フォーリング 50年間の想い出のレビュー・感想・評価
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傑作『インディアン・ランナー』の精神的続編か。
『ファーザー』にも通じる、認知症と有害な父性についての物語だが、本作で監督デビューを飾ったヴィゴ・モーテンセンの実体験がベースになっているからか、とてつもなく切実で、「語るべき必然性」がほとばしる人間ドラマになっている。
ヴィゴも主演といえば主演だが、むしろメインを張るのは父親役のランス・ヘンリクセン。旧態依然とした強権的な父親が、価値観をアップデートすることも生き方を変えることもできないまま、家族にとっての厄介者になっていく。この映画の魅力は、そのうんざりするような父親像を克明に描写しながら、成長物語でも家父長制批判でもない、グレーゾーンにとどまる勇気を持っていること。
この父親を持つことは家族にとってほとんど呪いだが、多かれ少なかれ家族には呪いという側面がある。どれだけ絶縁したい相手でも、親の世代は老いていき、納得ができなくとも、見捨てることはできはしない。そうやって家族とは否応無しに続いていくものではないかという命題が、ありのままに綴られている。この温度感の作品はなかなかないように思う。
あと、まあ鴨ですよ。子供と鴨という人生最良の思い出パートを、これだけ奇妙に歪んだユーモアで描いたヴィゴは只者ではない。もうひとつ付け加えるなら、ショーン・ペンの監督デビュー作『インディアン・ランナー』でヴィゴが演じた男が、そのまま老人になったのがランス・ヘンリクセン扮する父親に思えてきて、直接の関連はなくとも精神的続編に感じられるので、傑作『インディアン・ランナー』とセットで観てもらえるとなんだか嬉しいです。
一人の才能あふれる監督の船出に祝福を
ヴィゴ・モーテンセンがこれほど素晴らしい作品を作り上げるとは。自伝的要素が強いからか、一つ一つの描写にしっかり想いが籠っていて、一人一人の登場人物にもステレオタイプに陥らない多様性が煌めいている。特にランス・ヘンリクセン演じる父親像ときたら、口を開くと罵詈雑言や悪態の嵐。その上、自分が悪かったとは決して謝らない。となると周囲の人間は大変だ。グッと耐えつつ、こらえ切れず涙を流す者がいる。苛立って声を荒げる者もいる。だがそんな辛辣な描写の後にヴィゴはそっと過去の柔らかな記憶と美しい景色が移ろいゆくさまを詩的にコラージュする。そこに広がっていく人間というちっぽけなれど奇怪な存在の”奥行き”。本作には人間の表面的な部分を撫でるのでなく、観る者をその奥底へと導き、もっと知りたいと、手を伸ばさせる力がある。優しさがある。それはテクニックを超えた、ヴィゴの人間的な慈しみから溢れ出すものなのかもしれない。
Highly Personal Drama from Mortensen
Aside from Lord of the Rings, I have always had mixed feelings about Mortsensen's acting style—or at least towards the films he appears in. But his directorial debut is among some of the finest dramas in recent memory. Going along with the actor-turned-auteur trend of building a story around America's homosexual cultural revolution, Mortensen and his actors go places where woke conversation won't.
