「ファム・ファタールを超えて」本気のしるし 劇場版 andhyphenさんの映画レビュー(感想・評価)
ファム・ファタールを超えて
深田晃司監督初の連ドラを劇場版に編集した「本気のしるし 劇場版」。連ドラ版は30分×10回だが、映画本編は232分なので殆ど縮めることはしていないようだ。
深田監督はこの原作の映像化が念願だったというが、原作のことは全く知らなかった。1つしか歳違わないのにどことなく文化の違いを感じる(男女差か?いや私の無知だな...)。
原作未読、連ドラ未視聴で挑む232分。このくらいならインターミッションは要らねえよ!派の私だがこの作品についてはあった方が前半後半で締まるとは思った(というか大多数の人には必要だと思う)。
しかし本作を「古典的ファム・ファタール」ものと見てはいけないというのがまず通して観た実感。
「男を破滅させる運命の女」として見た場合、本作のヒロイン浮世(名に込めた含意が凄いよね)は当然古典的ファム・ファタールなんだけれども、彼女をそう規定さらしめるのは誰か、という話。
浮世さんはその名の通り浮世離れ著しい女性であることは間違いない。しかし本当に彼女をそう至らしめたのは夫であり、心中未遂相手であり、そしてまあ主人公たる辻くんである。
主人公2人は圧倒的に共感性低く描かれるが、私にはあの「辻くん」の作り込まれたシラケ感が興味深かった。さんざっぱら劇中で指摘されるが、あまりにも自分に価値を置いていないが故に「愛する」も面倒くさいと「思い込んでいる」男。自分をクズと規定しちゃってる男として見ていた。
「浮世さん」のあの無意識に媚びる感じ(ずっとノースリーブ着てるのがその象徴くさい)は正直マジ勘弁、と思わせるものがある。しかしその視点が全てなのか。思わせぶりな女が悪いのか。断れない女が悪いのか。「ファム・ファタール」を規定しているこの社会はどうなんだ...と考えさせられる。
揺れに揺れる男女関係が裏返りまた最初に戻ってゆくさま。繰り返される言葉。ひとつひとつの場面が持つ意味が強く、だからこそ私は最後で泣いてしまった。漫画的だとは思ったけど。
そう、普通に考えて起こり得ない展開が多々起きるのは極めて漫画的だなあと感じた。しかしその漫画的なるものを一身に背負う北村有起哉さんが素晴らしかったので良い。そして最後の登場シーンが哀しすぎる宇野祥平さん。
主演のおふたりの演技は本当に素晴らしかった。あの振れ幅を表現できる強み。成長というか、変容。出会いがもたらすものを遺憾なく見せつけてくる。そして秘めたる熱情石橋けいさんと、単純な情熱福永朱梨さんの対比。忍成修吾さんの役は最初から予想がついていたがそれでもやっぱりあの役は忍成修吾だよなと...いう感じ。ある意味安心感。
しかし浮世さんてスッゲー嘘ついてる感じに見えたけどよく考えたら冒頭しかあからさまな嘘ついてないのではという気がした。言ってないのが嘘といえばそうだが。