難民の過去をもつ人間が自分自身と向き合い、取り戻す物語だと思いました。
アニメーションのアプローチが興味深いですね。特に現在のパートは実写で作る予定だったのではなかろうか?と思えるような構図ばかりだし、ラストシーンやアミン、キャスパーのアテレコの声を聞くと、別途実写動画があってそれをアニメーションにしたんじゃ?って思いました。ただの演出なのかも?ですが。けど、それが良かったです。リアルな話なんだということ、ここで描かれていることは実在している人間に起こったことであり、現在進行形であるという風に見えるからです。
さて、淡々と描かれる避難民の実情がエグくて何度も絶望感に襲われます。避難民は決して守られる存在ではないのですね。避難は自力、お金があっても運次第で避難先での迫害。避難民は誰かに守られる存在では無いということがよくわかります。祖国を追われ、家族や自分自身やアイデンティティすら物理的に逃げるためには二の次にしてしまった自分・・・きっと自分が誰なんだかわからなくなってしまう・・・自分が自分じゃない感覚になってしまうのではないのかなぁ?とアミンを見ていて感じました。しかし、自分を取り戻すために過去と向き合わなければならないとは・・・さらに辛い話です。本作はきっとうまくいったケースなんだろうなぁと思います。世界にどれほど同じ、いやそれ以上の苦しみを強いられている方々がいるんだろう。元凶がなくなる気配は全く見えませんがね。
あと、少なくともロシアの警察のク◯さが半端ないです。であるということを再認識しました。あぁ一時が万事なんだなぁ、そういう国民性の国なんだなぁと。どんどんロシアを嫌いになっていく自分がいます。
私達も結局観客の中の一人
アフガニスタンから逃げて、現在はデンマークで仕事も成功し、婚約者もいるアミンがデンマークに来るまでを振り返るドキュメンタリーアニメ。
全編ほぼアニメだけど、アミンの語りや取材の音声は実際の音声で、現在のシーンもアニメで描かれてるけど恐らく取材中の様子そのままなんだろう。アニメという空想の世界を描ける語り口なのにすごくリアルという不思議な感覚。
難民問題の映画ではあるけど、メインは過酷な亡命を経験したアミン自身の心についての話。自分のことをあまり多くは語らないアミンは婚約者にも自分のキャリアや2人の今後など大切なことを話せない。アミンのそのクセは亡命生活において培われた自分を守る壁。
難民問題を扱った話は数あるけどここまで難民個人の心に目を向けた作品はあんまりなかったように思う。それも監督がアミンの高校時代からの友達だったからできたことなんだろうな。友達を撮ってるドキュメンタリーって眼差しが暖かくて好き。『行き止まりの世界に生まれて』っていうドキュメンタリーと共通点を感じた。
そういう暖かい視線の一方で、目の前に困っている難民がいるのに何もしない"見ているだけの私たち"を鋭く批判してくる場面もあって良かった。難民たちと一緒に大海原の船に閉じ込められたような体験をさせられてこの人達と同じ気持ちだ!と思った後に、クルーズ船に乗る見ているだけの人達が出てきていくら共感したとしても所詮自分たちはこの乗客達と同じなのだと気付かされる。映画館の椅子に座って見ているだけの"観客"に過ぎないことを。
すんません
難民問題は日本人が深く考えなければならない事であるのは知っているのだが、それに加えてセクシャリティの問題も加わった内容のため、焦点がボンヤリしてしまいました(自分的に)。
そのためか、途中、ウトウトしてしまいました。配信になったら、しっかり見直します。
とは言っても…
考えさせられますが、できることはポケットの小銭を募金するくらいしかないと思う。
残酷ですが、それ以上に手を出したら引きずり込まれるだけ!
アニメをドキュメンタリーの手法として使うのは初めて観た気がします。
お薦めです。
存在の必須条件は不条理なのか
暗澹の海に生まれ落ちたのは偶然装う確率なのか?それとも実態なき時の結実なのか?
もうひどい、こんなのヤダ、なんでオレ?
草枕ならぬアフガンの砂枕
日本の人口動態と世界の難民の人口動態。
難民にはその数だけドラマがある。どれも同じではなく、ただ皆生きるために必死。
最初ポスターを見たとき、実写ドキュメンタリーかと思ったが、アニメだと知り、昨年見た「トゥルーノース」を思い出した。
あの作品と少し違っていたのは、取材に基づいたという事実を生かし、まるで実写のドキュメンタリーをアニメ化したかのような作られ方だったこと。日本的アニメで聞き慣れている声ではなく、本物のインタビュー録音にアニメを充てたようなシーンと、回想の再現ドラマのようなシーンと当時の情景説明のための実写映像の組み合わせが、そのように感じたのだ。この斬新な演出が逆に見やすかったように思う。
生きるために脱出を試みるその物語は、見ていても辛く苦しく、全てを失いながらも、とにかく生き続ける姿が描かれている。人によって人権を奪われ、さらに力ある者によって心身を痛めつけられる人々。全ての難民にそれぞれの壮絶なドラマがある事をあらためて知る機会となった。この作品の持つ力が、より多くの人にメッセージを届けることになって欲しいと願うばかりである。
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