【保守的思想で、口が悪くレイシストでもある認知症になった老いた父を、同性愛者である息子が面倒を観ようとした理由。そして、父の意志を尊重したラストも印象的な作品である。】
■同性のパートナー、エリックと養女と暮らす航空機パイロット・ジョン(ヴィゴ・モーテンセン)のもとに、認知症を発症した父・ウィリス(ランス・ヘンリクセン)が訪れる。
超保守的で我儘な父との間に幼い頃から距離を感じていたジョンだったが、認知症のために過去と現在が混濁する父と向きあううちに、徐々に50年間の記憶が蘇る。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・中盤までは、ランス・ヘンリクセン演じるウィリスの認知症とは言え、品性の欠片もない言動に辟易する。
ー 逆に言えば、ランス・ヘンリクセンの演技が凄いのであるが。-
・その姿に諦観を持って対応するジョンの姿。
ー 認知症の為に、現在と過去が混濁した父が一瞬正気に戻って、ジョンに問うた言葉。
ジョンは躊躇いつつ、”HYPER"(過干渉)と答えるシーン。
ウィリスは”そうだ”と答える。
ジョンが父を心配したが故に、父が愛する住処から自分の元に引き取ろうとしたことに、ウィリスは、強く反発していたのである。-
■確かに、父ウィリスは傍若無人な人生を送って来たが、彼はジョンが幼き時に鴨を撃った時に共に喜び、鹿に対して銃弾を撃てなかった息子に”良いんだ”と優しく言ってくれたのである。
そして、父ウィリスは自分の意思として愛した家族たちと過ごした家で最期を迎える事を望んでいたのである。
<今作は、そんな父の想いを理解し困惑しつつも、父の願い通りに父の愛する居場所で最期を迎える事を許容した父と息子の物語なのである。>
1950年のままのオヤジと2020年に生きる息子。的な。
ヴィゴ・モーテンセンの初監督作品。製作・脚本・音楽まで自分でやってると言う。意外なのが、音数少な目の音楽のセンスの良さっすよ。Score と言う事になってたんですが、この「時間を空けた単音の散発」を楽譜に出来る所が凄い。
映画としては、ちょっとぶっこみ過ぎな印象はあります。ジョンがホモでパートナーとの間には移民と思しき養女。妹サラの娘がバイ。LGBTを凝縮した様な親族です。
前時代的に凝り固まった差別主義、と言うより「自分以外みんなクソ」思想の父親。と言うか、今時、どこを探せば、どんな田舎に行けば、こんな人を見つけられる?と言うくらいの旧さ&クソっぷり。
これがですね。この、ざーとらしいステレオ配置がですね。最初っから引っかかってしまいましてですね。で、結局、何の話なん?ってなりました。主題が見つからない、って言えば良いのか。ただただ、「このクソおやじ、ええ加減にせー!」と言うか、「話が進まんからクタばって!」てな具合ですw
ラスト。この、救いようのないクソおやじも、最初の奥さんの事を愛してたんだろうねぇ。って所は、少し染みました。
で?つまりは?
時代は変わり、新し夜明けが来るよ、来たよ。的な?
もう一幕二幕、なんかあって欲しかったです。
自分と重ねて
こんな親でも、よき人間に育つってこと
75歳のオヤジが病を経てみずからの人生を振り返った時
いやー、とんでもじい様がいたもんです。
セクハラ・モラハラは当たり前。人種差別・ジェンダー差別・・etc
ヴィゴ・モーテンセン監督主演 みずからの家族に材をとったらしい
しかし物語としての深みには乏しいし、単なるキャラクター崩壊の認知
症状との相乗した結果、家族が介護に振り回される話として印象は強い。
しかし人間が最後に支援を必要とする場合、これまで生きてきた決算棚
卸しがどうしても必要になるんですね。この主人公のオヤジさんも否応
なく苦しむことになります。
それがどうのこうのより、ここにLGBTを設定してきたわけが分からない。
レッテルを貼りたがる社会、家族のありかた、個人としての成熟度・・
またまたいろいろ考えてしまいました。
サヨナラだけが人生なのかな!?
叫喚
認知症になった一人暮らしの父親と息子の話。
終末期の親父が暮らすホームを探すべく、息子に連れられ息子の暮らすLAにやって来て巻き起こるストーリー。
飛行機の中で夢をみて、夜中に騒ぎ出す親父から始まり、昔のことと現在の様子をミックスしながら進行して行くけれど…。
昔のことは親父が頭の中でみていることだと思うけど、親父がいない場面が映っているのはなぜでしょう?なんてツッコミは無用ですかね?
しかも主人公である息子はゲイだしパートナーや養子の娘は人種が違うし、何だこれ?と思う程のダイバーシティ家族。
そして認知症云々関係なく、元々の親父が下品で罵詈雑言の嵐なクソ野郎過ぎて心が持って行かれないんだけど、何でこんな設定にしたんだ?
喚く親父にたいしても献身的な息子をみせて感動させたいのでしょうかね?
やいのやいのうるさく面倒臭いし、息子も爆発しちゃうしで、怒鳴りまくりの不快さが勝ってしまった。
感謝を伝える事
気持ちを出し合うことが宥和政策に?
