劇場公開日 2021年7月2日

  • 予告編を見る

「恋の真実は変わらない」シンプルな情熱 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5恋の真実は変わらない

2021年7月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 恋の終わりはいつもいつも
 立ち去る者だけが美しい
 残されて戸惑う者たちは
 追いかけて焦がれて泣き狂う

 1977年(昭和52年)にリリースされた中島みゆきの「わかれうた」の一節である。古い感覚や価値観のことを「昭和だ」といって否定されたり揶揄されたりすることがあるが、中島みゆきの歌に限っては、古さを少しも感じない。ましてや「昭和だ」といって否定されることは決してないと思う。時の風俗や流行り廃りを超えたものがあるからだ。

 ヒロインのエレーヌを演じたレティシア・ドッシュは2018年に日本公開された映画「若い女」ではなかなか見事な演技を披露していた。「若い女」では、価値観の揺れ動く時代にあって、変わってゆく価値観に流されつつも、前向きに強く生きていく女性を演じたが、本作品ではシングルマザーにもかかわらず恋に堕ちて見境を失くしてしまう中年女性を好演。

 当方は男なので、女性の性欲がよくわからないが、恋多き女性とそうでない女性がいるのは確かだと思う。男性が一様に性欲があるのに対して、女性は性欲の強い人とそうでない人、性欲がまったくない人がいる。性欲の強い女性が恋多き女性なのだろう。そして恋多き女性は、性欲が満たされる間はひとりの男に入れあげ、その男から満足が得られなくなったら別の男を求める。男性は複数の女性と同時に関係を持つことが平気だが、女性の殆どはそうではない。浮気をするのは男性の割合が多いのはそのせいだ。妊娠しないからだろう。

 本作品のエレーヌはかなり性欲が強い方で、オルガスムスのためには予定も変更するし、息子のことも放ったらかしにする。アレクサンドルはそれを解っているから、じらしてエレーヌの感度を上げる。逢うのもじらすが、性交時も、キスをしたいエレーヌをじらして唇をなかなか合わせない。エレーヌはキスを求めて口走る「Je t'aime, Je t'aime」。アレクサンドルはそんなところに満足するが、そぶりも見せない。恋のテクニックだけがアレクサンドルの矜持なのだ。スケールの小さい男である。
 恋は性欲だが、同棲や結婚をして人生を共にするには相手への尊敬が必要である。男を尊敬できない自分に気づいたとき、未来への展望は幕を閉じ、同時に恋も終わる。男は女が自分から離れようとしていることに気づいて、漸く、尊敬される男を演じようとするのだが、時は既に遅い。

 中島みゆきの歌詞はいろいろな受け取り方があるだろうが、立ち去る男と追いかける女という図式ではなく、立ち去る女がいる一方で、残される女たちがいるという意味だと思う。女が立ち去るときは、相手への尊敬を失くしたときだ。尊敬できない相手とのつき合いをやめるのは潔い。だから美しい。尊敬できるかどうかわからないが、与えてくれるオルガスムスがほしい女たちは追いかけて焦がれて泣き狂うという訳だ。だからみっともない。
 中島みゆきが25歳のときの歌である。中島みゆきは自分もみっともない女たちのひとりとしてこの詞を書いたのだろう。本作品のエッセンスは中島みゆきの歌詞に集約されているように思う。40年以上の時間の差と、日本とフランスという場所の違いがあっても、中島みゆきが看破した恋の真実は変わらないのだ。

耶馬英彦