劇場公開日 2022年2月25日

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「サヨナラだけが人生なのだ」GAGARINE ガガーリン 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5サヨナラだけが人生なのだ

2022年2月27日
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鑑賞方法:映画館

「地球は青かった」でお馴染みのソ連の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンと同じユーリという名前の黒人青年が主人公である。宇宙飛行士の資料映像が流れるシーンもある。ユーリは親しみを感じ、憧れを抱いていたのだろう。
 ガガーリンの宇宙飛行の年に建てられたガガーリン公営住宅も築60年。名前の由来である宇宙飛行士はとうの昔にこの世を去った。公営住宅は耐用年数をはるかに超え、取り壊しの調査がはじまる。ひとり暮らしのユーリにとって、この公営住宅とその住民は、家であり家族のような存在だった。他の住民たちと違って、親戚や知人もないユーリには、団地を取り壊されたあとの行き先がない。

 人は南の無人島でない限り、人間関係の中でしか生きていけない。人間関係は場所と密接な関係がある。ユーリは団地を出ることができない。そんなユーリをロマのディアナは「意気地なし」という。蛇足だが、ロマはボヘミアンとかジプシーの意味で、日本語で言えば「流浪の民」である。ディアナにとっては流浪が日常であり、別れに慣れている。
 ユーリはディアナとの関係をひとつの絆だと思っているようだが、ディアナにとって他人との間に絆などない。実はディアナが正解で、人と人との間に絆などないのだ。家族の間にもない。日本の殺人事件の半分以上は親族間で起きている。家族の関係は絆ではなく、忍耐と諦めの関係なのだ。年数を経て忍耐の堤防が決壊した結果が殺人となる。
 絆などという言葉を使うのは、他人との関係性に対して根拠のない幻想を抱いているか、甘えているか、またはその両方だろう。ボヘミアンのディアナは人間関係を楽しみはするが、あっさりと捨てられる。そこが甘えん坊のユーリと決定的に違うところだ。

 手先が器用で努力家のユーリは団地の中で様々な工夫をするが、団地は確実に取り壊される予定だ。ユーリは団地への依存心を断ち切って、ロケットで外界に飛び出さなければならない。果たして打ち上げは成功するのだろうか。
 ユーリが少しも考えなかったことがひとつある。それはガガーリン公営住宅が建設される前に、その土地に住んでいた人々のことである。農家が牧畜をしていたかもしれないし、第二次大戦のときは戦場になったかもしれない。そのずっと前は貴族が浮気をしていたかもしれない。時間を軸に想像力を巡らせれば、この場所には既にたくさんの出逢いと別れがあったことに気づく。ユーリは悟ることができたはずである。サヨナラだけが人生なのだ。

耶馬英彦