酷い言葉!! 保守的どころか、差別主義者だ!! 今年は右翼系の映画を見るということが新年の抱負だったから、これはちょうど私の目的に叶った作品だと思いながら見ていた。
もう、大笑い!! 言葉使いが、小さい子供に使う言葉を大人に使うだけでなく、差別用語をはく父親ウィリス(ランス・ジェームズ・ヘンリクセン) それに、初期、認知症を患っているだけでなく毒舌を吐く。 父親は若い頃の悪いところが認知症になって、性格の悪いところにより拍車がかかる、と言うより、高齢になって人間の悪いところが残ってしまったと言う感じ。 私も気をつけなきゃ。
上手な役者だ、この父親。
そして、そこに垣間見ることのできる、父親の寂しさ、若い頃への郷愁が、北のニューヨーク州の四季と、特に冬とマッチしていて、分断の父と息子の(polarization)運命の性を見せつける。
法曹界や社会正義の映画と違って、リラックして観始めたが、父親の毒舌には閉口し始めた。立て続けに吐く、マイクロアグレッションや差別用語。 でも、そのうち、父親の悪態を数え始めた自分がいた。
空港に預けた荷物が降りてくるところで、アラブ系の女性達にみて***と、ホモセクシャル、女性に対しても、ジョンの夫エリックに対しても、日本のどこから来たのかと。長崎か?アメリカ人であるが、中国人で、母親サイドはハワイからとモニカが。どこでもタバコを吸うし、カルフォルニアのことを、コ***サッカーといったり、国旗を燃やす州と言う。女性について話すとき、F**Woman. 息子ジョンにN**に投票したのかと?(オバマのこと) マケインのことについては親子ともにアメリカの英雄だとし一致していたようだ。そして、空軍に入ったときはゲイだと知っていたのかなどと、限りなく、無神経で単発的な、ストーリー性のない質問を延々と投げかける。そして、課題の中で一貫性のある話題で話せない父親。会話力が狭く制限されていて、美術館に行っても、息子やエリックと異なって、ピカソの絵の鑑賞力も尋常ではない。
疲れるから、ここで父親への悪態をストップさせよっと。これまでにする。
無礼な・不快な・侮辱的、攻撃的な言葉や暴力の中で、これが日常生活になっている家庭で育った息子ジョン(ビゴ・ピーター・モーテンセン・ジュニア)が反面教師になっているだけでなく、ホモセクシャルで夫と結婚していて娘、モニカをラテン系の国から家族として受け入れていると言う設定だ。
カルフォルニアの医者クラウスナー(デビッド・ポール・クローネンバーグ)と父親ウィリスの会話、最高に面白い。(面白いと言う意味は私は呆れているからお面白いと言うこと)医者も多様な患者を扱っているから、上手にかわしている。ジョンもエリックも一言も言葉に出して嗜めず、困り果ててる。嗜めれば、助長して大騒ぎになることを何度も経験しているから。 大変!!
映画の最後の方で、父親の術後、二人が初めてぶつかり合い、殴る。 父親に対するこんな手向かいは過去にはなかったようだ。お互いを発散する。
息子ジョンは介護を知り合いに任せて、父親の元を去ってロサンジェルスに戻る話をするシーンがベストで大好きだ。最高!
ジョンは知り合いの人が父親の面倒を見てくれることを細々(こまごま)と、父親に話しているが、父親は新聞でクロスワードパズルしていて、
父親『overactive と言う5文字の言葉のスラングはなんだ?』
ジョン『呆れた顔して、(説明しているのを聞いてないのと言う気持ちが見える)少したって、幾つの文字?』
父親『5文字』
ジョン『Hyper?』
父親『That works』
ジョン:ちょっと苦笑い
父親は息子の心配を過剰ではないかと思っている。お節介無用だとも思っているかも。だから、overactive /hyperをかけていて、できたよと答えているが、それでいいよと言う意味。それを『ありがとう』 『すみません』が使えない・使ったことがない父親は『That Woorks』といってると思う。ここで息子が去ってしまう寂しさが窺える。あくまでも私の見解。
ここで映画は終わってもよかったとおもう。
モニカは祖父(ジョンの父親) がくれた時計に対して、『友達だから』と言う。孫って、親のジョンが見られないところを、モニカは見られる。
分断の時代で親子の分断もすでに見られたが、トランプ以降、それが、顕著になってきた。それを組み入れていて、秀作に値する。
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