Summer of 85 : 映画評論・批評
2021年8月17日更新
2021年8月20日より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほかにてロードショー
オゾン監督の“35年越しの処女作” 狂おしい初恋を胸に、少年時代と別れを告げる物語
フランソワ・オゾン監督が17歳で出合い、心を動かされたエイダン・チェンバーズの小説「Dance on My Grave」(おれの墓で踊れ)を、約35年の時を経て映画化した「Summer of 85」。自身の青春時代を投影し、「1985年の夏」をエモーショナルかつノスタルジックに描き出している。
舞台は仏ノルマンディーの海辺の町。16歳の少年アレックスは、運命的な出会いを果たした18歳のダヴィドと一瞬で恋に落ちる。しかし、ダヴィドは突然の事故でこの世を去ってしまう。悲しみに暮れるアレックスを突き動かしたのは、ダヴィドと交わした「どちらかが先に死んだら、残された方はその墓の上で踊る」という奇妙な誓いだった。
オゾン監督はこれまで「危険なプロット」「17歳」などでティーンの複雑な内面に迫ってきた。本作でその眼差しは、嵐のような初恋に溺れるも、永遠の別離に打ちひしがれるイノセントなアレックスに向けられる。思春期の繊細な感情を丹念にとらえた原作にリスペクトを捧げており、映画でもふたりが交わす視線、くるくると変わる表情を照らし出す光、アレックスがダヴィドを思い出しながら綴る言葉のひとつひとつから、彼らの鮮烈な感情が溢れ出す。相手のほかにはもう何も見えないという熱狂、自分の心さえ思い通りにならない歯がゆさ、かつては惹かれていた“死”の残酷さと対峙し、体がばらばらになるほどの絶望、やがて訪れる無垢な少年時代との別れ。抗いがたく、狂おしい初恋の世界は、それを知った“あの頃”へと、見る者を否応なく導いていく。
さらにオゾン監督の新境地ともいえるみずみずしいラブストーリーに仕上げつつも、“オゾン監督らしさ”も健在。冒頭では理由が明かされないまま、ある場所に佇むアレックスの姿が映し出され、ミステリアスに物語の幕が開く。またふたりが心を通わせるシーンや、激しく言葉をぶつけ合うシーンなどの重要なポイントでは、監督作にしばしば見られる鏡のモチーフが登場する。「彼は秘密の女ともだち」の二面鏡のように、ふたりの内面の揺らぎが表現されているかのようだ。映画監督人生を通して胸に存在し続け、“35年越しの処女作”とも言える作品であるからこそ、オゾン監督の情熱や演出力が光る。一方で、異性装、霊安室、少年と教師の関係、墓地、作家など、原作の要素がこれまでの監督作に生かされていることにも気付く。オゾン監督の集大成であると同時に、原点を見出すこともできる作品なのだ。
1982年に出版された原作は、同性愛を扱った最初のヤングアダルト小説のひとつ。オゾン監督は「少年ふたりの恋愛に皮肉なんか一切加えず、古典的な手法で撮って、世界共通のラブストーリーにした」と語る。その言葉通り、劇中では同性同士の恋愛に付きまとう周囲のいわれなき偏見や不寛容が、取り立てて描写されることはない。アレックスとダヴィドは自然に惹かれ愛し合い、後に出会うイギリスの女の子ケイトはダヴィドの死後、ふたりの関係を知ってもなおアレックスに寄り添い、特別な絆を結ぶ。恐らく80年代に描くことは容易くはなかったであろう、誰もが自分自身を偽ることなく生きられる世界の形への、オゾン監督の強い意志が宿っている。
(飛松優歩)